東 晃史(Akifumi HIGASHI: Ph.D. )
【西欧の“分子生物学”では、目に見えない、“自我や意識”の存在を、“無視した生命科学”である。これに対して、“自我や意識”の存在を、“可視化する”オリジナルによって、“定量的に表現する”と、“生命観や宇宙観”、および、“医療・技術”も、格段に、“進歩する”ことが分かる。】
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生命科学の統一理論
「●」=「“2種類の論文”で示した“内容”」は、「“義務教育や大学教育”などで、全く、“教育されない内容”」で、「インターネットで検索しても、“全く、ピック・アップされない内容”の、“知識や情報”(=オリジナル)」なので、「“意識”に関与する、“人間の行為や思想”の、“正当性や邪悪性”の、“問題”」は、「宇宙における、“自然界の倫理”に、“照らしてみる”」しか、「“方法はない”」わけです。
「“人間世界の倫理”は、“権力者が決める”」ので、「“時代とともに、変化する”」わけです。本当に、「“宇宙における”、“自然界の、絶対的な倫理”が、存在するのか?」については、「“意識の具体像”が、“科学的に明確”に成って、“初めて、考察できる”」ように成ります。「“この論文”を読んで、“自分で、考察する”しか、“方法はない”」でしょう。「“納得できる”」なら、「“英訳”して、“世界中の人々”に、“知らせたく成る“」はずです。=「●」
東晃史Higashi Akifumi(phD-Tokyo.univ.)
学歴//東北大学・理学部・生物学科卒業//東京大学・理学系大学院
・修士・博士課程修了//理学博士
職歴//東京大学・医学部・生理学教室・助手//岡崎国立生理学研究所
・研究員//定年後に、独自で、“生命科学の統一理論”
(=“自我や意識”を、定量的に導入した、生命科学の手法)を創造。
“物理学者のガモフ”は、“宇宙の裏返し”の、“絵”を、
“描いている”(ガモフ全集)。私は、「“宇宙の裏返し”は、
“意識の存在場所”の、“イメージに相当する”」と
推定して、「“時計の裏返し”」を描いてみた。
「“文字盤の外側”を、“時計の針”が、“左回り”に廻る、
“時計”」である。
「●」=「目次」
「Ⅰ部」=「“今現在”とは“瞬間”か、それとも“一生涯”か?」を解決する「“3階層の観測者”を繋ぐ、“時計のモデル”(“空間量子”に基づく、“1個の文字盤”と“複数の目盛”)」
「〇1」=「物理学は“対象物”の科学/生命は“主体側”(=“観測者側”)の科学」
「〇2」=「過去・現在・未来は、“主体側の感覚”で、物理学の対象ではない」
「〇3」=「細胞分裂の系譜を描けば、“今現在の細胞群”と“過去の細胞群”に“分類できる”/“記憶情報”は、“過去の細胞”に、“記録されている”」
「Ⅱ部」=「“リチャード・P・ファインマンの仮想実験”から推定できる“自然界の多様な相互関係”(約40例を提示)」
「〇4」=「“観測者の階層”の設定/”ベクトル”のエネルギーは、上位側の“意志のエネルギー”」
「〇5」=「遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我、個体の自我は、“主体の単位”の、“合成ベクトル”で“計算できる”」
「〇6」=「“主体の単位”の、“通常状態”(睡眠・覚醒&健康・病気)と“励起状態”(=超能力)」
「Ⅲ部」=「“あの世”の“中心”の、“霊太陽”から“湧き出す生命情報”」と「“心眼”で見る“超能力者で、物理学者の、バーバラ・A・ブレナン女史”(元・NASAのOB)の“観察結果”」と「“意識形成メカニズム”に関する“独創的な、理論的・モデル”の“対応”」
「〇7」=「生命の“エネルギーフィールド”(=設計図=霊体)は、物理学の“エネルギー”(=質量とエネルギー)と“異なる”」
「〇8」=「“主体の単位”(“妖精の素顔”)と“プラーナ”(“生命素”)」の「“理論的なモデル”の“確立”」
「〇9」=「“個体の自我”と“情報”が、“結合”して“意識”が生じる=(“結合場所”が、“心”)」
「〇10」=「“個体の自我”が、“能動的な総司令官&管理者”で、“細胞の自我”は、“受動的な従業員”/“1個
の受精卵”から、“4兆個の細胞群”に分裂(=“赤ん坊”)して、“人間の姿・形”(=“全体像”)を造形するプロセスに注目/“細胞の自我”の“運命”は、“個体の自我”によって、“決定”」
「〇11」=「“超-ゼロの世界”の“アカシック・レコード”」と「“記憶と心”の“形成メカニズム”」
「〇12」=「“決定論”の立場」から、「“確率論”の立場に、換わる、“境界線”の“存在”」
「〇13」=「“自我と意識”の“数学的な解析手法”と、“新タイプの人工知能”の“原理”」
「Ⅳ部」=「“暗黒物質”(宇宙物理学者)と“神の光”(超能力者)は“同一の量子”?」
『“2種類のオリジナル論文”の、“超・概要”』
「“意識”の、“形態と機能“を、考える」には、「”天“(=宇宙)から降りてくる、宿命的な、”人間の力“では、”どうにもならない“、”言語・性格・五感“に関する、”生命情報“」と、「”地“(=地球上の人間)から、“宇宙に向け”て、“個人の努力次第”で、“大きさが生長する”、”個体の自我”」の「“2種類の、目に見えない現象”を、考慮する」必要があります。
そして、「”宇宙由来“の、”宿命的“な、”生命情報“」と、「”地球(=人間)由来“の、“個人の努力次第”で、成長する、“個体の自我”が、“宇宙空間”で、”結合する“」ことによって、「”意識“が生じる」という、「”公式“を、”考える“(=私のオリジナル)」ことです。このように考えると、「下降する、”宇宙由来“の、運命的な、”生命情報“」と「上昇する、”地球(=人間)由来“の、“個人の努力次第”で、成長する、“個体の自我”」の、「“両方”に、“階層的な質や量のレベル”の、“違い”が、“生じる”」ことに成ります。すると、「“両者の結合場所”(=“心の形成場所”)によって、“多様な意識”が、“誕生する”」という、「“公式の内容”が、“明確に成る”」わけです。
そこで、「下降する、”宇宙由来“の、宿命的な、”生命情報“」については、「”本物“の、”超能力者“による、”直接の観察結果“」を「参考にする」しかないわけです。他方、「上昇する、”地球(=人間)由来“の、“個人の努力”で、成長する、“個体の自我”」については、「生物学では、“発生学”の領域」に相当する、「“1個の受精卵”から、“4兆個の細胞集団”まで、“細胞分裂を続ける”(=誕生の時の“体重”が、4㎏の“赤ん坊”)と、“人間”の、“姿・形”(=“全体像”)が、“構築される”プロセス」が、「“参考に成る”」わけです。というのは、「“細胞分裂のプロセス”に、“観測者の階層”の、“存在と役割”」を「“想定できる”(=私の“オリジナル”)」からです。「成長した“大人の人間”の、“観察”」では、「“意識の状況”の、“分析の手法”を、“見出すこと”さえ、“難しい”」でしょう。
というのは、「“個体の人間”では、“脳や神経系の基本構造”が、制御系として、“システム化されている“」からです。しかし、「”赤ん坊“のように、”独立した個体“として、”この世“に”誕生“」してからは、「”脳や神経系の基本構造“に、”言語や知識”、“体質や性格”、“五感や本能”や、“体験の記録”(=記憶)などの、“精神活動のシステム的な構築”が、不可欠に成る」わけです。「このような、“精神活動のシステム的な構築”」に対しては、「“個体の自我”が、成長して、“宇宙(=天)から、運命的に提供されている情報”の中で、“より、高いレベルの情報”と、“結合できるように、成長する”」ことが重要です。「“宇宙(=天)から、運命的に提供されている生命情報”のことを、“宇宙エネルギーフィールド”と呼び、“情報の質や量の違い”が、“上位側から下位側へ向けて、7段階に、分類”されている」わけですが、「これらの“階層的で、運命的な生命情報”は、“超能力者の観察”によれば、“人間のオーラ(=7色)”に、“出現している”(=“伝達されている”)」というわけです。そして、「オーラの中の、7階層の、それぞれの“情報”は、それぞれの、“個人の自我”と、“結合された意識の形態”に変わり、“チャクラ”という、“意識・情報の受容器”を介して、“体内の全ての部位”(=細胞群”)に、“分配されている”」るようです。
従って、「“宇宙で構成された意識”が、“オーラ”に伝達されて、“体表のチャクラ”から、“体内”に導入される、“プロセス”」は、「“意識の存在場所“に関しては、”目に見えない形式“で、“体外”から、“体内”に、“変換されている”」ことを意味します。つまり、「“意識(=心)”は、人間の、“体外の、宇宙”に、存在するのか、“体内の、胸の内側”に、存在するのか?」が、「“個体の自我”(=自分)には、“よくわからない”」わけです。
かくして、「“心”の“存在場所”に関する、“曖昧な状況”」は、「“超能力者の観察結果”を、“重視する”」ならば、「物理学者のガモフの、“宇宙の裏返し”(=生理学的には、“人間の裏返し”)に“譬えられる”」わけです。かくして、「この“裏返し”の、“具体像を明確にする”には、“観測者の階層”と、“空間量子の階層”の、“両方の階層”の導入が、“必要に成る”」わけです。すると、「“両方の階層”を導入すると、“意識”の“形態と機能”が、“定量的に、明確にできる”」というわけです。ただし、「“定量的に、明確にする”ためには、“自我の形成メカニズム”を、“明確にする必要”があり、“人類史に存在しない”ような、“特殊なオリジナル”の、“考え方”(=“ベクトルの合成と分解”)の、“提案が、不可欠”」なのです。
そういうわけで、「“分子生物学”の概念や、“神経回路”の概念しか、眼中にない、“脳科学者や心理学者”」には、「“子供の成長過程”や“老人の晩年”における、“心”の“生長や衰退”、“記憶の発達や痴呆”が形成される、“概念”」に関しては、「“あの世”を含む、“自然界の、絶対的な、道徳の存在”に、全く、“無関心”」で、「“研究の概念”が、“人間の側”の、”権力“や”流行“だけにしか、“存在しない”」ことを意味します。
「“観測者の階層”とは、“社会の常識”で表すと、“従業員の役職”(=ランク)」に相当し、「“1個の受精卵”から、“4兆個の細胞集団”まで、“細胞単位の、建設資材”」を使用して、「“人間”の、“姿・形”(=“全体像”=“建築物”)を、“構築する”」ための、「“建設作業員の組織”」に相当します。この場合、「“建設作業員の組織”」の、「“平社員”(=“観測者γ”)に対応するのが、“細胞の自我”」であり、「“建築現場の監督”(=“観測者β”)に対応するのが、“個体の自我”」と考えます。
「“この譬え”」は、「“建築現場の監督”(=“個体の自我”=“観測者β”)の、“能動的”な、“命令・指示と管理”」の元で、「“平社員”(=“細胞の自我”=“観測者γ”)は、“受動的”に、“仕事をする”」という具合に、「考える」ということです。すると、「“平社員”(=“細胞の自我”=“観測者γ”)の、“未来の運命”(=“将来の仕事内容”)は、“建築現場の監督”(=“個体の自我”=“観測者β”)の、“個人の意志”によって、“決定される”」ことを意味します。
次いで、「“平社員”(=“細胞の自我”=“観測者γ”)の、“未来の運命”(=仕事内容)とは、“人間個体の構築の、建設単位”である、“細胞の特徴”を、将来、“神経細胞”や“筋肉細胞”などに、“分化させる”(=“細胞自身”の、“形や機能”を、専門細胞”に、変化させる)」ことです。「それぞれの細胞は、“同様の遺伝子”を持っている」けれども、「“細胞自身”の、“形や機能”を、“変化させる情報”しか、持っていない」わけです。
だから、「“特筆すべき、重要なこと”」は、「“1人”の(“個体の自我”=“観測者β”)が、“4兆個の細胞集団”(=“細胞の自我”の集団=“観測者γ”の集団)の、それぞれの、“将来の運命”を、 “一方向的に、“決定する”」ので、「“1人”の(“個体の自我”=“観測者β”=総司令官)が、“実在する”」という意味で、「“生命科学の統一理論”」と呼ぶわけです。
逆に、「“現在のグローバルな生命科学”である、“分子生物学”には、次々と“新生する”(=“細胞分裂”する)、“4兆個の細胞群”を、“計画的に、統括し、管理する”ような、“1人”の(“個体の自我”=“観測者β”=“総司令官”=“管理者で責任者”)の“存在が、”全く想定されていない“」からです。
