東晃史Higashi Akifumi(phD-Tokyo.univ.)

学歴//東北大学・理学部・生物学科卒業//東京大学・理学系大学院

・修士・博士課程修了//理学博士

職歴//東京大学・医学部・生理学教室・助手//岡崎国立生理学研究所

・研究員//定年後に、独自で、“生命科学の統一理論”

(=“自我や意識”を、定量的に導入した、生命科学の手法)を創造。

“物理学者のガモフ”は、“宇宙の裏返し”の、“絵”を、

“描いている”(ガモフ全集)。私は、「“宇宙の裏返し”は、

“意識の存在場所”の、“イメージに相当する”」と

推定して、「“時計の裏返し”」を描いてみた。

「“文字盤の外側”を、“時計の針”が、“左回り”に廻る、

“時計”」である。

「●」=「目次」

「Ⅰ部」=「“今現在”とは“瞬間”か、それとも“一生涯”か?」を解決する「“3階層の観測者”を繋ぐ、“時計のモデル”(“空間量子”に基づく、“1個の文字盤”と“複数の目盛”)」

「〇1」=「物理学は“対象物”の科学/生命は“主体側”(=“観測者側”)の科学」

 

「〇2」=「過去・現在・未来は、“主体側の感覚”で、物理学の対象ではない」

 

「〇3」=「細胞分裂の系譜を描けば、“今現在の細胞群”と“過去の細胞群”に“分類できる”/“記憶情報”は、“過去の細胞”に、“記録されている”」

「Ⅱ部」=「“リチャード・P・ファインマンの仮想実験”から推定できる“自然界の多様な相互関係”(約40例を提示)」

「〇4」=「“観測者の階層”の設定/”ベクトル”のエネルギーは、上位側の“意志のエネルギー”」

「〇5」=「遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我、個体の自我は、“主体の単位”の、“合成ベクトル”で“計算できる”」

「〇6」=「“主体の単位”の、“通常状態”(睡眠・覚醒&健康・病気)と“励起状態”(=超能力)」

「Ⅲ部」=「“あの世”の“中心”の、“霊太陽”から“湧き出す生命情報”」と「“心眼”で見る“超能力者で、物理学者の、バーバラ・A・ブレナン女史”(元・NASAのOB)の“観察結果”」と「“意識形成メカニズム”に関する“独創的な、理論的・モデル”の“対応”」

「〇7」=「生命の“エネルギーフィールド”(=設計図=霊体)は、物理学の“エネルギー”(=質量とエネルギー)と“異なる”」

 

「〇8」=「“主体の単位”(“妖精の素顔”)と“プラーナ”(“生命素”)」の「“理論的なモデル”の“確立”」

「〇9」=「“個体の自我”と“情報”が、“結合”して“意識”が生じる=(“結合場所”が、“心”)」

「〇10」=「“個体の自我”が、“能動的な総司令官&管理者”で、“細胞の自我”は、“受動的な従業員”/“1個

の受精卵”から、“4兆個の細胞群”に分裂(=“赤ん坊”)して、“人間の姿・形”(=“全体像”)を造形するプロセスに注目/“細胞の自我”の“運命”は、“個体の自我”によって、“決定”」

 

「〇11」=「“超-ゼロの世界”の“アカシック・レコード”」と「“記憶と心”の“形成メカニズム”」

 

「〇12」=「“決定論”の立場」から、「“確率論”の立場に、換わる、“境界線”の“存在”」

 

「〇13」=「“自我と意識”の“数学的な解析手法”と、“新タイプの人工知能”の“原理”」

 

「Ⅳ部」=「“暗黒物質”(宇宙物理学者)と“神の光”(超能力者)は“同一の量子”?」

『“2種類のオリジナル論文”の、“超・概要”』

「“意識”の、“形態と機能“を、考える」には、「”天“(=宇宙)から降りてくる、宿命的な、”人間の力“では、”どうにもならない“、”言語・性格・五感“に関する、”生命情報“」と、「”地“(=地球上の人間)から、“宇宙に向け”て、“個人の努力次第”で、“大きさが生長する”、”個体の自我”」の「“2種類の、目に見えない現象”を、考慮する」必要があります。

 

そして、「”宇宙由来“の、”宿命的“な、”生命情報“」と、「”地球(=人間)由来“の、“個人の努力次第”で、成長する、“個体の自我”が、“宇宙空間”で、”結合する“」ことによって、「”意識“が生じる」という、「”公式“を、”考える“(=私のオリジナル)」ことです。このように考えると、「下降する、”宇宙由来“の、運命的な、”生命情報“」と「上昇する、”地球(=人間)由来“の、“個人の努力次第”で、成長する、“個体の自我”」の、「“両方”に、“階層的な質や量のレベル”の、“違い”が、“生じる”」ことに成ります。すると、「“両者の結合場所”(=“心の形成場所”)によって、“多様な意識”が、“誕生する”」という、「“公式の内容”が、“明確に成る”」わけです。

 

そこで、「下降する、”宇宙由来“の、宿命的な、”生命情報“」については、「”本物“の、”超能力者“による、”直接の観察結果“」を「参考にする」しかないわけです。他方、「上昇する、”地球(=人間)由来“の、“個人の努力”で、成長する、“個体の自我”」については、「生物学では、“発生学”の領域」に相当する、「“1個の受精卵”から、“4兆個の細胞集団”まで、“細胞分裂を続ける”(=誕生の時の“体重”が、4㎏の“赤ん坊”)と、“人間”の、“姿・形”(=“全体像”)が、“構築される”プロセス」が、「“参考に成る”」わけです。というのは、「“細胞分裂のプロセス”に、“観測者の階層”の、“存在と役割”」を「“想定できる”(=私の“オリジナル”)」からです。「成長した“大人の人間”の、“観察”」では、「“意識の状況”の、“分析の手法”を、“見出すこと”さえ、“難しい”」でしょう。

というのは、「“個体の人間”では、“脳や神経系の基本構造”が、制御系として、“システム化されている“」からです。しかし、「”赤ん坊“のように、”独立した個体“として、”この世“に”誕生“」してからは、「”脳や神経系の基本構造“に、”言語や知識”、“体質や性格”、“五感や本能”や、“体験の記録”(=記憶)などの、“精神活動のシステム的な構築”が、不可欠に成る」わけです。「このような、“精神活動のシステム的な構築”」に対しては、「“個体の自我”が、成長して、“宇宙(=天)から、運命的に提供されている情報”の中で、“より、高いレベルの情報”と、“結合できるように、成長する”」ことが重要です。「“宇宙(=天)から、運命的に提供されている生命情報”のことを、“宇宙エネルギーフィールド”と呼び、“情報の質や量の違い”が、“上位側から下位側へ向けて、7段階に、分類”されている」わけですが、「これらの“階層的で、運命的な生命情報”は、“超能力者の観察”によれば、“人間のオーラ(=7色)”に、“出現している”(=“伝達されている”)」というわけです。そして、「オーラの中の、7階層の、それぞれの“情報”は、それぞれの、“個人の自我”と、“結合された意識の形態”に変わり、“チャクラ”という、“意識・情報の受容器”を介して、“体内の全ての部位”(=細胞群”)に、“分配されている”」るようです。

従って、「“宇宙で構成された意識”が、“オーラ”に伝達されて、“体表のチャクラ”から、“体内”に導入される、“プロセス”」は、「“意識の存在場所“に関しては、”目に見えない形式“で、“体外”から、“体内”に、“変換されている”」ことを意味します。つまり、「“意識(=心)”は、人間の、“体外の、宇宙”に、存在するのか、“体内の、胸の内側”に、存在するのか?」が、「“個体の自我”(=自分)には、“よくわからない”」わけです。

かくして、「“心”の“存在場所”に関する、“曖昧な状況”」は、「“超能力者の観察結果”を、“重視する”」ならば、「物理学者のガモフの、“宇宙の裏返し”(=生理学的には、“人間の裏返し”)に“譬えられる”」わけです。かくして、「この“裏返し”の、“具体像を明確にする”には、“観測者の階層”と、“空間量子の階層”の、“両方の階層”の導入が、“必要に成る”」わけです。すると、「“両方の階層”を導入すると、“意識”の“形態と機能”が、“定量的に、明確にできる”」というわけです。ただし、「“定量的に、明確にする”ためには、“自我の形成メカニズム”を、“明確にする必要”があり、“人類史に存在しない”ような、“特殊なオリジナル”の、“考え方”(=“ベクトルの合成と分解”)の、“提案が、不可欠”」なのです。

そういうわけで、「“分子生物学”の概念や、“神経回路”の概念しか、眼中にない、“脳科学者や心理学者”」には、「“子供の成長過程”や“老人の晩年”における、“心”の“生長や衰退”、“記憶の発達や痴呆”が形成される、“概念”」に関しては、「“あの世”を含む、“自然界の、絶対的な、道徳の存在”に、全く、“無関心”」で、「“研究の概念”が、“人間の側”の、”権力“や”流行“だけにしか、“存在しない”」ことを意味します。

「“観測者の階層”とは、“社会の常識”で表すと、“従業員の役職”(=ランク)」に相当し、「“1個の受精卵”から、“4兆個の細胞集団”まで、“細胞単位の、建設資材”」を使用して、「“人間”の、“姿・形”(=“全体像”=“建築物”)を、“構築する”」ための、「“建設作業員の組織”」に相当します。この場合、「“建設作業員の組織”」の、「“平社員”(=“観測者γ”)に対応するのが、“細胞の自我”」であり、「“建築現場の監督”(=“観測者β”)に対応するのが、“個体の自我”」と考えます。

 

「“この譬え”」は、「“建築現場の監督”(=“個体の自我”=“観測者β”)の、“能動的”な、“命令・指示と管理”」の元で、「“平社員”(=“細胞の自我”=“観測者γ”)は、“受動的”に、“仕事をする”」という具合に、「考える」ということです。すると、「“平社員”(=“細胞の自我”=“観測者γ”)の、“未来の運命”(=“将来の仕事内容”)は、“建築現場の監督”(=“個体の自我”=“観測者β”)の、“個人の意志”によって、“決定される”」ことを意味します。

 

次いで、「“平社員”(=“細胞の自我”=“観測者γ”)の、“未来の運命”(=仕事内容)とは、“人間個体の構築の、建設単位”である、“細胞の特徴”を、将来、“神経細胞”や“筋肉細胞”などに、“分化させる”(=“細胞自身”の、“形や機能”を、専門細胞”に、変化させる)」ことです。「それぞれの細胞は、“同様の遺伝子”を持っている」けれども、「“細胞自身”の、“形や機能”を、“変化させる情報”しか、持っていない」わけです。

 

だから、「“特筆すべき、重要なこと”」は、「“1人”の(“個体の自我”=“観測者β”)が、“4兆個の細胞集団”(=“細胞の自我”の集団=“観測者γ”の集団)の、それぞれの、“将来の運命”を、 “一方向的に、“決定する”」ので、「“1人”の(“個体の自我”=“観測者β”=総司令官)が、“実在する”」という意味で、「“生命科学の統一理論”」と呼ぶわけです。

 

逆に、「“現在のグローバルな生命科学”である、“分子生物学”には、次々と“新生する”(=“細胞分裂”する)、“4兆個の細胞群”を、“計画的に、統括し、管理する”ような、“1人”の(“個体の自我”=“観測者β”=“総司令官”=“管理者で責任者”)の“存在が、”全く想定されていない“」からです。

 

つまり、「“現在のグローバルな生命科学”である、“分子生物学”は、(平社員=観測者γの集合体)」であり、「“一般的な会社”の、“組織”や“規律”の側面からは、(平社員=観測者γの集合体)であり、“観測者γの、情報発現の、自由だけ”(=平社員の、個人的な自由)が、“保証されているだけ”」なのです。いわば、「このような、”組織の責任者や、組織の規律が不在“である、”西欧の科学技術の思想”、つまり、言い換えれば、“自然界の真理を探索しない”で、“人間だけの利害を探索する”、“思想”を、“義務教育の段階”から、“生命科学”(=“科学技術の思想”)として、繰り返し、“教育されている”」わけです。

 

すると、「大人になってから、“個人の自由”だけの、“保証を重視する思想”が、国内だけでなく、国際的にも、“政治・経済の側面”まで、“普及する”」ことに成ります。「“現在の国際情勢”は、“これらの特徴”が、“どの分野”においても、“ネガティブな意味”で、“終末的な結果”に、“到達している”」ように思われます。

 

最後に、「“天”から下降する、”宇宙由来“の、運命的な、”生命情報“」と「”地“から上昇する、”地球(=人間)由来“の、“個人の努力次第”で、成長する、“個体の自我”」の「“両方”に、“階層的なレベル”の、“違い”が、“生じるプロセス”」を、「“目に見える形式”で、“定量的に記述できる手法”は、 “高校1年生”で、“学習する”、“数学のベクトル”」なのです。

 

多分、「“高校の数学の先生”にとっては、“生徒の大学受験”の方が大事なので、“ベクトル”の、“自然科学的な、普遍的な意味”や、“ベクトル”の、“利用方法”を、“全く教えない”」のであろうと考えられます。というのは、「“著名な進学校”に入学して、“レベルの高い大学”を卒業した、“科学者や知識人”ほど、上記の、“意識の形成メカニズム”に、“無頓着”で、“生きていける”」ように「“見える”」からです。そういうわけで、「“1番目の論文”は、“数学のベクトル”の、“自然科学的な、普遍的な意味”や、 “利用方法”を、“理解する”ために、“必須の、内容”を、示している(=私の“オリジナル”)」ことに成ります。

 

「最初に、“10枚の図版だけ”で、“2種類の、オリジナルな論文”の、”超・概略”を、示しておく」ことにします。「”両方の論文“を、”理解した後“」では、「“10枚の図版”だけで、“オリジナルな筋書き”を、“理解(=整理)できる”」はずです。「“高校のレベル”で、上記の、“意識の実態”(=“具体像”)を理解して、“応用できる”」ならば、「大学で、“どの分野を専攻”しても、“普通の秀才”とは、“全く異なる、個性”(=“ホップ・ステップ・ジャンプ”の、“独創性”)を、誰でも、“発揮できる”」と考えます。

「“図で見る”、“概念・要約”(図版=10枚)」

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「概念・要約―1」

「概念・要約―2」

「概念・要約―3」

「概念・要約―4」

「概念・要約-5」

「概念・要約―6」

「概念・要約―7」

「概念・要約―8」

「概念・要約―8」

「概念・要約―10」

「最初に、“図版を表示"しておく(=“本文中”に、“図版の解説”がある)」

「Ⅰ部」=「“今現在”とは“瞬間”か、それとも“一生涯”か?」を解決する「“3階層の観測者”を繋ぐ、“時計のモデル”(“空間量子”に基づく、“1個の文字盤”と“複数の目盛”)」

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「図1(R1-図1)」=「“3人の観測者”と“3種類の空間量子”の“相互間系” &“小さい側の時計” (上位側で能動的な観測者βと下位側で受動的な観測者γ)」

「図2(R1-図2)」=「“受精卵”の“分裂の系譜”&“小さい側の時計”における、“過去・現在・未来”を“決定する単位ベクトル”と“感じる単位ベクトル」

「図3(R1-図3)」=「“大きい側の時計” (上位側で能動的な観測者αと下位側で受動的な観測者β)における、“目盛側”の“空間量子”&“受精卵”の“分裂の系譜”における、“過去(=祖先)の細胞群”と“現在の細胞群”」

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「図4(R1-図4)」=「“3人の観測者”と“3種類の空間量子”の“相互間系”&“大きい側の時計” (上位側で能動的な観測者αと下位側で受動的な観測者β)」

「1番目の論文原稿―1(本文)」

「TITLE=表題」

“今現在”とは、“瞬間”か、それとも、“一生涯”か?「=“3階層の観測者”を繋ぐ、“時計のモデル”(=1個の“文字盤”と、複数の“目盛”の、相互関係)」

「INTRODUCTION」

「人間は、“今現在・過去・未来”の3種類を、区別する」のが普通である。「物理学では、“今現在”は、“瞬間”である(=文献1)」と考える。しかし、「“人間”は、物心ついてから、死ぬまでの、“一生涯(=約80年)”の間、“今現在”を、“感じ続けている”」わけである。従って、単純に、「“今現在”という“考え方”」には、「“瞬間”と“一生涯(=約80年)”の、“2通り”」が存在するように見える。

 

しかし、厳密には、「“瞬間”という“考え方”は、“物理学の視点”」であり、「“一生涯(=約80年)” という“考え方”は、“主体の存在”を重視する、“新しい生物学”の“視点”」である。

 

「“主体の存在”を重視する(=文献2、文献3)」のは、「1人の“人間個体(=肉体)”は、“多数の細胞”から構成されている」ように、「1人の“人間個体(=肉体)”の“主体”は、“個体の自我”に“等しい”」と考えて、さらに、「“個体の自我”は、多数の細胞の、“細胞の自我”から、構成されている」と考えるからである。これは、「“個体の自我”は、“上位側の階層”(=上位側の主体)であり、“細胞の自我”は、“下位側の階層”(=下位側の主体)である」という意味である。そして、この場合、「“個体の自我”は、“自覚できる自我”」であり、「“細胞の自我”は、“自覚できない自我”」であると考えられる。

 

さらに、「“上位側の階層”(=上位側の主体)である、“個体の自我”が、感じる“今現在”」と、「“下位側の階層”(=下位側の主体)である、“細胞の自我”が感じる、“現在・過去・未来”」という具合に、「“個体の自我”と、“細胞の自我”は、“今現在・過去・未来”の“感じ方”について、それぞれの“役割の分担”がある」と考えられる。

 

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かくして、「“上位側の主体”が感じる、“今現在”と、“下位側の主体”が想像する、“過去・未来”を、“混同する”」と、「現状の“脳科学”(=分子生物学)のように、“記憶のメカニズム”は、永久に、解決できない」であろう。その意味は、「“脳科学”では、“今現在“の、”脳内の、神経回路のネットワーク“の”内部“に、個人の“体験の記録”が“存在する”(=“保存されている”)かのように、“錯覚”している」からである。

 

また、「“個体の自我”(=“上位側の主体”)の役割が、不明である」と、「発生学において、“下位側の主体”(=“細胞の自我”)の、“分化の方向性”(=運命)も、決まらない」わけである。

「ABSTRACT」

「物理学では、“主体と客体”の関係において、“主体”の導入を、避ける」のが普通(=物理学の哲学)である。従って、「“今現在・過去・未来”の3種類の区別は、“主体”の感覚」に基づくので、「物理学の、“今現在・過去・未来”という、“時間の定義”には、“矛盾がある”」と言えるであろう。

 

従って、「“今現在”は、“瞬間”である」という「“考え方”は、物理学の“考え方”」に近く、「物理学者は、“ミンコフスキー時空”の、“未来円錐”や“過去円錐”に示されている(=文献1)」ように、「人間は、常時、つまり、“一生涯(=約80年)”の間、“今現在”に“存在している”」という「“事実には、無関心”である」ように思われる。しかも、「人間が、“未来円錐”や“過去円錐”の“内側”に存在する」という「“指摘”」は、「人間が、現実に、“未来や過去”に、生活している(=記憶や想像ではない!)」という「“考え方”に、等しい」わけである。

 

かくして、「“ミンコフスキー時空”における、“瞬間”というのは、“未来円錐”と“過去円錐”の頂点が、“接する点”、つまり、時間軸上の“1点”だけ」であり、「物理学では、1個の“光の粒子”が、時間と空間の“座標軸の原点”を、通過する」ことを「論じているだけ」なので、「人間の“主体の感覚”(=“今現在”は、“瞬間”)とは、“無関係である”」ことに注目すべきである。

 

そこで、「まず、人間の“主体の感覚”においては、“今現在・過去・未来”の3種類が、区別されている」と考える。さらに、「従来の“主体”という表現は、通常、“個体の単位”(=1人の人間)を、基準として、定義された表現」であり、「“個体の自我”」に相当する。しかし、「ここでは、“主体”(=”個体の自我”)の形成は、身体を構成する、“各・部分”

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(=細胞群)によって形成される、“部分・主体(=単位)”の“加算”された“結果”である」と考えるわけである。

 

例えば、「“目に見える”、“人間の個体”(=肉体)は、“細胞”の集団によって構築されている」ことを想定すれば、「“目に見えない”、“個体の自我”は、“単位”を形成する、“細胞の自我”の“加算”された“結果”である」という具合に、「“主体”(=”個体の自我”)の、“形成メカニズム”」を考えるわけである。ここで、「“加算”とは、数学的な、“単位ベクトル”の“加算”である」と考える。

 

従って、「“個体の自我”の“形成メカニズム”が存在する」ことを「“前提”(=“別の論文”で、“個体の自我”の“形成メカニズム”について、図解する)」として、「ここでは、単純化するために、“個体の自我”と“細胞の自我”の、“2種類”だけを、取り上げよう」というわけである。

 

さらに、「“主体を重視”する“生物学”の視点から、(=これに対して、分子生物学では、“主体”の“振舞い”を、“無視”している!)、“細胞”(=細胞の自我”)の“1時間の寿命”(=初期の発生学では、約1時間で、細胞は分裂する!)と、“個体(=“個体の自我”)”の“一生涯(=約80年)の寿命”という、“2通り”に、単純化して、説明する」ことにした。

 

すると、「“今現在・過去・未来”の3種類を、区別するする」ためには、まず、「“決定する時間(時刻)“と、“感じる時間“の、”2通り“」を、「”区別する必要“」がある。さらに、「”立場“(=階層)の”違い“」、つまり、「階層的に、”上位側“の存在である、“決定する時間(時刻)“の”役割“」と「階層的に、”下位側“の存在である、“感じる時間“の”役割“」を、「”区別する必要がある“」わけである。

 

そして、「階層的に、”上位側“の存在である、“個体の自我”が、“決定する時間(時刻)“の”役割を演じる“」場合には、「階層的に、”下位側“の存在である、“細胞の自我”は、“感じる時間“の”役割を演じる“」という具合に考える。これは、「“個体の自我”と“細胞の自我”が、“組み合わせ”によって、それぞれが、“異なる役割”を演じている」という意味である。

 

従って、「逆に、“個体の自我”が、“感じる時間“の”役割を演じる“」場合には、「さらに、階層的に、”上位側“の、”仏の自我“(=“あの世”に存在する!)の存在を、想定」して、「“上位側の、能動的”な、”仏の自我“(=“あの世”)と、“下位側の、受動的”な、

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“個体の自我”(=“この世”)の、“組み合わせ”を、必然的に、“考慮する必要”」が出てくるというわけである。

 

これらの「相互関係を、階層的に異なる、“3人の観測者を繋ぐ、時計のモデル”(=1個の“文字盤”と複数の”目盛”の“組み合わせ”)」で、「“図解する”ことによって、“個体の自我”が、“細胞”(=“細胞の自我”)の、発生学的な、“分化の方向性”を、“決定している”」だけでなく、「“個体の自我”が、“全部の構成細胞”(=“細胞の自我”群)を、“管理している”」という、「“新しい概念”を、創り出せる」というわけである。

 

また、「人間の“記憶”は、常時、階層的に、“上位側の、今現在の領域”に存在する、いわゆる、“自覚できる”、“個体の自我”」と、「階層的に、“下位側”の、“今現在と過去”の“両方”に存在する、“自覚できない”、“細胞の自我”の、“組み合わせ”」によって、「“協調して、実現”されている」と考えられる。というのは、「“細胞の自我”だけが、“タイム・トラベル”によって、“過去の細胞”(=エネルギーフィールド)に、“記録された体験情報”を“選択する作業”を“担当できる”」からである。一方、「“上位側の主体”(=上位側の自我)」は、「常時、“今現在”だけに、存在する」からである。

 

かくして、「“上位側の主体”(=上位側の自我)と“下位側の主体”(=下位側の自我)の“組み合わせ”」によって、「“協調して、実現”されている、状況」は、「上記の、“時計のモデル”(=1個の“文字盤”と、複数の”目盛”の“組み合わせ”)」の、「“相互関係”を、“図解する”」ことによって、明確にできる(=別の論文で、記憶のメカニズムを、図解する)」わけである。

 

「このようなメカニズム」を想定すると、「人間の種々の“病気を治療する”ための、“新しい概念”(=“理論的な概念”)を、“提示できる”」わけである。「“新しい概念”(=“身体全体の、理論的な概念”)」とは、「分子生物学的な、従来の、“個別的、偶発的、局部的な疾患”のみを、“治療する、手法”(=“局部的な、構造と機能だけを、修復する概念”)とは、“根本的に異なる”、例えば、“その後”(=“局部の修復後”)の、“生命体の持つ、自然治癒力”という、曖昧なプロセスも、明確なプロセスとして、“治療の対象”にできる」という意味である。

 

さらに、「“時間(時刻)を、決定する“側の、”上位側の観測者“」と「”時間(時刻)を、感じる時間“側の、”下位側の観測者“」の「”存在と役割の分担“」は、「”超能力現象“(=普通の人に、見えない現象が、超能力者には、見える!)の、メカニズム」に関係している。というのは、「”超能力現象“は、”対象“(=”エネルギー・フィールド“や”霊

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“)を”感じる側面“(=感覚的な素質)が”最初“に現れ」て、次いで、「”瞑想“などの修行で、”訓練する“と、”対象“(=”実体“)が、具体的に、”見えるようになる“」という「超能力者の、日常体験が、記述されている(文献5)」からである。「この視点」については、「意識・自我“などの、”主体の科学“の、”メカニズムの側面“から、別の論文で、”超能力の形成メカニズム“」を、図解する。

 

また、「”対象“を、”感じる側面“(=感覚的な素質)が”最初“に現れ」、「”修行後“に、”対象“が、”見えるようになる“」という「”事実“」は、「”下位側の観測者“が、”上位側の観測者“に、”換わった(=上昇した)“」ことを意味する。「このような、”変換“後の、”上位側の観測者“は、”あの世“の、”仏の観測者“に対応する」ので、「”超能力者“は、”あの世“で生じる、”さまざまの事象“(=神秘現象を含む)を、”見聞できる“(=体験できる」ことを意味する。

 

また、「”新宗教の創立者“(=教祖)の、殆どが、”神秘的な、奇跡を演じられる“のは、”仏の観測者“のレベルに、到達したのか(=”真の宗教“)、あるいは、近くなった(=”邪教“)」からである。つまり、「宗教は、”信ずるモノ“」ではなく、「”理解できるモノ“」に、「換わる」というわけである。というのは、「”宗教の、形成メカニズム“が、明確になる」からである(=別の論文で、”宗教の、形成メカニズム“を、図解する)。

METHOD

「方法1」=「1個の“文字盤”と、複数の“目盛”が描かれた、“1本の針”を持つ、“時計のモデル”(=上位側の、能動的な、観測者の”意志“によって、右回りに、時計の針を、回転させる)」を想定する。

 

「工夫1」=「3個の“空間量子”[=半径o、半径p、半径qの大きさの“円筒(=フタの開閉が可能)”で、しかも、“半径o≫半径p≫半径q”の関係]」から「“小さい側の時計”(=pとqの組み合わせ)と、“大きい側の時計”(=oとpの組み合わせ)]の、“時計のモデル”(=それぞれ、“1個の文字盤”と“複数の目盛”の、“組み合わせ”)」を作成する。

 

「工夫2」=「“空間量子”」という“概念を構築し、定義”する。ここで、「“量子”」という言葉は、「物理学の専門用語」ではなく、「(内側)と(外側)を“区別”できる、“境界層”を持つ、“開閉可能なフタ付き”の、“立方体”」という意味であり、「“立方体”の“大きさ”は、“無限大”から、“無限小”までの、“各種のサイズ”の存在」を、「“想定している”」わけである。

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ただし、「“空間量子”」とは、「“物質”の場合」と「“エネルギー・フィールド”(=“霊体”)の場合」の「“2通り”が、“想定されている”」ので、いわゆる、「“物質と精神”の、“二元論”の立場」である。

 

「方法2」=「基本的に、“3人の観測者”(=観測者α、観測者β、観測者γで、この順で、階層的に、上位側>中位側>下位側の関係である)の存在」を想定し、さらに、「2組の、”能動的な上位側の観測者“と、”受動的な下位側の観測者”の“組み合わせ”と、それぞれの観測者の、“存在場所”を、定義」する。

 

この場合も、「階層的に、“無限大の大きさの観測者”から、“無限小の大きさの観測者”まで“想定”」し、同様に、「2組の、”能動的な上位側の観測者“と、”受動的な下位側の観測者”の“組み合わせ”と、それぞれの観測者の、“存在場所”を、定義」する。

 

「工夫3」=「“無限大の大きさの観測者”から、“無限小の大きさの観測者”」まで、「“連続的”に、“連結させる”」ために、「“2組”の、”能動的な上位側の観測者A“と、”受動的な下位側の観測者B”の“組み合わせ”」と「“2組”の、”能動的な上位側の観測者C“と、”受動的な下位側の観測者D”の“組み合わせ”」を『“前提にする”』と、「”受動的な下位側の観測者B”が、”能動的な上位側の観測者B“に、”変換“」して、さらに、「”能動的な上位側の観測者C“が、”受動的な下位側の観測者C”に、“変換される”」ような「“変換の公式”」が必要に成る。

 

「方法3」=「“無限大の大きさの観測者”から、“無限小の大きさの観測者”」まで、「“連続的”に、“連結させたい内容(=目的)”」は、「“上位側の観測者”の、“意志”を、“下位側の観測者”に、“伝達する”」ことである。

 

「工夫4」=「“上位側の観測者”から、“下位側の観測者”に向けての、“意志の伝達手段”として、“ベクトル合成”の“手法を導入する”」ことである。これは、「数学的な、“単位ベクトルのエネルギー”とは、“意志のエネルギー”と“見なす”」ことに「“由来する”」わけである。

 

「方法4」=「“上位側の観測者”から、“下位側の観測者”の、“時間に関する感覚”の、“役割分担”」を想定する。そのために、「“上位側で、能動的な、観測者”が、時計の針のメカニズムを利用して、時計の“目盛”の(外側=表面側)に、時計の“針先”(=ベクトル)を、“刻印する”ことで、時刻を“決定する”、という“役割”」を果たし、「“下位側で、受動的な、観測者”は、上位側によって、決定された時間を、“目盛”の(内側)に存在し

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て、“感じる”、という“役割”」を果たすという具合に、「“2人の、階層的に異なる観測者”の、“時間に関する感覚”の“分担を想定する”」わけである。

 

「方法5」=「論文原稿(2)において、個体の自我は、器官の自我、臓器の自我、組織の自我、細胞の自我、遺伝子の自我」などが、「定量的に、表現可能な、“精神科学の基本単位”」を、「“オリジナルな概念”」として設定する。この場合の、「“オリジナルな概念”の“構成要素”として、“相互に逆向きの、2系一対の、合成ベクトル”の“組み合わせ”」を想定し、「“自我の潜在モデル”の“構図”」を明確にする。そして、「“遺伝子の自我”から、順次、上位側の階層に向けて、“ベクトルの加算”が実行されて、最終的に、個体に1個の、“個体の自我”が形成される」という「“個体の自我”の“形成メカニズム”」を明確にする。その「前段階」として、「“単位ベクトル”と“観測者”の“相互関係”」を示す、「時計のメカニズム」の「理解が不可欠」なのである。

 

「方法6」=「生物学において、“1個の受精卵”が、分裂して、細胞数が増加するプロセス(=初期の発生学)」を想定する。「“受精”の結果として、“受精膜”が、挙がる」ので

あるが、「この“受精膜”を、拡大する“三角形”(=フタ付きの、“空間量子”=“受精膜”)で表記して、“三角形”の“内側”において、“細胞分裂の系譜”を、“時系列的に表記する”」ことにする。

 

また、「“受精膜”に相当する、“三角形”は、成長した段階で、“個体の皮膚”に成り、体内と環境の“境界(=皮膚)”を形成する」というイメージを描く。これは、「哺乳動物において、母体の子宮と胎児との、相互関係の複雑さを、省略する」ことが目的であるが、「時系列的に、細胞数が、増加していくプロセスにおいて、“今現在の細胞”と、“過去の細胞”や“未来の細胞”などを、“明確に、分類する”」ことを「主眼にする」ためである。

 

「方法7」=「“受精膜”に相当する、“三角形の大きさ”(=皮膚)を、時計の、1個の“文字盤”の大きさに、“対応させる”」と同時に、「“三角形の内側”(=文字盤の大きさ)で、時系列的に、“分裂して増加”する、それぞれの“細胞を、時計の目盛”」と見なすことによって、「細胞分裂の状況を、時計の“文字盤と目盛”で構成されるイメージに、“置き換える”」ことにする。

 

「工夫5」=「“個体の自我”(=観測者β)は、“三角形”(=境界)の“内側”で、“細胞群”の“外側”に存在する(=常時、この2つの条件を、満たす)」、「“細胞の自我”(=観測者γ)は、分裂で増加する細胞数に応じて、“各細胞”の“内側”に現れる(=“新生”する)」という具合に、「“個体の自我”(=観測者β)と、“細胞の自我”(=観測者γ)の、

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それぞれの“存在場所”を、厳密に、“定義する”」ことにする。

 

「工夫6」=結果的に、「“個体の自我”(=観測者β)は、1人で、“文字盤”の上に存在する“構図”(=“空間量子”の、フタが開いた状態!)」に成り、また、「“細胞の自我”(=観測者γ)は、“文字盤の端”に、“目盛”(=細胞)状に並ぶという“構図”」をイメージできるので、「“文字盤”の中心から、1本の、“時計の針”が、伸びる」ことによって、「“目盛”に相当する“細胞”の1個1個を、“指し示すイメージ”」に「“置き換える”」ことができる。ここで、「“時計の針”を、右回りに回すのは、“個体の自我”(=観測者β)の“意志”であり、任意に、“細胞”(=目盛)の“(外側=表面側)”に、時計の“針先”(=単位ベクトル)を、“刻印できる”」ことを意味する。

 

「工夫7」=「これらの関係」を示すことで、「“個体の自我”(=観測者β)の“意志”(=“上位側で、能動的な性質”)が、“細胞”の、“過去・今現在・未来”の3種類を、“決定する”」という具合に、「理解する」わけである。また、「単に、“個体の自我”(=観測者β)が、“細胞”の、“過去・今現在・未来”の時間」だけでなく、「“個々の細胞”の“内側”に存在する、“細胞の自我”(=観測者γ)の“分化の方向”(=細胞内の、観測者γの将来の運命)を、“決定する手段”にもなる」し、「すべての細胞の、時々刻々の変化を、“管理する役割”も担う」ということを意味する。

 

逆に、「“個体の自我”(=観測者β)が、“細胞の自我”(=観測者γ)を、“管理する役割”に、“異常が生じる”」と、「種々の“疾病”が生じる」という具合に、「人間の“病気や、奇形や、難病”の“原因”に対する、“見方”(=“管理能力”の低下)が、根本的に、“変わってくる”」わけである。

 

「工夫8」=「逆に、“下位側で受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)は、“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)によって、細胞の“外側”に、“刻印された”(=“決定された”)、時計の“針先”(=単位ベクトル)の指令を、受動的に、“感じる”」という「“役割を演じる”」わけである。これは、「“過去・今現在・未来”の3種類を、“感じる”のは、“下位側で、受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)」であり、「“過去・今現在・未来”の3種類を、“決定する”のは、“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)」である、という具合に、「“過去・今現在・未来”の3種類を、“決定する”立場と、“感じる”立場の、存在場所や、“階層が異なる”」ことを意味する。

 

「工夫9」=そこで、「“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)は、常時、“今現在領域”に、“存在する”(=これは、観測者βが、三角形の“内側”を、移動するのに、

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“時間経過を必要としない”ことに等しく、また、“ベクトル加算”において、“単位ベクトル”の“平行移動が、可能である原理”、つまり、同時刻の空間量子に、満たされた空間であることに、相当する)」けれども、「“下位側で受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)の場合は、“今現在の領域”だけでなく、“過去の領域”(=“今現在の領域”から、姿を消した、“エネルギーフィールド状態の細胞”=“霊体”として)にも、“両方に、存在する”(=東洋の、“二元論”)」ことを意味する。

 

ただし、「細胞の、“今現在”」や「細胞の“過去”」は、「“下位側で受動的”な“細胞の自我”(=観測者γ)の“立場に立った時”にだけ、“明確に、区別できる”」わけで、「“上位側で、能動的な、“個体の自我”(=観測者β)の立場では、常時、“今現在”に“存在する”」ために、「細胞の立場の、“今現在”」や「細胞の立場の、“過去”(=“今現在の領域”から、姿を消した、“霊的な状態の細胞”)」という「“区別”(=“判断”)は、できない」わけである。

 

「“この視点”(=“自我”の“階層の違い”と、立場によって、“役割が違う”こと)が、

極めて重要」であり、「“現代の脳科学者”が、“記憶現象は、”今現在“の”神経集団である、神経回路の、ネットワークの中にある”」という「“視点に拘る”」けれども、「“記憶のメカニズム”を“解決できない、真の理由”」なのである。

 

つまり、「人間の、“過去の記憶”は、“細胞の自我”の、”立場”の、“過去”(=“今現在の領域”から、姿を消した、“霊的なエネルギーフィールド”)に“記録されている”」わけで、「“細胞の自我”(=観測者γ)の“立場に立った時”だけ」に、かつ、「“細胞の自我”(=観測者γ)が、“過去の細胞群の存在場所”に、“タイム・トラベル”して、必要な“情報”を、“選択”」し、さらに、「その“情報”を、常時、“今現在”に存在する、“個体の自我”(=観測者β)に“引き渡した時”(=“自覚できる自我”に、引き渡した時)に、いわゆる、“過去の記憶”が、“今現在”に、“蘇る”」わけである。

 

「工夫10」=「“個体の自我”(=観測者β=“自覚できる自我”)の寿命は、“一生涯(=約80年)”」であり、「“細胞の自我”(=観測者γ=“自覚できない自我”)の寿命は、“約1時間”(=初期の発生学では、約1時間で、細胞は分裂する!)」と考えて、「“今現在”という時間」については、「“新しい生物学”の立場から、“約1時間”と、“一生涯(=約80年)”の“2種類”」について、考慮した。

THE MAIN SUBJECT」

「図1(R1-図1)」=「“小さい側の時計”」

「図1の図(AA)」は、「“3人の観測者”と“3種類の空間量子”の“相互関係”」を表している。

 

基本的には、「3種類の大きさの円が存在する」場合に、「2種類の時計」、つまり、「“大きい側の円(=半径q)”を、1個の“文字盤”にして、中間の円(=半径p)の側を、複数の“目盛”と考える“タイプの時計”を描く(=“大きい側の時計”)」場合と、「“中間の円(=半径p)”を、1個の“文字盤”にして、“小さい円(=半径o)”の側を、複数の“目盛”と考える“タイプの時計”を描く(=“小さい側の時計”)」場合である。

 

この時、「2種類の時計を描く」場合には、「中間の円(=半径p)は、“大きい側の時計”においては、“目盛”の役割」を演じ、次に、「“小さい側の時計”においては、“文字盤”の役割」を演じるので、「いわば、“1人2役”の“役者の演技”(=“変換”)が必要に成る」わけである。

 

ところが、「図1の(AA)」では、「“3種類”の大きさの、“円の組み合わせ”」の代わりに、「“3種類”の大きさの“円筒の組み合わせ”」であり、しかも、「“3種類の円筒”には、いずれも、“点線”が描いてあり、“フタの開閉”が、“可能な構造”である」ことが示されている。

 

「“点線”によって、“フタの開閉”が、“可能な構造”にしてある」のは、「例えば、ロシア人形のマトリョーシカ」のように、「フタを開けると、“親人形”の(内側)から、“子人形”が出てくる」、「“子人形”の(内側)から、“孫人形”が、出てくる」という、「いわば、“同様の形の存在”(=“人形”)が、(内側)に、“潜在しているイメージ”」を「想像している」わけである。

 

ただし、「本論のケース」では、「“親人形”の代わりに、“親時計”の存在を想定している」のであり、「フタを開けると、“親時計”の(内側)から、“子時計”が出てくる」、「“子時計”の(内側)から、“孫時計”が、出てくる」という、「いわば、“同様の形の存在”(=“時計”)が、(内側)に、“潜在しているイメージ”」を「想像している」わけである。

 

「“本論”の場合には、以下に説明する」ように、「“大きい側の時計”の、複数の“目盛”の側が、“小さい側の時計”の、“文字盤”に、“変換するプロセス”も、“組み込んである”」ので、「“小さい側の時計”には、新たに、“複数の目盛”が、“誕生する”」という「“末広

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がり”の、“時計のシステム”が“潜在している”」ことを意味している。「この状況」は、「“1個の受精卵”が、2個、4個、8個、・・という具合に、“細胞分裂”で、“細胞の数”を“増加させるシステム”の“モデル”」を、「想定している」わけである。

 

そして、「“大きい円筒(=半径q)”の(内側)には、“観測者(α)”が存在する」、「“中間の円筒(=半径p)”の(内側)には、“観測者(β)”が存在する」、「“小さい円筒(=半径o)”の(内側)には、“観測者(γ)”が存在する」ことが示してある。

 

「注目すべき」は、「“2種類の円筒”の“組み合わせ”で、“2種類の時計”が、“造れる”」という視点は、“同じである”」が、「“文字盤”の(外側)の観測者は、階層的に、上位側で、能動的」であり、「“目盛”の(内側)の観測者は、階層的に、下位側で、受動的」であるという具合に、「定義している」ことである。

 

すると、「“大きい側の時計”」では、「“文字盤”の(外側)の観測者は“観測者(α)”」であり、「“観測者(α)”は、階層的に、上位側で、能動的」であり、「“目盛”の(内側)の観測者は、“観測者(β)”」であり、「“観測者(β)”は、階層的に、下位側で、受動的」であるという「定義になる」わけである。

 

一方、「“小さい側の時計”」では、「“文字盤”の(外側)の観測者は“観測者(β)”」であり、「“観測者(β)”は、階層的に、上位側で、能動的」であり、「“目盛”の(内側)の観測者は、“観測者(γ)”」であり、「“観測者(γ)”は、階層的に、下位側で、受動的」であるという「定義になる」わけである。

 

かくして、「中間の円(=半径p)の(内側)には、“観測者(β)”が存在する」ので、「“目盛”の(内側)の観測者である、“観測者(β)”」は、「“文字盤”の(外側)の観測者である、“観測者(β)”」に、「いわば、“観測者(β)”は、“1人2役”の“役者の演技”(=“変換”)が必要に成る」わけである。

 

「このように考える」と、「上記の、“1個の受精卵”が、2個、4個、8個、・・という具合に、“細胞分裂”で、“細胞の数”を、“末広がり”に、“増加させるシステム”の“モデ

ル”」は、「細胞の(内側)に存在する、“観測者(γ)”という“人格”が、“末広がり”に、“増加するシステム”の“モデル”に成る」わけである。

 

「図1の図(BB)」は、「第1段階で、“小さい側の時計”」のイメージを「図解してある」わけである。つまり、「“1個の文字盤”の大きさが、(中円筒―半径p)」であり、「“複数

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の目盛”の大きさが、(小円筒―半径o)」の構成である。「図1の図(AA)の図(bb)の、図(c)の、半径pの大きさ」が、「図1の図(BB)の、“文字盤の大きさ”(=半径p)である」から、「相対的な、円の大きさの、描き方の“違い”」には、「注意すべき」である。

 

そして、「図1の、図(AA)の図(bb)の、図(c)の、円筒(=半径p)の点線で示したフタを開けた」場合に、「図1の図(BB)の、時計の“文字盤”(=半径p)が現れた」ので、「フタが、閉まっていた」場合には、「その円筒の(内側)に存在」した、「図1の、図(AA)の図(bb)の、図(d)の、下位側で、受動的な、観測者(β)が、“変換”され」て、「図1の、図(AA)の図(bb)の、図(e)の、上位側で、能動的な、観測者(β)に、“変身”」して、しかも、「“文字盤”(=半径p)の(上側=外側)に“出現した”」という具合に、「観測者(β)が、“下位側で、受動的な存在”から、“上位側で、能動的な存在”に“変身する”」状況を表している。

 

従って、「観測者(β)が、“下位側で、受動的な存在”から、“上位側で、能動的な存在”に“変身する”」場合には、「同時に、図1の図(AA)の、図(cc)の図(f)の、小円筒(=半径o)の大きさの“目盛”と、図(g)の“観測者(γ)”」が、「時計の目盛の数ほど、“新規に、誕生する”」。