つまり、「“現在のグローバルな生命科学”である、“分子生物学”は、(平社員=観測者γの集合体)」であり、「“一般的な会社”の、“組織”や“規律”の側面からは、(平社員=観測者γの集合体)であり、“観測者γの、情報発現の、自由だけ”(=平社員の、個人的な自由)が、“保証されているだけ”」なのです。いわば、「このような、”組織の責任者や、組織の規律が不在“である、”西欧の科学技術の思想”、つまり、言い換えれば、“自然界の真理を探索しない”で、“人間だけの利害を探索する”、“思想”を、“義務教育の段階”から、“生命科学”(=“科学技術の思想”)として、繰り返し、“教育されている”」わけです。
すると、「大人になってから、“個人の自由”だけの、“保証を重視する思想”が、国内だけでなく、国際的にも、“政治・経済の側面”まで、“普及する”」ことに成ります。「“現在の国際情勢”は、“これらの特徴”が、“どの分野”においても、“ネガティブな意味”で、“終末的な結果”に、“到達している”」ように思われます。
最後に、「“天”から下降する、”宇宙由来“の、運命的な、”生命情報“」と「”地“から上昇する、”地球(=人間)由来“の、“個人の努力次第”で、成長する、“個体の自我”」の「“両方”に、“階層的なレベル”の、“違い”が、“生じるプロセス”」を、「“目に見える形式”で、“定量的に記述できる手法”は、 “高校1年生”で、“学習する”、“数学のベクトル”」なのです。
多分、「“高校の数学の先生”にとっては、“生徒の大学受験”の方が大事なので、“ベクトル”の、“自然科学的な、普遍的な意味”や、“ベクトル”の、“利用方法”を、“全く教えない”」のであろうと考えられます。というのは、「“著名な進学校”に入学して、“レベルの高い大学”を卒業した、“科学者や知識人”ほど、上記の、“意識の形成メカニズム”に、“無頓着”で、“生きていける”」ように「“見える”」からです。そういうわけで、「“1番目の論文”は、“数学のベクトル”の、“自然科学的な、普遍的な意味”や、 “利用方法”を、“理解する”ために、“必須の、内容”を、示している(=私の“オリジナル”)」ことに成ります。
「最初に、“10枚の図版だけ”で、“2種類の、オリジナルな論文”の、”超・概略”を、示しておく」ことにします。「”両方の論文“を、”理解した後“」では、「“10枚の図版”だけで、“オリジナルな筋書き”を、“理解(=整理)できる”」はずです。「“高校のレベル”で、上記の、“意識の実態”(=“具体像”)を理解して、“応用できる”」ならば、「大学で、“どの分野を専攻”しても、“普通の秀才”とは、“全く異なる、個性”(=“ホップ・ステップ・ジャンプ”の、“独創性”)を、誰でも、“発揮できる”」と考えます。
「“図で見る”、“概念・要約”(図版=10枚)」
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「概念・要約―1」
「概念・要約―2」
「概念・要約―3」
「概念・要約―4」
「概念・要約-5」
「概念・要約―6」
「概念・要約―7」
「概念・要約―8」
「概念・要約―8」
「概念・要約―10」
「最初に、“図版を表示"しておく(=“本文中”に、“図版の解説”がある)」
「Ⅰ部」=「“今現在”とは“瞬間”か、それとも“一生涯”か?」を解決する「“3階層の観測者”を繋ぐ、“時計のモデル”(“空間量子”に基づく、“1個の文字盤”と“複数の目盛”)」
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「図1(R1-図1)」=「“3人の観測者”と“3種類の空間量子”の“相互間系” &“小さい側の時計” (上位側で能動的な観測者βと下位側で受動的な観測者γ)」
「図2(R1-図2)」=「“受精卵”の“分裂の系譜”&“小さい側の時計”における、“過去・現在・未来”を“決定する単位ベクトル”と“感じる単位ベクトル」
「図3(R1-図3)」=「“大きい側の時計” (上位側で能動的な観測者αと下位側で受動的な観測者β)における、“目盛側”の“空間量子”&“受精卵”の“分裂の系譜”における、“過去(=祖先)の細胞群”と“現在の細胞群”」
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「図4(R1-図4)」=「“3人の観測者”と“3種類の空間量子”の“相互間系”&“大きい側の時計” (上位側で能動的な観測者αと下位側で受動的な観測者β)」
「1番目の論文原稿―1(本文)」
「TITLE=表題」
“今現在”とは、“瞬間”か、それとも、“一生涯”か?「=“3階層の観測者”を繋ぐ、“時計のモデル”(=1個の“文字盤”と、複数の“目盛”の、相互関係)」
「INTRODUCTION」
「人間は、“今現在・過去・未来”の3種類を、区別する」のが普通である。「物理学では、“今現在”は、“瞬間”である(=文献1)」と考える。しかし、「“人間”は、物心ついてから、死ぬまでの、“一生涯(=約80年)”の間、“今現在”を、“感じ続けている”」わけである。従って、単純に、「“今現在”という“考え方”」には、「“瞬間”と“一生涯(=約80年)”の、“2通り”」が存在するように見える。
しかし、厳密には、「“瞬間”という“考え方”は、“物理学の視点”」であり、「“一生涯(=約80年)” という“考え方”は、“主体の存在”を重視する、“新しい生物学”の“視点”」である。
「“主体の存在”を重視する(=文献2、文献3)」のは、「1人の“人間個体(=肉体)”は、“多数の細胞”から構成されている」ように、「1人の“人間個体(=肉体)”の“主体”は、“個体の自我”に“等しい”」と考えて、さらに、「“個体の自我”は、多数の細胞の、“細胞の自我”から、構成されている」と考えるからである。これは、「“個体の自我”は、“上位側の階層”(=上位側の主体)であり、“細胞の自我”は、“下位側の階層”(=下位側の主体)である」という意味である。そして、この場合、「“個体の自我”は、“自覚できる自我”」であり、「“細胞の自我”は、“自覚できない自我”」であると考えられる。
さらに、「“上位側の階層”(=上位側の主体)である、“個体の自我”が、感じる“今現在”」と、「“下位側の階層”(=下位側の主体)である、“細胞の自我”が感じる、“現在・過去・未来”」という具合に、「“個体の自我”と、“細胞の自我”は、“今現在・過去・未来”の“感じ方”について、それぞれの“役割の分担”がある」と考えられる。
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かくして、「“上位側の主体”が感じる、“今現在”と、“下位側の主体”が想像する、“過去・未来”を、“混同する”」と、「現状の“脳科学”(=分子生物学)のように、“記憶のメカニズム”は、永久に、解決できない」であろう。その意味は、「“脳科学”では、“今現在“の、”脳内の、神経回路のネットワーク“の”内部“に、個人の“体験の記録”が“存在する”(=“保存されている”)かのように、“錯覚”している」からである。
また、「“個体の自我”(=“上位側の主体”)の役割が、不明である」と、「発生学において、“下位側の主体”(=“細胞の自我”)の、“分化の方向性”(=運命)も、決まらない」わけである。
「ABSTRACT」
「物理学では、“主体と客体”の関係において、“主体”の導入を、避ける」のが普通(=物理学の哲学)である。従って、「“今現在・過去・未来”の3種類の区別は、“主体”の感覚」に基づくので、「物理学の、“今現在・過去・未来”という、“時間の定義”には、“矛盾がある”」と言えるであろう。
従って、「“今現在”は、“瞬間”である」という「“考え方”は、物理学の“考え方”」に近く、「物理学者は、“ミンコフスキー時空”の、“未来円錐”や“過去円錐”に示されている(=文献1)」ように、「人間は、常時、つまり、“一生涯(=約80年)”の間、“今現在”に“存在している”」という「“事実には、無関心”である」ように思われる。しかも、「人間が、“未来円錐”や“過去円錐”の“内側”に存在する」という「“指摘”」は、「人間が、現実に、“未来や過去”に、生活している(=記憶や想像ではない!)」という「“考え方”に、等しい」わけである。
かくして、「“ミンコフスキー時空”における、“瞬間”というのは、“未来円錐”と“過去円錐”の頂点が、“接する点”、つまり、時間軸上の“1点”だけ」であり、「物理学では、1個の“光の粒子”が、時間と空間の“座標軸の原点”を、通過する」ことを「論じているだけ」なので、「人間の“主体の感覚”(=“今現在”は、“瞬間”)とは、“無関係である”」ことに注目すべきである。
そこで、「まず、人間の“主体の感覚”においては、“今現在・過去・未来”の3種類が、区別されている」と考える。さらに、「従来の“主体”という表現は、通常、“個体の単位”(=1人の人間)を、基準として、定義された表現」であり、「“個体の自我”」に相当する。しかし、「ここでは、“主体”(=”個体の自我”)の形成は、身体を構成する、“各・部分”
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(=細胞群)によって形成される、“部分・主体(=単位)”の“加算”された“結果”である」と考えるわけである。
例えば、「“目に見える”、“人間の個体”(=肉体)は、“細胞”の集団によって構築されている」ことを想定すれば、「“目に見えない”、“個体の自我”は、“単位”を形成する、“細胞の自我”の“加算”された“結果”である」という具合に、「“主体”(=”個体の自我”)の、“形成メカニズム”」を考えるわけである。ここで、「“加算”とは、数学的な、“単位ベクトル”の“加算”である」と考える。
従って、「“個体の自我”の“形成メカニズム”が存在する」ことを「“前提”(=“別の論文”で、“個体の自我”の“形成メカニズム”について、図解する)」として、「ここでは、単純化するために、“個体の自我”と“細胞の自我”の、“2種類”だけを、取り上げよう」というわけである。
さらに、「“主体を重視”する“生物学”の視点から、(=これに対して、分子生物学では、“主体”の“振舞い”を、“無視”している!)、“細胞”(=細胞の自我”)の“1時間の寿命”(=初期の発生学では、約1時間で、細胞は分裂する!)と、“個体(=“個体の自我”)”の“一生涯(=約80年)の寿命”という、“2通り”に、単純化して、説明する」ことにした。
すると、「“今現在・過去・未来”の3種類を、区別するする」ためには、まず、「“決定する時間(時刻)“と、“感じる時間“の、”2通り“」を、「”区別する必要“」がある。さらに、「”立場“(=階層)の”違い“」、つまり、「階層的に、”上位側“の存在である、“決定する時間(時刻)“の”役割“」と「階層的に、”下位側“の存在である、“感じる時間“の”役割“」を、「”区別する必要がある“」わけである。
そして、「階層的に、”上位側“の存在である、“個体の自我”が、“決定する時間(時刻)“の”役割を演じる“」場合には、「階層的に、”下位側“の存在である、“細胞の自我”は、“感じる時間“の”役割を演じる“」という具合に考える。これは、「“個体の自我”と“細胞の自我”が、“組み合わせ”によって、それぞれが、“異なる役割”を演じている」という意味である。
従って、「逆に、“個体の自我”が、“感じる時間“の”役割を演じる“」場合には、「さらに、階層的に、”上位側“の、”仏の自我“(=“あの世”に存在する!)の存在を、想定」して、「“上位側の、能動的”な、”仏の自我“(=“あの世”)と、“下位側の、受動的”な、
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“個体の自我”(=“この世”)の、“組み合わせ”を、必然的に、“考慮する必要”」が出てくるというわけである。
これらの「相互関係を、階層的に異なる、“3人の観測者を繋ぐ、時計のモデル”(=1個の“文字盤”と複数の”目盛”の“組み合わせ”)」で、「“図解する”ことによって、“個体の自我”が、“細胞”(=“細胞の自我”)の、発生学的な、“分化の方向性”を、“決定している”」だけでなく、「“個体の自我”が、“全部の構成細胞”(=“細胞の自我”群)を、“管理している”」という、「“新しい概念”を、創り出せる」というわけである。
また、「人間の“記憶”は、常時、階層的に、“上位側の、今現在の領域”に存在する、いわゆる、“自覚できる”、“個体の自我”」と、「階層的に、“下位側”の、“今現在と過去”の“両方”に存在する、“自覚できない”、“細胞の自我”の、“組み合わせ”」によって、「“協調して、実現”されている」と考えられる。というのは、「“細胞の自我”だけが、“タイム・トラベル”によって、“過去の細胞”(=エネルギーフィールド)に、“記録された体験情報”を“選択する作業”を“担当できる”」からである。一方、「“上位側の主体”(=上位側の自我)」は、「常時、“今現在”だけに、存在する」からである。
かくして、「“上位側の主体”(=上位側の自我)と“下位側の主体”(=下位側の自我)の“組み合わせ”」によって、「“協調して、実現”されている、状況」は、「上記の、“時計のモデル”(=1個の“文字盤”と、複数の”目盛”の“組み合わせ”)」の、「“相互関係”を、“図解する”」ことによって、明確にできる(=別の論文で、記憶のメカニズムを、図解する)」わけである。
「このようなメカニズム」を想定すると、「人間の種々の“病気を治療する”ための、“新しい概念”(=“理論的な概念”)を、“提示できる”」わけである。「“新しい概念”(=“身体全体の、理論的な概念”)」とは、「分子生物学的な、従来の、“個別的、偶発的、局部的な疾患”のみを、“治療する、手法”(=“局部的な、構造と機能だけを、修復する概念”)とは、“根本的に異なる”、例えば、“その後”(=“局部の修復後”)の、“生命体の持つ、自然治癒力”という、曖昧なプロセスも、明確なプロセスとして、“治療の対象”にできる」という意味である。
さらに、「“時間(時刻)を、決定する“側の、”上位側の観測者“」と「”時間(時刻)を、感じる時間“側の、”下位側の観測者“」の「”存在と役割の分担“」は、「”超能力現象“(=普通の人に、見えない現象が、超能力者には、見える!)の、メカニズム」に関係している。というのは、「”超能力現象“は、”対象“(=”エネルギー・フィールド“や”霊
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“)を”感じる側面“(=感覚的な素質)が”最初“に現れ」て、次いで、「”瞑想“などの修行で、”訓練する“と、”対象“(=”実体“)が、具体的に、”見えるようになる“」という「超能力者の、日常体験が、記述されている(文献5)」からである。「この視点」については、「意識・自我“などの、”主体の科学“の、”メカニズムの側面“から、別の論文で、”超能力の形成メカニズム“」を、図解する。
また、「”対象“を、”感じる側面“(=感覚的な素質)が”最初“に現れ」、「”修行後“に、”対象“が、”見えるようになる“」という「”事実“」は、「”下位側の観測者“が、”上位側の観測者“に、”換わった(=上昇した)“」ことを意味する。「このような、”変換“後の、”上位側の観測者“は、”あの世“の、”仏の観測者“に対応する」ので、「”超能力者“は、”あの世“で生じる、”さまざまの事象“(=神秘現象を含む)を、”見聞できる“(=体験できる」ことを意味する。
また、「”新宗教の創立者“(=教祖)の、殆どが、”神秘的な、奇跡を演じられる“のは、”仏の観測者“のレベルに、到達したのか(=”真の宗教“)、あるいは、近くなった(=”邪教“)」からである。つまり、「宗教は、”信ずるモノ“」ではなく、「”理解できるモノ“」に、「換わる」というわけである。というのは、「”宗教の、形成メカニズム“が、明確になる」からである(=別の論文で、”宗教の、形成メカニズム“を、図解する)。
METHOD
「方法1」=「1個の“文字盤”と、複数の“目盛”が描かれた、“1本の針”を持つ、“時計のモデル”(=上位側の、能動的な、観測者の”意志“によって、右回りに、時計の針を、回転させる)」を想定する。
「工夫1」=「3個の“空間量子”[=半径o、半径p、半径qの大きさの“円筒(=フタの開閉が可能)”で、しかも、“半径o≫半径p≫半径q”の関係]」から「“小さい側の時計”(=pとqの組み合わせ)と、“大きい側の時計”(=oとpの組み合わせ)]の、“時計のモデル”(=それぞれ、“1個の文字盤”と“複数の目盛”の、“組み合わせ”)」を作成する。
「工夫2」=「“空間量子”」という“概念を構築し、定義”する。ここで、「“量子”」という言葉は、「物理学の専門用語」ではなく、「(内側)と(外側)を“区別”できる、“境界層”を持つ、“開閉可能なフタ付き”の、“立方体”」という意味であり、「“立方体”の“大きさ”は、“無限大”から、“無限小”までの、“各種のサイズ”の存在」を、「“想定している”」わけである。
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ただし、「“空間量子”」とは、「“物質”の場合」と「“エネルギー・フィールド”(=“霊体”)の場合」の「“2通り”が、“想定されている”」ので、いわゆる、「“物質と精神”の、“二元論”の立場」である。
「方法2」=「基本的に、“3人の観測者”(=観測者α、観測者β、観測者γで、この順で、階層的に、上位側>中位側>下位側の関係である)の存在」を想定し、さらに、「2組の、”能動的な上位側の観測者“と、”受動的な下位側の観測者”の“組み合わせ”と、それぞれの観測者の、“存在場所”を、定義」する。
この場合も、「階層的に、“無限大の大きさの観測者”から、“無限小の大きさの観測者”まで“想定”」し、同様に、「2組の、”能動的な上位側の観測者“と、”受動的な下位側の観測者”の“組み合わせ”と、それぞれの観測者の、“存在場所”を、定義」する。
「工夫3」=「“無限大の大きさの観測者”から、“無限小の大きさの観測者”」まで、「“連続的”に、“連結させる”」ために、「“2組”の、”能動的な上位側の観測者A“と、”受動的な下位側の観測者B”の“組み合わせ”」と「“2組”の、”能動的な上位側の観測者C“と、”受動的な下位側の観測者D”の“組み合わせ”」を『“前提にする”』と、「”受動的な下位側の観測者B”が、”能動的な上位側の観測者B“に、”変換“」して、さらに、「”能動的な上位側の観測者C“が、”受動的な下位側の観測者C”に、“変換される”」ような「“変換の公式”」が必要に成る。
「方法3」=「“無限大の大きさの観測者”から、“無限小の大きさの観測者”」まで、「“連続的”に、“連結させたい内容(=目的)”」は、「“上位側の観測者”の、“意志”を、“下位側の観測者”に、“伝達する”」ことである。
「工夫4」=「“上位側の観測者”から、“下位側の観測者”に向けての、“意志の伝達手段”として、“ベクトル合成”の“手法を導入する”」ことである。これは、「数学的な、“単位ベクトルのエネルギー”とは、“意志のエネルギー”と“見なす”」ことに「“由来する”」わけである。
「方法4」=「“上位側の観測者”から、“下位側の観測者”の、“時間に関する感覚”の、“役割分担”」を想定する。そのために、「“上位側で、能動的な、観測者”が、時計の針のメカニズムを利用して、時計の“目盛”の(外側=表面側)に、時計の“針先”(=ベクトル)を、“刻印する”ことで、時刻を“決定する”、という“役割”」を果たし、「“下位側で、受動的な、観測者”は、上位側によって、決定された時間を、“目盛”の(内側)に存在し
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て、“感じる”、という“役割”」を果たすという具合に、「“2人の、階層的に異なる観測者”の、“時間に関する感覚”の“分担を想定する”」わけである。
「方法5」=「論文原稿(2)において、個体の自我は、器官の自我、臓器の自我、組織の自我、細胞の自我、遺伝子の自我」などが、「定量的に、表現可能な、“精神科学の基本単位”」を、「“オリジナルな概念”」として設定する。この場合の、「“オリジナルな概念”の“構成要素”として、“相互に逆向きの、2系一対の、合成ベクトル”の“組み合わせ”」を想定し、「“自我の潜在モデル”の“構図”」を明確にする。そして、「“遺伝子の自我”から、順次、上位側の階層に向けて、“ベクトルの加算”が実行されて、最終的に、個体に1個の、“個体の自我”が形成される」という「“個体の自我”の“形成メカニズム”」を明確にする。その「前段階」として、「“単位ベクトル”と“観測者”の“相互関係”」を示す、「時計のメカニズム」の「理解が不可欠」なのである。
「方法6」=「生物学において、“1個の受精卵”が、分裂して、細胞数が増加するプロセス(=初期の発生学)」を想定する。「“受精”の結果として、“受精膜”が、挙がる」ので
あるが、「この“受精膜”を、拡大する“三角形”(=フタ付きの、“空間量子”=“受精膜”)で表記して、“三角形”の“内側”において、“細胞分裂の系譜”を、“時系列的に表記する”」ことにする。
また、「“受精膜”に相当する、“三角形”は、成長した段階で、“個体の皮膚”に成り、体内と環境の“境界(=皮膚)”を形成する」というイメージを描く。これは、「哺乳動物において、母体の子宮と胎児との、相互関係の複雑さを、省略する」ことが目的であるが、「時系列的に、細胞数が、増加していくプロセスにおいて、“今現在の細胞”と、“過去の細胞”や“未来の細胞”などを、“明確に、分類する”」ことを「主眼にする」ためである。
「方法7」=「“受精膜”に相当する、“三角形の大きさ”(=皮膚)を、時計の、1個の“文字盤”の大きさに、“対応させる”」と同時に、「“三角形の内側”(=文字盤の大きさ)で、時系列的に、“分裂して増加”する、それぞれの“細胞を、時計の目盛”」と見なすことによって、「細胞分裂の状況を、時計の“文字盤と目盛”で構成されるイメージに、“置き換える”」ことにする。
「工夫5」=「“個体の自我”(=観測者β)は、“三角形”(=境界)の“内側”で、“細胞群”の“外側”に存在する(=常時、この2つの条件を、満たす)」、「“細胞の自我”(=観測者γ)は、分裂で増加する細胞数に応じて、“各細胞”の“内側”に現れる(=“新生”する)」という具合に、「“個体の自我”(=観測者β)と、“細胞の自我”(=観測者γ)の、
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それぞれの“存在場所”を、厳密に、“定義する”」ことにする。
「工夫6」=結果的に、「“個体の自我”(=観測者β)は、1人で、“文字盤”の上に存在する“構図”(=“空間量子”の、フタが開いた状態!)」に成り、また、「“細胞の自我”(=観測者γ)は、“文字盤の端”に、“目盛”(=細胞)状に並ぶという“構図”」をイメージできるので、「“文字盤”の中心から、1本の、“時計の針”が、伸びる」ことによって、「“目盛”に相当する“細胞”の1個1個を、“指し示すイメージ”」に「“置き換える”」ことができる。ここで、「“時計の針”を、右回りに回すのは、“個体の自我”(=観測者β)の“意志”であり、任意に、“細胞”(=目盛)の“(外側=表面側)”に、時計の“針先”(=単位ベクトル)を、“刻印できる”」ことを意味する。
「工夫7」=「これらの関係」を示すことで、「“個体の自我”(=観測者β)の“意志”(=“上位側で、能動的な性質”)が、“細胞”の、“過去・今現在・未来”の3種類を、“決定する”」という具合に、「理解する」わけである。また、「単に、“個体の自我”(=観測者β)が、“細胞”の、“過去・今現在・未来”の時間」だけでなく、「“個々の細胞”の“内側”に存在する、“細胞の自我”(=観測者γ)の“分化の方向”(=細胞内の、観測者γの将来の運命)を、“決定する手段”にもなる」し、「すべての細胞の、時々刻々の変化を、“管理する役割”も担う」ということを意味する。
逆に、「“個体の自我”(=観測者β)が、“細胞の自我”(=観測者γ)を、“管理する役割”に、“異常が生じる”」と、「種々の“疾病”が生じる」という具合に、「人間の“病気や、奇形や、難病”の“原因”に対する、“見方”(=“管理能力”の低下)が、根本的に、“変わってくる”」わけである。