 

この時、「“新規に、誕生する”、“観測者(γ)”は、“下位側で、受動的”な、存在」であり、「具体的な、“目盛の数”(=ここでは、“4個の目盛”のケース)」に応じて、「(目盛0)の(内側)には、“観測者(γ―0)”が存在する」、「(目盛1)の(内側)には、“観測者(γ―1)”が存在する」、「(目盛2)の(内側)には、“観測者(γ―2)”が存在する」、「(目盛3)の(内側)には、“観測者(γ―3)”が存在する」、「(目盛4)の(内側)には、“観測者(γ―4)”が存在する」ことが示してある。

 

一方で、「図(BB)の“文字盤”の(上側)の中心付近には、上位側で、能動的な、観測者(β)が、描いてある」だけでなく、「上位側で、能動的な、観測者(β)は、自分の意志で、時計の針を、右回りに廻す(=時計の針が、自動的に、廻るのではない!)」という「“仕事をする”」ことが「“強調してある”」わけである。

「何故、このような、“面倒な、時計のメカニズム”を、“想定するのか”?」について、「“その理由”を、以下に説明する」ことにしよう。

 

まず、「“小さい側の時計“は、”1個の文字盤(=半径p)“と”4個の目盛(=半径o)“から”構成されている“」ことに成る。そして、「”上位側で、能動的な、観測者(β)“は、”

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自分の意志“で、時計の針を、右回りに廻す」ことによって、「時計の針の、“針先”(=“単位ベクトル”)を、”4個の目盛(=半径o)“の、”円筒(=半径o)“の(外側=表面側)に、”刻印する“(=”決定する“)」と考えるわけである。

 

これに対して、「”4個の目盛(=半径o)“の(内側)に存在する、”下位側で、受動的な、観測者(γ)“は、”4個の目盛(=半径o)“の、”円筒(=半径o)“の(外側=表面側)に、”刻印された“(=”決定された“)、時計の針の、“4種類の針先”(=4種類の、“単位ベクトル”)を、それぞれ、感じる」という具合に考えるわけである。

 

つまり、「”上位側で、能動的な、観測者(β)“は、”時刻“(=“針先”=“単位ベクトル”)を、”刻印する“(=”決定する“)という、”役割“」を担当し、「”下位側で、受動的な、観測者(γ)“は、決定された時間を、感じるという、”役割“」を担当することで、「人間の、”時間の体験“(=主体側)に関して、階層的に異なる、2人の観測者が、”役割の分担“を”実行している“」というわけである。

 

ここで、「”上位側で、能動的な、観測者(β)“は、時計の針を、右回りに、”自分の意志“で、廻す」という「”時計の舞台上“(=1個の文字盤と複数の目盛)で、行われる、”芝居のシナリオ”で、“2人の、階層的に、異なる役者”の“役割分担”を、“設定する”」ことに、注目すべき」である。

 

「”この部分“(=”芝居のシナリオ”)が、キーワード“」であり、「時計の針先で、決まる、”単位ベクトル“は、〔”上位側で、能動的な、観測者(β)“〕の、”意志のエネルギー“である」という具合に、「”見なす“ための、”特別な仕掛け“」なのである。そこで、「〔”上位側で、能動的な、観測者(β)“〕という言葉を、省略する」と、「”単位ベクトル“とは、”意志のエネルギー“である」という「”定義に成る“」わけである。

 

つまり、「“意志のエネルギ―”は、“物理学や西欧の科学の哲学”に、”存在しない概念“」であり、「”主体側“の、”精神的な側面“(=”精神と肉体“の、”二元論“)から、つまり、”目に見えない存在を、前提とした、側面“から、定義すべき、”新しい概念“」なのである。

 

「言い換える」と、「“西欧の生命科学”である、“分子生物学”において、“自我や意識”という“専門用語”が、全く、“登場しない、根本的な原因”」なのである。

「図2(R1-図2)」

図2を説明する前」に、「自我の概念」について、「説明しておく」ことにする。「自我という言葉は、一般的には、心理学の分野の用語」であり、「“心理学の自我”には、フロイトやユングなどの哲学が、前提となる」けれども、「“本論”で使用する、自我は、全く異なるイメージである」ことに注目すべきである。

 

というのは、「自我という用語には、具体的に、遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我や、個体の自我」などが、「量的な、大きさの違いを伴う形式で、存在する」からである。つまり、「“1個の細胞”には、“約200個の遺伝子”が存在する」と言われている。この時、「“1個の細胞”の(内側)に、200個の、“遺伝子の自我”が存在する」と考えて、「200個の、“遺伝子の自我”が、加算されて、1個の“細胞の自我”が形成される」という具合に、「考える」わけである。そこで、「“本論”における、“人体に、1個だけ”存在する、“個体の自我”が、一般的な、“心理学の自我”という用語に、対応する」と考えればよい。

 

「これらの、“自我の形成メカニズム”」については、「論文原稿(2)において、詳述してある」わけである。ただ、「ここでは、“自我の大きさ”を、決定する、“構成要素”が、“単位ベクトル”」であり、「例えば、“遺伝子の自我”は、“内向きの、睡眠化合成ベクトル”の大きさ」と、「“外向きの、覚醒化合成ベクトル”の大きさ」の、さらに、「加算された結果である、“第3の合成ベクトル”の大きさである」という、「“公式が、存在する”」わけで、「“遺伝子レベル”や“細胞のレベル”では、基本的に、“第3の合成ベクトル”が、“ゼロの状態”である」ので、「“自我の潜在モデル”」と「“本論”では、“呼んでいる”」わけである。

 

そして、「“体重の1kg”に対して、“約1兆個の細胞群”で、“構成されている”」と言われているので、「言わば、60kgの体重の大人では、60兆個の細胞の、“自我の潜在モデル”が、全部、“ベクトル加算される”」ことで、「“人体に1個”の、“個体の自我”(=自分)が、“誕生する”」という具合に「考える」わけである。「その途中の、階層のレベルにおいて、“組織の自我”や“臓器の自我”も、同様に、細胞の、“自我の潜在モデル”から、“ベクトル加算される”」という具合に「考える」わけである。

 

ここで、「注意すべき」は、「“内向きの、睡眠化合成ベクトル”と、“外向きの、覚醒化合成ベクトル”が、それぞれ、独立に、“加算される”」ことで、「器官(=脳)のレベルから、両者の、“相互に逆向きの、2系一対”の、“合成ベクトル”の“大きさ”に、“差が生じる”」ことで、「“第3の合成ベクトル”の“大きさ”と、“上向き”か、“下向き”か、“方向の違い”」が、「“生じる”と、考える」わけである。

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そして、「その結果として、“個体の自我のレベル”で、その、“第3の合成ベクトル”の“大きさ”と、“上向き”か、“下向き”か、“方向の違い”が顕著に成る」ことで、「“個体”(=身体)の、“覚醒現象や睡眠現象”の、“違いが生じる”」という、「“メカニズムを、基礎にして構築された、独自の、”自我の概念”」なのである。

 

「上記の、“遺伝子の自我”の“潜在モデル”が、“自然界の光の現象”から、生命の“主体の基本単位”として、“形成される”」という「“プロセス”は、“ファインマンの仮想実験の考え方”を、基本して、明確に、“図解してある”」わけである。ただし、「物理学の、一般的な考え方とは、異なる概念を用いた、“単位ベクトル”は、“意志のエネルギー”である」という「“前提”から、“遺伝子の自我” の“潜在モデル”は、生命の“主体の基本単位”として、“導かれている”」わけである。

 

加えて、「“自然界の光の現象”から、生命の“主体の基本単位”として、“形成される”」という表現には、「“物理学の物質”と、“生命が宿る物質”で、かつ、“死が生まれる物質“(=生命体)の”違い“が、”明確に、示されている“」わけである。というのは、「”分子生物学“や”生化学“と呼ばれる学問では、両者の違いが、全く、無視されている」からである。

 

つまり、「”生命“とは、”個体の自我“のことであり、”個体の自我“と”情報“が”結合“されて、”意識が生じる“」という、「”公式“が、”存在しない“」わけである。むしろ、「”意識“は、”存在しない“」という「”前提“で、”生体が、分析される学問“が、”分子生物学“や”脳科学“などの、いわゆる、”西欧の科学の哲学“であり、”物理学“」なのである。

 

「”個体の自我“と”情報“が”結合“されて、”意識が生じる“」という、「”場所“のことを、”心“」と呼んでいるわけで、「”心“が形成される”場所“は、”宇宙“」であり、「宇宙からの、情報の伝達系によって、人間の周囲のオーラに成り、さらに、体外に飛び出しているチャクラによって、これらの情報と個体の自我の結合体である、意識は、人体の内部に、取り込まれる」わけである。「”これらの状況“は、論文原稿(2)の内部で、

詳述してある」わけである。

 

ただ、「”心“が形成される”場所“は、”宇宙“」であり、かつ、「人体の内部である」という、いわゆる、「禅問答のような考え方」のことを、「物理学者のガモフは、ガモフ全集の中で、具体的に、自分で、絵を描いて、”宇宙の裏返し“という”タイトルで表現“」している。「私が、最初に、この絵を見た」時に、「人間の裏返し」であると、「直感した」わ

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けである。というのは、「人間の(内側)に、目・鼻・口の感覚器官が、存在し、かつ、(内側)に、手足が伸び、かつ、太陽や多数の星が輝いている」のに対して、「(外側)には、心臓や胃や腸などの内臓が、散乱している」という、「構図であった」からである。

 

この時、「物理学者のガモフは、何を想像して、”宇宙の裏返し“という”タイトルの絵を描いたのか?」は知らないけれども、「この状況は、自然界に存在する、心の形成メカニズムであり、裏返し現象」なのである。「いわゆる、精神現象である、目に見えない現象」には、「必然的に伴う、宇宙と、人間の肉体の相互関係が、存在する」わけで、「精神世界の、意識の存在を無視する」と、「現状の、”分子生物学“や”脳科学“などのように、”心“は、”脳にある“」という具合に、「仕方なく、”表現する“」ことに成ってしまうわけである。

 

「“このような状況”が、現状の科学(=西欧哲学)の、“グローバルな実体”である」から、「“単位ベクトル”は、“意志のエネルギー”である」ということを、「“具体的に、イメージする”」ためには、「図1で示したような、“二元論の構築”」に、「不可欠な、“時計のメカニズム”や、“空間量子の概念”や、“2人の観測者”による、“役割分担の概念”」などを、「“図解する必要”が、生じる」わけである。

 

そこで、「“二元論”の“図解や説明”は、非常に、“難しい”」という「“具体例”を、示しておく」ことにしよう。

 

「図2の図(AA)の図(aa)」は、「1個の“受精卵”(=二重丸)で、“受精膜”(=外側の膜)が挙がっている状況」であるが、「実際には、“受精膜”(=外側の膜)の“大きさ”は、“エネルギーフィールド(=霊体)”の“大きさ”」も表している。

 

そして、「図(aa)の“※印”は、“個体の自我”の“大きさ”に対応する、観測者(β)の“存在場所”」を示している。「観測者(β)は、上位側で、能動的な観測者で、その存在場所(“※印”)は、“エネルギーフィールド(=霊体)”の(内側)で、卵細胞の(外側)」であり、「この領域は、“今現在の領域”」に対応する。一方、「“細胞の自我”は、下位側で、受動的な、観測者(γ)で、“1個の細胞である、卵細胞の(内側)に存在する」という具合に考える。

 

「“個体の自我”は、多数の、“細胞の自我”の、“潜在モデル”を構成する、“相互に逆向きの、2系一対の合成ベクトル”が、それぞれ、“ベクトル加算”されて、最終的に、“ベクトル合成”された場合に、生じる、“第3の合成ベクトル”」のことであるが、「図(aa)の“※印”は、細胞が、“最初”の、“細胞の、1個の状況”でも、“受精卵の誕生”と“同

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時に、誕生する”」と考える。

 

従って、「“細胞分裂”によって、“細胞の数”が、増加する」に連れて、「“個体の自我”の大きさも、“成長する”」わけであるが、「“個体の自我”は、人体を構成する、“細胞集団”の、“総司令官”に相当する“管理者”の“役割”を、“持っている”」ので、「“受精卵の誕生”と、同時に、“誕生する”」わけである。

 

「人体を構成する、“細胞集団”の、“総司令官”に相当する“管理者”の“役割”」とは、「その後に、細胞分裂が始まる、全ての細胞に対して、その細胞が、それぞれ、将来、身体の、どの役割を担う細胞としての運命を、逐一、決定する」だけでなく、「その後も、全細胞の役割を、管理している」と考える。

 

「初期の分裂細胞は、その後、それぞれの“細胞の運命”が決まる」という意味は、「一般的な細胞が、自分の、DNAの上に持っている、“遺伝子の情報”によって、将来、“筋肉細胞”、“神経細胞”、“骨細胞”、“血液細胞”などの、“どの細胞に、変身するのか”?」ということで、「自分が、普通の細胞から、“特殊化した機能を持つ細胞”に、自ら、“変身する”」ことを、「“発生学の専門用語”では、“分化現象”」と呼んでいる。

 

ここで、「注意すべき」は、「細胞は、全て、自分が変身するための、遺伝情報を、DNA上に、持っている」だけであり、「その遺伝情報は、あくまで、DNA上の、どの遺伝情報を、“特異的に選択”して、“その情報だけ”を“発現するのか”?」を、「“決める内容”に“過ぎない”」ということである。というのは、「DNA上の遺伝子情報は、“生命体の遺伝情報”である」という“認識”、つまり、「“遺伝子情報”によって、“生体の全て”が“決まる”」という「“イメージ”から、“遺伝情報”は、“生命体の設計図”である」という「“一般的な認識”が、“確立されている”」。「これは、“分子生物学”の、“誤った情報操作”である」ことに気付くべきである。

 

というのは、「“分子生物学”には、“細胞の運命”、つまり、“その細胞の分化”を決めるための、“要素”(=何という“主体”が、決定するのか?)が、“存在しない”」。

 

これだけでは、「分かりにくい」かも知れないけれど、「逆に、“個体の自我”を創り出す、“上位側で、能動的な、観測者(β)”の“仕事内容”が、“全細胞群”に対する、“総司令官”に相当する“管理者”の“役割”を、“持っている”」いう具合に、「“定義する”」ならば、「“分子生物学”(=物理学)においては、“生体の指揮・管理者”が、“不在である”」という「“イメージが明確に成る”(=“主体”を導入しない、“物理学の宿命”)」はずで

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ある。

 

「一般的な常識」に「照らして表現する」ならば、「会社に、責任者である、社長がいない組織に相当する」。だから、「分子生物学の実体は、会社の規則や、仕事の方針や、会社の運営方法などの、統一理論が、全く、存在しない状況に等しい」ことになる。

 

だから、「“1個の細胞”の、“タンパク合成”の“問題点を明確”にして、その“局部の異常”を、“治療する薬品”の“開発は、出来る”」けれども、「“患者の病気が治る”のは、“生体が持つ、天然の“治癒力”」であり、「“治癒力”とは、“生命の持つ力”」のはずであるが、「その“生命”とは何か?」が、「“分子生物学では、不明”」であり、「“生命”とは、“目に見えない”、“個体の自我”であり、“情報と結合”した“意識”である」という「“答えは出てこない”」。「いわば、“目に見えない”、“個体の自我”というのが、いわゆる、“霊体”(=エネルギーフィルド)であり、“二元論”を、ベースにしなければ、“発想できない概念”」なのである。

 

そこで、「図2の、図(AA)に戻る」けれども、「図(bb)の“三角形”は、“エネルギーフィールド”を表し、その後、“細胞分裂”が生じる“履歴”を記録する、細胞分裂の系譜を表すために工夫した描き方」である。「この“三角形”の“内部の領域”は、全部、“上位側で、能動的な、観測者(β)”の“居住領域”」であり、「“個体の自我”が、“一生涯、今現在”を、“感じ続ける感覚”の“元に成る”」と考えるわけである。

 

「図2の、図(AA)の、図(cc)には、4分裂までの“細胞分裂の系譜”が示してある」けれども、「それぞれの細胞の“寿命”は、図(dd)に示すように、“約1時間”(=“次の分裂”が始まる)」であり、また、「図(ee)に示すように、“それぞれの細胞”の(内側)には、それぞれの“細胞の自我”が、“下位側で、受動的”な、“観測者(γ)の名前”を付けて、“実在する”」ことを「“強調してある”」。

 

次いで、「図2の図(AA)の三角形」と、「図2の図(BB)の三角形」を「比較する」ことにする。

 

「図2の、図(AA)の三角形」の「(内側)には、“細胞分裂の系譜”が、初代(=受精卵)、二代目(=2分割卵)、三代目(=4分割卵)の“順番”で、変化の様子」を描いてある。これに対して、「図2の、図(BB)の三角形」の「(内側)には、“細胞分裂の系譜”が、目盛1(=受精卵)、目盛2(=2分割卵)、目盛3(=4分割卵)の順番で、目盛1、目盛2、目盛3という“名前(=名称=目盛)”に、換えてある」。

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そして、「図2の図(BB)の、図(A)の、三角形の(内側)には、“※印”の位置に、“個体の自我”に相当する、“上位側で、能動的な、観測者(β)”」が描いてある。しかも、「図2の、図(BB)の図(A)の、三角形の(内側)」の、「それぞれの細胞の、(外側=表面側)」には、「それぞれ、“単位ベクトル”が、“刻印されている”」ことに注目しよう。同様に、「図2の図(BB)の、図(B)の、“目盛の大きさ”の、“空間量子”である、“小円筒”(半径o)の、(外側=表面側)にも、それぞれ、“単位ベクトル”が、“刻印されている”」。

 

一方で、「図2の図(BB)の、図(B)」には、「“細胞”が、“目盛の大きさ”の、“空間量子”である、“小円筒”(半径o)に“変更”」して、「“初代の受精卵”の場合は、“小円筒”(半径o)の(内側)に、観測者(γ―1)が存在する」、「“二代目の2分割卵”の場合には、“小円筒”(半径o)の(内側)に、観測者(γ―2)と、観測者(γ―3)が存在する」、「“三代目の4分割卵”の場合には、“小円筒”(半径o)の(内側)に、観測者(γ―4)と、観測者(γ―5)と、観測者(γ―6)と、観測者(γ―7)が存在する」という具合に、「“細胞の自我”に相当する、“下位側で、受動的な、観測者(γ)”に、“固有の名前”(=人格)が“付けてある”」ことに注目しよう。

 

「図2の図(CC)は、図(BB)の三角形の大きさを、(中円筒―半径p)の大きさの、時計の“文字盤”に“変更した状況”」を示し、「4個の“目盛の大きさ”は、(小円筒―半径o)である」ことを「示してある」。

 

ここで、「“重要なこと”」は、「図2の図(CC)の“文字盤”上の観測者は、“上位側で、能動的な、観測者(β)”である」ということで、また、「4個の“目盛の大きさ”は、図(BB)の図(B)に示してあるように、(小円筒―半径o)」であり、かつ、「“目盛”の(小円筒―半径o)の(内側)には、“下位側で、受動的な、観測者(γ)”が存在する」ということである。

 

というのは、「“文字盤”上の観測者である、“上位側で、能動的な、観測者(β)”が、“時計の針”を、自分の意志で、右回りに廻して、“目盛”の(外側=表面側)に、“単位ベク

トル”を、“刻印する”」からである。そして、「“4個の目盛”のそれぞれの(内側)に存在する、“下位側で、受動的な、観測者(γ)”は、“刻印された”、“単位ベクトル”を、“感じる”」という、「“役割分担”が、“存在する”」からである。「“このメカニズム”の“図解”によって、“単位ベクトル”は、“意志のエネルギー”である」という、「“物理学”の“専門用語”とは異なる、“精神分野の専門用語”の“定義”が、“可能に成る”」と考える。

 

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「“特筆すべき”」は、「“分裂細胞の系譜”を、“過去・現在・未来”に、“分類する場合の、考え方”」に関する内容である。

 

「図2の図(CC)」では、「“目盛1”の“受精卵”が、“過去”の存在」で、「“目盛2”の、2分割卵が、両方とも、“現在”」で、「“目盛3”の、4分割卵が、“未来”の存在である」という具合に、「考えた場合の1例」である。そこで、「“目盛1”の“受精卵”が、“過去”の存在である」という「“視点”に、注目する」ことにしよう。というのは、「図2の図(BB)」では、「三角形の(内側)で、細胞群の(外側)は、全領域が、今現在である」という具合に、「定義している」からである。すると、「“今現在領域”の(内側)の、“一部の領域”に、“過去の領域”が、“存在する”」という「“理屈に成る”」わけである。

 

「“この理屈”」は、「“階層の違い”を、“考慮する”」こと、及び、「“過去の細胞”(=肉体)は、”存在しない“けれども、”過去の存在“の、“下位側で、受動的な、観測者(γ-1)”は、“霊的な存在”(=目に見えない存在)で“実在する”(=“二元論”)」という「“視点”が、“不可欠”」なのである。

 

例えば、「“階層の違い”を、“考慮する”」という内容は、「図(DD)と図(EE)に示すように、「“上位側で、能動的な、観測者(β)”の“立場に立つ”と、三角形の(内側)は、“全領域が、今現在”である」けれども、「“下位側で、受動的な、観測者(γ-1)” の“立場に立つ”と、“一部の領域”は、“過去の領域”として、“存在する”」という「“考え方”」のことである。

「図3(R1-図3)」

「図3の、図(CC)の、図(A)」は、「“上位側で、能動的な、観測者(α)で、実際には、”天上の仏”」を表し、「“大きい側の時計”の、“文字盤”(大円筒―半径q)の上に存在する」ことを、「“想定”」している。これに対して、「図3の、図(CC)の、図(B)」は、「“大きい側の時計”の、“文字盤”(大円筒―半径q)の縁に並んでいる、3個の“目盛”(中円筒―半径p)の中」の、「〔“目盛-2”〕(中円筒―半径p)の“1個”だけを選

んで、“拡大して、描いてある”」。

 

「“大きい側の時計”の、“文字盤”(大円筒―半径q)の縁に並んでいる、3個の“目盛”(中円筒―半径p)の、“具体的な並び”は、図(BB)に、“横並び”に描いてある.。つまり、「図(A)は、[目盛-1]、図(B)は、[目盛-2]、図(C)は、[目盛-3]」で、いずれも、「(中円筒―半径p)の“目盛”」であり、「それぞれの、3個の“目盛”(中円筒

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―半径p)の(内側)には、“下位側で、受動的”な、観測者(β-1)、観測者(β-2)、観測者(β-3)が、“存在する”」ことを表している。

 

そこで、再び、「図(CC)の図(B)」の、「“拡大して、描いてある”、〔“目盛-2”〕(中円筒―半径p)」について、「説明を、加えておく」ことにしよう。まず、「三角形の(内側)の、“分裂細胞”の“数が、多い”」ことに「注目すべき」である。

 

「図(a)の段階で、1個の受精卵から始まって、2分裂、4分裂、・・を繰り返し」、さらに、「図(b)では、8分裂を経過」して、「図(c)では、“16分割卵”」を示しているが、「実際には、三角形の下側では、“60兆個の分割卵”の存在(=体重が、60kg)」を「想定すべき」である。つまり、「細胞分裂の系譜を、全部、描きたい」のであるが、「現実には、描ききれないので、“16分割卵”の領域を、イメージで、“60兆個の分割卵”に、置き換える」ことが肝要である。

 

そこで、「図(CC)の、図(C)の“三角形”の(内側)には、図(D)に示すように、“※印”の位置に、“下位側で、受動的”な、観測者(β)が、“存在する”」こと、また、「図(E)には、“三角形”の(内側)は、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”場合には、“全領域が、今現在”である」ことが「強調してある」。

 

さらに、「図(DD)の図(aa)には、“細胞”に対応する、(小円筒―半径o)の“目盛”と、その“小円筒・目盛”の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、観測者(γ)との“セット”が描いてある」だけでなく、さらに、「図(bb)にも、同様な、“細胞”に対応する、(小円筒―半径o))の“目盛”と、その“小円筒・目盛”の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、観測者(γ)との“セット”が描いてある」。

 

「注目すべき」は、「図(DD)の図(aa)の“セット”は、“過去の細胞群”の“存在領域”」を表し、「図(DD)の図(bb)の“セット”は、“現在の細胞”の“存在領域”」を表していることである。ここでは、「体重が60kgの大人に達して、“現在の身体”が、“60兆個の細胞群”で“構成されている”」ことを「想定している」わけである。

 

すると、「“今現在の細胞群”の数が、“60兆個の細胞群”である」ならば、「“過去の細胞群”の数も、ほぼ、“60兆個の細胞群”である」ことが理解できる。つまり、「相互に、ほぼ、“半々”」ということになる。

 

ここで、「重要なこと」は、「“下位側で、受動的”な、観測者(γ)の“立場に立つ”」場

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合に、「“過去の細胞群”の“存在領域”」と、「“今現在の細胞群”の“存在領域”」が、「相互に、“区別できる”」ということである。というのは、「図(C)の、“三角形”の(内側)の、図(D)に示すような、“※印”の位置に存在する、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”場合には、“三角形”の“全領域”が、“今現在”に成る」からである。

 

そこで、「図(CC)の、図(aa)には、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”場合の、“この世”の、“生存期間”(=寿命)の長さが、“両矢印”で示してあり、約80年である」ことが強調されている。一方、「図(bb)には、2本の、“両矢印”の長さによって、「“下位側で、受動的”な、観測者(γ)の“立場に立つ”」場合の、「“過去の細胞群”の“存在領域”」と、「“今現在の細胞群”の“存在領域”」が、「相互に、“区別してある”」。

 

ここで「“注目すべき”」は、「論文原稿(1)の“タイトル”で示したように、“今現在”とは、“瞬間”ではなく、“人間の一生涯”の“長さ”である」ということである。というのは、「“この世”の“人間”に“相当する”のは、“ここでは”、図(CC)の、図(D)の、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“立場に立つ”」ことに、「“対応する”」からである。つまり、「“ここでは”、というのは、具体的に、図(BB)では、図(B)の、[目盛―2]に、「“対応する”」からである。

 

「図3の、図(AA)」には、「“注目すべき視点”」が、「要約してある」。具体的には、「図(BB)の、図(A)、図(B)、図(C)の“横並び”」の、「各、“目盛”の(外側=表面側)に、“刻印されているベクトル”が、“目盛”の(内側)に存在する、観測者(β)群は、いわゆる、“霊体”であり、“目には見えない”」けれども、「“目盛”の(外側=表面側)に、単位ベクトルを、刻印する」ことで、「“目に見える”ように“する”(=“可視化する”)」という「“イメージ”に“対応する”」。

 

「図3の、図(DD)の、図(aa)や図(bb)」の、「“過去の細胞群”の“存在領域”」と、「“今現在の細胞群”の“存在領域”」が、「相互に、“区別できる”」のも、「“目盛”の(外側=表面側)に、単位ベクトルを、刻印する」ことで、「“目に見える”ように“する”

(=“可視化する”)」という、「いわゆる、“オリジナルな、工夫がある”」ことに「“由来する”」。

 

ただし、「図(aa)や図(bb)の、“目盛”の(外側=表面側)には、“刻印されているベクトル”は、描いてない」のは、「過去の細胞群と今現在の細胞群の“数を合わせる”」

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と、「巨大な数の、約“120兆個の細胞群”に成り、この場合は、1個の時計の文字盤の端に、120兆個の目盛が並ぶ、“巨大な時計”を“想定する必要”が出てくる」わけで、「“単位ベクトルの角度”が、“変化する状況”(=単位角度)を、“イメージできない”」から、「“単位ベクトル”の“刻印”を、“省略してある”」わけである。

 

つまり、「単位ベクトルは、意志のエネルギーである」ことを示すための「“観測者群”と、“時計のメカニズム”(=“文字盤”と“目盛”)の“相互関係”の“仕組み”の“具体像”の“イメージ”」が、「常に、“先行して、浮かぶ”、必要がある」というわけである。

 

特に、「論文原稿(2)における、“超能力者だけ”に“見える”、“神の光”を、“普通の人”にも、“見えるようにする技法”が、“単位ベクトルを、刻印する”」ことで、「いわゆる、“可視化できる技法”である」だけでなく、「さらに、“DNAの構成要素である塩基”という“物理学的な物質”に、“生命を宿らせる技法”でもある」という「“視点”に、繋がって、行く」わけである。

「図4(R1-図4)」

「図4の図(AA)の、図(aa)の“文字盤”(=大円筒―半径q)と、図(bb)の、複数の“目盛”(=中円筒―半径p)」を、「“組み合わせた時計”」が、「図(BB)の、第2段階の時計」であり、「“大きい側の時計”」に対応する。

 

ただし、「図4の図(BB)では、“文字盤”(=大円筒―半径q)の“大きさ”を、“拡大して、描いてある”」ので、「注意が必要」である。

 

一方で、「図4の、4個の〔“目盛”〕の中で、“3個の〔“目盛”〕」、つまり、「図(bb)の〔目盛-1〕=[過去(=あの世)]、図(cc)の〔目盛-2〕=[今現在(=この世)]、図(dd)の〔目盛-3〕=[未来(=あの世)]」については、「図3の、図(BB)と、図(CC)の〔目盛-2〕=[今現在(=この世)を“拡大して、解説済み”」である。

 

「“2人の観測者”」については、「“文字盤”側が、図(CC)の、“上位側で、能動的”な、

観測者(α)=「天上の仏」であり、「観測者(α)が、“自分の意志”で、時計の針を、右回りに回転させて、その“針先”で、“目盛”(中円筒=半径p)の(外側=表面側)に、“矢印”(=“単位ベクトル”)を、“刻印する”」ことで、「“目盛”(中円筒=半径p)の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、“4人”の“観測者(β)”に、“過去”(=あの世)、“今現在”(=この世)、“未来”(=あの世)の“違い”」を、「“創り出している”」わ

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けである。

 

一方、「図4の、図(BB)の、“目盛”側の、図(cc)が、“下位側で、受動的”な、観測者(β)」であり、「この場合、“下位側で、受動的”な、観測者(β)が、“この世”の、“人間の、一生の時間”(=寿命=80年)の、“個体の自我”の“寿命”で、80年の間、“今現在”を、“感じ続けている”」ことに、「“対応する”」わけである。

 

かくして、「図4において、“上位側で、能動的”な、観測者(α)=「天上の仏」が、「“目盛”(中円筒=半径p)の(内側)に存在する、“下位側で、受動的”な、“4人”の“観測者(β)”に、“過去”(=あの世)、“今現在”(=この世)、“未来”(=あの世)の“違い”」を、「“感じさせている”」のであり、また、「図1においては、“上位側で、能動的”な、観測者(β)が、“下位側で、受動的”な、“4人”の“観測者(γ)”に、“過去”(=1時間)、“今現在”(=1時間)、“未来”(=1時間)の“違い”」を、「“感じさせている”」ことになる。

 

ここで、「観測者(β)は、“大きい側の時計”では、“目盛”側の存在で、“下位側で、受動的”な、観測者(β)の“役割”」を“担当”し、一方で、「“小さい側の時計”では、“上位側で、能動的”な、観測者(β)の“役割”」を“担当する”ことに成る。「このような、観測者(β)の“役割”が、換わる」ことを、「図1の、図(AA)の、図(bb)において、「“変換”が生じる」という具合に、「“強調した”」わけである。

 

そこで、「図1では、3種類の大きさの、円筒(=“空間量子”)の“相互関係”に、“限定した公式”の形で、“図解した”」わけである。

 

従って、「もし、“無限大の円筒”(=“空間量子”)から、“無限小の円筒”(=“空間量子”)までの、“空間量子”の、“大きさの系列”が存在」し、かつ、「“空間量子”の、“大きさの系列”に対応した、“観測者”の大きさ(=階層)が、存在」して、なおかつ、「“上位側で、能動的”な、観測者から、“下位側で、受動的”な、観測者の方向に向けて、“観測者の役割の変換”が、“連鎖反応的”に“生じる”」ことを、「“想定する”」と、「最も“上位側で、能動的”な、“観測者”の“意志”が、最も“下位側で、受動的”な“観測者”に、シリー

ズで、“伝達される”」ことが「“予測できる”」わけである。

 

「注目すべき」は、「“円筒の大きさ”(=“空間量子の大きさ”)が、“物質”の場合も“想定されている”」けれども、「“エネルギーフィールド”(=“霊体”)の場合も“想定されている”」ことである。

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そして、「物理学に存在しない、“意志のエネルギー”は、“普通の人”(=“超能力者”だけに“見える”)には、“目に見えない”」わけだから、「“普通の人”でも、“目に見えるよう”に、“工夫する必要がある”」わけである。つまり、「“普通の人”(=“超能力者”だけに“見える”)に、“目に見えない”存在である、“意志のエネルギー”」が、「宇宙を含む、自然界において、どのような、“法則的な挙動”を“示すのか”?」につて、「定量的に、因果関係を、説明できるような工夫が、伴わない」と、「精神世界の、科学的な分析は難しい」わけで、「その工夫の1番目の試みが、ベクトルの合成や分解という、“数学的な手法”である」というわけである。

 

とりわけ、「“精神世界の、分析”の、“基本単位”である、“自我の潜伏モデル”の“具体化(=視覚化)”によって、【遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我、個体の自我】の、それぞれが、“大きさ”を伴う、“量的な表現”が、“可能に成る”(=“形成メカニズム”が、“明確に成る”)」ことは、「論文原稿(2)によって、“詳述される”」ことに成るであろう。

 

この時、とりわけ、「“個体の自我”が、“受精卵の形成”と同時に、“登場”」し、「その後の、“細胞分裂”の“分化”を“決定”」し、かつ、「“その後の成長”(=“全・構成細胞群”の“管理”)の、“総司令官”の“役割を担当する”」という「“見解”」は、「“生命科学”(=精神科学を含む)に、“統一理論”や、“自然界に、天然に、実在する倫理性”を“構築する”ための、“数学的な基礎”に成る」と考えられる。

「COCLUSION」

「1つ目の結論」は、「地球上の、人間が、一生涯、”今現在”だけを、感じている」のは、

「人間の、“個体の自我”が、“観測者β”の、立場に、立っている」ことを、「示している」わけである。

 

かくして、「人間」は、「誕生から、死」まで、「一生涯、1種類の、“今現在”ダケを、受動的に、感じている」わけである。そして、「過去や未来」を、感じることはない」。

つまり、「過去や未来は、想像するだけ」である。この場合を、「“個体”〔=“個体の自我”〕の、“立場”に、立った場合」と考えることに、「対応している」わけである。

 

また、「“地球上の、人間”」が、「自分の、過去と未来を、“感じる”ことが、出来ない」のは、「人間の“寿命”が、1時間・単位の、観測者(γ)〔=“細胞の自我”(=観測者γ)〕の“立場”に、成れない」ことと、「同じことを、示している」わけである。

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従って、「過去と未来」は、「人間の、“寿命”が、80年・単位の、“個体の自我”〔=観測者(β)=自覚できる自我〕が、観測者(γ)〔=細胞の自我=自覚できない自我〕の立場に、置き換える」ことによって、「“想像する”だけである」ことを、「意味する」わけである。

 

「2番目の結論」は、「“寿命”が、1時間の観測者(γ)〔=“細胞の自我”〕」が、「“寿命”が、1時間・単位の、過去と未来を、感じる」ためには、「上位側で、能動的な、観測者(β)〔=“個体の自我”〕の存在が、必要」であり、また、「“寿命”が、80年間の今現在を、受動的に、感じる」ためには、「上位側で、能動的な、観測者(α)〔=“仏”の自我〕の存在が、必要である」ということである。

 

加えて、「3番目の結論」は、「“大きい側の時計”(=大円筒の文字盤と、中円筒の目盛の構成)」において、「下位側の、受動的な、観測者(β)〔=個体の自我〕の、〔時間を、受動的に、感じる立場〕が、「“小さい側の時計”(=中円筒の文字盤と、小円筒の目盛の構成)」において、「上位側で、能動的な、観測者(β)〔=個体の自我〕の、「時間を、決定する立場」に、「“変換される”(=立場が換わる)」のも、「一般的な、法則である」ということである。

 

この「変換される(=立場が、換わる)という関係を、一般化する」と、「次のように、成る」わけである。

 

「“総合的な結論”(=要旨)」としては、「“観測者(β)”(=個体の自我)の、〔時間を、受動的に、感じる立場〕から、「時間を、能動的に、決定する立場」への、「“変換”は、“観測者(β)”(=個体の自我)の、“機能と立場”が、換わる」という「意味」であり、また、「“観測者(β)”(=個体の自我)の、“意志”が、換わる」という「内容」である。

 

従って、「“さらに、大きい側の時計”」、「“大きい側の時計”(=大・円筒の文字盤と、中・

円筒の目盛の構成)」、「“小さい側の時計”(=中・円筒の文字盤と、小・円筒の目盛の構成)」、「“さらに、小さい側の時計”」という具合に、次々に、「〔時計の大きさ〕の、“連鎖”を想定」して、「“2人の観測者”の相互関係の“法則”」について、「時間を、受動的に、感じる立場」から、「時間を、能動的に、決定する立場」への、「変換」を想定すると、

 

同様に、「上位側の、能動的な、観測者の“意志”が、下位側の、受動的な、観測者に、順次、伝達される」ことが、「無限に、繰り返される」という、「上位側から、下位側へ向けて、階層的に、観測者の、“意志の伝達”が、行われている」という、「一般的な、“階層的

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な法則”を、表している」ことに成るわけである。

 

つまり、「“2人の観測者の、組み合わせ”による、“相互関係の法則”」とは、「時間についての、能動的に、“決定する”⇔“受動的に、感じる”の、“階層的な相互関係”」であるが、「本質的には、生物学に特徴的な、階層的な、“観測者(=階層的な主体)の相互関係”」であり、「上位側の観測者(=上位側の主体)の“意志”〔=構造の設計図〕が、下位側の観測者(=下位側の主体)に、伝達される法則」に、「対応している」わけである。

 

かくして、「生物学の、最も基本的な、“自我”(=主体=生命)の形成メカニズム」は、「発生学における、内胚葉、中胚葉、外胚葉などと呼ばれる、初期の潜在化していた細胞の機能が、細胞分裂が進行するにつれて、具体的な、腸管細胞、血管細胞、神経細胞などの専門的な細胞として、“末広がり”に、“顕在化してくる”」という、「形態形成に関する、“基本的な法則”(=“理論”)である」ことを意味し、「物理学とは、全く異なる、“生物学に特有の、基本的な法則”(=“理論”)である」ことを意味する。

 

この「“総合的な結論”」から、さらに、「次のような、“一般的な法則”(=価値観の転換)に、言及できる」はずである。

「DISCUTTION」

「“総合的な結論”は、以下に示すような、“価値観の転換”を、示す」ことに成るだろう。つまり、「以下の、結論(1)~結論(4)に、具体的に、示す」ような、「新しい視点を提供する」ことに成るだろう。

 

〔結論(1)〕=「西欧の科学の価値観」=「①=科学の基礎は、物理学である」という「考え方」がある。「Erwin Schrödinger」は、「主体―客体の関係」の「主体を、物質の観測のプロセスに、導入しない」ことを強調している(文献4=Mind and Matter=

精神と物質=工作舎:中村量空訳)。「②=科学者や知識人などの、普通の人の、“目に見えないモノ”(=“エネルギーフィールド”や、“霊”など)は、存在しない」という「“考え方”が、支配的(=“東洋の、二元論の否定”が、支配的)」である。ただし、「“普通の人”」というのは、「“超能力者”を、除く、全ての人」という意味である。

 

というのは、「“超能力者”には、普通の人に、見えないモノが、見える」だけでなく、「“宇宙”(=“あの世”)に、“知的な情報”(=“人間の姿・形の、設計図”な

27

ど)が、地球に向けて放出されている、“源泉”が、“存在する”」ことを、「具体的に、“観察している”」(文献5=「HANDS OF LIGHT」=Barbara Ann Brennan「“光の手”(=翻訳書)」=河出書房新社)」からである。「日本の“超能力者”である、“高橋真治”(=故人)は、上記の、“知の源泉”」を、「“あの世”には、“霊・太陽”(=Rei-taiyou)が存在する」と「指摘していた」ようである(文献6)。

 

これらの、「“超能力者”の“観察結果”は、大昔の、“天動説と地動説の論争”に、匹敵する」ほどの、「“革命的な視点”」である。また、「このような、“絶対的な知の源泉”を、“設定できない”」かぎり、「“自然界の、絶対的、かつ、法則的な倫理現象”は、“規定できない”(=知的に、“論理化”できない)」わけである。

 

〔結論(2)〕=「新しい考え方」=「生物学・医学の研究の目的は、“主体=自我”である」ことを、「“前提”として、スタートすべき」であり、「物質の研究である、物理学とは、全く、異なる概念で、分析すべき、“新しい学問”(=“分子生物学”とは異なる学問)である」と考える必要がある。

 

「生物学の研究においては、どういう問題を、次に、解決すべきであるのか?」を、「“自然界の倫理”を“組み込んだ理論”によって、指導者が、指し示していける」ことが肝要である。「“引用された論文の数”で、“研究のレベル”を“評価をする傾向”は、西欧の科学が、“人間の利害本位”(=人間の役に立てばよい!)であり、“研究概念”として、“自然科学的な、絶対的な理論”を、持っていない」ことの「証」であり、「衣服の、流行のファッションと、変わらない」ことを意味している。「“受精卵の万能分化能力”や、“シュペーマンの場の法則”や、再生医療の、iPS細胞やES細胞や幹細胞などの、絶対的な、“理論的な研究”の可能性については、別の論文で、図解する」。

 

つまり、「“自我の仕事”(=生命力)は、“企画された設計図”(=情報=青写真)に基づいて、地球上で、物質による構造と機能を、“構築する”ことである」という、「視点から、分析を、開始すべき」である。ということは、「“自我”(=生命力)が、“設計図”に基づいて、物質を組織化する“法則を解明する”」ことが、「“主体の生物学”の、研究の目的」に成る。

 

すると、「生物の、“個体の姿・形の設計図”〔=細胞自身の、“分化”(=変形)の設計図である、“遺伝子”のことではない!〕は、何所にあるのか?」ということが、「大問題」に

成る。「その“答え”が、2人の、“超能力者の観察”によれば、“宇宙”(=“あの世”)

に存在する、上記の、“知の源泉”や、“霊・太陽”(=Rei-taiyou)である」とい

28

うわけである。「この“宇宙”(=“あの世”)は、「“ミンコフスキーの時空”に、ファインマンの“考えを加える”(=文献7)」と、「“この世”と“あの世”の相互関係を、“1枚の図面”において、図解できる」わけである。「“この視点”については、別の論文=論文原稿(2)で、図解する」。

 

「“ダーウインの進化論”は、動物の”構造と機能”の“造形”(=肉体)が、地球上で、次第に、“複雑化してきた”」という、「内容である」が、「それぞれの“造形の設計図”が、どこで、どのように、進化してきたのか?」ということには、言及していない。「西欧の科学は、このように、究極の、本質的な真理に、哲学的に、言及しない傾向がある」ことに、「気づくべき」であろう。「その原因」は、「目に見えない、“意識や自我”の“研究疑念”(=科学)が、西欧の科学においては、欠落している」からである。

 

〔結論(3)〕=「西欧の科学には、“超能力のメカニズム”を、分析する」という、「視点が、存在しない(=“意識や自我”の“振舞いを、法則化する科学”が、ない)」ために、「“宗教のメカニズム”が、明確にされることは、ない」わけである。しかし、「いずれの宗教の場合でも、“宗教の創始者”である、“教祖は、超能力者”である」ことを、「重要視すべき」である。「“宗教の形成メカニズム”」については、「別の論文で、図解する」。

 

また、「インド哲学の、アーユルベーダ」に対して、「“西欧の科学者”は、問答無用で、オカルトと呼んで、“軽視する傾向”がある」けれども、「生物学に、“本論”(=オリジナル)のような、“複数の、階層的に、異なる主体”を導入するならば、“主体の違い”によって、“時間の役割”(=時間を、“決定する、上位側の観測者”の立場と、時間を“感じる、下位側の観測者”の立場)が、階層的に、異なる」という「関係が、明確に成る」わけだから、「“自我”の、タイム・トラベルの視点や、“体験の記録装置”である、アカシック・レコードなどが、“記憶のメカニズム”を、明確にする、キーポイントである」ことも、「明確に成る」わけである。「“アカシック・レコードの形成メカニズム”」については、「別の論文で、図解する」。