「工夫8」=「逆に、“下位側で受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)は、“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)によって、細胞の“外側”に、“刻印された”(=“決定された”)、時計の“針先”(=単位ベクトル)の指令を、受動的に、“感じる”」という「“役割を演じる”」わけである。これは、「“過去・今現在・未来”の3種類を、“感じる”のは、“下位側で、受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)」であり、「“過去・今現在・未来”の3種類を、“決定する”のは、“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)」である、という具合に、「“過去・今現在・未来”の3種類を、“決定する”立場と、“感じる”立場の、存在場所や、“階層が異なる”」ことを意味する。
「工夫9」=そこで、「“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)は、常時、“今現在領域”に、“存在する”(=これは、観測者βが、三角形の“内側”を、移動するのに、
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“時間経過を必要としない”ことに等しく、また、“ベクトル加算”において、“単位ベクトル”の“平行移動が、可能である原理”、つまり、同時刻の空間量子に、満たされた空間であることに、相当する)」けれども、「“下位側で受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)の場合は、“今現在の領域”だけでなく、“過去の領域”(=“今現在の領域”から、姿を消した、“エネルギーフィールド状態の細胞”=“霊体”として)にも、“両方に、存在する”(=東洋の、“二元論”)」ことを意味する。
ただし、「細胞の、“今現在”」や「細胞の“過去”」は、「“下位側で受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)の“立場に立った時”にだけ、“明確に、区別できる”」わけで、「“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)の立場では、常時、“今現在”に“存在する”」ために、「細胞の立場の、“今現在”」や「細胞の立場の、“過去”(=“今現在の領域”から、姿を消した、“霊的な状態の細胞”)」という「“区別”(=“判断”)は、できない」わけである。
「“この視点”(=“自我”の“階層の違い”と、立場によって、“役割が違う”こと)が、
極めて重要」であり、「“現代の脳科学者”が、“記憶現象は、”今現在“の”神経集団である、神経回路の、ネットワークの中にある”」という「“視点に拘る”」けれども、「“記憶のメカニズム”を“解決できない、真の理由”」なのである。
つまり、「人間の、“過去の記憶”は、“細胞の自我”の、”立場”の、“過去”(=“今現在の領域”から、姿を消した、“霊的なエネルギーフィールド”)に“記録されている”」わけで、「“細胞の自我”(=観測者γ)の“立場に立った時”だけ」に、かつ、「“細胞の自我”(=観測者γ)が、“過去の細胞群の存在場所”に、“タイム・トラベル”して、必要な“情報”を、“選択”」し、さらに、「その“情報”を、常時、“今現在”に存在する、“個体の自我”(=観測者β)に“引き渡した時”(=“自覚できる自我”に、引き渡した時)に、いわゆる、“過去の記憶”が、“今現在”に、“蘇る”」わけである。
「工夫10」=「“個体の自我”(=観測者β=“自覚できる自我”)の寿命は、“一生涯(=約80年)”」であり、「“細胞の自我”(=観測者γ=“自覚できない自我”)の寿命は、“約1時間”(=初期の発生学では、約1時間で、細胞は分裂する!)」と考えて、「“今現在”という時間」については、「“新しい生物学”の立場から、“約1時間”と、“一生涯(=約80年)”の“2種類”」について、考慮した。
THE MAIN SUBJECT」
「図1(R1-図1)」=「“小さい側の時計”」
「図1の図(AA)」は、「“3人の観測者”と“3種類の空間量子”の“相互関係”」を表している。
基本的には、「3種類の大きさの円が存在する」場合に、「2種類の時計」、つまり、「“大きい側の円(=半径q)”を、1個の“文字盤”にして、中間の円(=半径p)の側を、複数の“目盛”と考える“タイプの時計”を描く(=“大きい側の時計”)」場合と、「“中間の円(=半径p)”を、1個の“文字盤”にして、“小さい円(=半径o)”の側を、複数の“目盛”と考える“タイプの時計”を描く(=“小さい側の時計”)」場合である。
この時、「2種類の時計を描く」場合には、「中間の円(=半径p)は、“大きい側の時計”においては、“目盛”の役割」を演じ、次に、「“小さい側の時計”においては、“文字盤”の役割」を演じるので、「いわば、“1人2役”の“役者の演技”(=“変換”)が必要に成る」わけである。
ところが、「図1の(AA)」では、「“3種類”の大きさの、“円の組み合わせ”」の代わりに、「“3種類”の大きさの“円筒の組み合わせ”」であり、しかも、「“3種類の円筒”には、いずれも、“点線”が描いてあり、“フタの開閉”が、“可能な構造”である」ことが示されている。
「“点線”によって、“フタの開閉”が、“可能な構造”にしてある」のは、「例えば、ロシア人形のマトリョーシカ」のように、「フタを開けると、“親人形”の(内側)から、“子人形”が出てくる」、「“子人形”の(内側)から、“孫人形”が、出てくる」という、「いわば、“同様の形の存在”(=“人形”)が、(内側)に、“潜在しているイメージ”」を「想像している」わけである。
ただし、「本論のケース」では、「“親人形”の代わりに、“親時計”の存在を想定している」のであり、「フタを開けると、“親時計”の(内側)から、“子時計”が出てくる」、「“子時計”の(内側)から、“孫時計”が、出てくる」という、「いわば、“同様の形の存在”(=“時計”)が、(内側)に、“潜在しているイメージ”」を「想像している」わけである。
「“本論”の場合には、以下に説明する」ように、「“大きい側の時計”の、複数の“目盛”の側が、“小さい側の時計”の、“文字盤”に、“変換するプロセス”も、“組み込んである”」ので、「“小さい側の時計”には、新たに、“複数の目盛”が、“誕生する”」という「“末広
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がり”の、“時計のシステム”が“潜在している”」ことを意味している。「この状況」は、「“1個の受精卵”が、2個、4個、8個、・・という具合に、“細胞分裂”で、“細胞の数”を“増加させるシステム”の“モデル”」を、「想定している」わけである。
そして、「“大きい円筒(=半径q)”の(内側)には、“観測者(α)”が存在する」、「“中間の円筒(=半径p)”の(内側)には、“観測者(β)”が存在する」、「“小さい円筒(=半径o)”の(内側)には、“観測者(γ)”が存在する」ことが示してある。
「注目すべき」は、「“2種類の円筒”の“組み合わせ”で、“2種類の時計”が、“造れる”」という視点は、“同じである”」が、「“文字盤”の(外側)の観測者は、階層的に、上位側で、能動的」であり、「“目盛”の(内側)の観測者は、階層的に、下位側で、受動的」であるという具合に、「定義している」ことである。
すると、「“大きい側の時計”」では、「“文字盤”の(外側)の観測者は“観測者(α)”」であり、「“観測者(α)”は、階層的に、上位側で、能動的」であり、「“目盛”の(内側)の観測者は、“観測者(β)”」であり、「“観測者(β)”は、階層的に、下位側で、受動的」であるという「定義になる」わけである。
一方、「“小さい側の時計”」では、「“文字盤”の(外側)の観測者は“観測者(β)”」であり、「“観測者(β)”は、階層的に、上位側で、能動的」であり、「“目盛”の(内側)の観測者は、“観測者(γ)”」であり、「“観測者(γ)”は、階層的に、下位側で、受動的」であるという「定義になる」わけである。
かくして、「中間の円(=半径p)の(内側)には、“観測者(β)”が存在する」ので、「“目盛”の(内側)の観測者である、“観測者(β)”」は、「“文字盤”の(外側)の観測者である、“観測者(β)”」に、「いわば、“観測者(β)”は、“1人2役”の“役者の演技”(=“変換”)が必要に成る」わけである。
「このように考える」と、「上記の、“1個の受精卵”が、2個、4個、8個、・・という具合に、“細胞分裂”で、“細胞の数”を、“末広がり”に、“増加させるシステム”の“モデ
ル”」は、「細胞の(内側)に存在する、“観測者(γ)”という“人格”が、“末広がり”に、“増加するシステム”の“モデル”に成る」わけである。
「図1の図(BB)」は、「第1段階で、“小さい側の時計”」のイメージを「図解してある」わけである。つまり、「“1個の文字盤”の大きさが、(中円筒―半径p)」であり、「“複数
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の目盛”の大きさが、(小円筒―半径o)」の構成である。「図1の図(AA)の図(bb)の、図(c)の、半径pの大きさ」が、「図1の図(BB)の、“文字盤の大きさ”(=半径p)である」から、「相対的な、円の大きさの、描き方の“違い”」には、「注意すべき」である。
そして、「図1の、図(AA)の図(bb)の、図(c)の、円筒(=半径p)の点線で示したフタを開けた」場合に、「図1の図(BB)の、時計の“文字盤”(=半径p)が現れた」ので、「フタが、閉まっていた」場合には、「その円筒の(内側)に存在」した、「図1の、図(AA)の図(bb)の、図(d)の、下位側で、受動的な、観測者(β)が、“変換”され」て、「図1の、図(AA)の図(bb)の、図(e)の、上位側で、能動的な、観測者(β)に、“変身”」して、しかも、「“文字盤”(=半径p)の(上側=外側)に“出現した”」という具合に、「観測者(β)が、“下位側で、受動的な存在”から、“上位側で、能動的な存在”に“変身する”」状況を表している。
従って、「観測者(β)が、“下位側で、受動的な存在”から、“上位側で、能動的な存在”に“変身する”」場合には、「同時に、図1の図(AA)の、図(cc)の図(f)の、小円筒(=半径o)の大きさの“目盛”と、図(g)の“観測者(γ)”」が、「時計の目盛の数ほど、“新規に、誕生する”」。
この時、「“新規に、誕生する”、“観測者(γ)”は、“下位側で、受動的”な、存在」であり、「具体的な、“目盛の数”(=ここでは、“4個の目盛”のケース)」に応じて、「(目盛0)の(内側)には、“観測者(γ―0)”が存在する」、「(目盛1)の(内側)には、“観測者(γ―1)”が存在する」、「(目盛2)の(内側)には、“観測者(γ―2)”が存在する」、「(目盛3)の(内側)には、“観測者(γ―3)”が存在する」、「(目盛4)の(内側)には、“観測者(γ―4)”が存在する」ことが示してある。
一方で、「図(BB)の“文字盤”の(上側)の中心付近には、上位側で、能動的な、観測者(β)が、描いてある」だけでなく、「上位側で、能動的な、観測者(β)は、自分の意志で、時計の針を、右回りに廻す(=時計の針が、自動的に、廻るのではない!)」という「“仕事をする”」ことが「“強調してある”」わけである。
「何故、このような、“面倒な、時計のメカニズム”を、“想定するのか”?」について、「“その理由”を、以下に説明する」ことにしよう。
まず、「“小さい側の時計“は、”1個の文字盤(=半径p)“と”4個の目盛(=半径o)“から”構成されている“」ことに成る。そして、「”上位側で、能動的な、観測者(β)“は、”
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自分の意志“で、時計の針を、右回りに廻す」ことによって、「時計の針の、“針先”(=“単位ベクトル”)を、”4個の目盛(=半径o)“の、”円筒(=半径o)“の(外側=表面側)に、”刻印する“(=”決定する“)」と考えるわけである。
これに対して、「”4個の目盛(=半径o)“の(内側)に存在する、”下位側で、受動的な、観測者(γ)“は、”4個の目盛(=半径o)“の、”円筒(=半径o)“の(外側=表面側)に、”刻印された“(=”決定された“)、時計の針の、“4種類の針先”(=4種類の、“単位ベクトル”)を、それぞれ、感じる」という具合に考えるわけである。
つまり、「”上位側で、能動的な、観測者(β)“は、”時刻“(=“針先”=“単位ベクトル”)を、”刻印する“(=”決定する“)という、”役割“」を担当し、「”下位側で、受動的な、観測者(γ)“は、決定された時間を、感じるという、”役割“」を担当することで、「人間の、”時間の体験“(=主体側)に関して、階層的に異なる、2人の観測者が、”役割の分担“を”実行している“」というわけである。
ここで、「”上位側で、能動的な、観測者(β)“は、時計の針を、右回りに、”自分の意志“で、廻す」という「”時計の舞台上“(=1個の文字盤と複数の目盛)で、行われる、”芝居のシナリオ”で、“2人の、階層的に、異なる役者”の“役割分担”を、“設定する”」ことに、注目すべき」である。
「”この部分“(=”芝居のシナリオ”)が、キーワード“」であり、「時計の針先で、決まる、”単位ベクトル“は、〔”上位側で、能動的な、観測者(β)“〕の、”意志のエネルギー“である」という具合に、「”見なす“ための、”特別な仕掛け“」なのである。そこで、「〔”上位側で、能動的な、観測者(β)“〕という言葉を、省略する」と、「”単位ベクトル“とは、”意志のエネルギー“である」という「”定義に成る“」わけである。
つまり、「“意志のエネルギ―”は、“物理学や西欧の科学の哲学”に、”存在しない概念“」であり、「”主体側“の、”精神的な側面“(=”精神と肉体“の、”二元論“)から、つまり、”目に見えない存在を、前提とした、側面“から、定義すべき、”新しい概念“」なのである。
「言い換える」と、「“西欧の生命科学”である、“分子生物学”において、“自我や意識”という“専門用語”が、全く、“登場しない、根本的な原因”」なのである。
「図2(R1-図2)」
図2を説明する前」に、「自我の概念」について、「説明しておく」ことにする。「自我という言葉は、一般的には、心理学の分野の用語」であり、「“心理学の自我”には、フロイトやユングなどの哲学が、前提となる」けれども、「“本論”で使用する、自我は、全く異なるイメージである」ことに注目すべきである。
というのは、「自我という用語には、具体的に、遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我や、個体の自我」などが、「量的な、大きさの違いを伴う形式で、存在する」からである。つまり、「“1個の細胞”には、“約200個の遺伝子”が存在する」と言われている。この時、「“1個の細胞”の(内側)に、200個の、“遺伝子の自我”が存在する」と考えて、「200個の、“遺伝子の自我”が、加算されて、1個の“細胞の自我”が形成される」という具合に、「考える」わけである。そこで、「“本論”における、“人体に、1個だけ”存在する、“個体の自我”が、一般的な、“心理学の自我”という用語に、対応する」と考えればよい。
「これらの、“自我の形成メカニズム”」については、「論文原稿(2)において、詳述してある」わけである。ただ、「ここでは、“自我の大きさ”を、決定する、“構成要素”が、“単位ベクトル”」であり、「例えば、“遺伝子の自我”は、“内向きの、睡眠化合成ベクトル”の大きさ」と、「“外向きの、覚醒化合成ベクトル”の大きさ」の、さらに、「加算された結果である、“第3の合成ベクトル”の大きさである」という、「“公式が、存在する”」わけで、「“遺伝子レベル”や“細胞のレベル”では、基本的に、“第3の合成ベクトル”が、“ゼロの状態”である」ので、「“自我の潜在モデル”」と「“本論”では、“呼んでいる”」わけである。
そして、「“体重の1kg”に対して、“約1兆個の細胞群”で、“構成されている”」と言われているので、「言わば、60kgの体重の大人では、60兆個の細胞の、“自我の潜在モデル”が、全部、“ベクトル加算される”」ことで、「“人体に1個”の、“個体の自我”(=自分)が、“誕生する”」という具合に「考える」わけである。「その途中の、階層のレベルにおいて、“組織の自我”や“臓器の自我”も、同様に、細胞の、“自我の潜在モデル”から、“ベクトル加算される”」という具合に「考える」わけである。
ここで、「注意すべき」は、「“内向きの、睡眠化合成ベクトル”と、“外向きの、覚醒化合成ベクトル”が、それぞれ、独立に、“加算される”」ことで、「器官(=脳)のレベルから、両者の、“相互に逆向きの、2系一対”の、“合成ベクトル”の“大きさ”に、“差が生じる”」ことで、「“第3の合成ベクトル”の“大きさ”と、“上向き”か、“下向き”か、“方向の違い”」が、「“生じる”と、考える」わけである。
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そして、「その結果として、“個体の自我のレベル”で、その、“第3の合成ベクトル”の“大きさ”と、“上向き”か、“下向き”か、“方向の違い”が顕著に成る」ことで、「“個体”(=身体)の、“覚醒現象や睡眠現象”の、“違いが生じる”」という、「“メカニズムを、基礎にして構築された、独自の、”自我の概念”」なのである。
「上記の、“遺伝子の自我”の“潜在モデル”が、“自然界の光の現象”から、生命の“主体の基本単位”として、“形成される”」という「“プロセス”は、“ファインマンの仮想実験の考え方”を、基本して、明確に、“図解してある”」わけである。ただし、「物理学の、一般的な考え方とは、異なる概念を用いた、“単位ベクトル”は、“意志のエネルギー”である」という「“前提”から、“遺伝子の自我” の“潜在モデル”は、生命の“主体の基本単位”として、“導かれている”」わけである。
加えて、「“自然界の光の現象”から、生命の“主体の基本単位”として、“形成される”」という表現には、「“物理学の物質”と、“生命が宿る物質”で、かつ、“死が生まれる物質“(=生命体)の”違い“が、”明確に、示されている“」わけである。というのは、「”分子生物学“や”生化学“と呼ばれる学問では、両者の違いが、全く、無視されている」からである。
つまり、「”生命“とは、”個体の自我“のことであり、”個体の自我“と”情報“が”結合“されて、”意識が生じる“」という、「”公式“が、”存在しない“」わけである。むしろ、「”意識“は、”存在しない“」という「”前提“で、”生体が、分析される学問“が、”分子生物学“や”脳科学“などの、いわゆる、”西欧の科学の哲学“であり、”物理学“」なのである。
「”個体の自我“と”情報“が”結合“されて、”意識が生じる“」という、「”場所“のことを、”心“」と呼んでいるわけで、「”心“が形成される”場所“は、”宇宙“」であり、「宇宙からの、情報の伝達系によって、人間の周囲のオーラに成り、さらに、体外に飛び出しているチャクラによって、これらの情報と個体の自我の結合体である、意識は、人体の内部に、取り込まれる」わけである。「”これらの状況“は、論文原稿(2)の内部で、
詳述してある」わけである。
ただ、「”心“が形成される”場所“は、”宇宙“」であり、かつ、「人体の内部である」という、いわゆる、「禅問答のような考え方」のことを、「物理学者のガモフは、ガモフ全集の中で、具体的に、自分で、絵を描いて、”宇宙の裏返し“という”タイトルで表現“」している。「私が、最初に、この絵を見た」時に、「人間の裏返し」であると、「直感した」わ
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けである。というのは、「人間の(内側)に、目・鼻・口の感覚器官が、存在し、かつ、(内側)に、手足が伸び、かつ、太陽や多数の星が輝いている」のに対して、「(外側)には、心臓や胃や腸などの内臓が、散乱している」という、「構図であった」からである。
この時、「物理学者のガモフは、何を想像して、”宇宙の裏返し“という”タイトルの絵を描いたのか?」は知らないけれども、「この状況は、自然界に存在する、心の形成メカニズムであり、裏返し現象」なのである。「いわゆる、精神現象である、目に見えない現象」には、「必然的に伴う、宇宙と、人間の肉体の相互関係が、存在する」わけで、「精神世界の、意識の存在を無視する」と、「現状の、”分子生物学“や”脳科学“などのように、”心“は、”脳にある“」という具合に、「仕方なく、”表現する“」ことに成ってしまうわけである。
「“このような状況”が、現状の科学(=西欧哲学)の、“グローバルな実体”である」から、「“単位ベクトル”は、“意志のエネルギー”である」ということを、「“具体的に、イメージする”」ためには、「図1で示したような、“二元論の構築”」に、「不可欠な、“時計のメカニズム”や、“空間量子の概念”や、“2人の観測者”による、“役割分担の概念”」などを、「“図解する必要”が、生じる」わけである。
そこで、「“二元論”の“図解や説明”は、非常に、“難しい”」という「“具体例”を、示しておく」ことにしよう。
「図2の図(AA)の図(aa)」は、「1個の“受精卵”(=二重丸)で、“受精膜”(=外側の膜)が挙がっている状況」であるが、「実際には、“受精膜”(=外側の膜)の“大きさ”は、“エネルギーフィールド(=霊体)”の“大きさ”」も表している。
そして、「図(aa)の“※印”は、“個体の自我”の“大きさ”に対応する、観測者(β)の“存在場所”」を示している。「観測者(β)は、上位側で、能動的な観測者で、その存在場所(“※印”)は、“エネルギーフィールド(=霊体)”の(内側)で、卵細胞の(外側)」であり、「この領域は、“今現在の領域”」に対応する。一方、「“細胞の自我”は、下位側で、受動的な、観測者(γ)で、“1個の細胞である、卵細胞の(内側)に存在する」という具合に考える。
「“個体の自我”は、多数の、“細胞の自我”の、“潜在モデル”を構成する、“相互に逆向きの、2系一対の合成ベクトル”が、それぞれ、“ベクトル加算”されて、最終的に、“ベクトル合成”された場合に、生じる、“第3の合成ベクトル”」のことであるが、「図(aa)の“※印”は、細胞が、“最初”の、“細胞の、1個の状況”でも、“受精卵の誕生”と“同
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時に、誕生する”」と考える。
従って、「“細胞分裂”によって、“細胞の数”が、増加する」に連れて、「“個体の自我”の大きさも、“成長する”」わけであるが、「“個体の自我”は、人体を構成する、“細胞集団”の、“総司令官”に相当する“管理者”の“役割”を、“持っている”」ので、「“受精卵の誕生”と、同時に、“誕生する”」わけである。
「人体を構成する、“細胞集団”の、“総司令官”に相当する“管理者”の“役割”」とは、「その後に、細胞分裂が始まる、全ての細胞に対して、その細胞が、それぞれ、将来、身体の、どの役割を担う細胞としての運命を、逐一、決定する」だけでなく、「その後も、全細胞の役割を、管理している」と考える。
「初期の分裂細胞は、その後、それぞれの“細胞の運命”が決まる」という意味は、「一般的な細胞が、自分の、DNAの上に持っている、“遺伝子の情報”によって、将来、“筋肉細胞”、“神経細胞”、“骨細胞”、“血液細胞”などの、“どの細胞に、変身するのか”?」ということで、「自分が、普通の細胞から、“特殊化した機能を持つ細胞”に、自ら、“変身する”」ことを、「“発生学の専門用語”では、“分化現象”」と呼んでいる。
ここで、「注意すべき」は、「細胞は、全て、自分が変身するための、遺伝情報を、DNA上に、持っている」だけであり、「その遺伝情報は、あくまで、DNA上の、どの遺伝情報を、“特異的に選択”して、“その情報だけ”を“発現するのか”?」を、「“決める内容”に“過ぎない”」ということである。というのは、「DNA上の遺伝子情報は、“生命体の遺伝情報”である」という“認識”、つまり、「“遺伝子情報”によって、“生体の全て”が“決まる”」という「“イメージ”から、“遺伝情報”は、“生命体の設計図”である」という「“一般的な認識”が、“確立されている”」。「これは、“分子生物学”の、“誤った情報操作”である」ことに気付くべきである。
というのは、「“分子生物学”には、“細胞の運命”、つまり、“その細胞の分化”を決めるための、“要素”(=何という“主体”が、決定するのか?)が、“存在しない”」。
これだけでは、「分かりにくい」かも知れないけれど、「逆に、“個体の自我”を創り出す、“上位側で、能動的な、観測者(β)”の“仕事内容”が、“全細胞群”に対する、“総司令官”に相当する“管理者”の“役割”を、“持っている”」いう具合に、「“定義する”」ならば、「“分子生物学”(=物理学)においては、“生体の指揮・管理者”が、“不在である”」という「“イメージが明確に成る”(=“主体”を導入しない、“物理学の宿命”)」はずで