 

〔結論(4)〕=「人間を含む、生物の、“個体の設計図”は、“宇宙”(=“あの世”)で形

成されて、地球上に、伝送されている」という「“視点”(=超能力者の観察結果!=文献5)」と、「“ダーウインの進化論”のように、人間を含む、生物の”構造と機能”の“造形”(=肉体)が、地球上で、次第に、“複雑化してきた”」という視点の、「間に」、「“自我”(=生命力)が、設計図に基づいて、地球上で、物質を、組織化する」という「“概念”(=“自我の仕事・作業の内容”)を構築する」ならば、

 

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「“科学と宗教”は、両方とも、“共通の原理”で、メカニズムを、明確にできる(=“宗教”は、無定見に、“信じるモノ”ではなく、理論的に、“理解するモノ”)」と考えられる。「“宗教のメカニズム”を、“明確にする”」ことと、「“この世”における、“信仰の自由”」は、「全くの、“別問題”である」ことに、「“気付くべき”」である。

 

「“科学と宗教”の、“共通の原理”を、理解する」ために、「多数の、“観測者群”の、“上下関係の階層”の“設定”」や、「“今現在・過去・未来”」の「違い」を、「“定義できる”」ことや、「“時間を、決定する立場と、感じる立場に分類する、“観測者群”の、”役割分担“を、“設定する”」ことなどの「オリジナルな、手法」が、「結果的に、本論の、“時間に関する、”階層的な、法則の開発”の、特徴である」とも「言える」わけである。

「REFERENCE」

文献1=「“ミンコフスキーの時空”と“光円錐”:インターネットのウィキペディアで検索」

文献2=「Toward an Analysis of Conscious Activity: 1. Evolution of Vigilance. A.Higashi  Medical Hypothesthes (1991)35,11-16. National Institute for Physiological Sciences, Okazaki 444, Japan」

文献3=「Toward an Analysis of Conscious Activity: 2. The Function of Sleep and Wakefulness. A.Higashi  Medical Hypotheshes (1991)35,11-16. National Institute for Physiological Sciences, Okazaki 444, Japan」

文献4=「Mind and Matter」= Erwin Schrödinger「精神と物質(=翻訳)」=「工作舎:中村量空訳」。

 

文献5=「HANDS OF LIGHT」=Barbara Ann Brennan「光の手(=翻訳書);河出書房新社」。

 

文献6=「“高橋真治”(=故人)の「“霊・太陽”(=Rei-taiyou)」=「インターネットで検索可能」。

 

文献7=「R.P.ファインマン(=物理学者)の、“光と物質の不思議な理論”;QED(=岩波書店)」

 

「END」

「2番目の論文原稿」:「TITLE」:『ファインマンの仮想実験から推定できる、自然界の多様な相互関係』=2017/04//24

「〇〇〇〇」「最初に、“図版を表示”する(=“本文の中”に、“図版の解説”がある)」

「Ⅱ部」=「“リチャード・P・ファインマンの仮想実験”から推定できる“自然界の多様な相互関係”(約40例を提示)」

画像の印刷の手順:ポインターを、図の上において、
右クリックから「画像の印刷」を選んで下さい。

「図1(R2-図1)」=「ファインマンの仮想実験例と、解説用の、モデルの仮想実験例との比較」

「図2(R2-図2)」=「ファインマンの仮想実験例に“潜在”している“5人の観測者”の“図解例”」

「図3(R2-図3)」=「ファインマンの仮想実験例を、左半分と右半分に、分割した比較例」

「図4(R2-図4)」=「仮想実験の“左側半分”における、2人の観測者の、観測の実例」

「図5(R2-図5)」=「仮想実験の“右側半分”における、2人の観測者の、観測の実例」

「図6(R2-図6)」=「仮想実験の、“鏡面上の反射ポイント”で観測する、“2人の特別な観測者”の存在」

「図7(R2-図7)」=「“鏡面上”における“観測者の、特別なケース”(=逆立ち観測者)の図解と“2種類の合成ベクトル”〔=睡眠化・ベクトル&覚醒化ベクトル〕の“モデルが生じるプロセスの解説”〔=“自我”の“潜在モデル”=“自我の基本単位”の確立〕

「図8(R2-図8)」=「【自我の潜在モデル】の『“活性化”によって、“遺伝子の自我”が形成される

“プロセスの図解”』」

「図9(R2-図9)」=「DNAの中の、“多数の遺伝子群”の中で、“特別の遺伝子”だけが、“選択的”に、“活性化されるメカニズム”」

「Ⅲ部」=「“あの世”の“中心”の、“霊太陽”から“湧き出す生命情報”」と「“心眼”で見る“超能力者で、物理学者の、バーバラ・A・ブレナン女史”(元・NASAのOB)の“観察結果”」と「“意識形成メカニズム”に関する“独創的な、理論的・モデル”の“対応”」

「図10(R2-図10)」=「“ベクトル自我”による、人間の“睡眠・覚醒”の相互関係の“量的な表現例”」&「“光自我”による砺起状態の自我”の“高度化のプロセス”の“量的な表示例”(=“超能力”の“進行プロセス”)」=「“瞑想”による“無の状態”の、“深化”のプロセスと、“自我の分身”が“誕生して、奇跡を起こす”場合の、メカニズム”の“量的な表示例”」&「両ケースの、“特徴”の、“比較例”」

「図11(R2-図11)」=「ファインマンの仮想実験の、“生物学的なモデル時計”(=“2人の観測者”

の“役割分担のモデル”」=「“1番目の論文”における、“時計の理論”の適用例の図解)」

「図12(R2-図12)」=「受精卵に、“個体の自我”の“観測者”(=人体の細胞群に“分化の指令”を出し、全細胞群を管理する、“総司令官”)が、出現する“場所”の図解」&「“個体の自我”と“細胞の自我”の相互関係を、明確にする、“発生学の、新表示法”(=“物質・肉体”とエネルギーフィールド・“霊(=目に見えない設計図)”の、“ダブル表示=二元論”)」&「“ミンコフスキーの宇宙観”と“ファインマンの宇宙観”の“今現在の時間”の“感覚の違い”」&「遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我、個体の自我の、相互関係」&「ブレナン女史の、“7階層の宇宙エネルギー・フィールド”(=7階層の“霊的な状態”の“違い”)の観察例を、7階層の“空間量子”による“系列に変更・改造”した、“本論の、階層例”」

「図13(R2-図13)」=「ブレナン女史の、“7階層の宇宙エネルギー・フィールド”(=7階層の“霊的な状態”の“違い”)」は、「本論の、“ベクトル自我”と“光自我”の“2系列”によって、“全域が、説明可能である”ことの“図解例”」&「“発達・成長”した“個体の自我”のレベルと、結合する、“情報や性格・五感・本能”のレベルに関する、“アカシック・レコード”の“存在”(=7階層の、“情報密度”や“人間の品格”の“レベルの存在”)」&「“自我のレベル”と“情報のレベル”の、“結合”による“意識”の、“質のレベルの形成”と“心”の、“質のレベルの形成”」

「図14(R2-図14)」=「ブレナン女史の、“7階層の宇宙エネルギーフィールド”から、“人間のエネルギーフィールド”(=“オーラ”)が、“形成されるメカニズム”は、“サイクロイドの、等時現象”の“原理”(=引力のある、地球上では、“最速降下曲線”と呼ばれる)&「“サイクロイドが最速降下曲線である”ことの“物理学的な説明”は、“ファインマンの光の実験と同じタイプ”=“カーブの曲がりを変更する”たびに、“ボールを転がして、落下”させ、逐一、“底部に到達するまでの経過時間”を、“ストップウォッチで測る方法”で、“経過時間の最小値を、探し出す”という、物理学の“力学版”(=“ファインマンのケース”は、“同じ手法”の、“光学版”に過ぎない)」わけである。「結局、サイクロイドの特徴は、ブレナン女史の、“宇宙エネルギーフィールド”を構成する、“神の光”の“移動原理”である」という“結論”が得られる。

「図15(R2-図15)」=「ブレナン女史の、“7階層のエネルギーフィールド”と“オーラ”と“チャクラ”の相互関係」&「ブレナン女史の、“宇宙エネルギーフィールド”の“相互関係”を、“人間の完成された肉体”ではなく、“1個の受精卵の発生過程”(=細胞群の“分裂と分化”の“段階”に“適用する場合の特徴”)」

 

「Ⅳ部」=「“暗黒物質”(宇宙物理学者)と“神の光”(超能力者)は“同一の量子”?」

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「図16(R2-図16)」=「ブレナン女史の、“7階層の宇宙エネルギーフィールド”の“境界層”(=第Ⅳ層=星気層=“この世”と“あの世”の“ブリッジ”を“形成している層”において、“神の光”の“性質の、逆転現象”が生じる場合の、“黒い光”(=暗黒)から“7色の光”への“逆転現象”(=“鋳型の図形情報”と“成形された図形情報”)の、“相互関係のメカニズム”の図解)」

図17(R2-図17)」=「ファインマンの仮想実験系」と「ブレナン女史の、“オーラのエネルギーフィールド”の“形成原理”の、“物理学的な類似性”」

「図18(R2-図18)」=「超能力の発生メカニズムは、発生学の細胞分裂の原理(=ただし、霊体側)であり、物理学の素粒子による、透視現象とは、全く無関係である」=「“個体の自我”と“細胞の自我”の“階層的な違い”を、“観測者で表現する、”物質とエネルギーフィールド(=霊)“の二元論”で、“解析”」しければ、「“記憶・学習・想起”の問題は、“西欧の科学の価値観では、永久に解決しない”ことの“具体例を示した図解例”(=“分子科学に基づく脳科学”では、アルツハイマーなどの“痴呆症”には、“原理的に対処できない、決定的な理由”の図解=“細胞分裂前”の、“過去の細胞の理解”が不可欠)である。というのは、「“細胞の自我”には、“霊的な人格”が、存在する!)”という理解が、“二元論の必要性の根拠”に成る」からである。=「物理学者の、“過去・現在・未来”(=“主体側の体験的な感覚”)に関する、“基本的な問題”(=”勘違い“)が、”根底にある“」ことの”証明“(=図解)でもある。

「〇〇〇〇論文原稿―2(本文)」

「●」:「どういう内容か?」

「自然界の多様な相互関係の、≪約40種類の相互関係≫」について、「“箇条書き”で、“項目”を示し、かつ、“ポイント解説”」を試みてある。「この、≪約40種類の相互関係≫が、常識的に、直感的に、“イメージ可能”な“状況を造らない”」と、「“意識や、自我”の“構造と機能”に関する、“神秘現象”の因果関係を、“量的な表現”で解析した、“各論のメカニズム”を、理解できない」であろう。

 

つまり、「“西欧の科学の価値観”に“存在しない”(=“意識の活動”は、“無視する”ことで、成り立つ“自然科学の哲学”である)、“全体的な概念”や“専門用語”を、造る」ことから「“始めている”」からである。「“今風”にいえば、“イノベーション”ではなく、“レボルーション”の“タイプ”」であろう。

 

「約100枚の図版を描いて、約30本の“論文の筋書き”に相当する“個人的なブログ”が、既に、“公開(=連載)されている”」のであるが、「現状では、“オリジナルな新概念”の“説明が、不十分”」のようである。「国立研究所の、65歳の定年後に、“超能力者(=兼、物理学者)の書いた本”に遭遇(=九大卒の医師の紹介)して、エンジン全開に成り、既に、ブログに連載の形式で、完結している」わけである。

1

しかし、「“オリジナルな新概念”の構築には、“1人舞台で、独断で、かつ、整合性を持つ、”生命“(=自我や意識)に関する、”統一理論“の”構築が、先決“」であり、「完成した、”統一理論“は、今後、物理学や、生物・医学の各方面に、”二元論の立場“から、大きな影響を与える」と思われるが、「人前で、発表して、”他人の見解“を”聞いたことがない“」という「”段階“」である。

 

「若い研究者が、“各論のメカニズムの論文”を、“国際的な科学誌”に、“投稿・掲載する”ことを、“期待している”」わけである。「“老兵”は、“新概念と筋書き”を“構築するだけ”で、“終わり”」という「“実感”がある」ので、「今後の、論文化の作業は、難しい状況」にある。そこで、「最低限、“ブログの内容を、理解できる程度”に、“オリジナルな新概念”だけを、“集中的に、解説する”」ことを試みた。「”二元論の立場“からの、”統一理論“」なので、「“生物・医学”の“物質科学や遺伝子工学”においても、“実験の成果を、予測できる可能性”が、“感じられる”」はずである。

「●」:「本論の、“解説用の18枚の図版”」は、「“本文”とは、“別に、添付”」してある。

「注」;【“18枚の図版”は、“本文中”に、“図版が挿入される”べき、“位置”が、“示してある”】=「“本論分”は、“図版の説明が、主な内容”であり、それぞれの図版について、常識とは異なる説明のために、解説が長くなる傾向がある」ので、「“本文”の途中に、図版を挿入すると、図版を見ながら、解説を理解することが、極めて、難しい」と思われる。かくして、「本来は、“TVの映像の解説”のような、“聴覚と視覚の両方”や、“動画の使用”などによる、“解説法・理解法”が“必要”」であるが、「今回は、“図版”と“本文”を、“別”にして、常時、図版を見ながら、“文章(=解説)の意味”を、“深読み”」してもらいたい。

 

「“深読み”の必要性は、“二元論”の場合、常時、“物質と霊体(=目に見えない設計図)”と、“それぞれの階層の違い”の、“複数の主語と、複数の文章”が、“重なっている”」からである。「“イメージの中”で、“複数の因果関係”を、“直感的に、分離して、理解する”ためには、“訓練が、必要”」なのである。従って、「“本文の最後(=または、最初)”に、“図版だけを、まとめて、添付しておく”」ことにした。

「●」=【項目】

「INTRODUCTION」

「ABSTRACT」

「METHOD」

「THE MAIN SUBJECT」

「COCLUTION」

「DISCUTTION」

「REFERENCE」

「●●」=「本文・開始(2番目の論文原)」

INTRODUCTION

通常の科学論文であれば、本論を展開する前に、本論の専門領域に関係した、過去の科学論文についての、要約や引用を行うのが、「前書き」の通例である。しかし、本論の場合には、先行する科学論文が皆無であり、専門用語についても、辞書やインターネットの検索を実行しても、解説された用語は皆無である。つまり、西欧の科学技術において、扱わない領域の論文なので、西欧に存在しない概念の構築や専門用語の定義から、始める必要がある。

 

5

そして、「論文を書く目的」は、「超能力を含む、生命科学理論の構築」であるから、「著名な超能力者や宗教哲学者の名言や伝聞を引用」しても、役に立たない。ともかく、「オリジナルの科学に関する新概念や、新しく定義された専門用語」を、「前もって示さない限り、統一的で整合的な理論を説明する」ことは難しい。

 

しかし、それでも、「“無の状態”」から、「新概念や新しい専門用語」を使用して、「新しい科学理論の、因果関係の筋書きを展開するだけ」では、「読者の道しるべが、ない」ことを意味する。従って、「既存の2冊の単行本」を引用しながら、それぞれの、「本が書かれた目的とは、“異なる筋書き”の解釈」を、「並行して、展開する」ことにする。

 

まず、「指摘しておきたい」ことは、「超能力の存在を実証するアプローチの研究」や「超能力の基本原理を、物理学の成果に求める手法」は、「完全な邪道である」ということである。「前者は、超能力の誘発する超常現象に対する、見世物としての、大衆的興味(=娯楽)の探索(=本物か偽物か?)を、目的にしており、超能力のメカニズムの、学術的な探求が、目的ではない」からである。

 

一方、「超能力の基本原理を、物理学の成果に求める手法」は、「西欧の価値観では、全ての学問の基礎が、物理学である」と考えられているので、「邪道という評価には、疑問を感じる人が多い」かも知れない。しかし、「超能力は、意識活動の、特別の状態」であり、「超能力に限らず、普通の生命科学においても、意識活動についての研究は、西欧の学問では皆無」であり、「むしろ、科学の基礎哲学として、意識は存在しない」という「前提で、生命科学(=分子生物学)は、行われている」わけである。

 

その意味で、「物理学の、観測と分析」について、「致命的な欠陥を、端的に、示している」のが、「下記のファインマンの本」である。「この本では、具体的な事実に即して、物理学者の欠陥を、図解して、解説できる」わけである。しかも、「この本に描いてある図形をそのまま引用して、物理学者の欠陥に、オリジナルの手法で、補完的な説明を加える」と、逆に、「自然界のすべての難問を解決できるアイデアを、宝の山のように、備えている」ことを、「具体的に示せる」からである。しかも、「下記の、ファインマンの本」は、「一般の主婦が翻訳した、極めて分かり易い内容」である。

 

従って、「既存の本の1番目」は、「リチャード・P・ファインマンの、The Strange Theory of Light Matter=QED(=日本語への翻訳本では、光と物質の不思議な理論:私の量子電磁力学;岩波書店)」である。

 

6

「QED」については、「物理学者にとって、光と物質の不思議な理論(=タイトル)」であるが、「本論」では、「光(=神の光)と物質の明確な理論(=新タイトル)」に「換わる」と考えればよい。つまり、「不思議な部分は、物理学者の、観測者の状況(=主体側の状態)を“考慮しない”こと、つまり、“手抜きの解説”から生じている」ことを、「本論では、克明に、図解してある」わけである。

 

「既存の本の2番目」は、「バーバラ・アン・ブレナン女史の、HANDS OF LIGHT(=日本語への翻訳本は、光の手;河出書房新社)」である。「ブレナン女史の、光の手」は、「超能力の入門書」であるが、「超能力者だけに見える、不思議な自然現象の観察結果が、数多く、記述されている」ことに特色がある。

 

例えば、「“神の光”の存在や、“神の光”が湧き出す“源泉”(=霊太陽)から、“生命の情報”が宇宙に向けて、放出されていることの観察は、厳密であり、その状況を、宇宙エネルギーフィールドと、オーラやチャクラに関する“筋書き”にまとめてある」のは、「自然界の絶対的な倫理を示しており、現代の生物・医学者が、心底、学ぶべき、最良の観察結果」のように感じられる。

 

「彼女の入門書の特徴は、宇宙を含む、自然界の本質を観察しながら、超能力を身に付ける技法を、自分の経験に基づいて、体系的に、教育する」ことを、「目的として書かれている」ことである。つまり、「“この世”と“あの世”を含む、“自然界の法則”の“真実を知る”」ことによって、「その法則に、自ら、適応させる」という「技法(=訓練・修行)」のように思われる。

 

「ブレナン女史は、自ら、超能力を、多彩な局面で、発揮できる」し、「自ら、超能力者の養成学校を、開設している(=フロリダ)」ようで、「普通の学生を、彼女の訓練法によって、具体的に、超能力者に養成している」のであるが、一方で、「著書の中で、超能力の理論が、過去の物理学の中に存在しない」と書いてある。つまり、「職人として、超能力を実現する、特殊技術は、体得している」が、「職人の特殊技術を、学術的に、物理学では説明できない」ことを「明確に述べている」わけである。

 

そこで、「私は、超能力を、自分で、体得したいという願望は、全く無かった」けれども、「超能力は、意識の特殊状態であり、特殊な状態を、自ら、訓練によって、創り上げる結果として現れる、特殊な現象である」という具合に理解していた。そして、むしろ、「意識活動は、人間の、普通の生命活動の基本である」にも拘らず、「西欧の科学では、意識の存在さへも、無視している」ことを不思議に感じていた。

7

従って、「生命科学を志す以上は、意識を、科学的な対象に加えて、具体化することを、目標にしていた」ので、「まずは、正常な状態の意識活動と、特殊な、励起状態の意識活動を、区別して、理論化する」ことを考えていた。

 

加えて、「意識活動は、物質の変化のように、見えない現象」であるから、「科学として、定量性を有して、理論化するには、西欧の科学の価値観に存在しない、オリジナルな新概念を、構築する必要がある」と考えていた。

 

たまたま、偶然に、「医学系に研究職を得た結果、睡眠研究の一部を担当する機会を得た」のであるが、「そこで初めて、生命とは、まず、“個体の自我”であり、個体の自我と、自らの“体験した情報”が、結合して、意識が誕生する」というような、「直感を得る」ことができた。つまり、「表向きの共同研究では、脳波の計測により、睡眠の深さの測定」に専念していたのであるが、「内心では、常に、睡眠と覚醒の、相互に、逆行する力から、自我が形成されるメカニズム」を、「夢想(=模索)していた」わけである。

 

加えて、「高校の数学で学習する、ベクトル(=矢印)が、エネルギーである」という「考え方に、最初から、特別の関心」を持っており、「実際には、何のエネルギーであり、どういう局面で、出現するのか?」について、「常に、疑問を持ち続けており、種々の、時計のメカニズムを、試行錯誤する状況」が「続いていた」わけである。「この思考錯誤の結果の1つ」として、「考えたアイデアが、時計の文字盤と複数の目盛の相互関係」であり、さらに、「階層的に異なる、2人の観測者の、役割分担のモデル」であり、「一応、ベクトルは、階層的に、上位側の観測者の、意志のエネルギーである」という「直感を、得ていた」わけである。

 

さらに、「発生学で、1個の受精卵が、2個、4個、・・と分裂して、最終的に、数兆個の細胞集団に成り、人間の姿・形(=全体像)を創り上げる」ためには、「まず、細胞が、増えるモデルを造る」こと、並びに、「細胞の数が増える」場合には、「それぞれの細胞自身は、過去・現在・未来のプロセスを辿る」けれども、「相互関係はどうなるのか?」という問題と、「絶えず、細胞の数が増え、それぞれの細胞が、遺伝子の活性化の違いによって、細胞の形態や機能が異なる」のであるが、「これらの、細胞群の多様で複雑な分化という現象を、全部、管理している存在は、何であるのか?」を、「考え続けていた」わけである。「この疑問が、私にとっては、生命とは何か?」という「設問と、同質の疑問」であった。

 

そして、「上記の根本的な疑問を解決し、かつ、超能力の領域まで展開できるアイデア」が「時計のモデル(=1個の文字盤と複数の目盛)」であり、「文字盤の大きさや目盛の大き

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さ」に対して、「“空間量子”という概念と、専門用語の定義」を造り出した。この時の、「“空間量子”の定義」は、「“内側”と“外側”を“区別できる”、『境界』の“存在するモノ”」という意味(=“肉体”と“霊体”の“両方に、適用”)であるが、「そのように発想した、最初の動機は、次に示すような、睡眠と覚醒の理解」からであった。

 

「睡眠の実験を行うように成って、やっと、“人間の皮膚”の『境界』を基準にして、内向きに働く力が、睡眠力」であり、逆に、「外向きに働く力が、覚醒力」であり、「相互に逆向きの、拮抗する力の“差”が、第3の合成ベクトルが生じて、“その大きさ”が、“個体の自我”の“大きさ”」に相当し、「“個体の自我”の“方向”と“大きさ”が、具体的な、睡眠現象や覚醒現象の違いとして、“顕在化”している」のであり、「これらのセットの力は、いずれも、合成ベクトルで表現できる」という「直感的な仮説が,閃いた」わけである。

 

「この閃き」は、「上記のように、高校の数学のベクトルに関する考察」や、「発生学の、細胞が増えるモデルの作成」や、「発生学において、細胞群に、分化の指示を与える一方で、全部の細胞群を、管理している、実体が、“個体の自我”である」ことを「明確にしたい」という、「複合した疑問から、得られた結論」なのである。

 

ただ、「“個体の自我”は、抹消の細胞に生じて、中枢まで、ベクトル合成される」はずであるが、「例えば、細胞や遺伝子において、自我が、自然科学的に、形成されるメカニズムが、不明である」ことと、「もう1つは、数兆個の細胞集団が、管理されて、最終的な人体の姿・形(=全体像)を、創り上げるメカニズム」に関しては、「独自のアイデアが、なかった」わけである。さらに、「“個体の自我”が“体験情報”と結合して、意識に換わる」ということも、「具体的な根拠は、曖昧であった」けれども、「漠然と、これらの本質的な疑問は、宇宙の外側から、生命に関する情報が、もたらされる」というような「予感があった」だけである。

 

そこに、「超能力者だけに見える観察結果の情報が、観察・記録の本によって、もたらされた」わけである。しかも、「これまでの自分の疑問に、ストレートに応える内容であった」わけである。

 

かくして、「いわゆる、ベクトルは、上位側の観測者の“意志のエネルギー”である」、「人体は、内側と外側の“境界”を持つ、“空間量子”で表現できる“階層”である」、「発生学において、人体の“細胞群を管理している”のは、“個体の自我”である」などの、「局部的な構造と機能のイメージは、断片的に、完成していた」けれども、「完成品である、人体

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の姿・形(=全体像)である、いわゆる、“人間の全体像の設計図”が、何所にあるのか?」は、「未解決の疑問」であった。

 

ところが、「2人の超能力者によって、“人体の全体像の設計図”が、“エネルギーフィールド”や“霊体”という、普通の人には、目に見えない形式で、具体的に存在する」ことが「示されていた」わけである。しかも、「ブレナン女史の、霊太陽から放射される、7階層の宇宙エネルギーフィールド」の中に、「“生命体の設計図”が含まれており、人体の姿・形の全体像は、宇宙の“あの世”から、提供されている」ことを知って、「長年の疑問が、氷解した」わけである。

 

従って、「人体の設計図は、“神の光”で描かれた成果である」こと、「見えない、“設計図の全体像”のことを、一般的には、“霊体”と呼んでいる」こと、つまり、「人体の全体像の設計図は“霊体の構造”」に対応すると考えた。一方で、「“霊体の機能”は、個体の自我の機能であり、“個体の自我”は、“神の光を量子化”して、“可視化”する“工夫”(=単位ベクトルと、共存する“神の光”)によって、睡眠力と覚醒力から構成される、“自我の潜在モデル”を導き出した」ことで、「遺伝子の自我の、具体像から、人体に1つの、個体の自我まで、“ベクトル合成される”、いわゆる、“個体の自我”の“形成メカニズム”」を「明確にした」わけである。

 

かくして、「私の場合は、超能力者によって示された、“完成品”(=人体の全体像)を、自分が作成した“部品”(=局部的な、霊体の、構造と機能)から、組み立てる」だけであった。

 

加えて、「ブレナン女史の、宇宙エネルギーフィールドは、7階層に分かれており、“この世”と“あの世”の“境界層”が存在する」ことが示されており、「“境界層”を境にして、“神の光”が描く、図形情報の“性質が、逆転する状況”の観察結果」が示されていた。このように、「“境界層”が存在し、“境界層”の反対側で、性質が逆転する現象は、私の持論である、睡眠と覚醒の現象と同じ」であり、「観測者の、観測の仕方に対応する」という「主体側の、観測者の視点に間違いない」と確信した。

 

従って、「私のオリジナルは、いわば、製品を完成させるための、部品の開発」であり、具体的には、「“個体の自我”の“形成メカニズム”と、“意識(=霊体)の構造と機能”を、図解によって、示せる」ことである。ところが、「このことが、西欧の科学で解決できない難問」なのである。従って、「部品の製造方法や、組み合わせ方の特徴などの、オリジナルな新概念」を、「西欧の科学者に、特に、物理学者に、説明・納得させる必要が出てくる」

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わけである。

 

そういうわけで、「私の場合は、ブレナン女史の、“神の光”の観察結果を中心にして、超能力の問題」だけでなく、「“自我や意識”に関する、一般的な、生命科学の、“統一的な科学理論”の構築を試みた」わけである。従って、「多方面からの建設的な批判」を歓迎している。

 

「具体的な学術論文」は、「上記のオリジナルな新概念をベース」にして、「各論ごとに、将来、有志が議論を重ね、最終的には、国際的な科学技術雑誌に、投稿されるべき」であろう。「オリジナルな新概念さえ理解できれば、各論の筋書きは、既に、100枚の手書きの図版を用いて、3本のブログに連載してある(=30本程度の論文に成る)ので、本人の知見を加えながら、学術発表を試みるべき」であろう。

 

「西欧の科学の価値観に存在しない概念である」から、「西欧の科学者の方が、その独創性に機敏に反応する」と考えられる。「新領域の科学の展開に関心があり、オリジナルの概念に、価値を見出した人」には、「上記の、ブログのアドレスを紹介する」予定である。

 

「後期高齢者の不在後でも、若い研究者が、独自に、新展開のチャレンジが期待できる」はずである。何しろ、「国立生理学研究所を定年後に、アパートで、1人で開発した理論である」から、「発表の機会もなく、世間の誰も、その内容を知らない」わけである。「オリンピックまでに、国際的な科学誌に、組織的に、多数の論文を共同発表して、10人程度の、科学的な金メダリストの誕生を、目指すべき」である。

 

まずは、「新領域の科学の、オリジナルな概念だけの、前置きの要約」を、箇条書きで、示しておく。「本論」では、「20枚程度の図解によって、系統的に解説」してある。「最後(=DISCUTTION)」に、「具体的に、将来、論文化できる内容を、論文のタイトル別に、直感的に理解できる」ように、「参考のために、示してある」ことを付け加えておこう。「ブログには、統一性と整合性を中心課題にして、上記の論文内容に相当する筋書きは、100枚の図版によって、解説されている」わけである。

 

ただ、最後に、「付け加えておきたい」のは、「全く新しい概念の構築は、個人的な、理由のわからない、予見に基づく、直感によって、複合した条件から、生まれる」ので、「1人舞台の芝居と独断が基本」であり、「最初から、共同研究で、実現する状況とは、基本的に、性質が異なる」ような「気がする」ことである。しかし、「一応は、超能力者である、ブレナン女史の、観察の結果が示されている」ので、「長年の基礎的な部分的な仮説が、全体像

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を、矛盾なく、構築できた」ように、「感じている」わけである。「今後は、常識人の立場からの、共同研究の段階に、到達している」という「感じがしている」わけである。

「ABSTRACT」

「オリジナルな、新概念」の「相互関係(=以下の40項目)」=「“相互関係のイメージ”が“即座に浮かぶ人”は、多分、皆無であろう?」=「1番目と2番目の、両方の論文原稿が、理解・可能に成らないと、各論のメカニズムの解説を、理解できない」というわけである。

=01=(物理学と生物学)

= 02=(生命と個体の自我)

=03=(人工知能と脳科学)

=04=(主体の感覚と過去・現在・未来)

=05=(個体の自我と細胞の自我)

=06=(生命科学と超能力)

=07=(心霊治療と意識活動)

=08=(意識の構造と機能)

=09=(見えない情報と可視化されたベクトル情報)

=10=(神の光が湧き出す源泉と霊太陽)

=11=(能動的な霊体と受動的な肉体)

=12=(宇宙エネルギーフィールドと人間エネルギーフィールド)

=13=(神の光の源泉である霊太陽とあの世)

=14=(物理学のエネルギーと超能力のエネルギーフィールド)

=15=(見えない霊体と可視化されたベクトル型の霊体)

=16=(霊体と空間量子)

=17=(時計のモデルと単位ベクトル)

=18=(単位ベクトルと意志のエネルギー)

=19=(時刻を決定する観測者と時間を感じる観測者)

=20=(見えない神の光とベクトル化された神の光)

=21=(物理学の今現在と生物学の今現在)

= 22=(睡眠・覚醒と個体の自我)

=23=(第3の合成ベクトルである個体の自我と睡眠・覚醒)

=24=(遺伝子の自我と自我の潜在モデル)

=25=(ファインマンの仮想実験と物理学的な観測者の実態)

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=26=(超能力が発生する初期段階と個体の自我の潜在)

=27=(通常のベクトル自我と超能力の光自我)

=28=(物理学的な物質と生命化された物質)

=29=(ブレナン女史の7階層の宇宙エネルギーと本論の7階層の空間量子)

=30=(この世とあの世の境界層と光のグレイディアント)

=31=(あの世の鋳型情報とこの世の7色の成形情報)

=32=(この世に向かう力とあの世に向かう力)

=33=(睡眠と覚醒)

=34=(あの世の霊情報とこの世の霊情報)

=35=(引き合う万有引力と反発するダークエネルギー)

=36=(睡眠・覚醒と万有引力・ダークエネルギー)

=37=(睡眠・覚醒と鋳型情報・成形情報)

=38=(あの世の黒い光とこの世の7色の光)

=39=(暗黒物質と神の光)

=40=(物質を湧き出させるこの世の中心と生命情報を湧き出させるあの世の中心)

「METHOD」&「ABSTRACT」

「オリジナルな新概念」の「ポイント解説」

=01=(物理学と生物学)

哲学的な、「主体―客体」の関係とは、「観測者Aが、対象物Xを、観測・分析する」場合に、「対象物X(=客体側)の、性質や運動を、観測・分析を行う」ことが、「物理学の特徴である」という意味である。そして、「観測者Bや観測者C」が、「対象物X(=客体側)の、性質や運動の、観測・分析を行う」場合でも、「同じ結果が得られる」ことを、「客観的である」と見なし、「観測者A~観測者Cの、主体の側の性質や個性を、導入させない」ことが、「物理学の基本哲学」に成っている。その意味で、「現代の主流である生命科学は、分子生物学であり、物理学の一部である」から、「分子生物学で、生命(=主体側)とは何か?」という「設問に、応えを出すのは、難しい(=矛盾している)」わけである。

 

= 02=(生命と個体の自我)

従って、「主体の側、つまり、観測者A~観測者Cの、主体の側の性質や特徴の、観測・分析を行う」ことが、「生物学である」という具合に、「区別すべき」であり、「このように定義する」ならば、「生命(=主体=自分)とは、“個体の自我”であり、“意識”である」という、「明快な解答が得られる」わけである。ここで、「“個体の自我”と、“情報”が結合した状態が、“意識”」であり、「結合する場所が、“心”」なのである。「“生命の情報”は、

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宇宙(=天)から伝達される」、「自我の成長は、地球上の人間の側の努力・修行で成長する」ので、「天からのアプローチと、個人からのアプローチが、合体・結合して、“意識や心”が形成される」わけである。

 

しかし、「観測者A~観測者Cの、主体の側の性質である、“個体の自我”や“意識”は、物質ではない」だけでなく、「普通の人間の、目に見えない」わけである。「人間の、目に見えない現象である」と、「定量的な、観測・分析を行うことができない」し、「客観的な成果が得られないために、西欧の科学の価値観」では、「科学の対象から、除外されている」わけである。

 

=03=(人工知能と脳科学)

一方で、「将棋の名人とコンピュータの人工知能との対局(=勝負)では、人工知能の方が、勝負に勝つケースが、増えている」し、「労働力は、人工知能を備えたロボットに、置き換えられる傾向が、増えてきている」わけである。そこで、「コンピュータの人工知能は、人間の意識活動による体験を、コンピュータのソフトで再構築して、さらに、学習する意識活動も、ソフトで、再構築する」ために、「著しく、進歩が速い」のであるが、「分子生物学に基づく“脳科学”では、“意識の存在”を、“無視”している」わけである。

 

つまり、「個体の体験(=経験)が、人体の、どの部分(=領域)に記録されているのか?」、「どのような形式で記録されているのか?」また、「時系列的に、記録されている体験情報の記録が、どのように編集されているのか?」、「過去の記録の内容を、誰が、どのように探索して、その体験情報を、今現在の自分に、運んでくるのか?」などが、「皆目、知られていない」ために、「いわゆる、記憶のメカニズムや、想起のメカニズムや、学習のメカニズムは、全く、未解決の難問題」なのである。従って、「アルツハイマーの痴呆を含めて、老人の痴呆・患者の治療法は、薬品を開発する、方法論も見つかっていない」のが現状である。

 

=04=(主体の感覚と過去・現在・未来)

「その原因は、今現在や過去・未来という概念は、主体側の“感覚”である」ために、「物理学では、基本的に、解決できない問題である」ことに「原因がある」ことを意味する。単純には、「主体の体験情報は、自分の過去に生じている」わけであり、しかも、「その体験情報は、過去に記録されている」ので、「主体(=自分)が、過去に、遡ったり、今現在に戻ったり、自分自身の時間経過を、“タイムトラベル”して、往来する必要が生じる」からである。従って、「最低限、まず、主体(=自分)が、“タイムトラベルできる原理”(=メカニズム)を、明確にする必要がある」わけである。

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=05=(個体の自我と細胞の自我)

一方で、「“個体の自我”(=自分)は、一生涯、“今現在”に、存在し続けている」わけだから、「もう1人の自我である、自分の“分身”(=構成要素の自分)が、過去にタイムトラベルする」ことを意味する。「“構成要素の自我”とは、“細胞の自我”」であり、「“個体の自我”は、多数の、“細胞の自我”から、構築される」ことを意味する。

 

「“個体の自我”の“形成(=合成)過程”と、多数の“細胞の自我”に“分解するプロセス”の、“ベクトル合成とベクトル分解”の、“両方の、システム”の理解」が、「“前提”となる」わけである。「特に、“過去の、細胞の自我”に注目すべき」なのである。

 

というのは、「“過去の細胞の自我”は、“死人ではない”」のであり、「単純に、“今現在”という時間から、“消滅している”だけ」で、「“個体の自我”の“今現在領域”の一部に、“細胞の自我”の“半数”が存在」し、「“細胞の自我”の、“半数”は、“個体の自我”の“今現在領域”の一部である、“細胞の自我の、過去の領域”に、“実在している”」からである。

 

つまり、「“個体の自我”は、“一生涯”、“今現在”の“空間量子”の“内側”に存在する」のであるが、「“細胞の自我”の“半数”は、“今現在の領域”で、“身体の一部を構成している”」けれども、「“細胞の自我”の“半数”は、“新しい細胞”に役割を譲って、なおかつ、“個体の自我”の、“今現在領域”の中で、“細胞の自我”の、“過去の領域”に、“実在している”(=“分裂前”の“細胞の自我”は、“死んでいない”!)」という意味である。

 

この視点は、「厳密に図解できる」わけで、「このメカニズムが、“西欧の価値観”では“理解できない”、キーワード」なのである。物理学者には、「主体の感覚である、過去・現在・未来の違いを理解できない」ことを強調するのは、まさしく、「“過去の細胞”に対する“見解の違い”」に、「直接に、“結びつく”」からである。「西欧の科学者が、最も感動する」のは、むしろ、この「“過去の細胞”の“自我”が、人格として、“実在する”」という視点であろう。「“過去の体験”は、“過去の細胞”の、“エネルギーフィールド”に、整然と、“記録・保存”されている」わけである。

 

=06=(生命科学と超能力)

一方で、「分子生物学の基づく生命科学との哲学とは、全く異なる哲学に基づいて、常識では不可能と思われる神秘現象を、具体的に引き起こすのが、超能力の分野」である。「異なる哲学とは、“意識活動の特徴”を、最大限に“活用する”」ことであるが、「“普通の状態”の“意識活動”ではない」のであり、「“励起された状態”の“意識活動”を、本人が、修

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業・訓練して、任意に、創り出している」わけである。そして、「“励起された意識状態”においては、不可能を可能にするような現象が、実現できる」ので、「常識人は、超常現象とか、神秘現象として、異常な興味を持つ」わけである。

 

そこで、「本人が、修業・訓練によって、任意に、特殊な意識状態を、創り出し、神秘現象を日常的に実現できる人のことを、“超能力者”と呼んでいる」わけである。ところが、「その能力は、“特殊能力”であり、一般的な、優秀な人の評価基準である、いわゆる、“IQの高い人”とは、“異なる能力”である」ことに特徴がある。

 

一般に、「現代社会の、指導的な立場にある、科学者や知識人に、超能力は、正当に評価されていない」だけでなく、むしろ、「常識人の人生を、欺き、社会の風紀を乱す、“詐欺師”である」という具合に、「見なす傾向が存在する」わけである。しかも、「超能力は、子供時代から、著しく現れる場合がある」ので、「死人の、霊体を見ることができる、人の死を予言できる」ような、「超能力を発揮する子供は、普通の常識人には、気味の悪い存在で、いじめの対象に成るケースも多い」わけである。

 

そして、「超能力者自身が、励起された意識状態を実現し、しかも、不可能を可能にするような超常現象とか、神秘現象を、自分では、修業の結果として、実現できる」のであるが、「その“意識活動のメカニズム”を、自分で、“説明できるのか”?」と言うと、「超能力者自身も、“説明できない”」わけで、「理屈のつかないことで、生計を立てる」と、「この世の常識では、“詐欺師”という、“不名誉な存在”に、甘んじなければならない」わけである。

 

=07=(心霊治療と意識活動)

そういうわけで、「医者に見放された患者の病気を、“自分の能力”(=“心霊治療”)で、完治できる」ので、「超能力が、正当な医療行為のメカニズムである」ことを、「理論的に示してくれることを、熱望している」のであるが、「“それが難しい”のは、正常な“西欧の医学”においても、“意識活動”の“具体的内容”が、“全く不明”」であり、「“研究の対象外”の存在として、“無視”されている」わけである。

 

=08=(意識の構造と機能)

かくして、「“意識の姿・形の構造”や、種々の神秘現象を引き起こす“機能”を、定量的に描き出す、最も、“最初の研究”(=過去に存在しない、フロンティアな、オリジナルの新概念の提示)」が、“普通の生物・医学の領域”においても、また、“超能力の領域”においても、必要・不可欠な“前提条件”に成る」わけである。「超能力の証明」という発想は、

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「自我や意識のメカニズムには、全く、言及しない」わけだから、「学問・研究とは無関係で、完全なショービジネスであり、邪道の極みで、社会の風紀を乱すだけ」である。

 

=09=(見えない情報と可視化されたベクトル情報)

そういうわけで、「最初のアプローチ」は、「ともかく、超能力者だけに見える現象」で、「科学者や知識人などの、普通の人には、見えない現象である」から、「まずは、超能力者による、不可解な現象に対する、観察結果の記録を“検証する”」ことから、「始めるべき」であろう。

 

そこで、「2人の超能力者の観察結果」について、「引用しておく」ことにする。「1人は、

日本の高橋真次(=故人)で、コンピュータのハードのエンジニア」であり、「もう1人は、米国のNASAの研究員の体験を持つ、米国の大学で、物理学を専攻した、バーバラ・アン・ブレナン女史」である。「この2人は、多分、“最高レベルの超能力者”で、“因果関係を重視する、科学者”」である。

 

=10=(神の光が湧き出す源泉と霊太陽)

「高橋真次は、彼の『講義録]の中で、あの世では、“神の光”を放出している、“霊太陽”が見える」と書いており、「他方、ブレナン女史は、『光の手』という著書」の中で、「あの世には、“神の光”を、永続的に、湧き出させている“源泉”が存在する」と書いている。「“この世”の人間が、“あの世”に行って、再び、“帰れるか”どうか?」は、「次の説明で、明確に成る」であろう。加えて、「個体の肉体」だけでなく、「“細胞”(=過去の細胞)についても、同様に考える」ことが、「肝心な、キーワード」なのである。というのは、「分裂によって、細胞の数は増える」けれども、「“消えた細胞”の物質的な“死体”は、“存在しない”」からである。「西欧の視点では、細胞分裂は、DNAの複製」であるから、「細胞の“物質部分は、分裂後の細胞”に、“均等に、遺産相続”される」と考えるからである。

=11=(能動的な霊体と受動的な肉体)

一方、「高橋真次は、人間は、“肉体と霊体”(=幽体)の“両方”が“混在した状態”」であり、「肉体と霊体の間は、“情報の帯”によって“連結”されている」、「この、“情報の帯”が、“切断された時”が、“肉体の死”」であり、「“肉体”から“独立した霊体”は、天界に上り、“霊体の品格”に応じて、“住み分け”をしている」と述べている。そして、「重要なこと」は、「人間は、肉体と霊体の両方が、混在した状態である」が、常に「“能動的”なのは、“霊体の方”であり、“肉体”は、“受動的な存在”である」ことを強調していることである。

 

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=12=(宇宙エネルギーフィールドと人間エネルギーフィールド)

他方、「ブレナン女史は、“神の光”は、その“源泉”から、地球に向けた距離の間」に、「7階層の、“宇宙エネルギーフィールド”の“情報の帯”が、形成されている」こと、そして、「地球上の人間の肉体の周囲(=空間=環境)には、7階層の“人間エネルギーフィールド”(=“オーラ”)が形成されている」と述べている。

 