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ある。
「一般的な常識」に「照らして表現する」ならば、「会社に、責任者である、社長がいない組織に相当する」。だから、「分子生物学の実体は、会社の規則や、仕事の方針や、会社の運営方法などの、統一理論が、全く、存在しない状況に等しい」ことになる。
だから、「“1個の細胞”の、“タンパク合成”の“問題点を明確”にして、その“局部の異常”を、“治療する薬品”の“開発は、出来る”」けれども、「“患者の病気が治る”のは、“生体が持つ、天然の“治癒力”」であり、「“治癒力”とは、“生命の持つ力”」のはずであるが、「その“生命”とは何か?」が、「“分子生物学では、不明”」であり、「“生命”とは、“目に見えない”、“個体の自我”であり、“情報と結合”した“意識”である」という「“答えは出てこない”」。「いわば、“目に見えない”、“個体の自我”というのが、いわゆる、“霊体”(=エネルギーフィルド)であり、“二元論”を、ベースにしなければ、“発想できない概念”」なのである。
そこで、「図2の、図(AA)に戻る」けれども、「図(bb)の“三角形”は、“エネルギーフィールド”を表し、その後、“細胞分裂”が生じる“履歴”を記録する、細胞分裂の系譜を表すために工夫した描き方」である。「この“三角形”の“内部の領域”は、全部、“上位側で、能動的な、観測者(β)”の“居住領域”」であり、「“個体の自我”が、“一生涯、今現在”を、“感じ続ける感覚”の“元に成る”」と考えるわけである。
「図2の、図(AA)の、図(cc)には、4分裂までの“細胞分裂の系譜”が示してある」けれども、「それぞれの細胞の“寿命”は、図(dd)に示すように、“約1時間”(=“次の分裂”が始まる)」であり、また、「図(ee)に示すように、“それぞれの細胞”の(内側)には、それぞれの“細胞の自我”が、“下位側で、受動的”な、“観測者(γ)の名前”を付けて、“実在する”」ことを「“強調してある”」。
次いで、「図2の図(AA)の三角形」と、「図2の図(BB)の三角形」を「比較する」ことにする。
「図2の、図(AA)の三角形」の「(内側)には、“細胞分裂の系譜”が、初代(=受精卵)、二代目(=2分割卵)、三代目(=4分割卵)の“順番”で、変化の様子」を描いてある。これに対して、「図2の、図(BB)の三角形」の「(内側)には、“細胞分裂の系譜”が、目盛1(=受精卵)、目盛2(=2分割卵)、目盛3(=4分割卵)の順番で、目盛1、目盛2、目盛3という“名前(=名称=目盛)”に、換えてある」。
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そして、「図2の図(BB)の、図(A)の、三角形の(内側)には、“※印”の位置に、“個体の自我”に相当する、“上位側で、能動的な、観測者(β)”」が描いてある。しかも、「図2の、図(BB)の図(A)の、三角形の(内側)」の、「それぞれの細胞の、(外側=表面側)」には、「それぞれ、“単位ベクトル”が、“刻印されている”」ことに注目しよう。同様に、「図2の図(BB)の、図(B)の、“目盛の大きさ”の、“空間量子”である、“小円筒”(半径o)の、(外側=表面側)にも、それぞれ、“単位ベクトル”が、“刻印されている”」。
一方で、「図2の図(BB)の、図(B)」には、「“細胞”が、“目盛の大きさ”の、“空間量子”である、“小円筒”(半径o)に“変更”」して、「“初代の受精卵”の場合は、“小円筒”(半径o)の(内側)に、観測者(γ―1)が存在する」、「“二代目の2分割卵”の場合には、“小円筒”(半径o)の(内側)に、観測者(γ―2)と、観測者(γ―3)が存在する」、「“三代目の4分割卵”の場合には、“小円筒”(半径o)の(内側)に、観測者(γ―4)と、観測者(γ―5)と、観測者(γ―6)と、観測者(γ―7)が存在する」という具合に、「“細胞の自我”に相当する、“下位側で、受動的な、観測者(γ)”に、“固有の名前”(=人格)が“付けてある”」ことに注目しよう。
「図2の図(CC)は、図(BB)の三角形の大きさを、(中円筒―半径p)の大きさの、時計の“文字盤”に“変更した状況”」を示し、「4個の“目盛の大きさ”は、(小円筒―半径o)である」ことを「示してある」。
ここで、「“重要なこと”」は、「図2の図(CC)の“文字盤”上の観測者は、“上位側で、能動的な、観測者(β)”である」ということで、また、「4個の“目盛の大きさ”は、図(BB)の図(B)に示してあるように、(小円筒―半径o)」であり、かつ、「“目盛”の(小円筒―半径o)の(内側)には、“下位側で、受動的な、観測者(γ)”が存在する」ということである。
というのは、「“文字盤”上の観測者である、“上位側で、能動的な、観測者(β)”が、“時計の針”を、自分の意志で、右回りに廻して、“目盛”の(外側=表面側)に、“単位ベク
トル”を、“刻印する”」からである。そして、「“4個の目盛”のそれぞれの(内側)に存在する、“下位側で、受動的な、観測者(γ)”は、“刻印された”、“単位ベクトル”を、“感じる”」という、「“役割分担”が、“存在する”」からである。「“このメカニズム”の“図解”によって、“単位ベクトル”は、“意志のエネルギー”である」という、「“物理学”の“専門用語”とは異なる、“精神分野の専門用語”の“定義”が、“可能に成る”」と考える。
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「“特筆すべき”」は、「“分裂細胞の系譜”を、“過去・現在・未来”に、“分類する場合の、考え方”」に関する内容である。
「図2の図(CC)」では、「“目盛1”の“受精卵”が、“過去”の存在」で、「“目盛2”の、2分割卵が、両方とも、“現在”」で、「“目盛3”の、4分割卵が、“未来”の存在である」という具合に、「考えた場合の1例」である。そこで、「“目盛1”の“受精卵”が、“過去”の存在である」という「“視点”に、注目する」ことにしよう。というのは、「図2の図(BB)」では、「三角形の(内側)で、細胞群の(外側)は、全領域が、今現在である」という具合に、「定義している」からである。すると、「“今現在領域”の(内側)の、“一部の領域”に、“過去の領域”が、“存在する”」という「“理屈に成る”」わけである。
「“この理屈”」は、「“階層の違い”を、“考慮する”」こと、及び、「“過去の細胞”(=肉体)は、”存在しない“けれども、”過去の存在“の、“下位側で、受動的な、観測者(γ-1)”は、“霊的な存在”(=目に見えない存在)で“実在する”(=“二元論”)」という「“視点”が、“不可欠”」なのである。
例えば、「“階層の違い”を、“考慮する”」という内容は、「図(DD)と図(EE)に示すように、「“上位側で、能動的な、観測者(β)”の“立場に立つ”と、三角形の(内側)は、“全領域が、今現在”である」けれども、「“下位側で、受動的な、観測者(γ-1)” の“立場に立つ”と、“一部の領域”は、“過去の領域”として、“存在する”」という「“考え方”」のことである。
「図3(R1-図3)」
「図3の、図(CC)の、図(A)」は、「“上位側で、能動的な、観測者(α)で、実際には、”天上の仏”」を表し、「“大きい側の時計”の、“文字盤”(大円筒―半径q)の上に存在する」ことを、「“想定”」している。これに対して、「図3の、図(CC)の、図(B)」は、「“大きい側の時計”の、“文字盤”(大円筒―半径q)の縁に並んでいる、3個の“目盛”(中円筒―半径p)の中」の、「〔“目盛-2”〕(中円筒―半径p)の“1個”だけを選
んで、“拡大して、描いてある”」。
「“大きい側の時計”の、“文字盤”(大円筒―半径q)の縁に並んでいる、3個の“目盛”(中円筒―半径p)の、“具体的な並び”は、図(BB)に、“横並び”に描いてある.。つまり、「図(A)は、[目盛-1]、図(B)は、[目盛-2]、図(C)は、[目盛-3]」で、いずれも、「(中円筒―半径p)の“目盛”」であり、「それぞれの、3個の“目盛”(中円筒
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―半径p)の(内側)には、“下位側で、受動的”な、観測者(β-1)、観測者(β-2)、観測者(β-3)が、“存在する”」ことを表している。
そこで、再び、「図(CC)の図(B)」の、「“拡大して、描いてある”、〔“目盛-2”〕(中円筒―半径p)」について、「説明を、加えておく」ことにしよう。まず、「三角形の(内側)の、“分裂細胞”の“数が、多い”」ことに「注目すべき」である。
「図(a)の段階で、1個の受精卵から始まって、2分裂、4分裂、・・を繰り返し」、さらに、「図(b)では、8分裂を経過」して、「図(c)では、“16分割卵”」を示しているが、「実際には、三角形の下側では、“60兆個の分割卵”の存在(=体重が、60kg)」を「想定すべき」である。つまり、「細胞分裂の系譜を、全部、描きたい」のであるが、「現実には、描ききれないので、“16分割卵”の領域を、イメージで、“60兆個の分割卵”に、置き換える」ことが肝要である。
そこで、「図(CC)の、図(C)の“三角形”の(内側)には、図(D)に示すように、“※印”の位置に、“下位側で、受動的”な、観測者(β)が、“存在する”」こと、また、「図(E)には、“三角形”の(内側)は、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”場合には、“全領域が、今現在”である」ことが「強調してある」。
さらに、「図(DD)の図(aa)には、“細胞”に対応する、(小円筒―半径o)の“目盛”と、その“小円筒・目盛”の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、観測者(γ)との“セット”が描いてある」だけでなく、さらに、「図(bb)にも、同様な、“細胞”に対応する、(小円筒―半径o))の“目盛”と、その“小円筒・目盛”の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、観測者(γ)との“セット”が描いてある」。
「注目すべき」は、「図(DD)の図(aa)の“セット”は、“過去の細胞群”の“存在領域”」を表し、「図(DD)の図(bb)の“セット”は、“現在の細胞”の“存在領域”」を表していることである。ここでは、「体重が60kgの大人に達して、“現在の身体”が、“60兆個の細胞群”で“構成されている”」ことを「想定している」わけである。
すると、「“今現在の細胞群”の数が、“60兆個の細胞群”である」ならば、「“過去の細胞群”の数も、ほぼ、“60兆個の細胞群”である」ことが理解できる。つまり、「相互に、ほぼ、“半々”」ということになる。
ここで、「重要なこと」は、「“下位側で、受動的”な、観測者(γ)の“立場に立つ”」場
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合に、「“過去の細胞群”の“存在領域”」と、「“今現在の細胞群”の“存在領域”」が、「相互に、“区別できる”」ということである。というのは、「図(C)の、“三角形”の(内側)の、図(D)に示すような、“※印”の位置に存在する、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”場合には、“三角形”の“全領域”が、“今現在”に成る」からである。
そこで、「図(CC)の、図(aa)には、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”場合の、“この世”の、“生存期間”(=寿命)の長さが、“両矢印”で示してあり、約80年である」ことが強調されている。一方、「図(bb)には、2本の、“両矢印”の長さによって、「“下位側で、受動的”な、観測者(γ)の“立場に立つ”」場合の、「“過去の細胞群”の“存在領域”」と、「“今現在の細胞群”の“存在領域”」が、「相互に、“区別してある”」。
ここで「“注目すべき”」は、「論文原稿(1)の“タイトル”で示したように、“今現在”とは、“瞬間”ではなく、“人間の一生涯”の“長さ”である」ということである。というのは、「“この世”の“人間”に“相当する”のは、“ここでは”、図(CC)の、図(D)の、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”」ことに、「“対応する”」からである。つまり、「“ここでは”、というのは、具体的に、図(BB)では、図(B)の、[目盛―2]に、「“対応する”」からである。
「図3の、図(AA)」には、「“注目すべき視点”」が、「要約してある」。具体的には、「図(BB)の、図(A)、図(B)、図(C)の“横並び”」の、「各、“目盛”の(外側=表面側)に、“刻印されているベクトル”が、“目盛”の(内側)に存在する、観測者(β)群は、いわゆる、“霊体”であり、“目には見えない”」けれども、「“目盛”の(外側=表面側)に、単位ベクトルを、刻印する」ことで、「“目に見える”ように“する”(=“可視化する”)」という「“イメージ”に“対応する”」。
「図3の、図(DD)の、図(aa)や図(bb)」の、「“過去の細胞群”の“存在領域”」と、「“今現在の細胞群”の“存在領域”」が、「相互に、“区別できる”」のも、「“目盛”の(外側=表面側)に、単位ベクトルを、刻印する」ことで、「“目に見える”ように“する”
(=“可視化する”)」という、「いわゆる、“オリジナルな、工夫がある”」ことに「“由来する”」。
ただし、「図(aa)や図(bb)の、“目盛”の(外側=表面側)には、“刻印されているベクトル”は、描いてない」のは、「過去の細胞群と今現在の細胞群の“数を合わせる”」
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と、「巨大な数の、約“120兆個の細胞群”に成り、この場合は、1個の時計の文字盤の端に、120兆個の目盛が並ぶ、“巨大な時計”を“想定する必要”が出てくる」わけで、「“単位ベクトルの角度”が、“変化する状況”(=単位角度)を、“イメージできない”」から、「“単位ベクトル”の“刻印”を、“省略してある”」わけである。
つまり、「単位ベクトルは、意志のエネルギーである」ことを示すための「“観測者群”と、“時計のメカニズム”(=“文字盤”と“目盛”)の“相互関係”の“仕組み”の“具体像”の“イメージ”」が、「常に、“先行して、浮かぶ”、必要がある」というわけである。
特に、「論文原稿(2)における、“超能力者だけ”に“見える”、“神の光”を、“普通の人”にも、“見えるようにする技法”が、“単位ベクトルを、刻印する”」ことで、「いわゆる、“可視化できる技法”である」だけでなく、「さらに、“DNAの構成要素である塩基”という“物理学的な物質”に、“生命を宿らせる技法”でもある」という「“視点”に、繋がって、行く」わけである。
「図4(R1-図4)」
「図4の図(AA)の、図(aa)の“文字盤”(=大円筒―半径q)と、図(bb)の、複数の“目盛”(=中円筒―半径p)」を、「“組み合わせた時計”」が、「図(BB)の、第2段階の時計」であり、「“大きい側の時計”」に対応する。
ただし、「図4の図(BB)では、“文字盤”(=大円筒―半径q)の“大きさ”を、“拡大して、描いてある”」ので、「注意が必要」である。
一方で、「図4の、4個の〔“目盛”〕の中で、“3個の〔“目盛”〕」、つまり、「図(bb)の〔目盛-1〕=[過去(=あの世)]、図(cc)の〔目盛-2〕=[今現在(=この世)]、図(dd)の〔目盛-3〕=[未来(=あの世)]」については、「図3の、図(BB)と、図(CC)の〔目盛-2〕=[今現在(=この世)を“拡大して、解説済み”」である。
「“2人の観測者”」については、「“文字盤”側が、図(CC)の、“上位側で、能動的”な、
観測者(α)=「天上の仏」であり、「観測者(α)が、“自分の意志”で、時計の針を、右回りに回転させて、その“針先”で、“目盛”(中円筒=半径p)の(外側=表面側)に、“矢印”(=“単位ベクトル”)を、“刻印する”」ことで、「“目盛”(中円筒=半径p)の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、“4人”の“観測者(β)”に、“過去”(=あの世)、“今現在”(=この世)、“未来”(=あの世)の“違い”」を、「“創り出している”」わ
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けである。
一方、「図4の、図(BB)の、“目盛”側の、図(cc)が、“下位側で、受動的”な、観測者(β)」であり、「この場合、“下位側で、受動的”な、観測者(β)が、“この世”の、“人間の、一生の時間”(=寿命=80年)の、“個体の自我”の“寿命”で、80年の間、“今現在”を、“感じ続けている”」ことに、「“対応する”」わけである。
かくして、「図4において、“上位側で、能動的”な、観測者(α)=「天上の仏」が、「“目盛”(中円筒=半径p)の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、“4人”の“観測者(β)”に、“過去”(=あの世)、“今現在”(=この世)、“未来”(=あの世)の“違い”」を、「“感じさせている”」のであり、また、「図1においては、“上位側で、能動的”な、観測者(β)が、“下位側で、受動的”な、“4人”の“観測者(γ)”に、“過去”(=1時間)、“今現在”(=1時間)、“未来”(=1時間)の“違い”」を、「“感じさせている”」ことになる。
ここで、「観測者(β)は、“大きい側の時計”では、“目盛”側の存在で、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“役割”」を“担当”し、一方で、「“小さい側の時計”では、“上位側で、能動的”な、観測者(β)の“役割”」を“担当する”ことに成る。「このような、観測者(β)の“役割”が、換わる」ことを、「図1の、図(AA)の、図(bb)において、「“変換”が生じる」という具合に、「“強調した”」わけである。
そこで、「図1では、3種類の大きさの、円筒(=“空間量子”)の“相互関係”に、“限定した公式”の形で、“図解した”」わけである。
従って、「もし、“無限大の円筒”(=“空間量子”)から、“無限小の円筒”(=“空間量子”)までの、“空間量子”の、“大きさの系列”が存在」し、かつ、「“空間量子”の、“大きさの系列”に対応した、“観測者”の大きさ(=階層)が、存在」して、なおかつ、「“上位側で、能動的”な、観測者から、“下位側で、受動的”な、観測者の方向に向けて、“観測者の役割の変換”が、“連鎖反応的”に“生じる”」ことを、「“想定する”」と、「最も“上位側で、能動的”な、“観測者”の“意志”が、最も“下位側で、受動的”な“観測者”に、シリー
ズで、“伝達される”」ことが「“予測できる”」わけである。
「注目すべき」は、「“円筒の大きさ”(=“空間量子の大きさ”)が、“物質”の場合も“想定されている”」けれども、「“エネルギーフィールド”(=“霊体”)の場合も“想定されている”」ことである。
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そして、「物理学に存在しない、“意志のエネルギー”は、“普通の人”(=“超能力者”だけに“見える”)には、“目に見えない”」わけだから、「“普通の人”でも、“目に見えるよう”に、“工夫する必要がある”」わけである。つまり、「“普通の人”(=“超能力者”だけに“見える”)に、“目に見えない”存在である、“意志のエネルギー”」が、「宇宙を含む、自然界において、どのような、“法則的な挙動”を“示すのか”?」につて、「定量的に、因果関係を、説明できるような工夫が、伴わない」と、「精神世界の、科学的な分析は難しい」わけで、「その工夫の1番目の試みが、ベクトルの合成や分解という、“数学的な手法”である」というわけである。
とりわけ、「“精神世界の、分析”の、“基本単位”である、“自我の潜伏モデル”の“具体化(=視覚化)”によって、【遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我、個体の自我】の、それぞれが、“大きさ”を伴う、“量的な表現”が、“可能に成る”(=“形成メカニズム”が、“明確に成る”)」ことは、「論文原稿(2)によって、“詳述される”」ことに成るであろう。
この時、とりわけ、「“個体の自我”が、“受精卵の形成”と同時に、“登場”」し、「その後の、“細胞分裂”の“分化”を“決定”」し、かつ、「“その後の成長”(=“全・構成細胞群”の“管理”)の、“総司令官”の“役割を担当する”」という「“見解”」は、「“生命科学”(=精神科学を含む)に、“統一理論”や、“自然界に、天然に、実在する倫理性”を“構築する”ための、“数学的な基礎”に成る」と考えられる。
「COCLUSION」
「1つ目の結論」は、「地球上の、人間が、一生涯、”今現在”だけを、感じている」のは、
「人間の、“個体の自我”が、“観測者β”の、立場に、立っている」ことを、「示している」わけである。
かくして、「人間」は、「誕生から、死」まで、「一生涯、1種類の、“今現在”ダケを、受動的に、感じている」わけである。そして、「過去や未来」を、感じることはない」。
つまり、「過去や未来は、想像するだけ」である。この場合を、「“個体”〔=“個体の自我”〕の、“立場”に、立った場合」と考えることに、「対応している」わけである。
また、「“地球上の、人間”」が、「自分の、過去と未来を、“感じる”ことが、出来ない」のは、「人間の“寿命”が、1時間・単位の、観測者(γ)〔=“細胞の自我”(=観測者γ)〕の“立場”に、成れない」ことと、「同じことを、示している」わけである。
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従って、「過去と未来」は、「人間の、“寿命”が、80年・単位の、“個体の自我”〔=観測者(β)=自覚できる自我〕が、観測者(γ)〔=細胞の自我=自覚できない自我〕の立場に、置き換える」ことによって、「“想像する”だけである」ことを、「意味する」わけである。
「2番目の結論」は、「“寿命”が、1時間の観測者(γ)〔=“細胞の自我”〕」が、「“寿命”が、1時間・単位の、過去と未来を、感じる」ためには、「上位側で、能動的な、観測者(β)〔=“個体の自我”〕の存在が、必要」であり、また、「“寿命”が、80年間の今現在を、受動的に、感じる」ためには、「上位側で、能動的な、観測者(α)〔=“仏”の自我〕の存在が、必要である」ということである。
加えて、「3番目の結論」は、「“大きい側の時計”(=大円筒の文字盤と、中円筒の目盛の構成)」において、「下位側の、受動的な、観測者(β)〔=個体の自我〕の、〔時間を、受動的に、感じる立場〕が、「“小さい側の時計”(=中円筒の文字盤と、小円筒の目盛の構成)」において、「上位側で、能動的な、観測者(β)〔=個体の自我〕の、「時間を、決定する立場」に、「“変換される”(=立場が換わる)」のも、「一般的な、法則である」ということである。
この「変換される(=立場が、換わる)という関係を、一般化する」と、「次のように、成る」わけである。
「“総合的な結論”(=要旨)」としては、「“観測者(β)”(=個体の自我)の、〔時間を、受動的に、感じる立場〕から、「時間を、能動的に、決定する立場」への、「“変換”は、“観測者(β)”(=個体の自我)の、“機能と立場”が、換わる」という「意味」であり、また、「“観測者(β)”(=個体の自我)の、“意志”が、換わる」という「内容」である。
従って、「“さらに、大きい側の時計”」、「“大きい側の時計”(=大・円筒の文字盤と、中・
円筒の目盛の構成)」、「“小さい側の時計”(=中・円筒の文字盤と、小・円筒の目盛の構成)」、「“さらに、小さい側の時計”」という具合に、次々に、「〔時計の大きさ〕の、“連鎖”を想定」して、「“2人の観測者”の相互関係の“法則”」について、「時間を、受動的に、感じる立場」から、「時間を、能動的に、決定する立場」への、「変換」を想定すると、
同様に、「上位側の、能動的な、観測者の“意志”が、下位側の、受動的な、観測者に、順次、伝達される」ことが、「無限に、繰り返される」という、「上位側から、下位側へ向けて、階層的に、観測者の、“意志の伝達”が、行われている」という、「一般的な、“階層的
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な法則”を、表している」ことに成るわけである。