さらに、「7階層の“人間エネルギーフィールド”(=オーラ)には、7階層の、“宇宙エネルギーフィールドの情報”が、“含まれている”」ことや、「7階層の人間エネルギーフィールド(=オーラ)の各階層には、7種類の“チャクラ”という、“神の光”の“情報を受信する目的”の、“受容器”が、皮膚の外側に、飛び出している」こと、さらに、「チャクラから肉体の中に、“取り込まれた、神の光”は、“肉体のそれぞれの部分”に、“厳密に対応”して、“到達している”」状況を、「“神の光”の、“色の違い”によって、ブレナン女史は、自分で、“区別できる”」と述べている。

 

そこで、「超能力者が、人間の病気を“治療できる”」のは、「ブレナン女史の場合、“自分の手の指先”から、“神の光”を任意に、放出させて、“患部に投射する”」ことで、「“治療している”」のであり、「『光の手』という、著書の『表題』は、「自分が、超能力者であり、超能力を習得すれば、患者の患部の特徴に応じた、任意の色の、“神の光”を放出できる、『自分の手』のことを、意味している」わけである。

 

=13=(神の光の源泉である霊太陽とあの世)

「2人の、理科系で、高学歴の、超能力者に“共通”している」ことは、「“神の光”の存在であり、その“源泉”が、“あの世”に“存在する”」という指摘である。しかも、「“神の光”は、高橋真次の表現では、“霊体”(=幽体)」であり、「ブレナン女史の表現では、“エネルギーフィールド”」と呼ばれている。しかし、「“共通している価値観”は、“生命に関する情報”を、“運ぶ存在”である」という内容である。端的には、「地球上の人間に関する“生命の情報”は、“あの世の源泉”から、永続的に湧き出す“神の光”によって、“運ばれている”」という内容である。

 

「このような発想が、“西欧の科学の価値観”(=哲学)に、“存在しない”」ことは明白であり、「“あの世”が、“科学の研究対象”に成ることは、ない」のであり、「“あの世”の研究は、“宗教の対象”」で、しかも、「“独立した、霊体”の存在も、東洋の仏教とは、見解が、相当に、“異なる”」ようである。

 

=14=(物理学のエネルギーと超能力のエネルギーフィールド)

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そこで、「注目すべき」は、「超能力者が、用いる、“霊体”(=幽体)や、“エネルギーフィールド”という用語は、基本的に、同じ内容」であり、「物理学の、質量とエネルギーの関係における、“エネルギー”とは、“全く、異なる概念”である」ことを、「明確にする」ことである。

 

「“神の光”は、普通の人には、目に見えない」わけであるから、「少なくとも、普通の人でも、“目に見える形式”に“置き換え”て、その“特徴の因果関係”を、“定量的に、分析する”ための“工夫をする”ことが、“先決”」である。

 

=15=(見えない霊体と可視化されたベクトル型の霊体)

従って、「その“工夫”として、歴史上に存在しない、“新しい概念の、オリジナル”が求められる」わけである。そして、「その、“オリジナル概念”を基本にして、超能力が表現できる、不可思議な現象の、“因果関係の全て”に、“整合性”があるのか、ないのか?」を、「確認して見る必要がある」わけである。つまり、「超能力者の主張が、自然界の真実であるのか、または、偽りの錯覚のごまかしであるのか?」を、「“断定する前”に、超能力者が実現している、膨大な具体的事実の内容を、逐一、“理論的に、検証”して見るべき」なのである。

 

=16=(霊体と空間量子)

そこで、「“オリジナルな概念”を、ベースにして、科学的な分析を行う」ためには、「従来の概念とは、異なる、“専門用語”の定義も、新しく、構築する必要がある」わけである。「本論の、“オリジナルの1番目”は、“目に見えない光の挙動”を、“可視化する工夫”」であり、「その方法は、“空間量子”の“外側”と“内側”に、“階層の異なる2人の、観測者”が存在する」という「発想」である。

 

つまり、まず、「“空間量子”の定義は、“内側”と“外側”を“区別できる境界”が存在する、“開閉が可能”な、“立方体”」という意味である。従って、「量子は、物理学で使用される、光量子のような、粒子と波の両方の性質を持つ、量子力学の、小さな粒子とは異なり、“空間量子”の“大きさ”には、“無限小”から“無限大”まで、“種々のサイズ”が、想定されている」わけである。

 

=17=(時計のモデルと単位ベクトル)

具体的には、「大小の、2種類の“空間量子”を想定」し、「大きい側の“空間量子”は、時計の“文字盤”の大きさ」と考え、「小さい側の“空間量子”は、時計の“目盛”の大きさ」と考え、「時計の“文字盤の上”には、“上位側で、能動的な観測者A”が存在して、“観

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測者A”の“意志”で、時計の針を“右回り”に、“廻す”(=自動的な回転ではない!)」ことによって、「時計の“目盛”である、小さい側の“空間量子”の“外側”に、時計の針の“針先”(=単位ベクトル)を、“刻印する”」ことを意味する。

 

=18=(単位ベクトルと意志のエネルギー)

この時、「時計の“目盛の内側”には、“下位側で受動的な観測者B”が存在して、“目盛”の“外側”に刻印された、時計の“針先の角度”(=単位ベクトル)を、“感じる”」という、「“時計のモデルのメカニズム”が、ベクトルという矢印の、大きさと角度の違いを持つ、エネルギー」と見なされる「根拠」であり、「“エネルギー”とは、“上位側で、能動的な、観測者A”の、“意志のエネルギー”に相当する」という具合に、「“ベクトルという数学的なメカニズム”を、具体的に、“想定した”」わけである。

 

=19=(時刻を決定する観測者と時間を感じる観測者)

「この仮説が、階層的に異なる、3人の観測者を繋ぐ、時計のモデル」という「“1番目の、オリジナル”として、既に、図解によって、説明してある」わけである。「このモデル」は、「“最大の観測者”や“最大の空間量子”」から、「“最小の観測者”や“最小の空間量子”」まで、「“連続的”に、相互関係が、“系統的”に、表現できる」ので、「“最小の目盛”(=空間量子)に、“最小の観測者Z”と、“神の光”が、含まれる」と、「“最小の観測者Z”は、“神の光”を“感じる”」、そして、「最小の観測者Zの、“上位側で、能動的な観測者Y”は、“最小の目盛”(=空間量子)の“外側”に、時計の“針先”(=単位ベクトル)を、“刻印する”」状況も、「想定できる」わけである。

 

=20=(見えない神の光とベクトル化された神の光)

つまり、「具体的には、目に見えない“神に光”を、“最小の目盛”(=空間量子)の“内側”に、“囲む”」ことで、「“最小の目盛”(=空間量子)の“外側”に、“単位ベクトル”を、“刻印する”」、つまり、「誰にでも見える、単位ベクトルの、矢印の大きさと角度で表現する」ことによって、「“神の光”の存在と“上位側の観測者Y”の“意志のエネルギーの刻印”の、“両方の存在”を、“可視化した”」わけである。つまり、「超能力者しか見えない、“神の光”の“挙動”を、誰でも見えるベクトルに“変換する”ことで、“神の光の挙動”を、“ベクトルの違いの並び”として、“神の光の挙動”の“因果関係”を、“ベクトル合成の公式”で、“数学的に、表す”ことができる」ように、「“工夫した”(=1番目の、“神の光を、可視化する”ための“工夫に関する、オリジナル”)」わけである。

=21=(物理学の今現在と生物学の今現在)

ただ、「普通の人は、1番目のオリジナルを工夫する意味が、単独の論文だけでは、イメー

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ジできない」ようである。そこで、「時間に関する“感覚”である、“過去・現在・未来”という概念は、“主体の側の感覚”であり、物理学のような“客体側の記述では、表現できない”」ことを、「“今現在”とは、“瞬間”か、もしくは、“一生涯の寿命”であるのか?」という、「“今現在”の時間の、長さの違い」について、「注目すべきである」ことを、「内容的に、峻別しておいた」わけである。つまり、「“主体の側”に立てば、“今現在”とは、“誕生の瞬間から死の時刻”まで、人間は、“一生涯、今現在だけを、感じ続けている”」のであるが、「物理学の立場に立てば、“今現在”は、“瞬間”である」と「見なしている」わけである。

 

「これらの“違いを、説明する”」ためには、「階層的に、上位側で、能動的な観測者Aが、自分の意志で、時計の針によって、時計の目盛の外側に、“刻印する”」ことと、「下位側で受動的な観測者Bが、目盛の外側に刻印された、時計の針先(=単位ベクトル)を、“感じる”」という、「“2人の観測者の違い”に対応して、“時刻を決定する立場”(=観測者A)と、“時間を感じる立場”(=観測者B)の、“役割分担の違い”」を、「時計のモデルにおいて、具体的に、図解してある」わけである。

 

= 22=(睡眠・覚醒と個体の自我)

次いで、「“2番目のオリジナル”は、“個体の自我”の“大きさ”を、“ベクトル合成”によって、“定量的に、表現できる手法”を、“提案している”」わけである。通常では、「“個体の自我”という用語は、心理学の用語である」が、「私のオリジナルでは、“相互に逆向きの、睡眠力と覚醒力が、共存して、人体の内側と外側の境界である皮膚面”に、“影響を及ぼしている”」ことを想定した。つまり、「“皮膚面”に対して、“外側から内側に働く力は、睡眠力”」であり、逆に、「“皮膚面に対して、内側から外向きに働く力は、覚醒力”」であり、「“両方とも、意志のエネルギー”で、“合成ベクトルの大きさ”で表される」ことを「想定した」わけである。

 

=23=(第3の合成ベクトルである個体の自我と睡眠・覚醒)

そして、「“睡眠力の合成ベクトル”が、“覚醒力の合成ベクトル”よりも、“大きい場合”は、両者が加算された、“第3の合成ベクトルは、睡眠状態”を示す」と考え、逆に、「“覚醒力の合成ベクトル”が“大きい場合”は、“第3の合成ベクトルは、覚醒状態”を示す」という具合に、「“睡眠と覚醒の力”の“差”から、“第3の合成ベクトル”として、“個体の自我”の、“状態と大きさ”が“決定される”」という、「“個体の自我”の、“形成メカニズム”を想定した」わけである。

 

=24=(遺伝子の自我と自我の潜在モデル)

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そして、「人体に1個の、“個体の自我”の“合成ベクトル”は、“抹消側の最小単位の、自我”から、“中枢側の階層に、加算”されてきて、最後に、“個体の自我”が形成される」という、「“個体の自我”の“形成システム”を想定した」わけである。そのためには、「遺伝子の自我、細胞の自我、組織の自我、臓器の自我、器官の自我が、“それぞれの階層的な領域で、形成”」され、「次第に、中枢側の階層である、“個体の自我”として、“ベクトル合成”が、“システムとして、実現されている”」という「“システム・メカニズム”」であり、「基本的には、“それぞれのレベル”で、“睡眠力と覚醒力”の、“2系一対の、相互に逆向き”の、“自我の潜在モデル”が、“形成される”」ことを「想定している」わけである。

 

=25=(ファインマンの仮想実験と物理学的な観測者の実態)

「これらの、“自我の潜在モデル”が形成されるプロセスを、ファインマンの仮想実験である、光源をスタートした光子が、鏡面で反射して、受光器にゴールするまでの、経過時間を、観測者が、ストップウォッチで測る」という、「ファインマンが描いた、局面の図解において、物理学者が、“主体の側の状況”を“無視する事実”」を、「“克明に指摘”しながら、本論の、“自我の潜在モデル”」が「“形成されるプロセス”を、“具体的に、示してある”」わけである。「このプロセスは、多分、最初の、しかも、興奮するほどの、理論的で、スキルフルな、“見せ場”」であろう。「ここまで、“徹底して図解する”」と、「物理学が、科学の基礎学問である」ことに、「プライドを感じている」ハズの、「物理学者は、多分、“絶句する”」であろう。

 

=26=(超能力が発生する初期段階と個体の自我の潜在)

さらに、「人体の抹消側から、階層的に、中枢側に向けて、睡眠力と覚醒力が、それぞれ、合成されて、“個体の自我”が形成される」という、「“合成ベクトルの表示”によって、“第3の、個体の自我の合成ベクトル”が生じる」というメカニズムなので、「相互に、逆行する2種類の合成ベクトルの大きさが、“等しい”」場合には、「第3の、“個体の自我”の、“第3の合成ベクトル”が“生じない”(=ゼロに成る)ケースが考えられる」わけである。「この状態が、超能力を誘発するための、“励起”された、”個体の自我“の、”初期段階“(=『超ゼロ』という言い方も、ベスト!)」である。

 

=27=(通常のベクトル自我と超能力の光自我)

「“第3の、個体の自我”の“合成ベクトル”が“生じない”(ゼロに成る)ケース」は、「“励起状態”の、“個体の自我”のモデル」と考え、「“第3の合成ベクトル”ではなく、“光自我”に“換わる”」のであり、「この“光自我の状態”が、“超能力を誘発する”」という具合に考えて、「正常な状態の、“ベクトル自我”と、“励起状態”(=超能力状態)の、“光自我”の“違い”を、“図解によって、区別”してある」わけである。従って、「“超能力の程

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度の違い”(=“超能力者の実力の違い”)も、“量的に記述・比較できる”」わけである。

 

=28=(物理学的な物質と生命化された物質)

そこで、「重要なことは、基本的な、“自我の潜在モデル”は、ブレナン女史の指摘する、“神の光”を、“可視化”した、“単位ベクトル”から“生じる”」ということである。つまり、「DNAを構成する、“塩基という物質”に、“神の光”が“供給される”(=チャクラを介して)」と、「物質に、“単位ベクトル”(=“意志のエネルギー”)が発生し、“一対の、逆向きの、合成ベクトル”が、“付与される”」ことが、「“物理学の物質”と、“生命が宿る物質”の、“本質的な違い”に成る」ということである。つ埋まり、「単なる物質と、生命体の違い」は、「物質に、(上位側の観測者の)、“意志のエネルギー”(=“単位ベクトル”)が“宿る”」ことであるという、「その違いを、明確にしている」わけである。

 

「これらの“考え方と表記法”が、私の、“2番目のオリジナル”」であり、「“1番目のオリジナル”と、“密接に、関係している”」わけである。

 

=29=(ブレナン女史の7階層の宇宙エネルギーと本論の7階層の空間量子)

「“3番目のオリジナル”」は、「ブレナン女史の、7階層の宇宙エネルギーフィールドを、7種類の“空間量子”の“大きさの系列”に、“置き換えた”」ことで、「それぞれの大きさの“空間量子”に、“相当する大きさの観測者”の“存在を具体化した”」ことである。つまり、「3階層の観測者を繋ぐ、時計の“文字盤”と“目盛”の“相互関係の法則”を、“7階層の宇宙エネルギーフィールドの構図”にも、“適用した”」ことである。

 

「7階層の宇宙エネルギーフィールドは、“源泉側”(=“あの世側”)の3種類の“空間量子”と、“地球に近い側”(=“この世側”)の3種類の“空間量子”の、“中間に存在する”、“Ⅳ番目の空間量子”で構成されている」のであるが、「“中間”に存在する、“Ⅳ番目の空間量子”は、“この世”と“あの世”の“境界層”で、“星気層”(=ブリッジ)」と呼ばれているわけである。

 

=30=(この世とあの世の境界層と光のグレイディアント)

一方で、「“この世”と“あの世”の“境界層”である、“Ⅳ番目の階層である星気層”(=ブリッジ)では、“この世側“の、“7色の光の世界”から、“あの世側“の、“黒色”の“闇の光の世界”に向けて、“明るさ”が、“急激に、減じていく現象”」が、「見られることが強調してある」わけである。

=31=(あの世の鋳型情報とこの世の7色の成形情報)

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「“Ⅳ番目の階層”である、“星気層”(=ブリッジ)に、“光のグレイでディアント”が見られる」ことは、「この世の、“7色の世界”と、あの世の、“暗黒の世界”の、“境界を造る層”」であり、「“境界層”を境にして、“逆転現象”が、見られる」ことが強調されている。「逆転現象」とは、「あの世にも、この世にも、両方とも、それぞれの“空間量子”の“内側”には、“人間の姿・形”の“全体像の図形”が、“描かれている”」けれども、「“あの世側の図形”は、“写真のネガ”のような“鋳型図形”であり、“この世側の図形”は、“写真のポジ”のような“成形図形”である」ことが「“強調されている”」わけである。

 

=32=(この世に向かう力とあの世に向かう力)

一方で、「“境界層”に対して、“あの世から、この世に向けた力”(=生命の設計図である霊体が、7色の光に満たされてこの世に伝達される=“肉体の誕生”」と「“この世から、あの世に向けた力”(=生命の設計図である霊体が、闇の世界である、あの世に、引きもどされる=“肉体・生命の死”)」という、「“相互に、逆向きの力”(=“設計図”である“霊体の移動方向”)が、“共存している”」ことを示している。

 

=33=(睡眠と覚醒)

「“人体の皮膚面”という、“境界面”に対して、“2方向の、相互に、逆向きの力”である、“合成ベクトル”が“生じるケース”」について、「“睡眠状態”と“覚醒状態”が生じる」という、「“自我の潜在モデル”」を、「既に、“提案していた”」わけである。

 

=34=(あの世の霊情報とこの世の霊情報)

同様に、「“この世”と“あの世”の“境界層”である“星気層”(=ブリッジ)」においても、「“この世”の“7色の光の世界”と、“あの世”の“暗闇の世界”に対する、“相互に、逆向きの力”(=霊体の移動方向)が“生じるケース”である」ことを意味する。そして、「“あの世”では、“鋳型情報”(=“写真のネガ”の霊・情報)が出現し、“この世”では、“7色の成形情報”(=“写真のポジ”の霊・情報)が“出現する”」わけである。

 

=35=(引き合う万有引力と反発するダークエネルギー)

「宇宙物理学の分野では、“質量のある物質”としては、“実証されていない”」ようであるけれども、「“暗黒物質”の存在」が、“確実視”されている。他方、「“ダークエネルギー”の“存在も確実視”されている」わけである。「“ダークエネルギー”というのは、“万有引力”のように、“2つの物体(=質量)が、相互に、引き合う力”である」のに対して、「逆の力、つまり、“2つの物体(=質量)が、相互に、反発する力”」のようであり、「“相互に、逆向きの力”は、宇宙では、“共存している”」のであり、「“万有引力(=引き合う力)が優勢”に成るのか?」、あるいは、「“ダークエネルギー(=引き離す力)が優勢”に成る

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のか?」は、「その“境界”に対して、“共存している力”の、“一方が、他方”よりも、“優勢に成る”」という具合に、「優勢な力の方が、顕在化する」と、「“理論化されている”」ようである。

 

=36=(睡眠・覚醒と万有引力・ダークエネルギー)

「宇宙物理学の“万有引力とダークエネルギー”が、“相互に逆向きの力”であり、しかも、“共存している力”であり、“境界”を基準にして、“優勢な力の方が出現する”」という「宇宙物理学の“見解”」は、「“人体の皮膚面”を“境界”にして、“睡眠力と覚醒力が共存”しており、“それぞれの力”は、“合成ベクトルという意志のエネルギーで表現”でき、“境界線”に対して、“優勢な力”が、“第3の自我の合成ベクトル”として“出現”し、“その結果”として、人体に、“睡眠現象と覚醒現象”が、“現れる”」という「“発想”に、“よく似ている”」わけである。

 

=37=(睡眠・覚醒と鋳型情報・成形情報)

さらに、「ブレナン女史による、“7階層のエネルギーフィールド”(=7階層の霊の中に存在する図形情報)も、“境界層の星気層”(=架け橋)を“基準”にして、“相互に逆向きの力”が“共存”し、“優勢な力”が“出現する”」という「“発想に類似している”」わけで、「“その力”を、“合成ベクトル”で“表現する”」と、結果として、「“この世”の“7色の光の世界”と、“あの世”の“暗黒の世界”に対する、“エネルギーフィールド”(=霊体である図形情報)が“出現する”」という、「“相互関係”(=“あの世の、鋳型情報”と“この世の7色の成形情報”の相互関係と、“同じメカニズムである”(=主体側の、観察者の状態の違い)」ように思われる。

 

=38=(あの世の黒い光とこの世の7色の光)

「ブレナン女史による、“鋳型情報”である、“写真のネガ”による“図形の表示方法”は、例えば、“神の光”が、“あの世”においては、“黒い光”として存在し、“図形の線”の“背景(=鋳型)を、黒塗りする”ことにより、“図形の輪郭・構造”を“明確にする”」というイメージで、「“鋳型情報”」と呼んでいるのであり、「“この世”においては、“7色光で、図形を直接に描く”ので、“鋳型を先に創る”のでは“なく”、“鋳型で成形”された“図形情報”という“イメージで表現している”」わけである。従って、「“神の光”は、“あの世”では、“黒の光”」であり、「“境界層”(=第Ⅳ層の星気層=ブリッジ)を超えて、“この世”に登場すると、“7色の光”に“換わる性質”を持つ」という具合にも、「“理解できる”」わけである。つまり、「重要なこと」は、「“神の光”は、“物理学の考える、微小な質量のある粒子”ではなく、“微小な、質量のない、空間量子”である」ということである。

 

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=39=(暗黒物質と神の光)

そこで、「物理学者の考える、“暗黒物質”が、“質量のない空間量子”である」と「“想定する”」ならば、「“超能力者”が、“あの世”に見ている、“神の光”の“源泉や霊太陽”という、“神の光”という、“生命情報”を、“外に向けて、永続的に湧き出し続けている源泉”は、“暗黒物質を湧き出させている源泉”にも“相当する”」こと、「つまり、“暗黒物質”は、“神の光”に“相当する可能性”」も「“考えられる”」わけである。

 

=40=(物質を湧き出させるこの世の中心と生命情報を湧き出させるあの世の中心)

すると、「結果的に、物理学者が、“この世”の“ビッグバンの形成”(=“物質”を湧き出させている“中心=源泉”)」と同様に、「“あの世”の、“ビッグバンの中心の存在”(=“生命情報”を湧き出させている“源泉=霊太陽”)に、“言及している可能性”も“考えられる”」わけである。つまり、「物理学で、“あの世”の“存在を、証明”しようとしている」とも考えられる。ともかく、「“最後の部分”」だけは、「宇宙物理学者も、“主体側”の“観測者の状況”も考慮し、また、“ブレナン女史の、エネルギーフィールドの観察結果”も考慮して、“新視点”である“生命科学の視点”(=“自我や意識”)から、“宇宙を、再解釈してもらいたい”」という「“私の、個人的な、願望”」である。

『図1(R2-図1)』

「THE MAIN SUBJECT」

「図1の、左側の、図(AA)は、ファインマンの本からの“引用図”」であり、「図(A)は“光源S”から、“2個の光子”が、スタートし、“鏡面で反射”して、“検出器P”に、到達する場合の、“2つの経路”」を示している。

 

「“鏡面A”で“反射”して、“検出器P”に、到達する、“経路は長い”」のに対して、「“鏡面G”で“反射”して、“検出器P”に、到達する、“経路は短い”」ので、「“2個の光子”の、“スタートからゴールまで”に、到達する“経過時間”は、“鏡面G”で“反射”した“光子”」よりも、「“鏡面A”で“反射”した“光子”の方が、“時間経過が長い”」ことを示している。つまり、「“光速度が、一定”であれば、“そうなるであろう”」ということを「“示している”」だけで、「“光速・一定”という、“条件”も、“書いてない”」し、「“具体的”に、“距離を計測”した“状況”も、“描いてない”」わけである。

 

さらに、「図(AA)の、図(B)では、“鏡面上の左端”から、“右端”まで、“鏡面上の、A~Mの各ポイント”で、“光子が反射”し、“光源P”に、“到達する場合”」の、「それぞ

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れの“経路の長さ”」が示されている。

 

図(C)では、「“鏡面”の“反射ポイント”に対応した、“光子の経過時間”が、“示してある”」のだが、「“鏡面の中心”である、“Gポイント経由”の、“光子の経過時間”が、“最も、短い”」ことが強調されている。

 

そして、「図(D)に、“観測者”が、“具体的”に、“計測した場合”の、“ストップウォッチ”の“針の角度”が、“単位ベクトル”の“形式”」で、「“鏡面”の“反射ポイント”に、“対応させ”て、“記入してある”」わけである。

 

さらに、「図(E)は、図(D)の“単位ベクトル”を“加算”した結果」であり、「“合成ベクトル”の“構成要素”としては、“鏡面の中央付近”の“単位ベクトル”が、“加算の要素”として、“貢献している”」ことが強調してある。

 

つまり、「“鏡面”の、“ポイントEから、ポイントIまでの、矢印”が、“合成ベクトル”の、“大きさの、形成”に、“大きく、”貢献している”」ので、「“光子”は、“合成ベクトル”の形成に、“貢献した、単位ベクトル”が、“並ぶ”領域」、つまり、「“鏡面”の、“中央付近の範囲”が、“示す”」ように、「“光の束”となって、“進む”」だけでなく、「“光子”は、“確率的”に、“最短距離を、進む”(=“直進する”)」という具合に「“結論”」されているわけである。

 

ただ、「この時点で、非常に、“不思議”に思われる」のは、「“時計に関する情報”が、図(D)の、“単位ベクトル”の“並び”しか、“記入してない”」ことである。

 

そこで、「“不思議さ”の“原因”を、“探索する”」ために、「図1の、図(BB)のような、“モデル”を“描いてみる”」ことにしよう。

 

「図(BB)の、図(A)は、“経路の数”を、“7個”に、“簡略化したモデル”」である。さらに、「具体的に、“光子の経路の長さ”と、“光子の経過時間”を、“計測する状況”」を示している。

 

まず、「図(A)の“光源S”の位置と、“検出器P”の位置」に注目すれば、「“光子”の“スタート時刻”は、“上向きの矢印”で、時計の“目盛”が、“ゼロ”のケース」である。そして、「“ゴール地点”の、時計の“目盛”が、左側から、右側へ向けて、アルファベットの小文字で、d,e,f,g,h,i,j」の「“順番”で、“並べてある”」わけである。

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これは、「“観測者”が、“ゴール地点”で、“経過時間”を、“計測した”」ことを、「“想定している”」からである。

 

加えて、「“ゴール地点で計測した、”小文字“の”目盛の並び“」を、「”鏡面上“にも、同じように、”並べてある“」のだが、「”鏡面上“の”反射点“の、”目盛の並び“」は、「アルファベットの”大文字“で、D、E、F、G、H、I、Jの”順番“」であり、「”同じ“、”目盛の並び“である」のにも拘わらず、「わざわざ、”区別してある“」わけである。

 

というのは、「ファインマンの図“に、”合わせる“」ためであり、「”鏡面上“の、”反射ポイント“は、”左側から、右側“へ向けて、D、E、F、G、H、I、Jの、“順番”」に成っているからである。

 

「“具体的”に、“区別”して、“並べてみる”」と、「“ゴール地点の、計測結果”(=“小文字”の“並び”)」を、単純に、「“鏡面上”の、“各・感謝ポイント”に、“ワンセットのまま”で、“移動させた”だけの、“操作である”」ことが分かる。

 

そこで、「“鏡面の中央”の、“反射ポイント”である、“Gの位置”の“目盛”」に「注目」しよう。すると、「“ゴール地点”の、“中央のg”の、“目盛“と、”同じ“」であることが「了解できる」はずである。

 

すると、「場所を、”置き換えた“だけである」から、「”同じである“」ことに、「”不思議さはない“」けれども、次に、「それぞれの、1個の、”光子の移動“に、注目する」と、「”距離の中間点“の”通過時刻“」と、「”ゴールの到達時刻“が、”同じ“」であり、「この”光子“は、”“鏡面”で“反射“」した、「”後には、時間経過が、ゼロ“である」ように「”見える“」はずである。

 

つまり、「”観測者“が、”どこで計測“しても、”経過時間の長さ“は、”同じ“である」ような”印象”を、受ける」けれども、「具体的に、“記入して見る”と、”奇妙な結果”が、“得られる”」ことを、「”強調している”」わけである。

 

「図(BB)の、図(B)は、“鏡面”の“各・ポイント”の“単位ベクトル”を、“加算した結果”が、“2重の矢印”で、示してある」だけで、「“ファインマンのケース”と、殆ど、“同じ”」である。そして、「図(C)は、図(A)の“折れ曲がった経路の長さ”」を、「“直線状”に、“伸ばしただけ”の、“経路の長さ”」に、「“置き換えてある”」だけで、「“光

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子”の“スタート時点の時刻”は、ゼロ」で、「“ゴール地点の時刻”に、“差がある”」ことも、「“同時”に、“示してある”」わけである。少なくとも、「“光子の1個1個”の、”時間経過“を、具体的に”測る“」という「”仮想実験“である」から、「”この程度“の、”手続き“は、”示すべき“」であろう。

 

「ここまでのプロセス」で、「最初に、“気に成る”」のは、「“光子の1個”が、“走る時間”を、“測る”」という時点で、「“光子”は、“1秒間”に、地球を、“7周り半”、進む」という具合に、「小学校で、教えられている」ので、「“地球”の、“7周り半の距離”(=円周)を持つ、“巨大な文字盤”をもつ、“時計”」であり、「“時計の針”が、“1秒間”に、“1回転する”」ので、「“観測者”は、“巨人”」のはずである。

 

そして、「この“巨大な時計”の“文字盤上”に、ほぼ、“鏡面”の“区切り”に等しい“間隔”で、“目盛”が“並ぶ”」という「“イメージ”が、得られる」わけである。しかし、一方で、「“最速の光子”の“移動距離”が、僅かに、“数センチ”である」と、「“具体的には、どのようにして”測る“のかな?」という「”疑問“が”湧く“のが”普通“」であろう。

 

「図1の、図(BB)の、図(A)」における、「“光子のゴール地点”」における、「“時計の、”目盛“の、”並び“」をみて、「“直感的”に、“感じる”」のは、「”左側半分“と”右側半分“では、”目盛“の、”並び方“が、”異なる“」ということである。

『図2(R2-図2)』

「図2の、図(C)の右側」には、「“9個の目盛”の“並び”である、〔A列〕と〔B列〕の“2列”が、“比較”」してある。ここでは、「“中央”の(0)が、“加えてある”」ことに注目しよう。「“中央”の(0)を、“境界”」にして、「左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)」と「右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)」を、「“比較しやすい”」からである。

 

「〔A列〕と〔B列〕の“両方”」とも、「右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)は、同じ」であるが、「左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)が、異なる」わけである。

 

そこで、まず、「〔A列〕だけに“注目”」して、「左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)」と「右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)」の、「それぞれを、“紙面の手前側”と“紙面の裏側”から観測する、“4人の観測者”」を、「具体的に、設定して、“名前を付けて置く”」ことにしよう。

 

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「観測者(α―1)」は、「〔A列〕」の「右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を、“紙面の手前側”に存在して、“右方向に移動”しながら、“左手に、右回りの時計”を持ち、かつ、“本人は、背中”を見せながら、“目盛の並び”を、“読み取る観測者”」である。

 

「観測者(α―2)」は、「〔A列〕」の「右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を、“紙面の裏側”に存在して、“右方向に移動”しながら、“左手に、左回りの時計”を持ち、かつ、“本人は、顔”を見せながら、“目盛の並び”を、“読み取る観測者”」である。

 

「観測者(α―3)」は、「〔A列〕」の「左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を、“紙面の裏側”に存在して、“左方向に移動”しながら、“左手に、左回りの時計”を持ち、かつ、“本人は、顔”を見せながら、“目盛の並び”を、“読み取る観測者”」である。

 

「観測者(α―4)」は、「〔B列〕」の「左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を、“紙面の手前側”に存在して、“左方向に移動”しながら、“左手に、右回りの時計”を持ち、かつ、“本人は、背中”を見せながら、“目盛の並び”を、“読み取る観測者”」である。

 

ここで、「“注目すべき”」は、「“紙面の裏側”を、移動する、観測者(α―2)と、観測者(α―3)は、いずれも、それぞれ、“本人”は、“右回りの時計”を、“見ている”」のだが、「あたかも、“左回りの時計”を、“見ている”」ように、「“見える”のは、“時計の文字盤”の“裏側”から、“透かして、表側の文字盤”を、“見ている“という、”別の観測者”」、つまり、「“もう1人”の、上位側の、“観測者X(=読者)”が、“4人の観測者(α)”の“手前側”に、“存在する”からである」ということである。

 

「“もう1人”の、上位側の、“観測者X(=読者)”は、「〔A列〕の、“9個”の“目盛の並び”を、“左端”から、“順番”に、“右端”まで、“9個”の“目盛の並び”の、“全体”を、“見る、観測者”(“片側半分”だけの、“目盛の並び”を、“見るのではない”!)」なのである。

 

上記のように、「〔A列〕に関しては、少なくとも、“5人の観測者”が、“存在する”」わけである。つまり、「最終的に、“観測者X(読者)”が、“見る”、“目盛”の“並び”が、“重要である”」ことを意味する。

 

しかし、「〔B列〕は、“ゴール地点”の“並び”に、“近似している”」けれども、「〔B列〕の、左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)“紙面の手前側”に存在して、“左方向に移動”しながら、“左手に、右回りの時計”を持ち、かつ、“本人は、背中”を見せながら、“目盛

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の並び”を、“読み取る観測者”〔= 観測者(α―4)〕」である。

 

従って、「“ゴール地点”の、“9個”の、“目盛の並び”を、“最終的”に、“計測している”」のは、「〔B列〕の左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を“右回りに、見る”、観測者(α―3)の“時計”の“目盛”」であり、また、「〔B列〕の右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を“右回りに、見る”、観測者(α―1)の“時計”の“目盛”」である。

 

つまり、「観測者(α―3)と、観測者(α―1)」の、「“2人の観測者”だけが、“関与している”」と考えて、「〔B列〕の、“中央の(0)を省き”、“目盛の並びを、引き寄せ”て、“両・隣”の、“右側のgの目盛”と、“左側のgの目盛”を、“重ね合わせる”」という、「“操作”した、“目盛の並び”」である。

 

従って、「〔B列〕を、観測者(α)の“手前側”に存在する、観測者X(読者)が、“見る”」と、「〔B列〕の、左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)は、“左回りの時計”に、“見える”」けれども、「〔B列〕の、右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)は、“右回りの時計”に、“見える”」というわけである。

 

つまり、「左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)については、〔A列〕と〔B列〕では、“目盛”(矢印)の“1個単位”で、“左右の関係”だけが、“逆に成っている”(=“ミラーイメージ”)」わけである。

 

ここでは、ともかく、「中央の(0)の“目盛”を、“挿入する”」ことは、「“具体的”な、“時計のイメージ”を、“描く”」ことに相当する(=“主体側”の“状況”)ので、「“状況が異なる観測者“(=“主体側”)の、”相互関係“や、”時計“の、”右回り“と”左回り“の”相互関係“が、極めて、”明瞭に成る“」ことを強調しておこう。

 

「ここまでの結論」として、「図1の、図(BB)の、図(B)の、“合成ベクトルを造る”(=ベクトル・加算する)」ためには、「図2の、〔B列〕の左側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を“見る”、観測者(α―3)」による、“観測結果”」と、「〔B列〕の右側半分(=“4個”の“目盛の並び”)を“見る”、観測者(α―1)による、“観測結果”」を、「さらに、“ベクトル合成(加算)する”」ことが、「“必要である”」ということである。

「図3(R2-図3)」

図3は、「“ファインマンの仮想実験”」を、「“鏡面”の、“左側半分”(=“4個”の“目盛”)」

31

と、「“鏡面”の、“右側半分”(=“4個”の“目盛”)」に、「“分けて”、“光子”の“移動距離”と、“移動時間”の、“両方”を、具体的に、“計測する試み”」である。

 

図3の、図(B)が、鏡面の、“全面”で、“反射するケース”」であり、「図(C)は、“鏡面”の、“左側半分”(=“4個”の“目盛の並び”)で“反射するケース”」、「図(D)は、“鏡面”の、“右側半分”(=“4個”の“目盛の並び”)で“反射するケース”」である。

『図4(R2-図4)』

「図4の、図(B)」は、「ゴール地点における、“左側半分”(=“4個”の“目盛の並び”)」であり、「〔A列〕と〔B列〕の、それぞれの、“目盛の並び”が、“比較”」してある。

 

そして、「〔A列〕の“上側”には、“左方向”に向けた、“点線矢印”が記入してあり、“観測者(α―3)”が、“左方向”に、“移動”しながら、“目盛”を、“見る”」ことが示してある。ただし、「“最終的”には、“観測者X(読者)”が、“観測者(α―3)”の、“見る、時計の目盛”を、“見る”」ことに、「“注意すべき”」である。

 

一方で、「〔B列〕の“下側”には、左方向に向けた、“点線矢印”が記入してあり、“観測者(α―4)”が、“左方向”に、“移動”しながら、“目盛”を、“見る”」ことが示してある。この場合も、「“最終的”には、“観測者X(読者)”が、“観測者(α―3)”の、“見る、時計の目盛”を、“見る”」ことに、「“注意すべき”」である。

 

「“参考のため”」に、「“中央の(0)”の“目盛”が、“右端”に、“加えてある”」ことに注目しよう。「“中央の(0)”の“目盛”は、いわゆる、“時計のヘソ”(=基準=中心)のような、“役割を持つ”」ので、「観測者が、“具体的”に、“光子の移動”を、“計測する手段”である、“時計のイメージ”を“描く”」には、「時計の“文字盤上”に、“中央の(0)”の“目盛”の“存在”が、“不可欠”」なのである。

 

また、「図4の、図(C)の、図(aa)は、“観測者(α―4)”のマンガ」であり、「図(bb)は、“観測者(α―4)”が、“左手”に持つ、“計測用の、具体的な時計”(=[B列]の目盛)」である。ここでは、「“文字盤”の“目盛”に、“復元”」してある。

 

「〔B列〕の、“ベクトルを合成する”ために、“必要”な、“観測者”と“時計”」は、「図4の、図(C)の、図(aa)に描いてある、“マンガ”の、“観測者(α―4)”+“観測者X(読者)”」と、「図(bb)に描いてある、“観測者(α―4)”が、“左手”に持つ、“計

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測用の、具体的な時計”(=[B列]の目盛)」である。

 

「図(C)の、図(bb)の、“時計”の“文字盤”の“外側”に、“4種類”の“曲線矢印”」が、「描いてある」けれども、「これらの“曲線矢印”は、“文字盤”の“円周上”を、“移動する”」という具合に考えよう。

 

「図(D)は、図(dd)の“スタート地点”の、“目盛(0)”から、図(cc)の観測者(α―3)が、計測した、4種類の曲線」を、「直線状に伸ばした長さと、経過時刻の順番」を示している。つまり、「図4の、図(A)の、“スタート地点”から、“鏡面”の“左側半分”で“反射”して、“ゴール地点”に“到達”した、“4個”の、“光子の移動距離”と、“移動時間”」を示している。

『図5(R2-図5)』

「図5の、図(B)」は、「ゴール地点における、“右側半分”(=“4個”の“目盛の並び”)」であり、「〔A列〕と〔B列〕の、それぞれの、“目盛の並び”が、“比較”」してある。

 

そして、「〔A列〕の“上側”には、“右方向”に向けた、“実線矢印”が記入してあり、“観測者(α―2)”が、“右方向”に、“移動”しながら、“目盛”を、“見る”」ことが示してある。ただし、「“最終的”には、“観測者X(読者)”が、“観測者(α―2)”の、“見る、時計の目盛”を、“見る”」ことに、「“注意すべき”」である。

 

一方で、「〔B列〕の“下側”には、“右方向”に向けた、“実線矢印”が記入してあり、“観測者(α―1)”が、“右方向”に、“移動”しながら、“目盛”を、“見る”」ことが示してある。この場合も、「“最終的”には、“観測者X(読者)”が、“観測者(α―1)”の、“見る、時計の目盛”を、“見る”」ことに、「“注意すべき”」である。

 

「“参考のため”」に、「“中央の(0)”の“目盛”が、“左端”に、“加えてある”」ことに注目しよう。「“中央の(0)”の“目盛”は、いわゆる、“時計のヘソ”(=基準=中心)のような、“役割を持つ”」ので、「観測者が、“具体的”に、“光子の移動”を、“計測する手段”である、“時計のイメージ”を“描く”」には、「時計の“文字盤上”に、“中央の(0)”の“目盛”の“存在”が、“不可欠”」なのである。

 

また、「図5の、図(C)の、図(aa)は、“観測者(α―2)”のマンガ」であり、「図(dd)は、“観測者(α―2)”が、“左手”に持つ、“計測用の、具体的な時計”」である。

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ここでは、「比較のため」に、「図解してある」だけである。

 

「〔B列〕の、“ベクトルを合成する”ために、“必要”な、“観測者”と“時計”」は、「図5の、図(C)の、図(cc)に描いてある、“マンガ”の、“観測者(α―1)”+“観測者X(読者)”」と、「図(dd)に描いてある、“観測者(α―1)”が、“左手”に持つ、“計測用の、具体的な時計”」である。

 

「図(C)の、図(bb)の、“時計”の“文字盤”の“外側”に、“4種類”の“曲線矢印”」が、「描いてある」けれども、「これらの“曲線矢印”は、“文字盤”の“円周上”を、“移動する”」という具合に考えよう。

 

「図(D)は、図(dd)の“スタート地点”の、“目盛(0)”から、図(cc)の観測者(α―1)が、計測した、“4種類の曲線”を、“直線状に伸ばした長さ”と、“経過時刻”の“順番”」を示している。つまり、「図5の、図(A)の、“スタート地点”から、“鏡面”の“左側半分”で“反射”して、“ゴール地点”に“到達”した、“4個”の、“光子の移動距離”と、“移動時間”」を示している。

『図6(R2-図6)』

「図6の、図(A)は、“光の反射実験”の、“全体図”」を示しているが、ここでは、「“鏡面上”の、“反射ポイント”である、D、E、F、G、H、I、Jの、“各・ポイント”における、“光子の状況”」に注目しよう。「“反射ポイント”における、“光子の状況”」とは、「“光子”が、“鏡面上”の、“各・ポイント”」に、「“瞬間的に、出現”して、“瞬間的に、消滅”する」ことである。

 

「図6の、図(B)」は、「〔B列〕の、目盛の並びに、中央の(0)」が加えられて、「時計を見るための準備」が行われている。また、「“鏡面”の、“左側の片側半分(=5個の目盛)”は、観測者(β―4)が、“左方向”の“点線矢印”で示すように、“左方向”に、“移動”しながら、“計測する”」、「“鏡面”の、“右側の片側半分(=5個の目盛)”は、観測者(β―1)が、“右方向”の“実線矢印”で示すように、“右方向”に、“移動”しながら、“計測する”」ことが示してある。

 

ここでは、これまでの、「“ゴール地点”で、“計測する”、“観測者(α)の系列”ではない」のであり、「“新しい、別”の、観測者(β―4)と、観測者(β―1)」が、「準備されている」わけである。ただし、「観測者(β―2)と、観測者(β―3)のマンガ」について

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は、「“観測者(α)の系列”と、“同様な配置”である」と考えてよい。つまり、「“観測者(β)の系列”」は、「“光子”が、“鏡面上”の、“各・ポイント”」に、「“瞬間的に、出現”して、“瞬間的に、消滅する”ケース」を想定して、「新設した観測者群である」ことに注意しよう。

 

「図6の、図(A)」は、「“最後”の“結論”の“イメージ”で、“最後に、見ればよい”」けれども、「今後、どういう内容に、注目するのか?」について、「“予見を持ちたい人”のための、“注意書き”(=参考)」である。

『図7(R2-図7)』

「図7の、図(AA)の、図(cc)」は、「“鏡面上”に、“多数の目盛”が、“並んでいる”場合を、想定」しており、「“上側”に、“21個”の、“目盛の並び”」、「“下側”の“左側半分”に、“11個”の“目盛の並び”」が描かれている。「“上側”の、“中央(0)の目盛”」から、「“左側”は、〔B列〕の“並び”」、「“右側”は、〔A列〕の“並び”」、「“下側”の“左側”は、“〔C列〕の並び”」を、それぞれ、示している。

 

ここで、「初めて〔C列〕」が「登場する」のであるが、「“〔C列〕の並び”の“特徴”」は、「“観測者(β―5)”のように、“逆立ち”して、“見る、観測者”の場合の、“目盛の並び”」に対応している。

 

ただし、「“観測者(β―5)”は、“左手”に持つ、“右回りの時計”を、“見る”」のであるが、「“最終的”には、“観測者X(読者)”が、“見る、目盛”の“並び“を、表している」わけである。