つまり、「“2人の観測者の、組み合わせ”による、“相互関係の法則”」とは、「時間についての、能動的に、“決定する”⇔“受動的に、感じる”の、“階層的な相互関係”」であるが、「本質的には、生物学に特徴的な、階層的な、“観測者(=階層的な主体)の相互関係”」であり、「上位側の観測者(=上位側の主体)の“意志”〔=構造の設計図〕が、下位側の観測者(=下位側の主体)に、伝達される法則」に、「対応している」わけである。
かくして、「生物学の、最も基本的な、“自我”(=主体=生命)の形成メカニズム」は、「発生学における、内胚葉、中胚葉、外胚葉などと呼ばれる、初期の潜在化していた細胞の機能が、細胞分裂が進行するにつれて、具体的な、腸管細胞、血管細胞、神経細胞などの専門的な細胞として、“末広がり”に、“顕在化してくる”」という、「形態形成に関する、“基本的な法則”(=“理論”)である」ことを意味し、「物理学とは、全く異なる、“生物学に特有の、基本的な法則”(=“理論”)である」ことを意味する。
この「“総合的な結論”」から、さらに、「次のような、“一般的な法則”(=価値観の転換)に、言及できる」はずである。
「DISCUTTION」
「“総合的な結論”は、以下に示すような、“価値観の転換”を、示す」ことに成るだろう。つまり、「以下の、結論(1)~結論(4)に、具体的に、示す」ような、「新しい視点を提供する」ことに成るだろう。
〔結論(1)〕=「西欧の科学の価値観」=「①=科学の基礎は、物理学である」という「考え方」がある。「Erwin Schrödinger」は、「主体―客体の関係」の「主体を、物質の観測のプロセスに、導入しない」ことを強調している(文献4=Mind and Matter=
精神と物質=工作舎:中村量空訳)。「②=科学者や知識人などの、普通の人の、“目に見えないモノ”(=“エネルギーフィールド”や、“霊”など)は、存在しない」という「“考え方”が、支配的(=“東洋の、二元論の否定”が、支配的)」である。ただし、「“普通の人”」というのは、「“超能力者”を、除く、全ての人」という意味である。
というのは、「“超能力者”には、普通の人に、見えないモノが、見える」だけでなく、「“宇宙”(=“あの世”)に、“知的な情報”(=“人間の姿・形の、設計図”な
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ど)が、地球に向けて放出されている、“源泉”が、“存在する”」ことを、「具体的に、“観察している”」(文献5=「HANDS OF LIGHT」=Barbara Ann Brennan「“光の手”(=翻訳書)」=河出書房新社)」からである。「日本の“超能力者”である、“高橋真治”(=故人)は、上記の、“知の源泉”」を、「“あの世”には、“霊・太陽”(=Rei-taiyou)が存在する」と「指摘していた」ようである(文献6)。
これらの、「“超能力者”の“観察結果”は、大昔の、“天動説と地動説の論争”に、匹敵する」ほどの、「“革命的な視点”」である。また、「このような、“絶対的な知の源泉”を、“設定できない”」かぎり、「“自然界の、絶対的、かつ、法則的な倫理現象”は、“規定できない”(=知的に、“論理化”できない)」わけである。
〔結論(2)〕=「新しい考え方」=「生物学・医学の研究の目的は、“主体=自我”である」ことを、「“前提”として、スタートすべき」であり、「物質の研究である、物理学とは、全く、異なる概念で、分析すべき、“新しい学問”(=“分子生物学”とは異なる学問)である」と考える必要がある。
「生物学の研究においては、どういう問題を、次に、解決すべきであるのか?」を、「“自然界の倫理”を“組み込んだ理論”によって、指導者が、指し示していける」ことが肝要である。「“引用された論文の数”で、“研究のレベル”を“評価をする傾向”は、西欧の科学が、“人間の利害本位”(=人間の役に立てばよい!)であり、“研究概念”として、“自然科学的な、絶対的な理論”を、持っていない」ことの「証」であり、「衣服の、流行のファッションと、変わらない」ことを意味している。「“受精卵の万能分化能力”や、“シュペーマンの場の法則”や、再生医療の、iPS細胞やES細胞や幹細胞などの、絶対的な、“理論的な研究”の可能性については、別の論文で、図解する」。
つまり、「“自我の仕事”(=生命力)は、“企画された設計図”(=情報=青写真)に基づいて、地球上で、物質による構造と機能を、“構築する”ことである」という、「視点から、分析を、開始すべき」である。ということは、「“自我”(=生命力)が、“設計図”に基づいて、物質を組織化する“法則を解明する”」ことが、「“主体の生物学”の、研究の目的」に成る。
すると、「生物の、“個体の姿・形の設計図”〔=細胞自身の、“分化”(=変形)の設計図である、“遺伝子”のことではない!〕は、何所にあるのか?」ということが、「大問題」に
成る。「その“答え”が、2人の、“超能力者の観察”によれば、“宇宙”(=“あの世”)
に存在する、上記の、“知の源泉”や、“霊・太陽”(=Rei-taiyou)である」とい
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うわけである。「この“宇宙”(=“あの世”)は、「“ミンコフスキーの時空”に、ファインマンの“考えを加える”(=文献7)」と、「“この世”と“あの世”の相互関係を、“1枚の図面”において、図解できる」わけである。「“この視点”については、別の論文=論文原稿(2)で、図解する」。
「“ダーウインの進化論”は、動物の”構造と機能”の“造形”(=肉体)が、地球上で、次第に、“複雑化してきた”」という、「内容である」が、「それぞれの“造形の設計図”が、どこで、どのように、進化してきたのか?」ということには、言及していない。「西欧の科学は、このように、究極の、本質的な真理に、哲学的に、言及しない傾向がある」ことに、「気づくべき」であろう。「その原因」は、「目に見えない、“意識や自我”の“研究疑念”(=科学)が、西欧の科学においては、欠落している」からである。
〔結論(3)〕=「西欧の科学には、“超能力のメカニズム”を、分析する」という、「視点が、存在しない(=“意識や自我”の“振舞いを、法則化する科学”が、ない)」ために、「“宗教のメカニズム”が、明確にされることは、ない」わけである。しかし、「いずれの宗教の場合でも、“宗教の創始者”である、“教祖は、超能力者”である」ことを、「重要視すべき」である。「“宗教の形成メカニズム”」については、「別の論文で、図解する」。
また、「インド哲学の、アーユルベーダ」に対して、「“西欧の科学者”は、問答無用で、オカルトと呼んで、“軽視する傾向”がある」けれども、「生物学に、“本論”(=オリジナル)のような、“複数の、階層的に、異なる主体”を導入するならば、“主体の違い”によって、“時間の役割”(=時間を、“決定する、上位側の観測者”の立場と、時間を“感じる、下位側の観測者”の立場)が、階層的に、異なる」という「関係が、明確に成る」わけだから、「“自我”の、タイム・トラベルの視点や、“体験の記録装置”である、アカシック・レコードなどが、“記憶のメカニズム”を、明確にする、キーポイントである」ことも、「明確に成る」わけである。「“アカシック・レコードの形成メカニズム”」については、「別の論文で、図解する」。
〔結論(4)〕=「人間を含む、生物の、“個体の設計図”は、“宇宙”(=“あの世”)で形
成されて、地球上に、伝送されている」という「“視点”(=超能力者の観察結果!=文献5)」と、「“ダーウインの進化論”のように、人間を含む、生物の”構造と機能”の“造形”(=肉体)が、地球上で、次第に、“複雑化してきた”」という視点の、「間に」、「“自我”(=生命力)が、設計図に基づいて、地球上で、物質を、組織化する」という「“概念”(=“自我の仕事・作業の内容”)を構築する」ならば、
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「“科学と宗教”は、両方とも、“共通の原理”で、メカニズムを、明確にできる(=“宗教”は、無定見に、“信じるモノ”ではなく、理論的に、“理解するモノ”)」と考えられる。「“宗教のメカニズム”を、“明確にする”」ことと、「“この世”における、“信仰の自由”」は、「全くの、“別問題”である」ことに、「“気付くべき”」である。
「“科学と宗教”の、“共通の原理”を、理解する」ために、「多数の、“観測者群”の、“上下関係の階層”の“設定”」や、「“今現在・過去・未来”」の「違い」を、「“定義できる”」ことや、「“時間を、決定する立場と、感じる立場に分類する、“観測者群”の、”役割分担“を、“設定する”」ことなどの「オリジナルな、手法」が、「結果的に、本論の、“時間に関する、”階層的な、法則の開発”の、特徴である」とも「言える」わけである。
「REFERENCE」
文献1=「“ミンコフスキーの時空”と“光円錐”:インターネットのウィキペディアで検索」
文献2=「Toward an Analysis of Conscious Activity: 1. Evolution of Vigilance. A.Higashi Medical Hypothesthes (1991)35,11-16. National Institute for Physiological Sciences, Okazaki 444, Japan」
文献3=「Toward an Analysis of Conscious Activity: 2. The Function of Sleep and Wakefulness. A.Higashi Medical Hypotheshes (1991)35,11-16. National Institute for Physiological Sciences, Okazaki 444, Japan」
文献4=「Mind and Matter」= Erwin Schrödinger「精神と物質(=翻訳)」=「工作舎:中村量空訳」。
文献5=「HANDS OF LIGHT」=Barbara Ann Brennan「光の手(=翻訳書);河出書房新社」。
文献6=「“高橋真治”(=故人)の「“霊・太陽”(=Rei-taiyou)」=「インターネットで検索可能」。
文献7=「R.P.ファインマン(=物理学者)の、“光と物質の不思議な理論”;QED(=岩波書店)」
「END」
「2番目の論文原稿」:「TITLE」:『ファインマンの仮想実験から推定できる、自然界の多様な相互関係』=2017/04//24
「〇〇〇〇」「最初に、“図版を表示”する(=“本文の中”に、“図版の解説”がある)」
「Ⅱ部」=「“リチャード・P・ファインマンの仮想実験”から推定できる“自然界の多様な相互関係”(約40例を提示)」
画像の印刷の手順:ポインターを、図の上において、
右クリックから「画像の印刷」を選んで下さい。
「図1(R2-図1)」=「ファインマンの仮想実験例と、解説用の、モデルの仮想実験例との比較」
「図2(R2-図2)」=「ファインマンの仮想実験例に“潜在”している“5人の観測者”の“図解例”」
「図3(R2-図3)」=「ファインマンの仮想実験例を、左半分と右半分に、分割した比較例」
「図4(R2-図4)」=「仮想実験の“左側半分”における、2人の観測者の、観測の実例」
「図5(R2-図5)」=「仮想実験の“右側半分”における、2人の観測者の、観測の実例」
「図6(R2-図6)」=「仮想実験の、“鏡面上の反射ポイント”で観測する、“2人の特別な観測者”の存在」
「図7(R2-図7)」=「“鏡面上”における“観測者の、特別なケース”(=逆立ち観測者)の図解と“2種類の合成ベクトル”〔=睡眠化・ベクトル&覚醒化ベクトル〕の“モデルが生じるプロセスの解説”〔=“自我”の“潜在モデル”=“自我の基本単位”の確立〕
「図8(R2-図8)」=「【自我の潜在モデル】の『“活性化”によって、“遺伝子の自我”が形成される
“プロセスの図解”』」
「図9(R2-図9)」=「DNAの中の、“多数の遺伝子群”の中で、“特別の遺伝子”だけが、“選択的”に、“活性化されるメカニズム”」
「Ⅲ部」=「“あの世”の“中心”の、“霊太陽”から“湧き出す生命情報”」と「“心眼”で見る“超能力者で、物理学者の、バーバラ・A・ブレナン女史”(元・NASAのOB)の“観察結果”」と「“意識形成メカニズム”に関する“独創的な、理論的・モデル”の“