 

「図7の、図(AA)の、図(aa)」は、[〔B列〕の“上側”]に、「背中側”が見える、“観測者(β―4)”の“マンガ」である。しかし、「実際には、〔B列〕の、”手前側“に、”存在“して、〔A列〕の”左側半分“(=ここでは、省略してある)を、”見た“場合」に、「背中側”が見える、“観測者(β―4)”には、〔B列〕の、“目盛の並び”が、“見える”」と考えよう。

 

そういうわけで、「“背中側”が見える、“観測者(β―4)”は、〔B列〕の、”手前側“に、本来は、”描くべき“」なのである。そして、「〔B列〕の、”下側“に描いてある、”左方向“に向けた、”点線矢印“の方向に、”移動“しながら、時計の”目盛“」を、「”時計“の、“文字盤”とは、“切り離し”て、つまり、“デジタル”な、”目盛の並び“」として、「“背

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中側”が見える、“観測者(β―4)”は、”左方向“に、”移動“しながら、”見る“」場合に、「“観測者(β―4)”には、〔B列〕の、”目盛の、並び“が、”見える“」というわけである。

 

そして、今回は、「“観測者(β―4)”が、“後ろ向きに、宙返り”を、“1回転する”と、再び、“足が下側”に向くので、“元通り”に、“背中側”が“見える”ように、“着地する”」けれども、「“後ろ向き”に、“反回転”だけの“宙返り”を、実行して、”頭側で、着地“した状態」が、「図(cc)のように、“逆立ち”をした、“観測者(β―5)”」であり、「“逆立ち”をした、“観測者(β―5)”が、“〔C列〕の下側に、描いてある、“左向き”の“点線矢印”の方向に、“移動”しながら、〔B列〕の“並び”を、見る」と、「結果的に、“〔B列〕の並び”が、“〔C列〕の並び”のように“見える”」というわけである。

 

「この場合も、“観測者X(読者)”が、“紙面の手前側”で、かつ、“観測者(β―5)”よりも“手前側”で、“見ている”」ことに注意すべきである。

 

「“逆立ち”をした、“観測者(β―5)”を、“造る理由”」は、「“〔B列〕の並び”から、“〔C列〕の並び”を、“新しく、造る”」ためであり、「〔B列〕の“並び”の、それぞれの“ベクトルの矢印“だけを、“上下方向”だけ、“個別”に、“逆向き”に“する”(=“矢印”の“左右”は、“変えない”!)」のが「“目的”」である。

 

そして、次に、「〔C列〕の“並び”の“下側”に、“右向き”の“波線矢印”が、=10=の“目盛”から、=6=の“目盛”の“範囲”に、“描いてある”」ことに注目しよう。

 

一方で、「〔A列〕の、“6の目盛”から、“10の目盛”まで、“右向き”に、“波線矢印”が、“描いてある”」ことにも注目しよう。

 

「図7の、図(AA)の、図(bb)に描いてある“マンガ”の、“観測者(β―1)”」は、「“〔A列〕の”上側“(=裏側)に、“実線矢印”を、描いてある」けれども、「実際には、“〔A列〕の”下側“(=手前側)に、“右向き”の、“実線矢印”を、“描くべき”」なのである。それは、「ここでは、“波線矢印”を、“強調する”」ためである。従って、「“背中側”が見える、“観測者(β―1)”は、実際には、“〔A列〕の下側(=手前側)で、“実線矢印”のように、“右方向”に、“移動”しながら、“〔A列〕の並び”を、“見る”」と考えよう。

 

かくして、ここでは、「“逆立ち・“観測者(β―5)”が、“〔B列〕の並び”の、“右向き”の“波線矢印”の“範囲”〔=10=の“目盛”から、=6=の“目盛”〕を、“見る”場合」

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と、「“観測者(β―1)”が、〔A列〕の、“右向き”の“波線矢印”の“範囲”〔=“6の目盛”から、“10の目盛”〕を、“見る”場合」の、「“2つのケース”(=“波線矢印”)」に、“注目する”」わけである。

 

「“2つのケース”(=“波線矢印”)」に、“注目する”、“理由”」は、「“〔B列〕の並び”の、“右向き”の“波線矢印”の“範囲”〔=10=の“目盛”から、=6=の“目盛”〕によって、“合成ベクトル”を“造る”」と、「図(dd)のように、“下向きの、合成ベクトル”が“生じる”」ことと、「〔A列〕の、“右向き”の“波線矢印”の“範囲”〔=“6の目盛”から、“10の目盛”〕によって、“合成ベクトル”を“造る”」と、「図(ff)のように、“上向きの、合成ベクトル”が“生じる”」ことを、「“目的にしていた”」からである。

 

「非常に、“作為的”に、“思われる”」かも知れないが、「“単位ベクトル”の、“横並び”」は、「“時計の目盛”の“横並び”」であり、「“時計の文字盤”の“所属”から、“目盛”だけを、“独立”させて、いわゆる、“デジタル化”した性質に、“立場”を、“変更してある”」わけである。

 

「本来、“時計”は、“針が、1回転する”と、“元”(”0の目盛“)に”戻る“」という、「”アナログ“の、”性質(=特徴)“を”持つ“」と考えればよい。

 

かくして、「“単位ベクトル”の、“横並び”」は、「“時計の目盛”の“横並び”」であり、「1回転分の目盛の数を、全部、加算する」と、「“合成ベクトル”は、“ゼロ”に成る」のが、「“本来の姿”」であり、「“ファインマンの本”にも、“回折格子の原理”が、“示してある”」わけである。

 

これは、「“単位ベクトル”の、“横並び”」は、「“時計の目盛”の“横並び”で、デジタル化した状態で、“ある”」から、「“ベクトル加算”する“範囲”を、“決定しない”」ならば、「“合成ベクトル”を“造る”」という「“意味がない”」ということに、「“等しい”」わけである。

 

つまり、「上記のような“背景”(=“基本的な性質”を、“承知の上”で)」を持って、「図(dd)のように、“下向きの、合成ベクトル”」と、「図(ff)のように、“上向きの、合成ベクトル”」の、「“両方”が、“対・発生”する“条件”を、“模索していた”」わけである。

 

そして、「“下向きの、合成ベクトル”を、“睡眠化・合成ベクトル”」と「“呼び”」、また、

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「“上向きの、合成ベクトル”を、“覚醒化合成ベクトル”」と「“呼んでいる”」わけである。

 

このような、「“相互に、逆方向”に、“対・発生する”、“2種類”の、“合成ベクトル”の、“組み合わせ”」を、「“本論”では、“主体の単位”(=“自我”の“潜伏モデル”)と、“見なす”」わけである。「“主体の単位”(=“自我”の“潜伏モデル”)については、「次の、図8で、“遺伝子の自我”と、“関連”させて、“説明”する」ことにしよう。

 

ここでは、「図(BB)の、図(gg)は、観測者(β―4)が、“左手”に持つ、“時計の形状”」に対応している。「図(gg)のような“時計”が、“存在する”」ことを、「“断定する”」ならば、「図(gg)の“形状の時計”は、“怪物・時計”の“存在”を、“断定している”」ことに等しい。

 

ただし、「“背中を見せている”、“観測者(β―4)は、実際には、”左手“に、”右回りの時計“(=”常識の時計“)を、”見ている“」のであるが、「”最終的な観測者“(=最も、”手前側“に”存在する“)である、”観測者X(読者)“が、”見る場合“」には、「“背中を見せている”、“観測者(β―4)が、”左手“に持っている、“普通の時計“」が、「あたかも、“観測者(β―4)は、図(gg)のような、”怪物・時計“を、”持っている“」ように、「”観測者X(読者)“には、”見える“」というわけである。

 

従って、「“怪物・時計”が、あたかも、“存在する”」ように、「“感じる”」のは、「本来、“時計の目盛”は、“文字盤”に、“所属”して、“存在している”」のに、「“目盛”だけを、“文字盤”から、“切り離す”ことで、“独立させている”」ことが、「“常識”に、“成る”」と、「“文字盤の存在”の、“必要性”、つまり、“アナログ時計”の“必要性”」が、「“異常な恐怖”と成って、“心配に成る”」ということなのである。

 

「“目盛”の“横並び”である、“ベクトル”の“横並び”を“造る”」最中に、「“主体の側”である、“観測者の状態”を、“人為的”に、“変更している”」にも拘らず、「物理学者は、“観測者の状態”には、全く言及しない」で、「“目盛”の“横並び”である、“ベクトル”の“横並び”だけを、“対象”にした、“デジタル化”の“状態”に、“問題を感じない”」ので、「たまたま、“本来”の、“アナログの時計”の“状態”に、“戻す”」と、「“怪物・時計”が、“出現した”」ように「“見える”」というわけである。

 

「“進歩している”と“感じている”傾向(=常識)がある、“デジタル化”の“状態”」に、「“人間”が、漠然とした、“不安や恐怖”を“感じている”、“具体例”」は、「まさしく、物理学である、“分子生物学分野”では、“遺伝子”を、“人間の、勝手な都合”だけで、都

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合の良い方向に、“操作している”」けれども、「“生身の人体”に、“人為的に操作”された“遺伝子が、“戻される”(=“アナログ化”される)」と、「“怪物・人間”が、“誕生する”のではないか?」という、「“不安や恐怖”として、“存在している”」わけである。

 

「その、“象徴的な、実例”が、図7の、図(BB)の、図(gg)の、“怪物・時計”(=“アナログ時計”)で、“ある”」と言うわけである。

 

さらに、「図(BB)の、図(hh)」は、「“逆立ち・“観測者(β―5)”が、“左手”に、“持つ”、“時計の形状”」であるが、「図(hh)の、“怪物・時計”の“様相”は、まるで、時計の文字盤の裏返しの様相」で、「ガモフ(=物理学者)の、“宇宙の裏返し”の“描写”に、“似ている”」と思うであろう。

 

「ガモフの描いた、“宇宙の裏返し”」は、「“生物学者”が、“見る”と、“人体の裏返し”」であり、「“人体の皮膚”を、“境界”」にして、「“正常”では、“内臓”が、“内側”に、また、“宇宙に存在”する、”太陽”や“多数の星”が、“外側”に、“存在する(=見える)”」のだが、「“ガモフの描いた絵”では、“人体”の、“内側”に、”太陽”や“多数の星”が、“存在”(=見える)し、“外側”に、“人体の内臓”が、“バラバラ”に、“分散している”」という、「“構図の絵”」である。「図(hh)の時計は、本来、“文字盤”の“内側”で、“回転する”はずの、“時計の針”が、“文字盤”の“外側”を、“回転している”」ように「“見える”」からである。

 

しかし、「図(hh)の、“怪物時計”を、“逆立ち・“観測者(β―5)”が、“左手”に、“持つ”」ように、「“見える”」のは、「“観測者X(読者)”の“立場”から、“見る”から、“怪物時計”に、“見える”」というわけである。

 

「図(ii)の、“時計”は、“背中を見せている”、観測者(β―1)が、“左手”に、“持つ”、“時計”」であり、「“最終的”には、同様に、“観測者X(読者)”の“立場”から、“見る”」のであるが、「“時計の様相”は、“正常の時計”に、“見える”」はずである。「正常に見える」のは、「“背中を見せている”、観測者(β―1)と、“観測者X(読者)”という、“主体側”の“立場”が、“同じである”」ことに「“由来する”」わけである。

 

かくして、「重要なこと」は、「本論では、主体側の観測者の状況が、紙面の表側や裏側に移動する」場合や、「飛びあがって、“左右に半回転”したり、“上下に半回転”する」などの、「“主体側”の、“観測者側”の、“立場の変化”」によって、「“時計”の“目盛だけ”を、“文字盤”から“独立”させた、“デジタル化”された、“目盛”の、“横並び”が、“常識

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化する”」と、「元の(=本来の)、“文字盤”に、“従属している状態”に、“戻した状態”に、“復元する”」と、「結果は、“怪物・時計”に、“変貌している”」という、「いわゆる、“怪物化する”、“プロセス”を、“主体側”の、“状況の変化”として、“逐一、説明する”」という、「具体的な、“手続き”によって、“示している”」わけである。

 

「この、“主体側”の、“状況変化”で、“怪物・時計”が、“誕生する原因”を、明確にしている」わけだから、「この、“主体側”の、“状況変化”を、“逐一、説明できる”」という、「“手続き”の、“プロセス”が、“理論的な説明”には、“必要である”」という具合に「“強調している”」わけである。

 

かくして、「“分子生物学者”によって、“実用化”されている、“遺伝子操作”の“成果”が、“将来の不安”を、“掻き立てる”」という、「一見、“根拠のない”、“恐怖感”は、“遺伝子操作”の“技術”が、実は、“デジタル化”の“傾向”と、“同様”」であり、「“主体側の状況”を、“無視”して、“行われている”(=“物理学の常識”)」ことに、「“根本原因”が、“ある”」ことを意味する。

 

つまり、「“主体側の状況”が、逐一、“理論的”に、“説明可能”に、“成る”」ならば、「“遺伝子操作”の“成果”が、将来に、“誘発する”かもしれない、“人間自身の怪物化”の“プロセス”を、“理論的”に、“予測できる”」ように「“成る”」というわけである。「その、“主体側の状況”を、“明確にした”」のが、「“人体を構築・維持する”ためには、“全体の細胞群”を、“責任”を持って、“管理している”、“総司令官”の、“役割”が“不可欠”」であり、「その“総司令官”とは、“個体の自我”である」という、「“結論”を、“本論”(=“主体側”の、“観測者の理論“)が、“導き出している”」わけである。

 

しかし、「“これらの意味”が、“実感できる”」のは、「図(dd)の“下向き”の、“睡眠化・合成ベクトル”」と「図(ff)の“上向き”の、“覚醒化・合成ベクトル”」が、「実は、「“主体の単位”(=自我の潜在モデル)」であり、さらに、「“遺伝子の自我”に、“等しい”」という具合に、「“遺伝子の状況”と、“イメージ”が、“重なる”」ことが「重要」であり、かつ、「遺伝子の“非・活性化状態”と“活性化状態”」の、「“2種類のタイプ”に、“関連性が、存在する”」ことを、「“具体的”に、“示す”」ことが、「より、“効果的”」であろう。

「図8(R2-図8)」

「図8の、図(AA)の、図(aa)の“2重矢印”」は、「“ファインマンの仮想実験の、

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図”における、“合成ベクトル”と、“同様のケース”の“タイプ”」である。

 

「図(AA)の、図(bb)」は、「図(aa)の“合成ベクトル”を“造る”場合の、“単位ベクトル”の、“並び”」で、「図(bb)の“上側”の、“波線矢印”の“範囲”」から、「図(aa)の“2重矢印”の、“合成ベクトル”が、得られる」ことを示している。従って、「図(bb)は、“鏡面上”(=“ゴール地点”では、“ない”)における、〔B列の、“目盛”の“並び”〕」である。

 

そして、「図(bb)の“上側”の、“波線矢印”の“範囲”」に「“注目する”」と、「“左側半分”(D、E、F、Gの、“4個の、ポイント”)の“目盛”の“並び”は、観測者(β―4)が、“計測する”」ことと、「“右側半分”(G、H、I、Jの、“4個の、ポイント”)の“目盛”の“並び”は、“観測者(β―1)”が、“計測する”」ことが、「“強調”」してある。

 

つまり、「“2人の観測者”(=“状況と立場”が、“相互に、異なる”)が、“計測した結果”から、図(aa)の、ファインマンの、“合成ベクトルを造る”」という、「具体的な、“事実”」に、「“特別”に、“注目している”」わけである。

 

「“2人の観測者”(=“状況と立場”が、“相互に、異なる”)に、“注目する”」という「“理由”」は、「“観測者”が、“主体側”の“存在である”」からである。「“数学や物理学”では、“主体側”の“存在”を、“無視する”のが、“常識”」である。

 

さらに、「図(bb)の、“各・目盛”の“下側”には、“1対”の、“白と黒”の“四角”(=“□■”)が、描かれている」けれども、「“1対”の、“白と黒”の“四角”(=“□■”)の“意味”」は、「“光子”が、“瞬間的”に、“鏡面上に、出現”して、“瞬間的”に、“鏡面上から、消滅する”」という、「“鏡面上”の、“各・目盛”の“下側”の、“ポイント”」で、「“光子”が、“反射”する“状況”(=“□■”)を、“表している”」わけである。

 

そこで、「図8の、図(bb)の、“〔B列〕の特徴”は、図7の図(cc)の、上側の並びの、一部」であり、“中央”の“(0)の目盛”(=時計の“ヘソ”)の、左側の[B列]の、4~1」と、「“(0)の目盛”(=時計の“ヘソ”)の、右側の「A列」の、1~4」の並びから、「“(0)の目盛”(=時計の“ヘソ”)を、“抜き去った”上に、さらに、左右の1の目盛を“重ね合わせ”た、いわゆる、“ヘソ抜き”と“引き寄せ”が行われた“目盛の並び”」である。

 

「“同様の発想”」から、「図8の、図(cc)は、図7の、図(cc)の、“〔C列(=左側)

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の、=10= ~=6=〕”と“[A列(=右側)の、6~10]”の、「“目盛の並び”」であり、かつ、「“ヘソ抜き”と、“引き寄せ”が行われた、“目盛の並び”」であり、さらに、「“2種類”の、“右向き”の、“波線矢印”で、“示す”ように、“2人の観測者”(=“主体側”)による、“観測結果”」を示している。そして、「同様に、“1対”の、“白と黒”の“四角”(=“□■”)で表した、“鏡面上”の、“反射”に、“対応する状況”である」ことが示されている。

 

ただし、「“ここで想定している”」のは、「“鏡面上の、”反射“では、”ない“」のであり、「”遺伝子“を”構成する“、DNAの、”複数の塩基“の”並び“を、”想定している“」わけである。というのは、「”1個の遺伝子“は、”複数の塩基“の、”並び“から、”構成されている“」からである。

 

かくして、「“1対”の、“白と黒”の“四角”(=“□■”)の“印”」は、「“光子”が、”複数の塩基“という、“物質上”に、“瞬間的”に、出現”して、“瞬間的”に、“消滅する”」という「イメージ」を「表現している」わけである。

 

ここで、「“光子”が、瞬間的に、出現して、消滅する、“目的”」は、「DNA上の、“塩基の並び”の、“特定領域”(=一定の範囲)の、“活性化”(=“刺激”)」である。「“活性化”(=“刺激”)する」のは、「“特定遺伝子”だけを、“選択的”に、“情報・発現”させる」のが「“目的”」である。正確には、「“活性化”(=“刺激”)が、普通の物質である塩基に、“生命を宿らせる塩基”の役割を、持つ」と考えるわけで、「その理由については、後述する」予定である。

 

そして、「図(dd)の、“睡眠化・合成ベクトル”」と、「図(ff)の、“覚醒化・合成ベクトル”」の、「“2系・一対”の、“相互に逆向き”の、“合成ベクトル”が、“対・発生する”」というわけである。それぞれの、「“合成ベクトル”は、“2種類”の、“波線矢印”で表した、“塩基の並び”の“範囲”から、“出現する”」というわけである。

 

そして、「“両方”の、“塩基の並び”の“範囲を決める”」のは、「“物質上”に、“瞬間的”に、出現”して、“瞬間的”に、“消滅する”という、“神の光”(=“□■”)である」という「“筋書き”」である。ただし、「“神の光”(=“□■”)の“解説”は、“この論文”の、“後半”で行う」予定である。

 

ここでは、「図8の、図(ee)」に、示してある、「“2系・一対”の、“相互に逆向き”の、“合成ベクトル”が、“対・発生する”」ことに、「“注目すべき”」である。「“小さな矢印の

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組み合わせ”であり、“中央に横線”が引いてあり、しかも、“中央に(0)”が、“強調してある”」のは、「図(dd)や図(ff)の“合成ベクトル”の“両方”を、単に、“小さく描いた”」だけである。

 

「この、“小さな矢印”の“組み合わせ”」が、「“1個”の、“遺伝子の自我”という“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)である」という具合に、「“本論”では、“見なしている”」からである。

 

「“自我”の“潜在モデル”」と呼ぶ「理由」は、「図(ee)の、“中央の横線”の、“中央の(0)”の位置に、“第3の合成ベクトル”が、“生じる”」と考えて、「“現状”では、“両方”の、“合成ベクトル”の“大きさ”が“等しい”」ので、「“第3の合成ベクトル”である、“自我の大きさ”が、未だ、“出現していない”」という「“意味”で、“横線の“中央に(0)”を、“強調してある”」わけである。

 

「“本論”の、最も、“独創的な部分”(=完全な“オリジナル”)である」から、「“自我”の“潜在モデル”」については、「“睡眠と覚醒”の“メカニズム”」について、「“この論文の後半”で、“詳述する”」ことにする。

 

ここでは、「“相対的”に、“目盛の数”が、“異なる例”(=“時計のサイズ”が、“大きくなるイメージ”)」である、「図(BB)の、“2種類”の“波線矢印”が、“長い”(=“時計のサイズ”が、“大きい”)」ことと、「図(gg)の、“睡眠化・合成ベクトル”(=下向き)と、図(ii)の、“覚醒化・合成ベクトル”(上向き)」が、「図(AA)の図(dd)と図(ff)の、“両方”の、“合成ベクトル”よりも、“大きさ”が、“大きい”」ことに注目しよう。

 

さらに、「図(AA)の、図(ee)の、“遺伝子の自我”に対応する、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)」と「図(BB)の、図(hh)の、“遺伝子の自我”に対応する、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)」を「比較する」と、「図(hh)の、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)の方を、“大きく描いてある”」のは、「図(hh)の、“遺伝子の自我”が、“活性化されている”(=“生命”が、物質に、“付与された”状況)」ことを、「“表現している”」わけである。「この場合の、“活性化”が、生化学の常識的な“活性化”に対応する」わけである。

 

というのは、「生化学では、“単なる物質”と、”生命化された物質”の“違い”に関する、定義がない」からである。従って、「図8の、図(ee)の、“主体の単位”(=“自我”の“潜

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在モデル”)は、“生命”が、物質に、“付与された”状況」を、「“表現している”」わけである。

 

そこで、「図(AA)の、図(cc)の、〔C列〕の“目盛の並び”」を、「“拡大した状況”」が、「図(BB)の、〔C列(=左側)〕と[A列(=右側)]の“目盛の並び”から、“(0)の目盛”(=時計の“ヘソ”)の“ヘソ抜き”と“引き寄せ”が行われた“目盛の並び”である」ことに注目しよう。「“このイメージ”」は、「図(AA)の、図(cc)の、〔C列〕の、“各・目盛”の“下側”」に描いてある、「“1対”の、“白と黒”の“四角”(=“□■”)の“印”の“大きさ”を、“比較する”」と、「“了解できる”」であろう。

 

要するに、「“物質(塩基)上”に、“瞬間的”に、出現”して、“瞬間的”に、“消滅する”という、“神の光”(=“□■”)の“強弱の程度”を“表している”」わけで、「図(AA)の場合は、“遺伝子の自我”が、“非・活性化”の“状態”(=“□■”)」であり、「図(BB)の場合は、“遺伝子の自我”が、“選択的”に、“活性化された状態”(=“□■”)」という、「“違い”を、“強調してある”」わけである。

 

ここでは、「“物質”に対する、“生命の付与”(=“遺伝子の自我”の、“潜在モデル”の形成)」と「“情報”を発信する、“選択的な、活性化”(=“遺伝子の自我”の、“潜在モデル”の“巨大化”)」の、「“違い”を“示すこと”に、“重点を置いている”」けれども、「“遺伝子の自我”が、具体的に、“選択的な、活性化”によって、“個別の情報”を“発現する”場合は、“潜在モデル”に対して、“第3の合成ベクトル”が“生じている”」ことも、「“各論のメカニズム”では、検討すべき」であろう。

 

これは、「図8の、図(BB)の、“2本の波線矢印の長さ”が、“異なる”」ことに「対応する」わけである。というのは、「後半で、“自我”と“情報”が“結合”して、“意識が生じる”」という、「“公式”が、“登場する”」からである。つまり、「“情報”とは、ここでは、例えば、”神経細胞に分化せよ”、というような、“選択的に活性化される”という内容」などで、「厳密には、“個体の自我”によって、“命令された情報の内容”に、“対応する”」わけである。「“細胞”が、“神経細胞や筋肉細胞”などに、“分化する”のは、“個体の自我”が、“身体を構成する全細胞”に対する、“総司令官の立場”で、“それぞれの細胞”に、逐一、“指示を与える”」から、「“各細胞”は、全部、“受動的に、命令に従って”、“それぞれの運命”に“従う”」という「“見解”が、後半に、“登場する”」わけである。

 

「“遺伝子の自我”が、“非・活性化”の“状態”(=“□■”)にある」場合は、「“2人の観測者”が、“左手”に“持つ”、時計の“文字盤の大きさ”が、“異なる”」という具合に

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考えて、「“具体的”な、“時計の文字盤”の、“大きさ”を“表す時計”を、“描いてみる”」と、「“時計の文字盤”の、“大きさ”が、“大きい”場合」には、「時計の、“目盛の大きさ”が“小さく”て、“数が多くなる”(=“□■”)」ことが、「“了解できる”」ハズである。

 

「“この状況”は、“ファインマンの仮想実験”で、“鏡面上”の、“反射ポイント”の“数を設定する”時の、“単位”の、“区切り方”」に、「“関係している”」わけである。「“具体的”な、“時計の形状”や、“目盛の特徴”」は、「図9の、“下段”に、“比較する”ために、“2人の観測者の違い”に、“対応させ”て、“描いてある”」ので、「図9を、“参照”」してもらいたい。

 

これらの「時計の“具体像を比較”して“理論化する”」と、「さらに多様な、“必要な役割”を持つ、“新しい遺伝子”の“種類や特性”が、“理論的に存在する”ことを、“予測できる”」ように成るはずである。というのは、「“個体の自我”が、身体を構成する全細胞群の、形態分化と機能分化や、それぞれの細胞群の配置情報を、“管理している”」という「“見解が、登場する”」からである。

 

ここで、「“個体の自我”が、“身体を構成する全細胞”に対する、“総司令官の立場”である」という、「“視点がある”ので、“新しい遺伝子”の“種類や特性”が、“理論的に存在する”ことを、“予測できる”」ことを、「“強調している”」ことに注目すべきである。「現状の、分子生物学における、特定の、新しい、“遺伝子の発見”の状況と、“比較して見るべき”」であろう。

 

「分子生物学においては、“身体を構成する細胞群”を、“管理する、総司令官”に“相当する存在が、皆無”なので、“統一的に、起こるべき現象を、予測できる理論”の“構築が、イメージできない”(=物理学の、“不確定性原理”の“模倣”)」わけである。

『図9(R2-図9)』

「図9の、図(AA)の、上段の、図(aa)は、“1個”の、“細胞の自我”に関する、“主体の単位”(=“細胞の自我”の“潜在モデル”)である(=“遺伝子の自我”では、“ない”)」ことに「注目」しよう。

 

つまり、「“1個の細胞”の、“内側のDNA上”には、図(bb)に示すように、現状で、“約200個”の、“遺伝子の自我”が、順番に、“並んでいる”」と「仮定」して、「それぞれの、200個の、“遺伝子の自我”に生じる、“主体の単位”(=“遺伝子の自我”の“潜

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在モデル”)の、“合成ベクトル”が、それぞれ、“加算”されて、図(aa)に示すような、“1個”の、“細胞の自我”に関する、“主体の単位”(=“細胞の自我”の“潜在モデル”)が“生じる”」という具合に「考える」わけである。

 

そして、「図(BB)は、図(gg)の、“遺伝子の自我”群の中で、“Ge(50)”という、“50番目”の、“特定”の“遺伝子の自我”が、“選択的”に、“活性化”されて、“遺伝子内の情報”が、“発現される”」という、「“遺伝子の自我”の、“活性化”の、メカニズム」を表している。

 

「図(hh)の、“Ge(50)”という、“選択された”、“遺伝子の自我”である、“主体の単位”(=“遺伝子の自我”の“潜在モデル”)が、“他の”、“遺伝子の自我”である、“主体の単位”(=“遺伝子の自我”の“潜在モデル”)に比べて、“大きくなる”」ことが「強調してある」わけである。

 

また、「“神の光”(=“□■”)の“強弱の程度”も、““□■”の、“大きさ”を“変える”」ことで、「“選択”されて、“活性化”された、“特定”の“遺伝子の自我”である(=“□■”)」ことを、「“強調してある”」わけである。

 

ここで、「重要なこと」は、「図(aa)の、“細胞の自我”(=非・活性化状態)」よりも、「図(ff)の、“細胞の自我”(=活性化状態)」の方が、「“主体の単位”(=“細胞の自我”の“潜在モデル”)が、“大きく成る”」ということで、また、「“特定の遺伝子”が、“活性化される”のは、“その遺伝子”を含む、“上位側の階層”である、“細胞”が、“活性化される”からである」という、「“因果関係”に、“注目する”」ことである。

 

そして、「“細胞”が、“選択的”に、“活性化”される」のは、「“論文原稿(1)”で“示した”」ように、「“個体の自我”が、“特定細胞”の“外側”に、時計の“針先”で、“単位ベクトル”を、“刻印する”(=“活性化する”)」ことに「“由来する”」わけである。

 

また、「“論文原稿(1)”の、“時計のモデル”」では、「“時計の針”が、“自動的に、廻る”のでは、“ない”」のであり、「“上位側の、能動的な、観測者”の、“意志”で、“右回り”に“廻す”」という「“公式”が、“図解してあった”」わけである。

 

つまり、「“単位ベクトル”の“エネルギー“」というのは、「具体的には、”意志のエネルギー“である」という意味で、「”意志のエネルギー“」という「”理由“(=根拠)」は、”上位側の、能動的な観測者“の”作業状況“(=”時計の針“を、”回す仕事“)を、具体

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的に、”図解して見る“ような、”廻りくどい手続き“を、具体的に、”実現してみない“」と、「”理解できない“(=納得できない)」ということである。

 

従って、「1個の、“個体の自我”が、“上位側の、能動的な、観測者”」であり、「“目盛”の“内側”に存在する、“受動的”な、“下位側の観測者”が、“細胞の自我”」に、「“理論的”に、“対応する”」わけである。

 

さらに、「“次のステップ”」では、「時計の“目盛の大きさ”を、“文字盤”に“変更”」して、「“その文字盤”に、“新しい”、“時計の目盛”を、“新設する”」という「筋書き」であった。この場合、「“個体の自我”の“意志”が、特定の、“細胞の自我”に、“一方的”(=片側通行)に、“伝達される“」わけである。「その”意志“の”内容“(=”実行の目的“)」が、「”特定“の(=”自分“が、”指定“した)、”細胞“を、”活性化せよ“」という「”命令“(=指示)である」というわけである。

 

従って、今度は、「1個の、“細胞の自我”が、“上位側の、能動的な、観測者”」に、「“転換”される」ことに「対応」し、かつ、「“200個”の“遺伝子の自我”の中で、“1個”の“遺伝子の自我”が、“新しい目盛”(新設)の“内側”に存在して、“下位側の観測者”の“役割”(=”感じる“)を、”果たす”」という具合に「“考え治す”」のであった。

 

すると、「“上記の公式”が、“そのまま”、“適用できる”」わけである。つまり、「“上位側の観測者”である、“特定”の、“細胞の自我”が、“自分の意志”で、“時計の針”を、“右回り”に、“回す”ことで、“その針先”(=単位ベクトル)を、“選択的”に、特定の、“遺伝子の自我”の“住居”である、“新設の目盛”(=“住居”)の“外側”に、“刻印する”(=“活性化する”)」というわけである。

 

従って、「“個体の自我”の“意志”によって、“決定された結果”」として、「“活性化”された、“特定”の(=“選択”されている)、“細胞の自我”」が、今度は、「“細胞の自我”の“意志”が、特定の(=“選択”されている)、“遺伝子の自我”を、“活性化する”」というような、「“意志”の“実行”」に関する、「“階層”の、“上位側”から、“下位側”へ、“向かう”、“連鎖反応”が、“生じる”」というわけである。

 

「“簡略化する”」ならば、「“個体の自我”が、“特定細胞”の中の、“特定の遺伝子”を、“選択的”に、“活性化させる”(=“特定の細胞”に、変化するように、“分化させる“=例えば、発生学的に、“その細胞”の“運命”が、“神経細胞”に、“変える”)」という、「“筋書き”に成る」わけである。

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「“この筋書き”」は、「“それぞれの細胞”を、神経細胞や筋肉細胞、骨細胞などに、“命令・指示する”ための、“司令塔”が“存在する”」ということで、「“その司令塔”(=“個体の自我”)は、将来の“人間の姿・形”の“設計図”を、“イメージしながら”、将来の、それぞれの、”細胞の役割”を、“計算”した上で、“整合的”に、“細胞を選び”、“その役割に見合った”、例えば、“神経細胞や筋肉細胞”などに、“合理的”に、“分化”を、“決定する”」というわけである。

 

「“分子生物学”」においては、「この“司令官”が、“存在しない”」ことを、「“前提”とした“研究である”」ことを意味する。つまり、「生命体の研究でありながら、統一的な理論がない」わけで、「細胞や遺伝子は、将来の目標もなく、その日暮らしで、単に、生きている」だけの「存在」なのである。

 

つまり、「“特定の遺伝子”を“活性化させる”と、“その情報”が、“発現”して、“その細胞”が、将来、“神経細胞”に“分化する”」ことを「“確認“」して、やっと、「”活性化した遺伝子“が、”神経細胞に分化させる情報“を、”持っている、遺伝子である“」という具合に、「”実験“で、”特定する“」だけなのである。つまり、「”特定の状況“を、”予測する“」ような、「”統一的、かつ整合的“な、”理論がない“」ので、「常に、”出たとこ勝負”の、“成り行き任せ“の”学問である“」ということである。

 

かくして、「逆に、個別の、“遺伝子の情報”を、“実験”で、“確認する”」ことをを、「“積み上げる”」ならば、将来、「“個体・全体”の“姿・形”の、“全貌を決める、遺伝子情報”が、“明確に成るだろう”」というわけで、「“その方向”(=“種”に、“特定の、姿・形”(=全体像)を“決定”する、“要因の探索”)に、“実験”を、“合理的に進める”」ための、「“統一的な理論”は、“全くない”」わけである。

 

その上に、「時計は、“自動的”に、針が、右回りに、“回転するモノ”である」という「“常識”が、“固定化されている”」ために、「“上位側の観測者”(=上位側の存在)の、“意志”で、“下位側の観測者”や、“反応・性質”が、“決定される”」という、「“考え方”の“根拠”(=思想・哲学・動機)が、“全く存在しない”」わけである。そして、「“分子生物学”(=物理学)の“常識”が、“世界のグローバリズム”として、“定着した結果”が、“現状の、多様な国際問題”の、“核心である”」というわけである。

 

「“この視点”を、“代表している”」のが、「物理学では、“光子の性質”は、“波動と粒子”の“両面”を“持ち”、“直進する”」という具合に、「“光子の性質”として、“定義する”」ことである。つまり、「“光子の性質”が、“決まった背景”」について、「“上位側”の、“意

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志”が、“働いた結果”として、“決められた性質”である」という具合に、「“上位側”の、“意志”の存在を、“肯定する価値観”は、“皆無である”」という、「“事例”が、“挙げられる”」ということである。

 

かくして、「“人間”が、“この世”に、“誕生する”」ことにも、「“上位側”の、“意志”の“存在を、否定する”」わけだから、「“人間中心”の、“思想”(=自然観)が、“定着している”」わけである。

 

しかし、「“上位側”の“意志”の“存在”を、理論的に、“納得できる”、“筋書き”で、“示す”」のは、「非常に、“難しい”」ので、「“本論”では、“時計の針”を、“上位側の観測者”が、“自分の意志”で、“右回り”に“廻す”」という、「“面倒な仕組み”の“モデル”を、“考案した”」わけである。しかし、「時計は、“自動で動く”」という「“常識”を、“前提”」とする限り、「“上記のモデル”が、“生命の研究”に、“どういう意味”が、“あるのか”?」さえも、「“認識できない”、生物・医学者が、“多い”」ことを、「“危惧している”」わけである。

 

「このような、上位側の、“意志”の存在」に「注目」すると、「後半の、バーバラ・A・ブレナン女史の“見解”は、“現代”に、“不可欠の観察記録”である」と思われる。

 

かくして、「“私の場合”は、“神の光”は、“上位側の観測者”が、“意図的”に、“創り出す”、“意志の光”である」という具合に、「“独自”に、“定義している”」わけで、「その“意志”は、“時計の針”を、“回す時”に、“具現化する”」のであり、「“これらの”公式“から、”想定する“」と、「”ベクトル“は、”意志のエネルギー“である」という「”結論に成る“」わけである。

 

「図9の、図(CC)」は、「観測者(β―5)と、観測者(β―1)の、“2人”が、それぞれの、“左手”に、“持つ”、“時計の形状”」を表している。「“横並び”の、“デジタル”な、“目盛の並び”」については、「図8の、図(AA)の、図(cc)=“非・活性化状態”」と、「図8の、図(BB)=“活性化状態”= “目盛”の、“1つ置き”に、“番号”が、“付いている”」を、参照されたい。

 

「図9の、図(CC)」の、「図(kk)は、“観測者(β―5)”が、“非・活性化状態”において、“持つ”、“時計の形状”」であり、「“目盛”の“番号”が、=10=から=6=の“範囲”を、“指定する”ように、“時計の針”が、“左回り”に、“廻る”」ことによって、「“瞬間的”に、“神の光子”を、“出現”させ、かつ、“瞬間的”に、“消滅”させる」こと

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で、「“特定の範囲”に、“単位ベクトル”を、“刻印する”」ことを表している。

 

従って、「“目盛”の“番号”が、=10=から=6=の“範囲”で、“合成ベクトル”(=“下向き”の、“睡眠化・合成ベクトル”)が、“生じる”」という具合に、「考える」わけである。

 

「図9の、図(CC)」の、「図(ll)は、“観測者(β―5)”が、“活性化状態” において、“持つ”、“時計の形状”」であり、「“目盛”の“番号”が、=10=から=6=の“範囲”を、“指定する”ように、“時計の針”が、“左回り”に、“廻る”」ことによって、「“瞬間的”に、“神の光子”を、“出現”させ、かつ、“瞬間的”に、“消滅”させる」ことで、「“特定の範囲”に、“単位ベクトル”を、“刻印する”」ことを表している。ただし、「図(ll)の場合は、目盛の、1つ置きに、番号が、付いている」のは、「時計の“目盛”の“数”が、“増えた”(“神の光子”の“出現回数”が、“増える”)」ことに「“対応している”」わけである。

 

一方、「図9の、図(CC)」の、「図(mm)は、“観測者(β―1)”が、“非・活性化状態”において、“持つ”、“時計の形状”」であり、「“目盛”の“番号”が、=6=から=10=の“範囲”を、“指定する”ように、“時計の針”が、“右回り”に、“廻る”」ことによって、「“瞬間的”に、“神の光子”を、“出現”させ、かつ、“瞬間的”に、“消滅”させる」ことで、「“特定の範囲”に、“単位ベクトル”を、“刻印する”」ことを表している。

 

従って、「“目盛”の“番号”が、=6=から=10=の“範囲”で、“合成ベクトル”(=“上向き”の、“覚醒化・合成ベクトル”)が、“生じる”」という具合に、「考える」わけである。

 

「図9の、図(CC)」の、「図(nn)は、“観測者(β―1)”が、“活性化状態” において、“持つ”、“時計の形状”」であり、「“目盛”の“番号”が、=6=から=10=の“範囲”を、“指定する”ように、“時計の針”が、“右回り”に、“廻る”」ことによって、「“瞬間的”に、“神の光子”を、“出現”させ、かつ、“瞬間的”に、“消滅”させる」ことで、「“特定の範囲”に、“単位ベクトル”を、“刻印する”」ことを表している。ただし、「図(nn)の場合は、“目盛”の、“1つ置き”に、“番号”が、“付いている”」のは、「時計の“目盛”の“数”が、“増えた”(=“神の光子”の“出現回数”が、“増える”)」ことに「“対応している”」わけである。

 

従って、「図9の、図(CC)」の、「“時計の形状”と、“目盛”の“指定範囲”」を「“イメ

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ージ”」してから、「図9の、図(CC)」の、「図(AA)と図(BB)を“比較する”」と、「“特定の範囲”の“塩基の並び”」に対して、「“神の光子”の、“出現範囲”が“決定”」されて、「“対応する”、“塩基の並び”に、“単位ベクトル”が、“配列される”」ために、「“2種類”の、つまり、“1対”の、“相互”に“逆向き”の、“合成ベクトル”が“誕生する”」ことが、「“イメージできる”」であろう。

『図10(R2-図10)』

「図10の、図(AA)と、図(BB)」は、「“両方”とも、“背景”の、“階段状のグラフ”」は、「“人間のケース”で、“覚醒状態”から、“睡眠状態”に、“移行する”場合の、“時間経過”」を示している。

 

「“階段状のグラフ”」とは、「図(AA)では、図(bb)から“開始”して、図(cc)を“通過”し、図(g)の“REM睡眠”を“通過”して、最後に、図(dd)まで、“階段状”に、移行する、“グラフ”」のことである。

 

また、「図(BB)では、図(ff)から“開始”して、図(gg)を“通過”し、“REM睡眠”を“通過”して、最後に、図(hh)まで、“階段状”に、移行する、“グラフ”」のことである。

 

ただし、「普通は、“1晩”に、“約4回”、“同様”な、“背景”の、“階段状のグラフ”を示す」のであるが、「ここでは、“1回だけ”の、“階段状のグラフ”」で説明してある。

 

また、「図(CC)は、「“個体の自我”の“表記法”」を示しているが、「完全な、“オリジナル”」であり、「“テキスト”などが、“皆無”」なので、「“睡眠状態”と、“覚醒状態”の、“量的な変化”を、“記述できる”、“独特な考え方”」を、「具体的に、“図解してある”」わけである。

 

さらに、「正常な、“睡眠・覚醒”における、“個体の自我”の“状態”」と、「“励起状態”の“個体の自我”の“状態”」も、「“質的・量的”に、“区別できる”」という「“表記法”である」ことにも、「注目すべき」であろう。

 

「図10の、図(AA)」は、「“覚醒状態”から、“睡眠状態”に、“移行した”後に、再び、 “覚醒状態”に、“戻る”場合の、“時間経過”を示している」が、「通常は、“このような

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グラフ”は、“脳波”を測定して、“脳波の形状”(=パターン)の“比較”によって、“診断される”」わけである。従って、「横軸は、“時間経過”」であり、「縦軸は、“ビジランス・ゼロ”という、“睡眠と覚醒”の“境界線”を“基準”にして、“上向き”(=高さ)が、“覚醒の高さ”、“下向き”(=深さ)が、“睡眠の深さ”」を表すのが、一般的である。

 

ただし、「図(AA)」では、「図(CC)の、”個体の自我“の”表記法“」に従って、「”脳波“による、“睡眠と覚醒”の、“診断結果”に、“対応させ”ながら、“説明する”」ことにしよう。

 

一方、「図10の、図(BB)」は、「図(CC)の、”個体の自我“の”表記法“」に従って、「“瞑想”(=坐禅)などによって、“個体の自我”が、“消失する”(=“仏教”では、“無の境地”と“表現する状態”)」だけでなく、「“超能力”が“誘発”される場合の、“個体の自我”の、時間的な、“変化のプロセス”」を示している。しかし、「“マウスの脳波”を調べる」と、「“超能力”が、“分かる”」という話ではない。

 

従って、「図(CC)の表記法」に「“慣れる”」ことが「肝要」である。それから、「図(AA)と図(BB)を、“比較すべき”である」が、「“単純な表記法”だけの“解説”」では、「こういう“モデルを造る意図”が、多分、“最初の読者”には、“不明である”」ように思われるので、「図(AA)と図(BB)のような、“応用目的”から“先に、実例”を、“示した”」わけである。

 

というのは、「“睡眠と覚醒”の“研究や教育”は、“医学部以外”の、例えば、“生物学の領域”でも、“行われていない”」わけである。従って、「“脳波”が、“どういう性質”の“指標”であるのか?」や、「医学系の、“精神科的”な、“知性”に関する、“考え方”や、“意識”や、“自我”など」については、「“生物学科”では、完全な、“専門外”の“分野”である」ことに「“注目すべき”」である。

 

「“こういう状況”」は、「“哺乳類”で、“脳の発達”が“著しい”」上に、「“哺乳類”の中でも、“脳の発達”した、いわゆる、“大脳皮質”が、“発達”している“動物”が、“実験材料”として、“多用される”」ことにも関係している。

 

しかし、「“私の場合”は、“マウス”の“脳波の計測”と、“睡眠と覚醒”の、“診断”の“研究”」で、「図(CC)の“モデル”を、“考案した”」わけで、「逆に、“マウス”の“睡眠と覚醒”に、“特徴”があった」ことに「由来」して、「図(CC)の“モデル”の、“アイ

デア”が、“生まれた”」と言っても過言ではない。「その理由」は、「後述」してある。

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しかし、また、「“マウス”の実験で、“自我”や“意識”の“モデル”を、“提案した”」ので、「“マウス”に、“意識”が、“あるのか”?」という具合に、「“皮肉られる”、“結果”となった」わけである。つまり、「“精神科の医師”は、“人間”だけに、“意識”がある」と、「“考えている人”が、“体験的”に、“多い”」ような「“気”」がする。

 

従って、「図(CC)の、“オリジナル”の“モデル”」から、「“説明する”」ことにしよう。「図(CC)の、図(r)は、“睡眠状態”で、図(s)は、“覚醒状態”」を表している。つまり、「“第3の合成ベクトル”(=中央)」が、「“下向き”に、“生じる”と、“睡眠状態”」であり、「“上向き”に、“生じる”と、“覚醒状態”」と「“見なす”」わけである。「“睡眠状態”や“覚醒状態”は、“個体の特徴”である」から、「“第3の合成ベクトル”は、“個体の自我”に、“対応する”」と「“見なす”」わけである。

 

一方、「図(CC)の、図(t)は、“細胞の自我”で、“主体の単位”(=“細胞の自我”の、“潜在モデル”)」を表している。これまでに、つまり、「ファインマンの仮想実験」に言及しながら、「“遺伝子の自我”や、“細胞の自我”」という、「“主体の単位”(=“自我”の、“潜在モデル”)」については、「“説明してある”」わけである。

 

そこで、「図(CC)の、図(u)」は、「図(t)の、“主体の単位”(=“細胞の自我”の、“潜在モデル”)と、“同様な構成”」であるが、「“個体の自我”の、“大きさが、ゼロ”という場合の、“表記法”」であり、「“2重矢印”で描いてあるのは、“2系・一対”の、“両方”の“合成ベクトル”(=“個体の自我”は、“ゼロ”)が、“等しい”ために、“個体の自我”が、“ゼロ”(=0)の“ケース”」である。

 

そこで、「図(u)の“ケース”を、“個体の自我”が、“無”の“状態”」と「“見なす”」わけである。同様に、図(u)に比べて、図(x)は、“両方”の“合成ベクトル”が、“等しい”上に、さらに、“大きい”」、「図(y)は、“両方”の“合成ベクトル”が、“等しい”上に、さらに、“大きい”」、「図(z)は、“両方”の“合成ベクトル”が、“等しい”上に、さらに、“大きい”」ので、「“両方”の“合成ベクトル”の間に、二重丸(=◎)の“数”を、1個、2個、3個」という具合に、「“増加”させて、“無の状態”の“レベル”を、“超能力の力”の“レベル”である」と考えて、「“4種類”に、“区別している”」わけである。

 

「図(x)、図(y)、図(z)の“ケース”」のように、「“両方”の“合成ベクトル”の間に、二重丸(=◎)の“数”を、1個、2個、3個」などが、描いてあるのは、「“中央”の、“第3の合成ベクトル”(=“個体の自我”の、“大きさ”)が、一度、図(u)のように、ゼロ(=“無の状態”)に成った“後”」に、「“二重丸(=◎)”の“数”に、“対応し

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た量”の、“神の光”が、“中央”の“帯の部分”から、“溢れ出してくる”(=“超能力”が“出現する”)」ことに対応している。

 

そのために、「“横線”(=ビジランス・ゼロの線)の“幅が、上下方向に、拡大する”(=“ビジランス・ゼロ”の“帯”に発展する)」ということを「表現している」わけである。そして、「“超能力”が“出現する”」ので、「“これらのケース”は、“ベクトル自我”(=“通常の状態”)ではなくて、“光・自我”(=“超能力者”の“状態”)である」という具合に、「“呼び方”を、“変える”」わけである。

 

「“2系・一対”の、“合成ベクトル”は、“単位ベクトル”の“加算結果”」であるから、「“量的な変化”を、“区別できる”」のであるが、「“両・合成ベクトル”を、具体的に、“計測機”で、“測れる”」というわけではない。すると、「このような、“表記法の意味”は、“何所にあるのか”?」が、「“問題に成る”」わけである。

 

そこで、「具体的に、“モデルを考案”した、“動機”」を、「簡単に、“説明しておく”」ことにする。「“動機”には、“2種類”がある」のであるが、「1つは、“実験の体験”に基づく、“工夫”」であり、「もう1つは、“抽象的な概念”の構築」である。

 

「“1つ目”は、“睡眠学会の専門用語”である、“ビジランス・ゼロ”の“基準線”を、“上下に変更”する、“試み”」であり、「“マウスの睡眠”が、非常に、“小刻み”である」ことに「“着目”」したことである。そして、「マウスは、“動きが激しい”ので、“脳波の正確な記録”が、非常に“難しい”」ので、「“マウスの動き”を検出する、“センサー”を“装着”」して、「“両方の指標”を、“同時”に、“検出する試み”」を、「“実現した”」わけである。

 

そこで、「“睡眠の持続時間”の“指標”と、“行動の持続時間”の“指標”」の、「“両方”を、“秒単位”で、長時間、“計測・記録”」して、「“両方”の“持続時間”の“長さ”を、“任意”に、“変更”して、”結果(=基本データ)“に対して、何回も、”診断”を、“繰り返す”、“タイプの実験”を、“試みた”」わけである。

 

「それぞれの、“持続時間”の“長さ”を、“任意”に、“変更する”」という「“意味”」は、「例えば、n秒間、“続いた睡眠”は、“覚醒状態”として、“判定する”」、「k秒間、“続いた行動状態”は、“睡眠状態”として、“判定する”」などの、「“人工的”な、“指標”を、“造り”、nやkの“変数”を、“換える”」ことで、「“長時間の、診断”を、“繰り返す”と、“マウスの個性”に、照らした、“睡眠や覚醒”の、“薬理実験”が、非常に、“シャープ”に、“行える”」ことが分かったのである。

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つまり、「“持続時間”を、“指標”にして、“睡眠持続の時間”や、“行動持続の時間”を、“変更する操作”」は、「実は、“ビジランス・ゼロ”の、“睡眠と覚醒”の“接点”(=境界)である、“基準のレベル”を、“変更させる”(=上下に、“シフト”させる)」ことに「“等しい”」わけである。「これらの手法」については、「既に、“2編の論文”が、“掲載されている”」ので、「“必要”に、応じて、“参照”」されたい。

 

「2番目の、“抽象的”な、“発想”」は、「“ビジランス・ゼロ”の、“睡眠と覚醒”の“接点”(=境界)」が、実際には、「“人間・個体”の“皮膚面”(=基準の線)に相当し、“皮膚を境界”にして、“内向きの力”が、“睡眠力”」であり、「“外向きの力”が、“覚醒力”」であるという「“独断”が、“あった”」からである。

 

しかも、「当時は、“神経細胞の活動電位”や、“受精卵の受精電位”の“計測”が、“生理学教室”では、“流行”のように、“行われていた”」ので、「“1番目の試み”には、“細胞研究”の“モデル”が、“存在した」わけである。つまり、「“細胞の膜電位”については、“内向きの力”と“外向きの力”が、“発生する”、“膜の平衡電位”の“理論”が“存在した”」ので、「“細胞の内外”の、“イオン濃度”を“変える”と、“膜の電位”が、簡単に“変更できる”」のであるが、「“2番目の試み”である、“睡眠力”や“覚醒力”の存在を、“想定する”」ためには、「“根拠”(=”先行“する、”理論“)が、”ない”」わけである。

 

しかし、「“理由”は、“分らない”けれども、“ベクトル”は、“方向を持つ、エネルギー”であり、“力である”」という、「“認識”が、“大学に進む前”から、“あった”」ので、「“根拠”の“ない自信”が、“私”には、“あった”」わけである。というのは、「“前回”の、論文・原稿(1)は、既に、“大学に進む前”に、“ベクトルの意味”を、“理解する”ための“モデル”として、“考案していた”」からである。

 

そして、「“ベクトル”の“使い道”を、“探していた”」のであるが、「“生物系”では、“睡眠現象”を“考察する、機会”が、全く、“存在しなかった”」けれども、「“医学系の研究ポスト”に、“移行する運命”が、“訪れた”」ために、「初めて、“マウスの睡眠現象”を、“扱う必要性”」が生じて、「“ベクトル”は、“生命”(=意識)に、“関与している”」ことに、「“気付いた”」わけである。

 

要する、「一寸した、“気付き”が“生じる”」ためには、「本々、“その神秘”に対して、“問題意識”を持って、“思考”を、“継続している”」ことが、「“不可欠”」であり、「“その逆”である、“気付き”の、具体的な“機会”に、“運命的”に、“巡り合う”」ことも、「“必要である”」ということである。

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「“この状況”が、“訪れた時”に、“世間の常識”とは“異なる発想”(=非常識)でも、“自身”の伴う、“オリジナル”が、“誕生する”」ように思う。そして、「“ファインマンの、仮想実験”の、“図面を見た”、瞬間」に、「“この発想”は、私が、“10代”で、“考案したモデル”に、“似ている”」という、「“直感”が、“生まれた”」わけである。

 

そこで、「“ファインマンの、仮想実験”の“1枚の絵”から、“個体の自我”に関する、物理学的な、“基本単位”」である、「“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)を、“導き出した”」わけである。

 

いわば、「“細胞の膜電位”の、“形成理論”(=“細胞内外”の、“イオン濃度”の“違い”で生じる、“平衡電位”)の“発見”」に、「“相当する”」と、「“自分”では、“位置付け”て、“自画自賛”している」わけである。

 

しかし、「世間に、“認められなく”ても、“自画自賛”できる、“オリジナル”が“存在する”」と、「“次のステップ“の、”偶然“も、”訪れる“」ような「”気“」がする。

 

それは、「”定年後“に、”バーバラ・A・ブレナン女史“の”著作“」である、「”光の手“(=上下巻:翻訳出版は、河出書房新社)」を、「”福岡の開業医“が、”紹介してくれた“」ことである。

 

「私は、自分でも“理由は、分らない”」けれど、「“宇宙の生理学”」とか、「“地球の環境科学”(=宇宙ゴミの話ではない)」という、「一見、“意味不明”の、“タイトルの単行本”を、“出版していた”」のであるが、「“こういう内容”の“本は、自費”でも、“出版したい”という、“願望があった”」わけである。「“その理由”」は、「“人間の生命”には、“地球の外側”の、“宇宙の未知”の“現象”が、“深く関与している”」という具合に、「“強烈に、感じていた”」のであるが、「“その根拠”が、“不明であった”」ために、「“模索していた”」わけである。

 

「“そこへ登場した”」のが、「“光の手”という“単行本”」であり、「“その本”は、“超能力者”にだけ、“見える現象”の“観察記録”の、“オンパレード”」であり、「“私”の、“探索して内容”を、そのまま、“具体化した内容”」であった。そこで、「“驚いた”のは、“超能力者”であり、“物理学者”である、“ブレナン女史”が、“過去の物理学”の中に、“超能力・現象”を、“説明できる理論”が、“存在しない”」と「“書いてあった”」ことである。

 

「“光の手”」は、「“超能力者”で、“物理学者”である“人間”」が、「“自分”が、“宇宙の

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中“や、”あの世“で、具体的に、”生じている現象“を、厳密に、”観察“して、”文章“で、”語っている“」わけだから、「“超能力者”の側面と、“物理学者”の側面が、見事に、“表現されている”」ことで、「特に、“2つ”の、“重要な視点”(=“本質的な疑問”)に、“気付いた”」わけである。

 

「1つは、“物理学者”は、“客体側の事象”として、“光子の活動”を、“対象”にして、“観察する”」ことで、「“その意味”では、“ファインマンの見解”と、“同じ”である」ことである。つまり、「ファインマンの場合は、“太陽の光子”の“活動”」であるが、「ブレナン女史の場合は、“神の光子”の“活動”である」という、「“違い”が、ある」けれども、「“1個の粒子”としては、“両方”とも、“普通の人”には、“見えない”」わけである。

 

そこで、「本々、“誰にも、見えない”、“1個単位”の“光子の活動”を、“見えない人”に、“理解させる”」ためには、「“1個の光子”を、“誰でも見える”、“目盛”のような“丸い容器”の中に“入れ”て、“入れモノ”である“目盛”(=容器)の、“外側”に、“時計の針”で、“針先の角度”(=“単位ベクトル”)を、“刻印する”」と、「“誰にでも、見える”」ので、「“単位ベクトル”が、時間的に、“変化する状況”で、“1個単位”の、“見えない”、“光子の活動”を、“理解させる”」ような、「“試み”を、“ファインマン”(=物理学者)は、”仮想実験“として、”設定した“」という具合に、「“自分”(=“読者側”)で、“想像する”」ことである。

 

そこで、「ブレナン女史の場合も、同様に、“神の光子”に対して、“針先の角度”(=“単位ベクトル”)を、“刻印する”状況(=“プロセス”)を、“導入する”」ならば、「“普通の人”には、“見えない光子”の“運動”が、“理解できる”」という具合に、「“考えられる”」であろう。

 

一方で、「物理学者は、“主体側”の“運動や状態”を、“全く考慮しない”」という「“共通点”が、“存在する”」わけである。「ファインマンは、“観測者”や、“時計”を、“計測の手段”」として、「“仮想実験”に、“導入している”」のだが、「“観測者”の“運動や状態”の“変化”には、全く、“言及していない”」わけである。

 

これに対して、「ブレナン女史の場合は、“意識”という“言葉”が、“観察結果”の“説明”で、“頻繁”に、“使われる”」のであるが、「“意識という言葉”の、“イメージ”が、全く、“掴めない”」わけである。

 

これは、「“超能力”とは、“意識”の“活動様式”である」ことに、「あたかも、“超能力者”

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である、“本人”が、“気付いていない”」ようにみえる。「これは、“主体側”の“行動・状態”を、“無視している”」ことに「由来する」わけで、「バーバラ女史の場合は、“意識の元”に成る、“自我の姿・形”を、全く、“イメージできない”」ことに「原因がある」わけである。

 

そこで、「“自我”が、“言語や、図形情報”と、“結合”(=反応)して、“意識”が、“生じる”」という「“公式”を、前もって、“設定する”」と、「ブレナン女史が、“意識という用語”を、“使っている”」のは、殆ど、「実際には、“自我と結合する”、“相手方”である、“言語や、図形情報”の“状況”(=局面=内容)に、“対応している”」ことが、「非常に、“明瞭”に、“分かる”」と思われる。

 

かくして、「“この論文”の“後半”では、図10の、図(CC)の、“個体の自我”の“姿・形”」を、「“ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーフィールド”や“人間エネルギーフィールド”(=オーラ)の“内容”に、“付け加える”」だけで、「“超能力のメカニズム”を、完璧に、“解説できる”」ことを、「“示してある”」わけである。

 

しかも、「“ファインマンの仮想実験”で生じる、“基本的な法則”」が、「“ブレナン女史の解説”に対しても、“ファインマンの用いた”、“基本的な法則”と、“同じ法則”が、“使われている”」ことまで、「“同じ”」なのである。

 

「“物理学者”に、“共通”している、“主体側”の“運動や変化”を、“無視する”」という「“私の指摘”を、“明快に表す”、“実例”」を、「“以下に、述べておく”」ことにしよう。

 

「“本論”の中では、“時計の文字盤”に“所属”している、“目盛”の“並び”を、“文字盤”から、“独立”させて、“自立”したかのように“見える”、“目盛の横並び”を、“単位ベクトルの並び”と、“見なす”」ことは、「“デジタル化”の“現象である”」という具合に、説明し、「“デジタル化”を、“繰り返した”末に、“本来”の、“時計の文字盤”に、“戻して見る”」と、「“時計の怪物”が、“出来ている”」という、「“実例”で“説明した”」わけである。

 

「もう1つの、“実例”」は、「“メビウスの輪”で、“示す”」ことができる。

 

「“1枚の紙(=テープ)”には、“裏と表”が、ある」のは、当然である。そこで、「“1人の男”が、“テープの表面側”を、“歩いている”」と考えよう。すると、「“その男”は、“テープ”の、“表側の端”まで“到達する”と、“行き止まり”」に成るはずである。

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しかし、「“1枚の紙(=テープ)”を、“1回だけ、ヒネル”ことで、“端と端”を、“貼り合わせる”と、“メビウスの輪”」ができる。そこで、「再び、“メビウスの輪”の“表面側”を、“1人の男”が、“歩いている”」と考えよう。ところが、「今度は、“その男”には、“テープの端”が、“出現しない”」ので、「“エンドレス”に、“歩き続ける”」わけである。

 

この時、「“その男”は、最初は、“テープの表側”を、“歩いている”」と、「“自分”では、“感じている”」ハズであるが、「“いつの間”」にか、「“本人”が、“テープの裏側”の、“面の上”を、“歩いている”」ことを意味する。

 

つまり、「“本人”(=観測者A)は、“テープ”の、“上側(=表側)だけ”を、“歩いている”」と、「“思い込んでいる”」のだが、一方、「“メビウスの輪”の“全体”を、“遠方から見ている、観測者”(=観測者B)」には、「“歩いている人”(=観測者A)が、“テープの”上側“や、”左側や右側や、下側“などに、”回転しながら”、“歩き続けている”」ように「“見える”」わけである。

 

つまり、「“観測者の立場”が“違え”ば、“観察結果”は、“全く異なる”」という「“実例”」であり、「“観測者”の、“立場の違い”を、“考慮”して、“分析する”」ことを、「“観測者”は、“主体側”の“存在”であるから、“物理学者”は、“主体側”の“存在”を“無視する”」と、「“真実の結論”(=“全体の立場”に“立った結論”)が、“得られない”」で、「“一部”だけを、“独立”させて、“デジタル化する”ので、スッキリして、“明快である”」けれども、「“一部”の“現象”が、“所属”している、“本来の姿”である、“全体の構図”の“真実”が、“分らない”」という意味である。言い換えると、「“全体”の“真実”を“知る”ことを、“放棄している学問”が、“物理学”で“ある”!」というわけである。

 

さて、「“自我のモデル”の、“存在の意味”(=“必要性”の“意味”)を、先に、“説明してきた”」けれども、「“元に戻して”、図10の、図(AA)と、図(BB)の、“違い”を、“説明をする”」ことにしよう。

 

「図10の、図(AA)は、図(CC)の、図(r)と図(s)の、“2種類”」に、「“注目する”」だけでよい。

 

ただ、「図(c)と図(h)」だけは、「“第3の合成ベクトル”が、“ゼロ”(0)である」から、「図(CC)の、図(u)と、“同じ、構図”である」が、「図(AA)では、図(c)が、“入眠状態”の“瞬間”」で、「図(h)が、“出眠状態”の“瞬間”」を表している。

 

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つまり、「“睡眠と覚醒”の“境界線”(=“ビジランス・ゼロ”の“横線”)を、“瞬間的”に、“横切る”」場合の、「“第3の合成ベクトル”(=“個体の自我”)の“状態”を“表している”」わけである。

 

すると、「“第3の合成ベクトル”(=“個体の自我”)の“大きさ”(=長さ)と、“上向き”or“下向き”によって、“覚醒の高さ”や、“睡眠の深さ”を、“量的”に、“表現してある”」ことが、「“了解できる”」であろう。

 

「図10の、図(BB)は、図(CC)の、“右側の構図”が、“境界線”(=“ビジランス・ゼロ”の“横線”)の“真上”に、“並べてある”」だけで、「“左端”の、“入眠状態”の“瞬間”から、“右端”の、“出眠状態”の“瞬間”」まで、「“右向き”に、“境界線”(=“ビジランス・ゼロ”の“横線”)の“真上”において、“瞑想行為”における、“無の境地”を“保つ”場合に、“個体の自我”の“状態”が、徐々に、“変化する”、“状況”の、“プロセス”」を、「“表している”」わけである。

 

まず、「図(k)の状態から、図(l)、図(m)、図(n)の順番」に、「“無の状態”が、“大きくなる”(=成長する!)」わけである。しかし、「“一般”には、“無の状態”が、“大きくなる”(=成長する!)という、“イメージ”は、“描けない”」ハズである。

 

だから、「“瞑想行為”の“指導者”(=僧侶など)は、“無の状態”が、“大きくなる”(=成長する!)ことを、“意識”を“拡大する”」という具合に、「“表現する”」ハズである。

 

そこで、「“個体の自我”は、“言語や図形”の“イメージ”などと、“結合”して、“意識”に“変換される”」という「“公式”の“存在”を、“知っている”」ならば、「“指導者”(=僧侶など)の“表現”には、“矛盾がある”」ことに、「“気付く”」であろう。

 

というのは、「“無の状態”とは、“個体の自我”に“相当する”、“第3の合成ベクトル”(=“自我”の“大きさ”)を、“ゼロにする”」という「“意味”」であり、「“意識”を“拡大する”という“表現”」は、「“2系・一対”の、“両方”の“合成ベクトル”を、“拡大しなさい”」と「“言っている”、“つもり”」なのである。

 

つまり、「“文字通り”、“無我”の“境地”」という「“表現”」は、「“自我”の“大きさ”を、“ゼロ”にする」という、「正確な“内容”で、“ある”」にも拘らず、「“指導者”(=僧侶など)は、その“メカニズム”については、全く、“理解していない”」ので、「“逆のこと”、つまり、“公式”によって、“個体の自我”と“結合するはず”の、“言語や図形”の“イメ

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ージ”を、“拡大せよ”」と、「“指導している”」ことに「“成る”」からである。

 

ところが、「“個体の自我”が、“言語や図形”の“イメージ”などと、“結合”して、“意識”に“変換される”」という「“公式”が“できる”」という「“背景”には、“自然界”に、“別の現象”が、“存在する”」ことを、「“知るべき”」なのである。

 

「“自然界”に存在する、“別の現象”」とは、「“宇宙”には、“地球”から、“離れている”ほど、“遠い場所”(=宇宙空間)に、“言語や図形”の“イメージ”を書いた、“絨毯のような巻物”が、“並んでいる”(=“アカシック・レコード”)」わけで、「“地球”から、“離れている”ほど、“レベルの高い”、“言語や図形”の“イメージ”(=情報)の“巻物”が、“配置(=配列)されている”」というわけである。

 

だから、「より、“高い価値観”を“与える”、“言語や図形”の“イメージ”(=情報)の“巻物”の“配置場所”に、“届く”」ためには、「“個体の自我”(=“光・自我”)を、“自分の努力”(=“瞑想”や“修行”によって)で、“成長させる必要”が、“ある”」というわけである。

 

そして、「“個体の自我”(=“光・自我”)が、“最高レベル”にまで“成長”し、そして、“最高レベル”の、“高い価値観”を“持つ”、“言語や図形”の“イメージ”(=情報)の“巻物”の“内容”と、“結合する”」と、「いわゆる、“最高レベル”の、“価値観”、つまり、“悟りの状態”の“意識”に、“換わる”」という「“意味”」なのである。

 

つまり、「“天”から、“与えられている”、“自然界”の“仕組み”」と、「“地球上の、”人間・個人“が、”努力“しなければ、”獲得できない局面“」との、「”2通り“を、”分けて“、”考える“」ことが、「”肝要である“」というわけである。

 

さらに、「“指導者”(=僧侶など)が、図(o)の、“多数”の、“細胞の自我”や、“遺伝子の自我”の“状態”まで、“分解するプロセス”」や、「図(p)の、“光子”群(=□■)の“状態”まで、“分解するプロセス”」について、「“言及する”ことは、“ない”」ハズである。しかし、「“現代の脳科学”には、“この局面”の、“メカニズムの理解”が、“不可欠”」なのである。しかし、「それだけに、“厳密な記述”が、“必要”に“成る”」ので、「“各論”で、“図解する”」ことにしたい。(=ただし、“ブログ”には、既に、“公開済み”である!)

 

つまり、「“個体の自我”(=“第3の合成ベクトル”)」ではなく、「睡眠化・合成ベクトル

 

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と、覚醒化・合成ベクトル」の、「“両方の成長”と、その後の、“分解のプロセス”」において、「“種々”の、“多様”な、“超能力”の“現象”(=力)が、“誘発される”」わけである。「“これらのメカニズム”」は、「“各論”で、“図解する”」ことに「“すべき”」である。

 

つまり、「“2つ”の、“完全なオリジナル”の“概念”が、“理解できない人”(=“段階”)」には、「“各論”を、“図解”しても、“理解できない”」ために、「“オリジナルの概念”が、“車の両輪”として、“完全”に、“理解できる”までは、“ブログのアドレス”を、ここで、“公開すべきではない”」と、「“考えている”」わけである。

 

「“オリジナルの概念”が、“車の両輪”であることを、“強調する理由”」は、「“オリジナルの概念”が、“西欧の科学”に、全く、“存在しない概念”である」のに、「“現代”の“有識者”は、尽く、“西欧の科学的な知識”を“ベース”にして、“新しい価値観”を、“評価する”」わけだから、「まず、“西欧の科学”の“価値観”を、“完全に放棄”して、“評価基準”の“ベース”が、“無の状態”で、“新たな評価基準”を、“構築する”」ことが、「“前提に成る”」からである。

 

だから、「“西欧の価値観”を“ベース”にして、従来よりも、“少しだけ”、“その価値”を、“高めるだけの独創性”(=イノベーション)とは、“全く、異なる”、“完全・オリジナル”の“概念”(=レボルーション)である」ことを、「“再認識する”」ことが、「“重要”」なのである。

 

ここで、1つだけ、「常識とは異なる、「透視」の“原理”について、“本論の違い”」を指摘しておくことにしよう。

 

「超能力者が、身体の内部や、遮蔽物の裏側に存在する物体を、予告する」現象(=透視)は、「物理学者が考えるように、X線などのように、素粒子などが、透過する原理ではない」のであり、「個体の自我が、細胞の自我などに分解する、いわゆる、生物学的な現象(=細胞分裂の原理と同じ)」なのである。

 

というのは、「“個体の自我”は、“合成ベクトル”であり、“構成要素”の“単位ベクトル”の“寄せ集め”であり、“単位ベクトル”は、“分解のプロセス”で、全部、“それぞれの細胞の古巣”に“帰る”」わけである。その意味で、「“透視現象”は、“ベクトル合成”と“ベクトル分解”の、“両方のプロセス”の“理解”が、“キーワード”に成る」わけである。

 

「上記」のように、「“個体の自我”(=“第3の合成ベクトル”)ではなく、睡眠化・合成

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ベクトルと、覚醒化・合成ベクトルの、両方の成長と、その後の、分解のプロセスにおいて、「“種々”の、“多様”な、“超能力”の“現象”(=力)が、“誘発される”」わけである。

 

とりわけ、「励起された状態の、意識の自我は、光自我」であり、「睡眠化ベクトルと覚醒化ベクトルの両方が、ベクトル合成のプロセスで巨大化している」ので、「その構成要素の単位ベクトルに分解する」場合に、「自分の体外にまで、飛び出して、他人の意識の内側や、遮蔽物の裏側や、遠方まで、拡散してしまう」わけである。

 

一方で、「“構成要素”の単位自我は、“個体の自我”の「“分身”」として働く機能も備えている」ので、「例えば、他人の意識内に潜入して、他人の知らない間に、過去の体験情報の記録を消去したり、新しく書き込んだり、編集したりできる」ので、「他人を別人に、換えてしまうことが可能」であり、「この状況が、いわゆる、洗脳と呼ばれるメカニズム」である。

 

さらに、「バーバラ女史の“ヒーリングの体験例”の中には、患者が少女時代に受けた屈辱のために、大人に成ってから、うつ病のような精神疾患を、引き起こしている状況の治療例の観察結果が、克明に記述してある」のは、「“記憶のメカニズム”を考える上で、極めて、参考に成る」はずである。

 

「ブレナン女史は、患者の意識内に潜入する」のであるが、「潜入後に、過去の体験記録を、時系列的に遡る」と書いてあるが、「ブレナン女史の、何が潜入するのか?」は明確ではない。「超常能力者が、患者の少女時代に受けた、屈辱の体験記録の領域に、に到達したい!」という「願望を持った瞬間に、患者のオーラの中に、その記録部分が、直ちに、出現する」わけである。従って、「オーラの中で、彼女の指から出る、神の光によって、その屈辱の記録部分を削除する」と、「患者は、正常に戻る」と書いてある。

 

同様な事例は、「高橋真治も指摘している」わけで、「彼は、あの世では、思ったことが実現するのに、時間経過を必要としない」ことを強調している。「こういう現象は、個体の自我が、多数の細胞の自我が、中枢に向けて、ベクトル合成されるメカニズムや、再び、それぞれの細胞の自我が存在した、抹消の、それぞれの細胞群へ、ベクトル分解するプロセスの理解が、不可欠」である。

 

そして、「構成要素の細胞の自我は、それぞれ、個体の自我の「分身」として、「“シンクロナイズして機能する”」ために、「例えば、体内の全ての細胞が、見えている」ように感じるわけで、また、「“このメカニズム”がなければ、体験の記録や、想起のメカニズム、つ

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まり、記憶のメカニズムは、解明できない」わけである。

 

さらに、「超能力状態の、光自我」においては、「自分の身体内だけでなく、他人の身体の内側にも、潜入できる」ので、「メカニズムは、正常人と同じ」であるが、「励起状態では、分身の数が、膨大に成り、さらに、神の光のレベルまで、分解が進む」ので、「超常現象を、誘発できる」わけである。言わば、「サイバーソフトの原理に似ている」わけである。つまり、「超能力が、病気を治す手段」にもなり、また、「洗脳のような、サイバーソフトの役割も担う」わけである。

 

「人間が、夢を見るのは、体験した記録の中で、不要な情報を削除するために、脳で、記憶の編集が行われ、不要な情報が、夢に成って出てくる」という、「“仮設”が、英国の権威のある科学誌(=ネーチャー)に掲載されたことがある」けれども、「“自我や意識に関するメカニズム”が示してない仮説といえども、DNAの構造決定で、ノーベル賞を受賞した、ワトソン・クリックの、クリックの仮説(=後に、脳科学者に転身した)」なので、「国際睡眠学会でも、話題になったが、現状では、インターネットで検索して見る」と、「ヒーリングの関係者が、彼の仮説を、珍重している」ことが了解できる。むしろ、「ヒーラーを検索するのに、彼の名前と夢の仮説が、役に立つ」という印象がある。

 

「国際的にも、ノーベル賞の受賞者で、後に、脳科学に転向した研究者が、多い」けれども、「意識を無視する西欧の哲学で、実験を組み立てる」ので、「今現在の、脳の神経回路の中に、記憶の仕組みが存在する」ことに「固執している」傾向がある。「この西欧の哲学が、脳科学の方向性に、間違いを、誘導している」わけである。

 

かくして、「本論の、ベクトル自我と光自我の合成と分解の仮説」や、「人体の設計図は、あの世から伝送されて来る」という、「ブレナン女史の見解は、参考に成る」はずなのである。しかし、「ブレナン女史も、メカニズムには、全く言及していない」し、「1個の受精卵が、60兆個の細胞群まで、分裂・増加する」にも拘らず、「しかも、エネルギーフィールド(=霊)にも言及している」のに、「過去の細胞の役割に関する記述がない」ので、「ノーベル賞の権威筋には、理論的に、反論できない」わけである。従って、「“脳科学の基本理念”が“見つからない人”(=西欧人)が、最も、“本論の筋書き”(=個体の自我と、過去の細胞の自我の、相互関係)を、敏感に、感じ取る」はずなのである。

『図11(R2-図11)』

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「図11の、図(AA)」は、「“時計の目盛”を、1度、〔B列〕のタイプの、“デジタル”な、“目盛の横並び”に、並べた後」に、「再び、時計の文字盤に、戻すことで、復元した、時計」を示している。ただし、「瞬間的に、“出現”して、瞬間的に、“消滅”する“神の光子”」は、「それぞれの、“目盛”の“空間量子”の“内側”に、“生じる現象”」であるから、「“目盛”の“空間量子”の、“外側”(=表面側)に、“時計の針”の、“針先”(=単位ベクトル)が、“刻印”された時」に、「“目盛”の“空間量子”の、“内側”に存在する、“下位側で、受動的”な、“観測者”によって、“感じられる”」という「“内容”(=公式)を“示している”」わけである。

 

この時の、「“上位側で、能動的”な“観測者”(β―1)は、“文字盤”の“手前側”に“存在”して、“時計の針”を、“自分の意志”で、“右回り”に、“廻す”」ことで、「“デジタル”な“目盛の横並び”の、〔B列〕の“右側半分”を、“造る”(=“活性化する”)」ことを示している。

 

一方、「“上位側で、能動的”な“観測者”(β―4)は、“文字盤”の“手前側”に“存在”して、“時計の針”を、“自分の意志”で、“左回り”に、“廻す”」ことで、「“デジタル”な“目盛の横並び”の、〔B列〕の“左側半分”を、“造る”(=“活性化する”)」ことを示している。

 

「“左側半分”の、“デジタル”な、“目盛の横並び”である、〔C列〕の場合」は、「図11の時計の目盛の、左方向に、“デジタル”な、“目盛の横並び”を、順番に並べる」ことを意味する。

 

この時、「“上位側で、能動的”な、“逆立ち”状態の、“観測者”(β―5)が、“文字盤”の“手前側”に“存在”して、“時計の針”を、“自分の意志”で、“左回り”に、“廻す”」ことに「“成る”」わけである。つまり、「“主体の単位”(=“自我”の“潜伏モデル”)が、“生じる”、“ケース”」である。

 

そして、「“主体の単位”(=“自我”の“潜伏モデル”)が、“生じる”、“ケース”」では、「“逆立ち”状態の、“観測者”(β―5)と、“観測者”(β―1)の、2人の観測者が、“上位側で、能動的”な“観測者”で、2人とも、“文字盤”の“手前側”に“存在”する」わけである。

 

しかし、「“下位側で、受動的”な、“観測者”は、それぞれの、“目盛”の“空間量子”の、“内側”に“存在”」して、「“目盛”の“空間量子”の、“外側”(=表面側)に、“刻印”

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された、“時計の針”の、“針先”(=単位ベクトル)を、“感じた瞬間”」に、「“目盛”の“空間量子”の、“内側”に、瞬間的に、“出現”して、瞬間的に、“消滅”する“神の光子”を、同様に、“感じる”」という、「“公式”は、“変わらない”」ことを示している。つまり、「“論文・原稿(1)”の、“独自の、観測者を繋ぐ、時計のモデル”」で「示した内容」である。

 

「“デジタル”な、“目盛の横並び”」とは、「時計の“目盛の(0)”が“抜けた”、いわゆる、“ヘソ抜き”の、“目盛の横並び”が、〔B列〕」である。

 

つまり、「図6の、図(B)に示す、〔B列〕のような、“デジタル”な、“目盛の横並び”」は、「“デジタル”な、“目盛の横並び”」だけであり、これに対して、「図11の、図(BB)の、図(H)に示す、〔B列〕の、“目盛の横並び”」は、「それぞれの、“観測者”が、“左手”に“持つ”、“時計の形状”の、“イメージ”を、“表している“」わけである。

 

「“観測者”は、“主体側”の“立場”」であり、「物理学は、“主体側”の“立場”を、“無視する学問”である」ことを「“強調する”ために、ここで再度、ファインマンの仮想実験に対して、“結論的”に、“示してある”」わけである。

 

そして、「“遺伝子の自我”や、“細胞の自我”などを、“活性化する”」場合には、「“時計”の“文字盤”の“大きさ”が“換わり”、さらに、“目盛”の“数”の、“密度”が、“高くなる”」のであるが、「“下位側で、受動的”な“観測者”の“感覚”に、“変化が生じる”(=“出現・消滅”する、“神の光子”の“強弱の程度”が、“換わる”)」ことを、表している。

『図12(R2-図12)』

図12(AA)の、図(aa)は、人間の“1個の受精卵”を表し、“受精膜”が“挙がった状態”」であるが、「ここでは、“2重丸”に見える、“内側”が、“卵細胞”(=肉体=物質)で、“外側の円”(=丸)が、“エネルギー・フィールド”である」という具合に見なすわけである。

 

そして、「図12(AA)の、図(bb)も、人間の“1個の受精卵”を表している」のであるが、「ここでは、“丸”に見える、“内側”が、“卵細胞”(=肉体=物質)で、“外側の三角形”が、“受精膜”に、「“対応する”」上に、「さらに、“人体の皮膚”の“境界面”に、“対応する”」と「“見なし”」て、さらに、「“外側の三角形”の“内側”が、“エネルギー・フィールド”である」という具合に「“見なす”」わけである。

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そこで、まず、「“注目すべき”」は、「図(aa)と図(bb)の、“×印”の“位置”に、“個体の自我”に相当する“観測者”が、“出現する”」と考える。つまり、「“受精卵”が“誕生”した“瞬間”に、“個体の自我”が、“出現する”」と考えるわけである。

 

この場合、「“重要”なのは、“×印”の“位置”」であり、「正確には、図(aa)では、“受精膜”の“内側”で、“卵細胞”(=肉体=物質)の“外側”」であり、また、「図(bb)では、“人体の皮膚”の“境界面”の“内側”で、“卵細胞”(=肉体=物質)の“外側”」であり、「“いずれの場合”も、“×印”の“個体の自我”に“相当する”、“観測者”は、“上記の条件”が、“満たされる領域”を、“自由自在”に、“瞬間移動できる”」という具合に考えるわけである。

 

一方で、「“細胞”の“内側”には、“細胞の自我”に相当する、“観測者”が、“存在する”」と考える。

 

従って、「“×印”の“位置”の、“個体の自我”に相当する“観測者”が、“上位側で、能動的”な“観測者”」であり、「“細胞の内側”の、“細胞の自我”に、“相当する”、“観測者”が、“下位側で受動的”な“観測者”である」という具合に、「“見なす”(=定義する)」わけである。

 

「“注意すべき”」は、「ここには、“描いてない”けれども、“細胞数”が、“細胞分裂”によって、“増加する”」場合には、「それぞれの、“細胞の内側”に、それぞれの、“細胞の自我”に“対応する”、“新しい”、“下位側で、受動的”な“観測者”が、次々に、“誕生する”」ということであり、「このように、“細胞の数”が、“増加”しても、“×印”の“上位側で、能動的”な“観測者”は、“上記の条件”が、“満たされる領域”(=“細胞群”の、“外側の領域”)を、“自由自在”に、“瞬間移動できる”」と考えるわけである。

 

「図12の、図(BB)の、図(cc)」は、「“ミンコフスキー時空”において、“光の世界線”(=“光子”が、“最大速度”を“持つ”場合の、“速度勾配”を表す、“斜めの直線”)を、“時間軸”(=横軸)のまわりを、“1回転”させる」ことで生じる、「“過去円錐”と“未来円錐”」を“示している”」が、「この場合は、“過去円錐”と“未来円錐”の、“頂点が、接する”、“1点”だけが、“今現在”(=瞬間)である」ことに「“注目すべき”」である。

 

つまり、「“アインシュタインを中心”とする、“物理学者”は、“人間”(=“主体”を持つ“存在”)は、“過去円錐”と“未来円錐”」などのように、「“過去や未来”の“時間だけ”に、“住んでいる”」という具合に、「“考えている”」わけである。

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「“こういう考え方”(=“客体側”のことしか、“考えない”、“物理学者”の、“デジタル”な“考え方”)」に対して、「前回の、“論文原稿(1)”において、“今現在”とは、人間の“1生涯”の、“長い時間”である」という、「“視点”を、“図解”によって、“示した”」わけである。

 

「この時に、“上位側で、能動的”な“観測者”は、“時刻”を、“決定”」し、「“下位側で受動的”な“観測者”は、“決定された時間”を、“感じる”」という具合に、「“主体側”の、“2人の観測者”の、“時間”に対する、“役割”を“分担させた”」わけである。

 

「図12の、図(BB)の、図(dd)」は、「“同じ”く、“物理学者”」でも、「“ファインマンの場合”は、“今現在”の“領域”が、“無限大”に“近くなる”(=“ビッグバン”の“全領域”である、“全宇宙”が、“今現在”の“空間”)」ことを示している。

 

というのは、「“光子”は、“光の束”として、“運動する”」からで、「“光が、直進する”のは、“確率的に、最短距離”を“進む”からである」という、「“仮想実験”の“結論”を“出している”」からである。

 

「図12の、図(CC)」は、「“本論の視点”」であり、「“発生学”の“6階層”の“視点”を、それぞれの、“階層”の、“自我”の“大きさ”」によって、「“分類”した“構図”」である。「“発生学”の“6階層”」と言っても、「遺伝子、細胞、組織、臓器、器官、個体の、“6種類”(=6階層)」のことであるなら、「誰でも、常識(=“物質細胞”を“基本”にして)で、“了解できる”」はずである。

 

しかし、「図(CC)」は、「“自我”の“レベル”に関する、“6階層”」であり、「“遺伝子の自我”、“細胞の自我”、“組織の自我”、“臓器の自我”、“器官の自我(1)”、“器官の自我(2)”、“個体の自我”の、“6種類”(=“器官は1つ”と考えて、“6階層”)」のことである。

 

ここで、「“器官の自我(1)”は、“脳の細胞”(=中枢神経の細胞)の”自我”」に、「“器官の自我(2)”は、“臓器の細胞”(=抹消側の、特殊で、多様な、組織を構成する細胞群)の“自我”に、それぞれ、“分化していく”」という具合に考える。

 

つまり、「“脳の神経細胞”の、それぞれの、“中枢神経細胞の自我”は、他の、“抹消側の、特殊な細胞”の、それぞれの、“細胞の自我”と、常時、シンクロして、“同じ方向”の“機能を共有”して、“共同目的”を持って、“構築されていく”」ので、「“中枢側”と“抹消側”

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は、常に、直接に、“両方向”の、“情報の連絡”(=命令と報告)が、“可能である”」という具合に「“考える”」わけである。

 

だから、「“自我”の“レベル”に関する、“6階層”」を想定することを、「前提」にして、「その“基本単位”となる、“遺伝子の自我”として、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)を、「“ファインマンの仮想実験”を“舞台”にして、“探索した結果”」として、「“発見できた”」わけである。

 

また、「“細胞の自我”も、“定義できた”」わけだから、「それよりも“上位側の、階層の自我”も、“細胞の自我”の、“数が、増えるだけ”である」から、「“同様な手法”で、“定義できる”」わけである。

 

しかし、「“細胞集団”の“階層”が、“生まれる順番”は、“常識”とは、“異なる”」ことに、「“注目すべき”」である。

 

というのは、「“常識”では、“未来は、不確定”」なので、「“偶然”に、“細胞”が“集合”して、“組織”に成り、“組織”が、“偶然”に、“集合”して、“臓器”に“成る”」という具合に、「“小さな単位”から、順次、“大きな単位”の、“階層”に、順番に、“発展していく”」という具合に、「“未来”は、“不確定である”」という、「“哲学思想”の“元”で、“考える”ことが、“常識”」なのである。

 

しかし、「図(AA)で、“説明した”」ように、「最初に、“個体の自我”と、“細胞の自我”」の「“両方”が、“同時に誕生”して、その後は、“個体の自我”が、“総司令官”として、“能動的”に“機能する”(=“命令”を下す)」と「“考える”」わけである。かくして、「“この場合”」は、「“未来”は、“確定”しており、“設計図”に従って、“身体の構築”が、“進行する”」という、「“基本哲学”が、“常識”に、“成っている”」わけである。

 

だから、「“超能力者”には、“未来予知”が、“可能である”」と言えば、「“不確定性原理”を“真実”と見なす、“常識の哲学”(=“西欧の科学”の“価値観”=“常識”)に基づいて、“普通の人”は、“猛反対する”」わけである。

 

ところが、「ここでは、“1個の受精卵”から、“赤ん坊”の“身体”や、“大人”の“人間の身体”が、“完成する”、“発生学のプロセス”において、“未来予知の原理”で、“実行されている”」ことを「“強調している”」わけである。

 

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つまり、「“人間”の“姿・形”の“設計図”が、常時、“天から”、“提示”、“されている”」のだが、「“その設計図”は、“普通の人”には、“見えない”」のに、「“超能力者”には、“明確”に、“見える”」というわけである。

 

そうであれば、「実際に、“見えない人”に対しては、“見えるよう”に“工夫する”」ならば、「“超能力者”の“指摘”が、“正しい”のか、“間違いである”のか?」が、「“判断できる”であろう」と、「“考えた”、“結果”」が、「図(CC)の、“自我の階層”を、“具体化する”」ことである。すると、「“見えない人”(=“普通の人”)でも、“天から、降りてくる”、人間の“設計図”の“存在”や、“未来予知”の“手法”の、“正当性”を、“判断できる”」というわけである。

 

従って、「“細胞の自我”は、全て、“受動的な存在”」であり、「“個体の自我”という、“総司令官”の“命令に、従う”」ので、「“その結果”として、“臓器の自我”や、“組織の自我”が、“総司令官”の“命令”によって、“誘導される形式”で、“出来上がる”」という「“考え方”」なのである。

 

「“思想・原理”の“転換”が、“必要である”」わけだから、「“本質的な原理”から、“法則”を、“組み直す”、“必要がある”」わけで、「単純には、“白を黒”と、“主張する状況”、あるいは、“小学校”から、“やり直す必要がある”という“状況”に、“似ている”」わけである。

 

「図(CC)」で、「“空間量子”の、“大きさ”の“違い”」で、「“分類してある”」のは、「既に、“論文原稿(1)”で“定義した”」ように、「“主体の生物学”における、“量子”」という「“考え方”」に「“基づいている”」わけである。

 

だから、「“量子”という“言葉”」は、「“空間”が、“内側”と“外側”を区別する、“境界”に相当する、“境界層”が“存在する”」ことを、「“強調する”ための、“専門用語”(=形状には、拘らない)」であり、「“物理学”において、“常識”と成っている、“波動と質量”が、“交替”で、“現れる”、“小さな粒子”の、“意味”とは、全く、“異なる”」ことを、「“強調してあった”」わけである。

 

そして、「“本論”の場合、単なる、“空間の境界”であり、“内側”には、“エネルギー・フィールド”に、“相当する”」が、「その、“エネルギー”が、“物理学的”には、“光子”」である」けれども、「“光子”を、“包み込んだ”、“空間量子”の“外側”には、“ベクトル”(=針先の矢印)が“刻印されている”」という、「特殊な、“空間量子”である」から、「その、

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“エネルギー”は、“光子”」ではなく、「“エネルギー”は、“単位ベクトル”(=矢印)の方である(=意志のエネルギー)」という具合に、「“定義されている”」わけである。

 

つまり、「“エネルギー”が、“光子”である」と「“定義する立場”は、“客体側の立場”に“立つ”、“物理学の立場”で、ある」が、「“エネルギー”が、“単位ベクトル”で、意志のエネルギーである」と「“定義する立場”は、“主体側の立場”に、“立つ”時で、ある」という具合に、「“区別している”」わけである。

 

そして、「“主体側の立場”に、“立つ”」場合に、「“単位ベクトル”の“エネルギー”」は、「“上位側で、能動的な、観測者”の、“意志のエネルギー”である」という具合に、「“見なす”」わけである。

 

さらに、「“意志のエネルギー”である」と「“定義する”」には、「“根拠”を“理解する”」ために、「“上位側で、能動的な、観測者”が、“自分の意志”で、“時計の針”を、“右回り”に、“廻す”」という、「“全体の構図”まで、“理解する”ことが、“不可欠”」なので、「“時計のモデル”が、“必要に成る”」という、「極めて、“説明しにくい”、“複雑”な、“状況”(=“仕組み”)の“設定”が、“不可欠”」なのである。

 

だから、「“光子”の“エネルギー”に、“基づく”」のであれば、「“両者”の“考え方”は、結局、“同じ”」ことでは、「“ないのか”?」という「“疑問”」や、「“時計の針”は、“自動で回る”のが、“常識”である」と、「“考えた”、“瞬間”に、“客体の科学”である、“物理学の立場”」に、「必然的に、“陥る”」わけである。このように、「必然的に、“陥る”」という「“価値観”が、いわゆる、“西欧の科学”の、“基本原理”(=哲学)」なのである。

 

言いかえれば、「“西欧の科学”の、“基本原理”(=哲学)」とは、「“全体と部分”の、“関連性”を、“破壊”する」ことによって、「“細部の問題”だけを、“分離”して、“ち密”に、“分析する”」ことが目的である。

 

だから、「“一般の人”に、“分かりやすく”、“する”」ことを「目的」として、「“数多く”の、それぞれの“部分”について、同様に、“分かりやすくする”」ことを、「“積み上げていく”」と、「“最終的”には、“全体”が、完璧に、“理解できる”」という、「“哲学”を“持つ”、学問”」であるから、「“最終的”には、“全体の構図”が、“理解できる”」という具合に、「“考える”」わけである。

 

そこで、「“全体と部分”の、“関連性”を、“破壊”する」ことを、「“従来”とは、“異なる

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発想”」で、「“西欧の科学”は、“デジタル化”の、“基本思想”を“持つ”」という具合に、「“定義できる”」わけである。

 

そして、「“全体と部分”の、“関連性”についての、“全体側の存在”を、“無視する”」ことで、「“部分側”の“性質”を、より、“ち密化”して、“分かりやすくする”」ことが、「“優れた研究”である」という、「“常識”に、“代わってしまった”」わけである。

 

しかしながら、「“種々の部分”に関する、“ち密な知識”を、“積み上げていく”」と、「“種々の部分”と関連する、“全体側”の“イメージ”が、“確実に得られる”はずである」という、「“根拠”となる、“統一理論”は、“生命科学”(=物質科学)には、“存在しない”」わけで、「“いつまでたっても”、“デジタル化”の“流れ”だけが、いわゆる、“研究の主流”」なのである。

 

そして、「現実に、“デジタル化”の“研究の流れ”が、“社会現象”として、“恐怖”に“結びつく現象”まで、“誘発”して、“国際的な、社会問題”の“主流”にまで、“成長している”」ことに、「“人類”が、“気付き始めている”」わけである。

 

それにも拘わらず、「“デジタル化”の“流れ”とは、“異なる学問”」、つまり、「“主体側”(=全体側)の、“生命”(=“自我”や“意識”)の“行動原理”(=統一理論)は、科学の、“分析の対象”から、“自動的”に、“消滅してしまう”(=永久に、“発見できない”)」わけである。つまり、「“著名な科学者”ほど、“その傾向”(=“主体側”の“研究”)に、“真っ向”から、“反対する”」わけである。

 

「“これらの関係”は、“時計の構造”」において、「“全体”は、“文字盤”と、“目盛”から“構成”」されているので、「“目盛”だけを、“文字盤”から、“独立させる”(=“切り離す”)」ことによる、「“デジタル化”された、“目盛”の“横並び”(=“単位ベクトル”の、“横並び”)」という、「“具体例”を“例に挙げる”しか、“納得できる説明”が、“難しい”」というわけで、「“上記”の、最低限、“2人の観測者”を“繋ぐ”、“時計のモデル”」を、「“提案した”」わけである。

 

「“逆説的”には、これらの“関係”が、“説明できる”」ことを、「“ファインマンの仮想実験”から、“直感的”に、“読み取れる科学者”は、多分、“国際的”にも、“皆無”であろう」ということである。「“75歳”を“過ぎる”(=“後期・高齢者”の“仲間入り”)」と、「つくづく、“こういう状況”が、“真実の独創性”では“ないのか”?」と「“考える”」わけである。

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「“私の場合”は、たまたま、10代で、“ベクトルの教科書”を“見た時”に、“ベクトル”の、“真実の概念”が、“不明”」であり、かつ、「“矢印”が、”エネルギー“である」ことの「”具体像“が、全く、”描けなかった“」ので、「”悪戦苦闘“して、”時計“の、”種々の状況“を、”イメージ“する」ための、「”試行錯誤“の”経験“から、上記の、”観測者の相互関係“という”モデル“に、”到達した“」わけである。

 

このように、「”先行“する、”自前のモデル“が、”存在した“」ので、「”直感的“に、”ファインマンの仮想実験“は、”私と、同じ発想“である」ことに、「”気付いた“」わけである。

 

さて、そこで、「“発生学”の“6階層”の“視点”」に戻るとして、「図12の、図(CC)」で、「“注目すべき”」は、「それぞれの、“レベル”の“空間量子”が、僅かに、“1個ずつ”、“描いてある”」ことである。

 

しかも、「“相対的”な“大きさ”が、“ケタ違い”に、“異なる”」にも拘らず、「あたかも、“似たような、大きさ”で、“大きさの違い”が、“強調されている”」ことに、「“驚くかもしれない”」けれど、「“全体の関連性”の“記述”」には、「“常に伴う”、“難しさ”」なのである。つまり、「“全体の関連性”を、“1枚の図”に、“まとめる”」ためには、「“大きいもの”を、“相対的”に、“小さく、描く”」しか、「“方法がない”」わけである。

 

「“この問題”」は、「図(DD)の、“ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーの理論”の“解説”」でも、「“同じ”」である。だから、「“ブレナン女史”の、“本”では、“図(BB)のような、”空間量子“の、”階層の並び“である」ことは、「”示していない“」わけである。ところが、「”空間量子“の”階層の並び“に、”置き換える“という、”工夫がない“」と、「その”原理“や”メカニズム“の”理論“に、”言及できない“」わけである。

 

「図(DD)の、“ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーの理論”」については、「“後述する”」けれども、ここで、「図(CC)の“発生学”の“6階層の構図”」と「図(DD)の、“ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーの理論”の“7階層の構図”(“Ⅰ~Ⅶ”階層)」は、「“両方”とも、“エネルギー量子”の“階層”の“違い”である“点”が、“似ている”」ことに、「“注目しておくべき”」である。

 

ここでは、「図(DD)の、“ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーの理論”」の、「最も、“下位の階層”である、“Ⅰ―階層”が、“2種類の空間”に、“分け”て、“描いてある”」ことに、「“注目すべき”」である。「“Ⅰ―階層”の“2種類の空間”には、“両方”とも、“マン

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ガの人形”が、“描いてある”」が、「この“マンガ”は、私が、勝手に、“付け加えた内容”」で、「“ブレナン女史”の、本には、“描いてない”」わけである。

 

「“Ⅰ―階層”の“2種類の空間”に、“マンガの人形”を“描いた理由”」は、「“右側の人形”は、“人間の設計図”(=“エーテル界”という“名称”)で、“普通の人”には“見えない”、“神の光子”で、“描かれている”」と考え、「“左側の人形”は、“設計図”に従って、“細胞”(=物質)を、“積み上げた”、“普通の人”にも“見える”、“人間の肉体”の“人形である”」ことを示している。

 

すると、「“生物学”における、“発生学”、つまり、“1個の受精卵から、スタートして、最終的に、”人間・個体“の、”姿・形“が、”完成する“まで、”六十兆個の細胞集団“(=60kgの体重)まで、”構造“が”構築される“、”プロセス“」には、「“人間の設計図”(=“エーテル界”という“名称”)と、“設計図通り”の、“人間の肉体”の間に、具体的に、“仕事をする”(=作業する)、いわゆる、“人間・構築”の“作業員の組織”が、“必要に成る”」わけである。

 

その、「“人間・構築”の“作業員の組織”が、図(CC)の、6階層の、“それぞれの、レベルの自我”の、“組織体”(=建設会社)」であり、「“種々のレベルの自我”(=“各種”の“作業員”)を、まとめて、“指揮・監督・管理”している、“総監督”」が、「“組織体”(=建設会社)の“トップ”である、“個体の自我”に対応する、最も、“上位側の観測者”(=社長)である」というわけである。

 

しかし、「マンガで示した、“完成”された、“人間の設計図”を、“示す”」だけでは、「“組織体”(=建設会社)が存在する、“リアリティー”が、“感じられない”」わけである。

 

だから、「“1個の受精卵”が、“スタートする時点”から、同様の、“エーテル界”と“物質界”の“両方”が、“実在”している“状況”が、“動画”のように、“示されるべき”」である。そのためには、まず、「図(DD)の、“Ⅰ―階層”が、“2種類の空間”に、“受精卵”の“マンガ”を“描く”」ことから、「“連続的”に、“示すべき”」である。

 

「その場合の、“マンガの受精卵”が、図(AA)の、図(bb)の、“三角形のマンガ”」に、「“相当する”」わけである。「“ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーの理論”」には、さらに、「“人間エネルギー”(オーラ)の“理論”が、“登場”」して、「“宇宙エネルギー”の、“7階層の性質”が、“人間エネルギー”(オーラ)の“7階層”」に、「全部、“反映されている”」という、「“2種類”の、“エネルギー・フィールド”の、“相互関係”に関する、“観

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察・記述”がある」ので、「“人間エネルギー”(オーラ)の“7階層”を“図解する”」場合に、「“受精卵”の“マンガ”の“状況”を、“説明する”」ことにする。

 

「“ファインマンの仮想実験”」について、「“本論”の、“解析の手順”を、“体験している”」と、「実は、“ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーの7階層”が、“人間エネルギー”(オーラ)の、7階層“に、”反映“される、”メカニズム“は、”ファインマンの考え方“と、”同じ“である」ことが「”了解できる“」と思われる。もちろん、「“ブレナン女史”の本には、その“メカニズム”については、“言及されていない”」わけである。

 

ともかく、「“重要なこと”」は、「図10の、図(CC)で説明した、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)を“基本単位”」として、「図12の、図(CC)の、“発生学の6階層”」と、「図12の、図(DD)の“宇宙エネルギーの7階層”」の、「“両方”とも、“理論的”、かつ、“統一的”に、“説明できる”」ということである。

 

「図10の、図(CC)で説明した、“内容”」は、「図(AA)においては、“正常な場合”の、“睡眠と覚醒の状態”(=“ベクトル・自我”に関する、“意識活動”)」に関する「“応用例”」であり、「図(BB)においては、“瞑想などで誘発”される、“励起状態”(=“光・自我”に関する、“意識活動”)」に関する「“応用例”」であった。

 

かくして、「今度は、図12の、図(CC)は、“正常な場合”の、“睡眠と覚醒の状態”(=“ベクトル・自我”に関する、“意識活動”)」によって、「“説明できる”」、また、「図12の、図(DD)は、“瞑想などで誘発”される、“励起状態”(=“光・自我”に関する、“意識活動”)」によって、「“説明できる”」という、「“応用例”である」というわけである。

 

そこで、まず、「図12の、図(CC)における、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)の、“上下の、配列”」に「“注目”」しよう。

 

「図12の、図(CC)」の、「“右側”の、“下側”の“図(ii)”から、“上側”の“図(hh)”に向けて、“ベクトル・自我”の、“範囲”が、“示してある”」けれども、「図(ii)は、“遺伝子の自我”の“階層のレベル”」であり、「図(hh)は、“器官の自我”(2)“の“階層のレベル”」までの、「“範囲”では、基本的に、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)と、“同様のパターン”である」ことが示してある。

 

つまり、「図(hh)の、“器官の自我”(2)“の“階層のレベル”」は、「実質的には、“臓器側”の、“空間量子”の、“存在する”、“階層のレベル”」であり、「“臓器”の場合は、“多

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数”の、“細胞の自我”の“集団である”(=“加算結果”である)」から、「“2系・一対”の、“合成ベクトル”が、“セットで生じる”」はずであるが、「“第3の合成ベクトル”である、“自我の大きさ”が、“生じていない”」という意味である。

 

いわば、「図10における、図(CC)の説明では、図(u)の、“無の境地”」に、「“相当する”、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)と、“同様のパターン”である」ことを「意味する」わけである。そして、「“中間段階”、つまり、“組織の自我”や“細胞の自我”なども、“同様のパターン”である」が、「“2系・一対”の、“合成ベクトル”の、“セット”の、それぞれの、“大きさ”が、“階層のレベル”に応じて、“グレイドが生じる”(=“上側”から、“下側”に向けて、“小さくなる”)」という「“イメージ”が、“示してある”」わけである。

 

すると、「“臓器の自我”、“組織の自我”、“細胞の自我”、“遺伝子の自我”などは、常に、“無の境地”である」という具合に、「“聞こえる”」であろう。

 

少なくとも、「“そのように考える”」ことにして、「次に、図(gg)の、“器官の自我(1)”は、“脳の中枢細胞”の“集団の自我”(=加算結果)である」が、「“器官の自我(1)”では、“第3の合成ベクトル”(=“自我”の“大きさ”)が、“局部的”に、“出現する”」と考えて、さらに、「図(ff)の、“個体の自我”では、“第3の合成ベクトル”(=“自我”の“大きさ”)が、“大きく”、“顕著”に成り、“個体”の、“睡眠状態と覚醒状態”の“違い”が、“明確”に、“現れる”ように“成る”」という「“考え方”」を、「“示している”」わけである。

 

ここで、「再び、“奇妙に思える”、“常識”に、“言及しておく”」ことにしよう。それは、「“日常会話”で、良く、“耳にする表現”である」が、例えば、「“脳は、眠る”」けれども、「“心臓”は、“一生”、“休みなく”、“働き続ける”」から、「“大変である”」という「“表現”」である。

 

つまり、「“普通の人”(=常識人)は、“眠る”ことは、“休息”する」ことと、「“同じである”と、“考えている”」わけである。そこで、「“心臓”も、“眠る”」と「“指摘する”」と、「“変人”として、“扱われる”」はずである。

 

ここで、「“心臓”も、“眠る”」という「“指摘”」は、「“無の境地”である(=“自我”の“大きさ”が、“ゼロ”)」はずの、「“心臓の自我”の“構成要素”である、“第3の合成ベクトル”が、“下向き”(=内向き)に、“出現する”」という、「“メカニズム”に、“相当す

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る”」わけである。

 

ということは、「“理論的”には、“臓器レベルの自我”においても、“第3の合成ベクトル”が、“下向き”(=内向き)や、“上向き”(外向き)に、“出現する”」ことは、「“メカニズム”を、考慮する」と、「“存在する”」わけである。ただ、「“心臓”の“睡眠状態や、覚醒状態”ではなく、“心臓の疾患”(=病気)として、“現れる”」という具合に、「“考える”」わけである。

 

すると、「もし、“超能力者”が、“心臓の疾患”(=病気)を“治療する”」場合は、「人間の“チャクラ”を通して、“神の光”を、“患者の体内”の“患部”に、“人工的”に、“送り込めばよい”」わけである。

 

そして、「“心臓”における、“第3の合成ベクトル”の“出現を、ゼロ”に戻して、“無の境地”を、“再現すればよい”」わけである。というのは、「“2系・一対”の、“両方の合成ベクトル”の“大きさ”を、“等しく”するように、“補正する”」と、「“第3の合成ベクトル”の“出現が、ゼロ”に“戻る”ことで、再び、“心臓の自我”は、“無の境地”を、“取り戻す”結果となる(=“病気が治る”)」からである。

 

「“ブレナン女史”の著作である、“光の手”という、“本の表題”(=タイトル)は、“ブレナン女史”が、“自分の意志”で、“自分の指先”から、“神の光”を、“自由自在”に、“放出できる”」ことを、「“宣言している”」、「“ブレナン女史自身”の、“光の手”である」ことに「“注目すべき”」である。そういうわけで、「“神の光”とは、“人間”の、“意志のエネルギー”に、“相当する”」わけである。

 

かくして、「“意志のエネルギー”である」ならば、「“ファインマンの仮想実験”と、“同様な手法”で、“メカニズム”を、“説明できる”」はずであり、「“メカニズム”を、“説明できない”」とすれば、「ファインマンが、“手抜き”した“手続き”を、“物理学者の哲学”として、“そのまま”、“同様”に、“実行している”」ことを「“指摘できる”」わけである。

 

ここでは、「図(DD)の、“7階層”の“出現のルート”は、“あの世”に存在する、“霊太陽”から“放射された”、“神の光”が、“途中”で、“この世”と“あの世”の、“境界層”を“通過”して、“この世”の、“地球上”に“到達する”」という、「“気の遠くなる”ような、“経路である”」ことに「“注目すべき”」である。

 

そして、「図(BB)の、図(dd)を、“参考にする”」ならば、「“ブレナン女史”の、“宇

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宙エネルギー”の“第Ⅳ層”である、“星気界”(=“この世”と“あの世”の、“橋”である“ブリッジ”の層)も、1枚の図版に、描ける」ことに、「“注目すべき”」である。

 

「日本の“超能力者”で、“物理学者”(=コンピュータのエンジニア)であった、高橋真次(=故人)は、“ブレナン女史”の、“第Ⅳ層”である、“星気界”(=“この世”と“あの世”の、橋である“ブリッジ”の層)のことを、“想念帯”」と名付けている。

 

「“両者”に“共通”している“特徴”」は、「“第Ⅳ層”(=ブリッジ)には、“光のグラデーション”が、“見られる”」ということである。「私は、最初は、“7色のスペクトル”が、“見られる”ことであろう」と想像していたのだが、「高橋真次(=故人)は、その中に、“黒色のスペクトル”(=光)が、“見える”」と、「“指摘してあった”」ので、「“不思議”に“思っていた”」のだが、「“光のグラデーション”とは、“この世”から“遠ざかり”、“あの世”に、“近くなる”」と、「“光の明るさ”が、徐々に、“暗くなる”」という、「“意味である”」ことに「“気付いた”」わけである。

 

というのは、「“ブレナン女史”の、“記述の中”に、“明るさ”の“逆転現象”が、“存在する”」ことが、「“指摘されていた”」からである。そこで、「“ファインマンの仮想実験”と、“同様”に、“逆立ち”した“観測者”の“立場”を、具体的に、“導入してみる”」と、「“あの世”の“鋳型情報”が、“この世”では、“成形情報”に、“転換される”」ことを、「“明確”に、“図解できる”」ことが、「“分かった”」わけである。これについては、「“後述してある”(=図16参照)」わけである。

 

ともかく、ここでは、「“ブレナン女史”の、“7階層”について、その“名称”を、“覚えておくべき”」であろう。そして、「次の、図13において、“ブレナン女史”の、“7階層”に対して、「“励起状態”の、“個体の自我”の“メカニズム”(=光・自我)が、そのまま、“適用できる”」ことを「“示す”」ことにしよう。

『図13(R2-図13)』

「図13」では、まず、「図(ff)の、“バーバラ・A・ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーの7階層”」に「“注目”」しよう。「下側の、3階層が、肉体的段階(=“この世”)」であり、「上側の3階層が、霊的段階(=“あの世”)」で、「その間の、中間の、1階層が、アストラル段階(=“境界層”=星気界=“架け橋”)」である。

 

そして、「“宇宙エネルギーの7階層”の、“左側”の、図(ee)には、“空間量子”の“縦

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並び”」の、「“下側”から、“上側”に向けて、“個体の自我”の“状態”(=“2系・一対の矢印”)が、“記入してある”」けれども、「“下側”の、“3つの階層”の“範囲”(=“この世”)では、“ベクトル・自我”」であり、「“上側”の、“4つの階層”の範囲(=“あの世”と、“境界層”)では、“光・自我”に、換わっている“」ことが示されている。

 

ここで、「“下側”から、“4番目”(=第Ⅳ層)は、“この世”と“あの世”の、“境界層”で、“星気界”と呼ばれる、“境界層”の、“アストラル段階”(=架け橋)の、“領域”」である。

 

そして、「図(dd)」には、「“最も下側”の、“1番目の階層”(=第Ⅰ層)が“起点”(=“基準線”=“この世”)」であり、「“上側”に向けて、“長さの異なる”、“矢印”が、“並行”して、“記述”」してある。

 

そして、「“左側”から、“3番目”の、“上向きの矢印”は、“4番目”(=第Ⅳ層)の“高さ”」である、「“この世”と“あの世”の、“境界層”で、“星気界”という、“アストラル段階”(=架け橋)に、“達している”」ことが示されている。

 

「これは、“肉体”(=第Ⅰ層)の“レベル”の、肉体的段階(=“この世”)の、“個体の自我”(=“ベクトル・自我”の、“普通の状態”)が、“アストラル段階”(=架け橋)の、“星気界”(=第Ⅳ層)まで、“成長する”」と、「“光・自我”に、“換わる”(=“第1段階”)」ということを表している。

 

つまり、「“瞑想”などの“修行”によって、”無我の境地”に、“到達する”」という「“イメージ”」に対応する。そして、「“この段階”が、“超能力の実力”としては、“第1段階”と、“見なす”」わけである。

 

すると、「図(dd)の“矢印”の“伸び具合”で、“超能力”の、“第4段階”までが、“区別できる”」ということは、「“了解できる”」であろう。つまり、「それぞれの、“矢印の先”は、“空間量子”の、“異なる階層”(=いずれも、“あの世”)に、“到達している”」わけである。

 

そして、「“第Ⅴ層(=エーテル・テンプレート帯)から”上側“」は、「”あの世“の”領域“」であり、しかも、「”第Ⅶ層“(=ケセリック帯)は、”神の光“の”源泉“である、”霊太陽“に、”最も“、”近い位置“にある(=”宇宙エネルギー“では、”最も上側“)」ので、「”そのレベル“まで、”成長“した、”光・自我“」は、「”最高レベル“の”超能

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力“(=ここでは、”第4段階“)を、”発揮する“」という「”意味“」である。

 

ただし、「図(dd)の、“上向きの矢印”は、“人間の側”の“努力の結果”」であることに「“注目すべき”」である。

 

というのは、「“光自我”の“レベル”まで“到達”」して、「“その後”に、“天”(=“あの世”の、“宇宙空間”)に“存在する”、“人間の力”では、“どうにもならない”、“アカシック・レコード”に書いてある、“人間の性格”を示す、“知識群”と、“結合する”」ことで、「“自我”が、“意識”に“換わる”」ことが「“重要”」なのである。

 

「“個体の自我”(=合成・ベクトル)と、“人間の性格”を示す、“知識群”の“情報”が、“結合する”ことで、“意識”に、“変換される”」ことを、「“心が形成される”」という具合に、「“考える”」わけである。ここで、「“結合する”という“イメージ”は、“個体の自我”(=合成・ベクトル)は、単なる、“矢印”であるが、“意志のエネルギー”であり、“人間の姿”をした、“人間の分身”であり、その“分身”(=妖精)が、“人間の性格”を示す、“情報群”の中から、“選択的”に、“一部の情報”と、“握手する”」という具合に考えればよい。

 

つまり、「“個体の自我”(=合成・ベクトル)という、“意志のエネルギー”の、“人間の分身”(=妖精)が、“握手する”(=結合する)、“相手方”の、“一部の情報”の“内容”によって、“その人”の“人格”が、“決まる”」わけである。「“端的”には、“体は男”で、“心は女”という、“ケース”」では、「“心の方”は、“握手する”(=“結合する”)、“相手方”の、“一部の情報”が、“女性に特有の性格”に関する“情報”だけが、“選択”“されている”」という具合に、「“考える”」わけである。

 

「図13の、図(hh)」には、「“宇宙エネルギー”の“7階層”に、“対応したレベル”に、“存在する”、“人間の性格”(=言語・知性・感性・本能・五感)の、“レベル”に関する、“7階層”の、“違い”」が、「“記入”」してある。「“記入内容”については、“バーバラ・A・ブレナン女史”は、“愛を中心”にして、“レベルの違い”を、“微妙に表現”してある」が、「“ここに書いてある”のは、“私の直感”」である。

 

「“注目すべき”」は、「“第4層”」に対応した、「“アカシック・レコード”の“記述・内容”」であり、「“邪悪な知識”が“並ぶ”」ので、「“想念帯”と“呼ぶ”」ことを、{高橋真次(故人)は、「“強調”」している。また、「“人生の最後”の“段階”で、“誰でも”、“必ず、通る道”である」という具合にも述べている。

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言い換えれば、「“第1段階”の“実力”の“超能力者”が、“教祖”に成った“宗教”」は、いわゆる、「“邪教”と呼ばれる“宗教に成る”」ようである。

 

従って、「“無我の境地”」を「“実現できた”」としても、「“アカシック・レコード”の、“どのレベルの”性格“と、”結合“するか?」によって、「一概に、”悟り“に、”達した“」とは「”言えない“」わけである。

 

少なくとも、「“瞑想”によって、“あの世”の“領域”に、“侵入”して見ない」と、「“超能力”も、“真の悟り”も、“得られない”」ということは、「“知っておくべき”」であろう。

 

一方、「図(gg)には、“7階層”の、それぞれの、“名称”」だけでなく、「“空間量子”の、“大きさ”が、“上側”から、順番に、Aランク(=ケセリック)、Bランク、Cランク、Dランク、Eランク、Fランク、Gランク(エーテル界=肉体)」という具合に、「“おおよそ”の、“大きさ”を、“比較してある”」ので、「“ランク”で、“分類”されている」わけである。ただし、「ブレナン女史の“宇宙エネルギー”は、“7階層”に、“区分けしてある”が、“空間量子”によって、“分類”(=ランク分けする)してある」わけではない。

 

「“本論”では、“空間量子”という“概念”を“造り”(=“定義した”)」そして、「“大きさ”の“序列”に、“変換してある”」のは、「“前回”の、“論文原稿(1)”で示した、“時計の理論”」を、「“応用する”」ためである。

 

「“論文原稿(1)”で示した、“時計の理論”」は、「時計の、“1個の文字盤”と、“複数”の“目盛”の“組み合わせ”」であり、「“1個の文字盤”の“大きさ”は、“大きい”、“空間量子”」て、「“目盛” の“大きさ”は、“小さい”、“空間量子”」である。そして、「“上位側で、能動的な、観測者”は、“1個の文字盤”の“外側に、存在”」し、「“下位側で、受動的な、観測者”は、“1個の目盛”の“内側に、存在”」するという「“構図”(=公式)」であった。

 

そして、「“大きい”、“空間量子”(=文字盤)と“小さい”、“空間量子”(目盛)の関係」に対応して、「“上位側で、能動的な、観測者”は、“大きい”」し、「“下位側で、受動的な、観測者”は、“小さい”」ことも表している。

 

そして、「“次の段階”」で、今度は、「“目盛” の“側”の、“小さい”、“空間量子”」が、「“1個の文字盤”に“変換される”」ので、「新たに、“小さい”、“空間量子”の“、”目盛“が”誕生する“」わけである。従って、「“下位側で、受動的な、観測者”は、“小さい”観測者・

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自身“が、そのまま、“次の段階”で、“今度”は、“1個の文字盤”の“外側”の、“上位側で、能動的な、観測者”に、“変換される”」という「“公式”」であった。

 

つまり、「“変換”の“プロセス”が“存在(=介在)する”」ので、「“公式”の“名称”は、“3人の観測者”を、“繋ぐ”、“観測者の理論”」であり、かつ、「“大きい側の時計”と、“小さい側の時計”の、“2種類の時計”」が、「“3種類”の、“大・中・小”の、“空間量子”の、“相互関係”」として、「“説明されていた”」わけである。

 

「“上記の法則”を、“繰り返す”」と、「図13の、“上段”に示した」ように、「図(aa)の、左端から、図(cc)の右端へ向けて、“空間量子”が“並ぶ”」わけであるが、「例えば、7個の、空間量子には、それぞれ、Aランク~Gランクという具合に、大きさのランクが、記述」してある。

 

ここで、「空間量子の形状を、丸や四角で表現してある」のは、「単純に、スペースだけの問題」であり、「両者の違いはない」わけである。ただし、「空間量子の大きさの相互関係を、系統的に、多数、並べて、表現する」のは、「非常に、難しい」わけである。

 

そこで、「基本的に、“Aランク”の“空間量子”が、“文字盤”の“大きさ”であると、“Bランク”の“空間量子”は、“目盛”の“大きさ”である」ことを「“意味する”」わけである。

 

次に、「“Bランク”の“空間量子”が、“文字盤”に、“変換される”」と、「今度は、“Cランク”の“空間量子”が、“目盛”の“立場に成る”」わけである。

 

つまり、「このような“変換”を、“繰り返す”」と、「“7個”の、“空間量子”の“並び”は、“急激”に、“サイズ”が“換わる”」ことは、「“イメージできる”」であろう。

 

「実際には、“右側”の“空間量子”は、次第に、“目に見えない”くらいに、“小さく成る”」ので、「“7個の並び”が、“全部、見える”」ようにするために、「“空間量子”の“大きさ”を、“徐々”に、“小さく成る”」ように、「“人為的”に、“操作”(=調節)して、“描いてある”」わけである。

 

そして、「“空間量子”の、“もう1つの特徴”は、それぞれに、“フタ”が付いていて、“開閉”が“可能”であり、“フタを、開く”と、“内側が見える”」という、「いわゆる、“ロシア人形”の、“ペトローシカ”の“構造”が、“導入されている”」ことで、「“内側”には、

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“同様の構造”が“潜在している”が、将来(=未来)に、“顕在化する”ので、“現状”では、“見られない”」という、「“自然界”の、“成長”(=“生命現象”)に関する、“本質”が、“組み込まれた”、“公式”」なのである。

 

「“上記”のような“工夫”(=操作=調節)は、ブレナン女史の、“宇宙エネルギー”の“7階層”」にも、また、「“本論”の、“発生学の6階層”」の、「“両方”に、“行われている”」わけである。「ここでは、言及していない」けれども、「実際には、第Ⅶ層は、1個の受精卵のような存在で、第Ⅵ層で、3分裂(=過去・現在・未来が出現する)し、それぞれが、第Ⅴ層で、3分裂する」という具合に、「3分裂方式で、神の光の大きさのレベルまで、分裂が続く、系統図を描く」と、「それぞれの空間量子には、対応した、大きさの観測者も存在する」ので、「上位側の観測者にとっては、未来予測のメカニズムが、明確になる」わけである。

 

しかも、「“本論”の、“発生学の6階層”の、“6階層目”の“大きさ”(=“個体の自我”を“形成する”、“空間量子”)が、“Gランク”の“空間量子”である」ことが、「“強調”してある」のは、「ブレナン女史の、宇宙エネルギーフィールドの、“1番目”の“空間量子”(=“第Ⅰ層”)である“人体”(=肉体=エーテル界)の、“Gランク”に“成る”」ように、つまり、「“両者”を、“連続的”に、“解析する”」ために、「“大きさ”を、“合わせてある”」わけである。従って、「“各論のメカニズム”(=例えば、瞑想のメカニズム)を、“論文に書く”」場合に、「そのまま、これらの“連続性の図版”を、“使用できる”」わけである。

 

「図(bb)の、“最大”の“空間量子”の“並び”は、“全部”、“目盛”の“大きさ”」と、「“見なした”場合」であり、「それぞれの、(外側=表面側)には、“一対”」の、「“実線矢印”で示した、“上向き”の、“覚醒化・合成ベクトル”」と「“点線矢印”で示した、“下向き”の、“睡眠化・合成ベクトル”」が示してある。「このケースを、単独で、描き直す」と、「意識を拡大しながら、無の境地に成る」と言われている、「瞑想のメカニズム」になるわけである。

 

ただし、「図(cc)から、図(bb)の方向」に、「空間量子は大きくなる」し、「睡眠化ベクトルと覚醒化ベクトルも、両方とも大きくなる」けれども、「“個体の自我”はゼロの状態」であり、「光自我の状態」なのである。「重要なこと」は、「図(cc)に対応した観測者が、図(bb)の、大きな空間量子の方向に、乗り換えていく、つまり、身をゆだねることによって、エスカレーターに、乗るような心境に成ることが、肝心」なのである。

 

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「ブレナン女史は、この心境のことを、自分が、キリストを信じている」のなら、「キリストの空間量子(=エネルギーフィールド)の大きさのレベルに拡大するまで、自分の全てを、ゆだねる」ことが、「瞑想の心構え(=コツ)である」ことを、具体的に書いている。しかし、「空間量子が、最大のレベルまで、拡大した後に、分裂によって、空間量子が、小さく成り、数が増えるプロセスが生じる」ことや、「多数の分身が出現して、種々の奇跡を起こすメカニズムには、言及していない」わけである。これらの「具体論は、論文の形式で、単独に、まとめるべき」であろう。

 

そして、「図(cc)から、図(bb)に至る、“全部”が、“目盛”の“並び”である」場合には、「“左端”の、“最大”の、“空間量子”の、(外側=表面側)に、“時計の針”の“針先”を、“刻印”する」ための、「“文字盤”(空間量子)の“外側”で、“時計の針”を、“自分の意志”で、“廻す”」ために、「図(aa)で示すような、“上位側で、能動的な、観測者”が、“存在する”」ことを、「“前提”とする」わけである。

 

また、「図13の、図(ee)の“下側”の、“3個”の、“個体”の、“ベクトル・自我”は、それぞれ、“空間量子”の“目盛側”である」場合には、「それぞれの、“空間量子”の(外側=表面側)に、“刻印される”」ことを「“意味”」している。

 

従って、「“宇宙エネルギーフィールド”の、“7階層”を示す、“空間量子”」は、いずれも、「“メカニズム”を“考える”時は、“文字盤側”と“目盛側”の、“2種類の顔”を、“持っている”」わけである。

 

さらに、「図(ee)の、“下側”の、“3個”の、“個体 ”の、“ベクトル・自我”」は、「“第Ⅰ層”(=肉体=エーテル界)、“第Ⅱ層”(=感情界)、“第Ⅲ層”(=精神界)」に、「“対応している”」が、「具体的には、“覚醒状態”において、“第3の合成ベクトル”(=自我)が、“大きくなる”状況だけ“」を表している。

 

これは、「通常の、“睡眠・覚醒”の“両・状態”の、“ベース”(基準)である、“ビジランス・ゼロ”の“横線”から、“上向き”の“矢印”である、“覚醒化・合成ベクトル”が、“大きくなる”」ことに、「“由来”して、“第3の合成ベクトル”(=自我)が、“大きくなる”」と「“考える”」わけである。つまり、「図(cc)に、示すような、“上向き”の、“実線矢印”(=覚醒化・合成ベクトル)が、“大きくなる”」と「“解釈する”」わけである。

 

すると、「“混乱する”」かも知れないが、「“ビジランス・ゼロ”の“横線”から、“下向き”の“矢印”である、“睡眠化・合成ベクトル”が、“大きくなる”」という「“局面”も、“描

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く必要がある”」わけである。すると、今度は、「“第Ⅰ層”(=肉体=エーテル界)、“第Ⅱ層”(=感情界)、“第Ⅲ層”(=精神界)の“縦並び”の“順番”(=“上向き”)」を、「逆に、“縦並び”の“順番”(=“下向き”)にも、“描く”、“必要が出てくる”」わけである。

 

つまり、「図(ff)の、「“7階層”の“縦並び”」を、「“下側”に対しても、“同様な並び”で、“逆向き”に、“並べる”、“必要が出てくる”」というわけである。かくして、「“睡眠・覚醒”の、“メカニズム”を、“描く”場合には、“別の”、“詳細な図版”が、“必要に成る”」わけである。「具体的な、“メカニズムの論文”を、“書く前”に、“全貌の概念”を“知る必要”」があり、「現在は、“概念だけ”の“展開”」に、つまり、「完全な、“オリジナル”の“概念”を、“前提とした内容”なので、“複雑に成らない”」ように、「極力、“努力している”」わけである。

 

さらに、「図10の、図(BB)」に示したように、「“最初”は、“光・自我”の、“両・合成ベクトル”の“巨大化”」が生じ、「“次のステップ”で、巨大化”した、“両・合成ベクトル”が、バラバラに、“崩壊”」して、「“多数”の、“単位ベクトル”や、“多数”の、“光子群”まで“分解する”」という「“崩壊のプロセス”が、“存在する”」ことに言及した。そして、この「“崩壊のプロセス”で、“多様”な、“超能力”の、“不思議”な“現象”が、“生じる”」ことを指摘した。

 

例えば、「“他人の意識”の“中”に、“超能力者”の“分身・自我”が、“潜入する”」ことで、「“他人”の、“体験記録”(=アカシック・レコードに記録されている)を、“書き換え”たり、“消去する”」ような、「いわゆる、“洗脳のメカニズム”が、“存在する”」けれども、「“別の図版”に、“描き直す”、“必要がある”」わけである。というのは、「1度に、“1枚の図版”に、“全てを、描きこむ”」と、「“複雑すぎ”て、それぞれの、“筋書き”を、“理解できなくなる”」からである。

 

ただ、「“複雑に成る実例”」を、「“参考のため”」に、「少しだけ、“挙げておく”」ことにしよう。「“ここだけの、”数枚の図版“だけでも、”混乱“が、”生じる“」はずである。

 

例えば、「図13の、図(hh)」には、「“性格の情報”の“違い”が、“7階層”に、“分類されていた”」わけである。そして、「図(ee)の、それぞれの、“同じレベル”の、“個体の自我”と、“結合”して、“意識”に、“換わる”(=“心の形成”)」ことを「指摘」した。

 

そこで、「“個体の自我”と“性格の情報”が、“結合する”」ことは、「図13においては、

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“宇宙・空間”で“生じている”」ように、「“描いてあるわけ”」である。しかし、「“個体の自我”と、“結合”して、“意識”に、“換わる”」という「“メカニズム”は、“心の形成メカニズム”である」と「“指摘する”」と、「“人間の心”が、“宇宙空間”の“あの世”に、“存在する”」という「“理屈に成る”」ハズである。というのは、「“常識”では、“人間の心”は、“胸にある”、つまり、“肉体の内側”にある」という「“感じがする”」からである。

 

そこで、「今度は、図12の、図(CC)の、“発生学の6階層”には、“遺伝子”も、“細胞”も、あたかも、“1個だけ”、“存在する”」ように描いてあった。

 

一方で、「図(DD)の、ブレナン女史の、“宇宙エネルギーフィールド”の“7階層”」において、「最も“下位側”の、“第Ⅰ層”(=肉体=エーテル界)は、それぞれ、“Gランク”の“空間量子”の“大きさ”」である。

 

そして、「図(CC)の、“発生学の6階層”の、“個体の自我”の“空間量子”の“大きさ”も“Gランク”である」から、「“両者”は、“等しい”」わけである。

 

「“等しい”という“イメージ”を、“保留”した」状態で、「今度は、図12の、図(CC)は、実際には、“脳は、1個”で、“細胞の数”は、“60兆個”(=60kgの体重)である」から、「“上側”から“下側”に、向けて、“末広がり”の“システムである”」ことが、「“イメージできる”」わけである。

 

すると、「“同様”に、例えば、図12の、“7階層のケース”で、“第Ⅰ層”の、“空間量子”の“内側”」に、「“脳は、1個”で、“細胞の数”は、“60兆個”(=60kgの体重)の、“末広がりのシステム”を、“描き入れる”、“必要が生じる”」わけである。

 

さらに、「図12の、図(CC)の、“発生学の6階層”」は、「“それぞれの階層”で、“自我の数”が、“1個だけ”を、“選択”して描いた、“系列である”」から、「図12の、“7階層”の場合も、“それぞれの階層”で、“自我の数”が、“1個だけ”を、“選択”して描いた、“系列である”」という具合に、「“見なせる”」わけである。

 

すると、「“同様”に、“末広がり”の“システム”に、“描き直す”」という、「“必要性”が、“出てくる”」わけである。

 

「“同様に考える”」と、「“7階層”の、それぞれの、“1つの階層”に対しても、それぞれの、“末広がりのシステム”を、“描き入れる”」という、「“必要性”が、“出てくる”」わけ

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である。

 

このように、「“全部”を、一度に、“描き込んでいく”と、“空間量子”の、“外側”に、“末広がり”の、“システム”が、“存在するのか”?」、あるいは、「“空間量子”の、“内側”に、“末広がり”の、“システム”が、“存在するのか”?」が、「“混乱して”、“区別できなくなる”」ことは、「“想像できる”」であろう。

 

つまり、「“人間の心”は、“肉体の外側”の、“宇宙(=”あの世“)に、”存在する“?」のか、「”人間の心“は、”肉体の内側“に、”存在する“?」が、「”混乱して“、”区別できなくなる“」わけである。

 

だから、「“人間の心”は、“肉体の外側”の“宇宙”(=“あの世”)に、“存在する”」と、「“指摘”して、“状況を描く”場合は、“アカシック・レコード”は、“肉体の外側”の、宇宙“に、”存在する“」と考えて、「”図解する“」わけである。

 

また、「“空間量子”の、“内側”にも、“外側”にも、“同様な風景”が、“見える”」という事実を、「例えば、“物理学者のガモフ”は、“宇宙の裏返し”」と呼び、「“生物学者”は、“人体の裏返し”」と「呼ぶ」のであり、「“風刺したマンガ”ではなく、“現実”に“実在する状況”」を、「“メカニズム”が、“不明のまま”で、“描写している”」わけである。

 

だから、「“全体概念”は、“シンプルなシステム”として、“描くこと”で、“理解”」して、「“全体概念”を、“把握”した“上”」で、「“各論”の、“具体的なメカニズム”については、“別の図版”を、“使用”して、“説明する”(=“個別”の“論文を書く”)」という、「“2種類の作業”が、“不可欠”」なのである。

 

「“超能力者”の“良く使う”、“パラレル・ワールド”」は、「“空間量子”の、“内側”と“外側”の、“ケース”」なのか、あるいは、「“同様のシステム”が、“空間量子”の“大きさ”の“違い”の、“システムと”して、“1つ”の、”末広がり“の、”システム“の”外側“に、”永遠“に、”続いているのか“?」を、「”メカニズムの視点“から、”明確にすべき“」なのである。

 

そこで、「“最低限”、“予知能力”の“メカニズム”に、“言及する”」場合には、「例えば、“宇宙エネルギーフィールドの7階層”では、“第Ⅶ層(=ケセリック)”に“存在する”、“個体の自我”(=ケセリックに存在する、“能動的な、観測者”)が、“予知能力”を、“発揮する”」ためには、「“第Ⅵ層(=天空界)”の、“空間量子”が、“横並び”に、“3個”(=

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過去・現在・未来に対応する)だけ、“存在する”」という「“システム”の存在が、“不可欠”」なのである。

 

従って、「“別の論文”として、個別に、“描き直す”」という「“必要がある”」わけである。かくして、「“予知能力”は、“存在するのか”?」、「“存在しないのか”?」という、「“メカニズムを無視”した、“議論”(=物理学的な議論)は、“意味がない”」のであり、「“観測者”の、“主体の立場”を、“考慮する”と、“明確”に、“実在する”」ことを、「“図解できる”(=“断定できる“)」わけである。

『図14(R2-図14)』

「図14」は、まず、「図(CC)の、図(gg)と、図(DD)の、図(kk)を、“比較”しながら、“説明する”」ことにしよう。

 

というのは、「図(DD)の、図(gg)の、“バーバラ・A・ブレナン女史”の、“宇宙エネルギーフィールドの7階層”が、“地球上”の“人間・個体”の“周囲”」に、「図(DD)の、図(kk)の、“人間エネルギー・フィールド”(オーラ)として、“出現する”」という「“観察結果”」だからである。ただし、「“宇宙エネルギーフィールドの7階層”は、“それぞれの階層”が、“巨大”」なので、「“それぞれの階層”の、“一部の内容”だけが、“オーラの各層”に、“分配される”」のであろう。

 

「図14の、図(DD)の、図(jj)は、ブレナン女史”の、“スケッチ”(=引用)」であり、「図(i)の、“霊的段階”、図(j)の、“アストラル段階”、図(k)の“肉体的段階”」は、「図13の、図(ff)の、“3つの範囲”」に、「“対応している”」ことが、「了解できる」わけである。

 

ここでは、「図14の、図(CC)の右側の、図(hh)」に、それぞれの、「“空間量子”の、“高さ”(=階層)の“レベル”から、“下向きの矢印”が、“描いてある”」ことに「注目」しよう。

 

つまり、「図14の、図(e)の“目盛”~図(f)の“目盛”は、“あの世”に存在する、“空間量子”(=ⅦとⅤ)が、“下向き”に、“スタートする時刻”」であり、「図(h)の“目盛”は、“この世”の“空間量子”(2種類の、Ⅰ=“肉体”と“エーテル界”)の“レベル”に“到着する時刻”を示す、“矢印”」である。

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「図(g)の“目盛”は、“この世”に存在する、“空間量子”(=Ⅱ=感情界)が、“下向き”に、“スタートする時刻”」であり、「図(h)の“目盛”は、“この世”の“空間量子”(2種類の、Ⅰ=“肉体”と“エーテル界”)の“レベル”に“到着する時刻”を示す、“矢印”」である。

 

つまり、「図14の、図(hh)の、“6本の矢印”は、“同時刻”(=“上向き”の“針の目盛”)に、“それぞれの位置”(=レベル)を、“下向き”に、“スタートする”」けれども、「図(h)の“目盛” (=“下向き”の“針の目盛”)の、“空間量子”(2種類の、Ⅰ=“肉体”と“エーテル界”)に、“重なる”」ように、「“到着する時刻”は、“同じである”」ということを表している。

 

すると、「“ファインマンのケース”では、“光子”の“スタート時刻”が、全部、“同じ”」であり、「“鏡面”で、“反射”した、“光子群”の、“ゴールへの到着時刻”は、それぞれの、“経路の長さ”が、“異なる”ので、“経過時間”も、全部、“異なる”」という「“ケース”」であった。

 

これに対して、「ブレナン女史の“ケース”」では、「“異なる高さ”にある、“空間量子”が、“下向き”に、“スタートする時刻”は、全部、“同じ”」であり、「“経路の長さ”が、“異なる”にも拘らず、“到着場所”には、“同時”に、“到着する”」という「“ケース”(=“空間量子”の“移動速度”が“異なる”)」であり、「“ファインマンのケース”(=光子の移動速度は、一定)に、“経過時間”を、“逐一”、“測る”という点で、非常に、“似ている”」という、「“感じが、する”」はずである。

 

つまり、「“時計”によって、“スタート時間”を“測り”、かつ、“到着時刻”を、“測る”」ことで、「“相互”に、“測定・結果”を、“比較する”」という「“手法”が、“同じ”」なのである。

 

そこで、「図(AA)は、“サイクロイド”の、“壁面”に沿って、“ボール”を、“降下”させる」と、「“底部”に“到達する時刻”は、“どの高さ”から、“降下”させても、“同じ”」であるという「“ケース”」である。「“物理学”(=力学)」では、「“サイクロイド”のことを、“等時曲線”とか、“最速降下曲線”」と「“呼んでいる”」わけである。

 

すると、「ブレナン女史の、“宇宙エネルギーフィールド”の、“宇宙空間”における、“あの世”から、“この世”へ向けた、それぞれの、“空間量子”の“移動方法”」は、「“サイクロイド”の“ケース”と、“同じ”である」と言うわけである。

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しかし、「“宇宙エネルギーフィールド”は、“重力”で、“降下する”」とは、「“考えられない”」わけである。というのは、「“物理学”では、“対象側”の、“ボールの性質”を“主役”にして、“重力”が“存在する環境”を、“前提”とする」から、「ここでは、“重力”の存在を、“考えられない”」わけである。

 

これに対して、「“宇宙エネルギーフィールド”の7階層の、それぞれの、“空間量子”は、“自我”を“形成する“、”意志のエネルギー“」であり、「”意志のエネルギー“は、”主体側の存在“である」から、「”サイクロイドの原理”で、各種の“階層”の、“意志のエネルギー”(=”空間量子“群)が、”移動する“」ことに成る。さらに、「それぞれの”階層“の、”空間量子“(=”目盛側“)には、”光・自我“や”ベクトル・自我“」が、「”刻印“されている」わけである。さらに、「”人間の性格や言語、知性、感性、五感“の”それぞれのレベル“の”内容が、書き込まれている“」わけである。

 

従って、「上記の、”光・自我“や”ベクトル・自我“」が、「”人間(=肉体)“の、”周囲“に、”到達する“(=”人間“という”情報“に、”結合する“)」わけだから、「”結合“と”変換“の”公式“(=”心の形成“)」によって、「”意識“が、”宇宙空間“(=”あの世“を”含む“)を、”移動する原理“は、”サイクロイド“の”形式“である」という具合に、「”解釈できる“」わけである。

 

「図14の、図(BB)」は、「”意識“」が、つまり、「”多数“の”空間量子“が、”宇宙空間“(=”あの世“を”含む“)を、”同時に、それぞれが、“異なる速度”で、“移動する”、“経過時間“を、具体的に、”測る“ための”時計“」を示している。

 

次に、「図14の、図(kk)の、“模式図”」について、「“説明しておく”」ことにしよう。

 

「“模式図”」と「“表現する”」のは、「ブレナン女史の、“観察結果”では、“オーラの7層”は、“燃え上がる”ように、“ヒラメキ”、かつ、“瞬間毎”に、“色も形”も、“変化している”」ことや、それでも、「“人間の性格”に“対応する”、“オーラの形(=パターン)”を、“識別できる”」ことが、「“強調されている”(=“複数のタイプ”が、“イラスト”で、“分類されている”)」からである。

 

加えて、「“超能力者”が、“こういう情報”が、“欲しい”」と「“思うだけ”」で、「その“情報”が、具体的に、“オーラ”に、“出現する”」という「“不思議さ”」にも、「“言及してある”」わけである。「非常に、“複雑ではある”が、“メカニズム”を、“知る”(=説明する)」ために、「“模式図”として、“簡略化”」してあるわけである。

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まず、「図(kk)の“中央”の、“マンガの人形”(=“第Ⅰ層”=“肉体”と、“エーテル界”)」が、「図(jj)の、“人間のイラスト”に“対応する”」ので、「図(jj)の“人間のイラスト”の、“周囲”(=環境)の“7階層”(=オーラ)」が、「図(kk)の、〔Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ〕で示してある、それぞれの、“宇宙エネルギーフィールド”の“7階層”」に、「“対応している”」ことは、「了解できる」であろう。

 

「図14の、図(kk)の、“7階層”(=オーラ)は、“成人”として、“姿・形”の“全体像”が、具体的に、“人間の姿”をしている“ケース”」であるが、「図(CC)の、第Ⅰ層は、“2種類”の、”空間量子”として、“並列”に、“描いてある”」ように、「“右側”(=“エーテル界”=”エネルギー・フィールド“)の、“空間量子”(=Ⅰ)の“内側”の、“マンガの人形”は、“人間”の“成体”の“設計図”(=”エネルギーフィールド=構造を持つ霊体“)」であり、「“左側”の、“空間量子”(=Ⅰ)の、“内側”の、“マンガの人形”は、“人間”の“成体”の“身体”(=肉体)を、“表している”」わけである。

 

「ブレナン女史の場合は、“人間の成体”(=肉体)が、図(jj)のように、“見える”」わけで、「“人間の姿・形(=肉体)の”周囲“(=”環境“)に、”7階層のオーラ“が、それぞれの、”階層に由来“する、一部の、”神の光子“の”重なり”として、“直接”に、“見える”」わけである。そこで、「“人間の肉体”に、“最も近い場所”の、“オーラ”は、“エーテル界”(=”エネルギー・フィールド“=第Ⅰ層の、”右側“)」に、「”相当する“ので、ほぼ、”肉体“に、”重なって、見える“」わけである。

 

一方、「“超能力者”の、高橋真次(故人)は、“人間の身体”」は、「“肉体”(=物質)と“意識体”(=“霊体”=”エネルギー・フィールド“)と、”重なっている“」だけでなく、「“肉体”(=物質)と“意識体”(=霊体)の“間”には、”情報の帯“で、”連結“」されていて、「”この連結“が、”切断された時“が、“肉体”(=物質)の、“死”に“相当する”」、「“重要なこと”は、“能動的”であるのは、“意識体”(=霊体)の“方”であり、“肉体”(=物質)の“方”は、“受動的”である」と述べている。

 

従って、「高橋真次(故人)による、”情報の帯“」は、「ブレナン女史の、”宇宙エネルギーフィールドの、7階層“」に「”対応する“」ので、「結局、”神の光”が、“湧き出す”、”源泉”(=“霊太陽”)からの、“神の光”の“伝送システム”において、“神の光”の、“連続的”な、“供給”が、“ストップした時”が、“死の瞬間”である」という、「“解釈ができる”」わけである。

 

そして、「”情報の帯“を、”空間量子“の”階層“に、”分類する“」と、「図14の、図

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(CC)の、“右側”(=“エーテル界”=”エネルギー・フィールド“)の、“空間量子”(=Ⅰ)の“内側”の、“マンガの人形”は、“人間”の“成体”の“設計図”(=“エネルギーフィールド”)」に、「“成る”(=“肉体”と“霊体”の“重なり”)」わけで、「私が、“勝手”に、“人間”の、“成体のマンガ”を“描いた”」わけである。

 

「“人間”の、“成体のマンガ”を“描いた”」のは、「”情報の帯“」によって、「”神の光“で描かれた“情報”(=設計図=”エネルギー・フィールド“)」が、「”人間“の、”1個の受精卵“が、”誕生した瞬間“から、“人間の死”まで、“一生涯”」、「“連続的”に、“伝送”が、“継続されている”」ことに成る。すると、「“情報”(=設計図)の“内容”も、時々刻々に、“変化している”」わけである。

 

従って、「“1個”の“受精卵”が、“誕生した瞬間”から、“スタート”して、“成体”に“成長する”」まで、「”連続的“に、”異なる“、”設計図“(=”エネルギー・フィールド“)が、”伝送されて来る“」わけである。

 

かくして、「図14の、図(CC)の、“右側”(=“エーテル界”=”エネルギー・フィールド“)の、“空間量子”(=Ⅰ)」と、「“左側”の、“空間量子”(=Ⅰ)の、“内側”の、“マンガの人形”は、“人間”の“成体”の“身体”(=肉体=物質)」の「“間”(=“隙間の空間”)」には、「“人体”を“構築”する“組織体”(=建設会社)が“存在”し、かつ、“組織体”(=建設会社)の、“作業員”(=社員)の“役職の構成”(=社長、部長、課長、係長、平社員など=観測者群)」が「“存在する”」はずである。

 

そして、「その“組織体”(=建設会社)」は、「図12の図(CC)の、“発生学の6階層”の、“役職の構成”(=個体の自我~器官の自我~臓器の自我~細胞の自我~遺伝子の自我など)である」という具合に、「“見なす”」ことができる。ただし、「図12の図(CC)の、“発生学の6階層”を、“組織体”と“見なす”」場合には、「“末広がり”の“システム”」に、「“変更”して、“イメージ”する」必要がある。

 

そこで、「図14の、図(DD)の、図(kk)の、“中央”の、“人間・成体のマンガ”を“見る”」と、「図(CC)の、“右側”と、“左側”が、重なって、“人間・成体のマンガ”だけが、“見える”」わけで、「“具体的”」には、「図(CC)の、“右側”と、“左側”に、“分離”して“描かれた状態”は、“消えてしまう”」ので、「図(DD)の、図(kk)の、“中央”の、“人間・成体のマンガ”は、“物質”(=肉体)としての、“人間・成体のマンガ”」に、「見える」わけである。

 

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つまり、「図14の、図(CC)の、“右側”と、“左側”」の、「“間隙”に、“介在”」していた、「図12の図(CC)の、“発生学の6階層”を、“組織体”と“見なす”、“末広がり”の“システム”」は、「具体的な“存在”が、“消える”」わけだから、「個体の自我~器官の自我~臓器の自我~細胞の自我~“遺伝子の自我”などの、“それぞれのレベル”の“人格”(=役職)は、“跡形”もなく、“消滅する”」わけである。

 

「このよう」に、「図(DD)の、図(kk)の、“中央”の、“人間・成体のマンガ”が、“物質”(=肉体)“だけ”である」という具合に、「“疑い”もなく、“肯定する”のが、“現状”の、“物質科学”である、“分子生物学”(=物理学=“西欧の科学”の“価値観”)の、“立場”」なのである。だから、「“物質の塊”としての、“人間”」の、「“どこ”に、“生命”(=個体の自我や、各種の観測者群)が、“潜在している”のか?」が、「全く、“分らない”」わけである。

 

さらに、「“1個”の“受精卵”が、“誕生した瞬間”」においては、「図(DD)の、図(kk)の、“中央”の、“人間・成体のマンガ”の“代わり”」に、「図12の、図(AA)の、図(bb)の、“三角形”の、“受精卵”を、“描けば良い”」わけである。

 

この時には、「図14の、図(CC)の、“右側”の“四角”を、“三角形”に“置き換え”」て、しかも、「“三角形”の“内側”の、“1個の細胞”は、“点線”で描き、“設計図”である」ことを「“強調”」し、「“左側”の“四角”も、“三角形”に“置き換え”」て、「今度は、“三角形”の“内側”の、“1個の細胞”を、“実線”で描き、“物質の細胞”である」ことを「“強調する”」わけである。

 

そして、「図14の、図(CC)の、“右側”の “三角形”の「“間隙”」に、「“個体の自我”(=“上位側で、能動的”な“観測者”=“総司令官”)と、“細胞の自我”(=“下位側で、受動的”な、“観測者“=”平社員“)の、“2人の組織体”」を、「“挿入”する、“イメージ”を、“描く”」わけである。

 

次いで、「“同様”」に、「図(DD)の、図(kk)の、“中央”の、“三角形”の“イメージ”(=“人形”を、“三角形”に、“置き換える”)」では、「“三角形”の“内側”には、“物質”(=肉体)“だけ”の“細胞”が、“存在する”」わけで、「“個体の自我”や“細胞の自我”などの人格は、完全に、消えてしまう」ので、「“疑い”もなく、“物質(=肉体)“だけ”の“細胞”の“存在だけ”を、“肯定する”のが、“現状”の、“物質科学”である、“分子生物学”(=物理学=“西欧の科学”の“価値観”)の、“立場”」ということになる。

 

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そこで、「図(DD)の、図(kk)の、“中央”の、“三角形”の“イメージ”(=“置き換える”)」では、「“三角形”の外側に、“7階層”の“区切り”を、“描く”、“必要がある”」わけである。「その理由は、宇宙エネルギーフィールドの、各レベルの空間量子が、オーラとして、受精卵の外側(=環境)に、広がっている」からである。

 

一般の、「“普通の人”には、1個の、“受精卵”(=細胞=物質)だけを、“見せられた”」としても、「“下等な動物”の“受精卵”であるのか?」あるいは、「“人間”の“受精卵”であるのか?」は、「“見分け”が“つかない”」のであるが、「“超能力者”は、多分、“両者”を、“区別できる”」はずである。というのは、「“オーラ”の“内容”が、“見える”」からである。つまり、「“内容”とは、例えば、図(hh)の、“性格”(=“宇宙”に存在する)が、“オーラ”(=“人間の周囲”に存在する)の中に、“出現する”ので、具体的に、“見える”」という「“意味”」である。

 

一方、「古典的な生物学や、分子生物学」では、「受精卵には、”万能分化能力“が、備わっている」と「考える」だけでなく、「細胞分裂が、進行するにつれて、”万能分化能力“が、徐々に、消失」して、「最終的には、その力(=分化能力)を、”完全に失う“」という具合に「”考えている“」わけである。

 

「”万能分化能力“を”中心“」にして、「”実験“を”試みる“」のが、「ES細胞“の”技術“」や、「”iPS細胞“の”技術“」である。「”万能分化能力“が、存在するプロセスで、”移植“を”試みるケース“が、”ES細胞“の”技術“」であり、「”万能分化能力“が、完全に、”消失“した”細胞“に、”万能分化能力“を、”復活させた“」と、「”考える“、”ケース”が、”iPS細胞“の”技術“」である。

 

しかし、「“個体の自我”(=総司令官の観測者=社長)の方に、”万能分化能力“が、”存在する“」という「”主体の生物学“の”立場“」では、「”事情“が、”異なってくる“」わけである。

 

というのは、「”細胞の自我“(=平社員)の”立場“では、”社長“の”指示・命令“に、”従うだけ“」であるから、「”万能分化能力“は、”細胞の側“には、”存在しない“」という「”理屈に成る“」からである。つまり、「”細胞“は、”時計の針“の”針先“で、”ベクトル“を、”刻印“された時に、”細胞の分化“の”方向性“が、”受動的“に、”決まる“」という具合に、「”考える“」からである。

 

「1個の“受精卵”に“存在する”」のは、「例えば、“200個”の“遺伝子”だけ」であ

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り、「“遺伝子”の“役割”は、“1個の細胞”だけ」、つまり、「“自分”(=遺伝子)が“所属する細胞”の、未来の役割(=機能)を、“変化させる情報”の、“全て”を、“持っている”、“だけ”」なのである。

 

つまり、「“自分の力”で、“どの種類”の“細胞”(=神経細胞、筋肉細胞、骨細胞、内臓細胞、皮膚細胞など)に“分化する”(=“役割”を、自分で、“特定”して、自ら、“変化する”)のか?」という、「“自分”の“方向”(=“将来の役割”)を、“決める”ための、“情報”(=“能力”)を、“遺伝子”は、“持っていない”」わけである。つまり、「“細胞”の、“分化の方向(=運命)”は、“誰か”に、“決めてもらわない”」と、「“分化する”ことが、“出来ない”」わけである。

 

実際に、「”ES細胞“の”技術“や、”iPS細胞“の”技術“」については、「”そのプロセス“を、具体的に、”図解できる“」けれども、「”別の論文“で、具体的な、”図を描き“ながら、厳密に、”解説する“、”必要がある“」わけである。

 

というのは、「”ES細胞“、と”iPS細胞“の”技術“は、”両方“とも、”人工的“な、”移植“の”技術“」であるから、「”哺乳動物“(=人間)の場合は、いずれも、”代理母“を、”必要とする“」わけである。この時、「”代理母“の、”個体の自我“と、”赤ちゃん側“の、”個体の自我“の、”相互関係“を、”厳密“に、”記述しない“」と、「”現状“が”示している“ように、”真実“か、”虚偽“であるのか?」を、「“判断する“のが、”困難に成る“」わけである。

 

「”現状“が、示している、”大きな問題“」は、「日本の、”理化学研究所“で、”スタップ細胞“の件で、”ES細胞の専門家“の”自殺“を”含む“」だけでなく、「”国際的な科学誌“に、”掲載された論文“が、”削除される“(=小保方女史の論文)」ような、「”事件“に、”発展した“」ことである。つまり、「西欧の物理学を基本にした分子生物学」では、「生命とは、個体の自我」であり、「個体の自我が、身体を構築する場合の、総司令官である」という視点が、「原理的に生まれてこない」わけである。

 

「原理的という意味は、細胞の、過去・現在・未来という、主体側の、感覚に基づく時間の概念を、物理学では、理解できない」こと、並びに、「DNAの複製が、細胞分裂の原理と見なす限り、過去の細胞が分裂によって、消える(=今現在から、消える)」という「細胞の自我の、存在形式に、エネルギーフーイルドの概念が、伴わない(=目に見えなくても、生きて、実在しているという視点が、西欧の哲学には、ない!)」からなのである。

 

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「“個体の自我”が、“細胞の分化”を、“誘導する”」という、「“立場”に“立つ”(=“西欧の科学”の“価値観”とは、“異なる立場”)」ならば、「”上記の、理化学研究所の事件“は、”真実“に基づいて、”理路整然“と、”理論的“に、”図解できる“」のである。

 

つまり、「”上記の事件“は、最後まで、”曖昧模糊“(=”研究者個人“の、”責任問題“)として、”科学の真実“(=”自然界の真実“)が、”人工的な価値観“に基づく、”裁判所“と、興味本位の、”マスコミ“の間で、”騒がれた“だけ」で、「”真の解答“は、”放棄された”、“まま“」なのである。

『図15(R2-図15)』

「図15の、図(CC)」は、「“左側”の、“6本”の、“下向き”の“矢印”(=“説明済み”)」と「“右側”の、“人間”の、“横向き”の“スケッチ図”(=引用)」を、「“見比べる”」だけで、「右側のスケッチ図が、チャクラの、配置である」ことが、「了解できる」であろう。

 

つまり、「“人間”の“皮膚面”の“外側”に、“チャクラ”という、“神の光”によって、“伝送される”、“各種の情報”を“受け取る役割”」を持つ、「“チャクラ”という、“受容器”が、“オーラ”の、“7種類”の、“各層”に、“分配されている”」という、「“状況”が、“超能力者”には、具体的に、“見える”」わけである。

 

さらに、「“神の光”によって、“伝送される”、“各種の情報”は、受容器である、チャクラを介して、肉体の、スミズミにまで、到達している」わけで、「超能力者は、病人の患部を透視する」ことで、「その患部に対して、神の光を、自分の手の指先から、放射する」ことで、「患部を、治癒する」わけである。

 

「図15の、図(BB)」は、「人間の側の、努力による、成長の結果である、“個体の自我“大きさ”(=レベル)と、天から賦与される“アカシックレコードの階層ごと”の、“性格や知識・品格などのレベル”が、“結合”して、“意識が生じる”状況(=公式)」を示している。そして、「図14の左側の、下向きの矢印のように、“それぞれの人間”の、“意識のレベル”が、サイクロイド形式で、“伝送される”」ために、「図(DD)の、人間の肉体(マンガ)の“両側の、各層のオーラ”の中に、各人間の、“意識のレベル”が、映し出される」わけである。

 

すると、「“意識が生じる”場所が、心である」から、「天空のアカシックレコード上で生

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じた心」が、少なくとも、「肉体の周りの、オーラの中に、移動してきた」ことを意味する。そこで、「超能力者は、オーラの内部に、その人の人格を見る」ことが「できる」けれども、「普通の人間は、さらに、神の光が、チャクラを介して、体内に導入された結果(=下位側の観測者の立場)」として、「“自分の体内”(=胸の内側)に、“自分の心”を、“感じる”」わけである。

 

「これらの、プロセスを、普通の人でも、見える」ように、「工夫すると、デジタルな、“単位ベクトル”の“横並びの、目盛”で表現出来て、さらに、種々の観測者の視点を導入して、ベクトル・合成する」と、「“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)の“存在”に、“置き換える”ことが“できる”」ことを、「“明確にした”(=“見えない人”に、“見える”ように“工夫した”)」わけである。

 

そして、さらに、「“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)の、階層」として、「発生学の6階層を、明確にする」ことで、「超能力者が、患者の、患部に対して、神の光を、自分の手の指先から、放射する、状況」は、「“主体の単位”の、1対の合成ベクトルの、大きさを、調整する」という、「指標も、明確にした」わけである。

 

「図15の、図(AA)」は、「図(aa)から、“右側”へ、図(bb)まで、“7個”の“円形の空間量子”が、徐々に、“小さく成る”場合の、“並び”」である。従って、「“円形の空間量子”の大きさを、図(aa)では、〔A-ランク〕、右側へ、〔B-ランク〕、〔C-ランク〕、〔D-ランク〕、〔E-ランク〕、〔F-ランク〕、そして、図(bb)で、〔G-ランク〕という具合に、「“大きさ”を、“相対的”に、“表している”」わけである。

 

そして、「それぞれの、“円形の空間量子” の“フタ”を“開いた状態”で、“円形の空間量子”の“内側”には、“時計”の“文字盤”が、“存在する”」ことを示している。

 

「“別の表現をする“」なら、「”隣接“する、”2つ“の、“円形の空間量子”は、“左側”が、“1個の文字盤”で、“右側”が、“1個の目盛”の、“相互関係”」であり、「“右側”の“目盛”の“フタ”を“開く”と、“文字盤”が、“現れる”」という「“相互関係”の“並び”」である。

 

また、従って、「図15の、図(AA)」の、「図(aa)から、“右側”へ、図(bb)まで、“7個”の、“文字盤”の“外側”(=上側)には、“時計の針”を、“自分の意志”で、“右回り”に、“廻す、”観測者“」が「”存在“」して、「”文字盤“の”大きさ“に、”比例“する”大きさ“で、”観測者“にも、”大きさ“の”違い“が、”存在する“」ことも

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示されている。

 

同様に、「“別の表現をする”」と、「“隣接”する、“2人”の、“観測者”」は、「“左側”が、“上位側”で、“能動的”な“観測者”」で、「“右側”が、“下位側”で、“受動的”な“観測者”」であり、「“観測者”が、“自分の意志”で、“時計の針”を、“右回り”に、“廻す”、“意志のエネルギー”の“大きさ”も、“観測者”の“大きさ”に、“比例”して、“左側”から、“右側”に向けて、“小さくなる”」という具合に考える。

 

そこで、「図15の、図(AA)」は、「図(aa)から、“右側”へ、図(bb)まで、“7個”の“円形の空間量子”が、徐々に、“小さく成る”場合の、“並び”」であるが、「実際には、右側へ向けて、急激に、“円形の空間量子”の、大きさが、小さくなる」ので、「連続した並びを、見えるようにするために、徐々に、小さくなる、“円形の空間量子”の並びとして、工夫して、描いてある」ことに「注意すべき」である。

 

さらに、「左から、“2個目”の、“円形の空間量子”までしか、現実には、“見えない”」わけで、「それより、“右側”の、“円形の空間量子”は、それぞれ、“2個目”の、“円形の空間量子”(=目盛)の“内側”に、“隠れ”て、“見えない存在”である(=潜在している)」ことにも“注目すべき」である。その、「”潜在している状況“は、”ロシア人形“の、”マトリョーシカ“のように、”親人形“の、”体内“に、”子供人形“が、”収められて“ていて、”フタ“を”開かない“と、”見えない“(=顕在化しない)」という関係である。

 

「上記のような、2つの、“円形の空間量子”の組み合わせ」を、「具体的に、7個の“円形の空間量子”」として、「“横並び”にする」ためには、「“状況”を、“変換する工程”を、“介在させる”」ことが、「“不可欠”」である。

 

つまり、「“円形の空間量子”の“フタ”を“開ける”と、“状況”が、“換わる”という“工程”」であり、「具体的には、“円形の空間量子”の“フタ”が“閉じている”時には、目盛の役割」であり、「“フタ”を“開ける”と、文字盤に換わる」わけである。また、「この変換に連動」して、「“フタ”が“閉じている”時には、“円形の空間量子”の内側に存在する、“下位側で、受動的”な“観測者”として“存在”」し、「“フタ”を“開ける”と、文字盤の外側(=上側)に移行して、しかも、“上位側で、能動的”な“観測者”に、変換される」わけである。

 

従って、「上記の、“変換”が、“自動的”に、“連鎖的”に、“起こる状況”」を「“想定”」して、「“大きな観測者”(=“上位側の観測者”)の、“意志”が、“下位側の観測者”に、

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“自動的”に、“伝達される”」という具合に「“考える”」わけである。そこで、「意志」とは、「“ベクトル”のもつ、“エネルギー“」であり、「逆に、”ベクトル“とは、”意志のエネルギー“である」という具合に「”見なす“」わけである。

 

すくなくとも、「“上記の内容”が、前回の、論文言原稿(1)の“公式”に、“含まれている”」ことを、「“直感的”に、“理解できる”」ように、「“訓練すべき”」である。

 

「“この関係”は、“目盛の数”を、“2個”にすると、“細胞分裂”の“特徴”(=系譜)を“記述できる”」し、「“目盛の数”を、“3個”にすれば、“時間”の“体験”に関する、“過去、現在、未来”の、“相互関係”と、“予知能力”の“関係”を、“明確にできる”」し、「“全体と部分”の“相互関係”を、“数学的なモデル”で、“大量データ”を“計算できる”、“システム”を、“造れる”」ことにも、「“気付くべき”」である。

 

「数理系の科学者が、このモデルに着目する」と、「最初にチャレンジする」のは、「多分、個体の自我が、細胞群を、コントロールするシステムの開発」、つまり、「新しいタイプの、病気のメカニズムの診断システムである」ように思われる。

『図16(R2-図16)』

「図16の、図(AA)の、図(bb)の、“デジタル”な“目盛”の“横並”びは、〔C列〕の“並び”」である。しかも、「“(0)抜き”で、“引き寄せ”が、行われた、〔C列〕の“並び”」である。

 

「〔C列〕の“並び”には、“2本”の、“右向き”の“波線矢印”が、描いてあり、“左側”の“波線矢印”は、“霊的段階”、つまり、“あの世”である」ことを表している。

 

「“霊的段階”」に言及しているのは、「図(BB)の、“宇宙エネルギーフィールド”の“7階層”における、“この世”と“あの世”の“境界領域”である、“アストラル領域”(=架け橋)の、“星気界”(=第Ⅳ層)」よりも、「“上側”の、エーテル・テンプレート(=第Ⅴ層)、天空界(=第Ⅵ層)、ケセリック(=第ⅦⅤ層)を、“含む”、“3領域”である」ことを「“意味”」している。

 

そして、「図(AA)の、図(bb)の、〔C列〕の“並び”」は、「図(BB)の、“宇宙エネルギーフィールドの7階層”」における、「“この世”と“あの世”の“境界領域”である、“アストラル領域”(=架け橋)の、“星気界”(=第Ⅳ層)の“あの世側の、境界部分”に、

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“描いてある”」と、「“考えてもらいたい”」わけである。

 

「“星気界”の“特徴”は、“光のグラデーション”が、“見られる領域”で、“黒色のスペクトル”も、“見られる”」、いわゆる、「“この世”から、“あの世”に向けて、“明るさ”が、徐々に、“減じ”て、“あの世”は、“闇の世界”に、“換わる”」という具合に、「“状況”が、“説明されていた”」わけである。

 

そこで、「〔C列〕の“並び”の、“左側”の“波線矢印”が、“霊的段階”である」ことに「“注目”しよう」というわけである。

 

「“(0)抜き”で、“引き寄せ”が、行われた、〔C列〕の“並び”」については、「既に、図8の、図(BB)で、“説明してある”」し、「“左側”の“波線矢印”についても、“説明”」してある。また、「“(0)付き”の〔C列〕の“並び”」と、「“逆立ち・観測者”(β―5)のマンガ」については、「図7の、図(AA)の、図(ee)に、“説明済み”」である。さらに、「“逆立ち・観測者”(β―5)が、左手に、持っている、“時計の形状”については、図9の、図(CC)の、図(ll)に、“説明済み”」である。

 

ここでは、「“記憶”を、“確認する目的”」で、「図(CC)の、図(jj)」に、「“逆立ち・観測者”(β―5)のマンガ」を「“再現”」し、かつ、「“逆立ち・観測者”(β―5)が、“左手”に持つ、“時計の形状”と、“針先の範囲”(=□■)を、図(ff)に、“再現”してある」わけである。

 

「“前置き”」は、「“これくらい”」にして、次に、「図(AA)の、“ブレナン女史の本”である、“光の手”(=“翻訳”は、河出書房新社)」の、「“一部”(=115-116ページ)に、具体的に、“書いてある、文章”が、“次の内容”(=“そのまま”、“引用してある”)」ことを「“確認すべき”」である。

 

「「●」「バーバラ・Aブレナン女史の、“光の手”(翻訳本の、115-116ページ)の記述」「●」

〔“エーテル・テンプレート(第Ⅴ層)”には、物質界に存在する、“全ての形状の鋳型”がある。“オーラのエーテル・テンプレート(第Ⅱ層)”は、物質的肉体が成長する基礎となる“グリッド構造(=構造的なエネルギー・フィールド)”を、“エーテル・テンプレート(第Ⅴ層)”から得ている〕=

 

〔“エーテル・テンプレート(第Ⅴ層)”の“鋳型”と、“エーテル・テンプレート”(第Ⅱ層)の“グリッド構造(=構造的なエネルギー・フィールド)”には、“姿・形の表現法”

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が、“真逆の関係”(=写真のネガとポジの関係)である。

 

例えば、“エーテル・テンプレート”(第Ⅴ層)の“鋳型は、写真でいうネガ”“のように見える。まるで、“背景空間を、完全に満たす”ことによって、“ワクを形成”し、“残った空(くう)の空間”が、その“形を形成する”ように見える。

 

それは、ジクソーパズルで、“周りを埋めていく”ように、“背景を創って”から、初めて、“現れる形”のようなものである。〕

 

以上。

 

つまり、「図16の、図(AA)の、図(bb)の、〔C列〕の“並び”は、“本論”における、“上記”の、“ブレナン女史”の“記述”による、“逆転現象”(=“写真”の、“ネガ”と“ポジ”の“相互関係”)」を、「“睡眠と覚醒”の、“相互に、逆向き”の、“2系・1対”の“合成ベクトル”によって、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)を、“作成したプロセス”」を、同様に、「“そのまま、適用”した、“イメージ”」である。

 

いわゆる、「“2方向”の、“逆向きの力”が、“共存”している“場合に、その”境界“が、”見出される“」という、「“公式的”な、“メカニズム”」によって、「“示してある”」わけである。

 

しかも、「図16の、図(AA)の、図(bb)の、“デジタル”な“目盛”の“横並び”である、〔C列〕の“並び”」は、「“目盛”の、“内側”は、“神の光子”の“イメージ”」であり、「“瞬間的”に、“出現”(=□)しては、“瞬間的”に、“消滅”(=■)する、“光子”」であり、「“目盛”の“大きさ”の“空間”で、“囲む”」ことで、「“量子化”(=見える化=可視化)してある」ことを、「“強調してある”」わけである。

 

「“神の光子”は、“粒子”としては、“太陽の光子”よりも、“小さく”て、“精妙である”」と「“書いてある”」上に、「“超能力者”だけに、“見える光子”である」から、「“本論”では、“普通の人”にも、“見えるようにする”ことを、“目的にする”」ことで、「“目盛”の“大きさ”の“空間”で、“囲む”という“操作”(=“工夫”)」のことを、「“量子化”(=見える化=可視化)してある」と「“呼ぶ”」わけである。

 

「この“操作”(=“工夫”)」が、「“見方”を変えれば、物理学者の観測する、“客体側”の“動き”が、そのまま、“主体側”の“動き”に、“転換できる”」という、「“独特の見解”

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(=解釈法)を、“産み出した”」わけである。

 

しかし、「“主体側”の“動き”に、“転換できる”」という、「“独特の見解”(=解釈法)は、それ以前に、“主体”の“状態・変化”(=睡眠・覚醒)が、“合成ベクトル”で、“表現できる”」という、「”独自“の、”モデル“の、”存在が、大きい“」と思われる。さらに、「”モデルの創造“よりも”以前“に、『3人の観測者を、繋ぐ、時計の理論』(=前回の論文原稿―1)が、”考案されていた“」わけだから、「”独創性“というのは、”偶然“では、なく、むしろ、”先行“して、”予見を持つ“?」ということかもしれない。

 

いずれにしろ、「“神の光子”は、“意志の光子”(=量子)である」というのが、「“私の見解”」であり、「“この論文”では、“触れていない”」けれども、「“図形や文字”が、“書かれる時”の、“手段と材料”を、“提供する光子”である」ことを「“想定している”」わけである。

 

つまり、「図10の、図(BB)」において、「既に、“超能力”の、“発生のプロセス”」に言及した時に、「“瞑想”などで、“頂点まで、成長”した、”光自我“」が、「”次のステップ“で、”合成ベクトル“の、”分解と配分“の”プロセス“」を「”辿り“」、「”最終的“には、“神の光子”まで、“分解される”」ことに「“言及”」した。そして、「この“最終段階”で、“超能力”の、“神秘的な力”が、“現れる”」と、「“指摘しておいた”」わけである。

 

「“その中の1つ”が、“人間の感覚”(=“個体の自我”の“感覚”)で、“体験した情報”(=“過去”の“体験情報”)を、“自分の日記帳”に、“記述する”(=“記録する”)」ことであり、「“分解した”、“分身・自我”が、“文字”(=言語)によって、“記録する”」ことである。

 

「“自分”の、“個人”に関する、“アカシック・レコード”が“存在”し、“そこ”に、“記録する”」場合に、「“分解”した、“神の光”が、“用いられる”」という、「“プロセス”が、“本論”では、“図解されている”」わけである。

 

つまり、「“記憶現象”の、“元に成る”、“自分の体験”を書いた、“日記帳”」のことで、「“天から与えられた”」、いわゆる、「図13の、図(hh)の、“アカシック・レコード”とは、“別”」に、しかし、「やはり、“同様”に、“宇宙空間”(=“あの世”を“含む”、“心の構造”の“中”)に、“存在する”」ことが、「“仮定されている”」わけである。

 

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「“既”に、“私のブログ”では、“公開されている”」けれども、「ここでは、“筋書き”(=“全体概念”の“構築”)の“理解”を“優先させる”」ために、「“省略してある”」わけである。

 

しかし、「“注目すべき”」は、「“神の光子”」とは、「“図形や文字”が、“書かれる”時の、“手段と材料”を、“提供する光子”である」と「“仮定する”」ならば、「“神の光子”は、“暗黒物質”(=ダーク・マタ―)」に「相当する」ことも考えられる。

 

加えて、「図16に示した、“あの世”と“この世”の“境界層”」は、「霊体が、肉体・人間の誕生の目的で、“あの世”から、“この世”に、“移動する場合の力”」と、「地球上で、“肉体から遊離”した“霊体”が、“この世”から、“あの世” に、“移動する場合の力”」という、「“2種類”の、“相互に、逆向きの力”が、“共存する”」という「“相互関係”」であり、「“宇宙物理学”における、“万有引力”と“ダークエネルギー”(=“万有引力”とは、“真逆の力”)が“共存する状況”の、“特徴”に、“類似している”」わけである。

 

というのは、「“暗黒物質”(=ダーク・マタ―)は、未だに、“その存在”が、“確認されていない”」ということであり、「“確認されていない”のは、“物理学の常識”として、“客体側”の、“粒子”である」ことを、「“想定する”ことに、“原因がある”」のかもしれない。

 

というのは、「“図形”や“言語”の“文字を書く”ための、“要素”である」という具合に、「“仮定する”」と、「具体的に、“神の光子“を、“量子化する”ことで、“主体の単位”」と見なして、「“主体”の“構成要素”である(=“単位ベクトル”)であっても、“良い”」、わけである。

 

つまり、「“暗黒物質”(=ダーク・マタ―)が、“超能力者だけ”に“見える”、“神の光子”であっても、“良い”」という「“理屈”」である。

 

「“希望的な展望”」として、「“宇宙物理学者”が、“暗黒物質”(=ダーク・マタ―)の“湧き出す“中心である、”源泉“(=霊太陽)の”存在“」を、「”証明してくれる“」ことを「”期待したい“」わけである。「”本論“は、”超能力者“である、ブレナン女史の、”観察結果“(=普通の人に、見えない現象が、見える)から、”メカニズム“を”見出す“」だけの「”研究である“」からである。

 

つまり、「ブレナン女史の、”観察結果“」に対して、「”そのまま“では、”信用できない内容“」のように「”思われる“」が、「”独創的な概念“を、”導入“して、”徹底的“に、”

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理論化する“」と、「”これだけの真実“が、”明確に成る“」ということ、「”示す“ための”研究“」である。

 

しかも、「“ブログ”で、“明確”にした、“個別のメカニズム”」は、「“現状の、西欧の科学”の“価値観”では、“解決”が、“絶望的な問題”」に対して、「“筋書き”の“明確”な、“メカニズム”を、“提供できる”」ことを、「“証明している”」わけである。「ここでは、ブログで公開している、“個別のメカニズム”を“理解する”」ために、「“不可欠”な、“独創的な概念”だけ」について、「“先行”して、“詳述している”」わけである。

『図17(R2-図17)』

「図17は、ファインマンの、“仮想実験”の“筋書き”」と、「バーバラ・A・ブレナン女史の、“宇宙エネルギーフィールド”に関する、“観察結果”の“筋書き”」を、「“本論”の、“独自の見解”(=視点)に基づいて、相互に、“比較した内容”」である。

 

「図17の、図(AA)の、図(aa)は、ファインマンの、“仮想実験”における、“鏡面・反射”の、“右側半分”の“図解”」であり、「図(bb)は、光子の経路の違いに基づく、経過時間の違い」を示している。「図(cc)は、“光子”の、“スタートの時刻”」であり、「図(dd)は、“光子”が、“ゴール”に、“到達した時刻”」を示している。すると、「“移動距離”の“長さ”が、全て、“異なる”」のに「“対応”」して、「“経過時間”は、“いずれも、異なる”」というわけである。

 

「図(bb)は、“本論”の、“考え方”の“特徴”を、“箇条書き”で、“強調(=要約)してある”」だけである。

 

一方、「図17の、図(BB)の、図(hh)は、ブレナン女史の、“宇宙エネルギーフィールド”の、“7階層の特徴”」を、「“7種類”の、“空間量子”の“大きさ”に、“分解”した、“本論のイメージ”」における、「“7種類”の、“空間量子”を、“超・巨大”な、“サイクロイドの壁面”の、“それぞれの高さ”」から、「同時に、“降下”させる“実験”」の「“イメージ”」である。

 

そして、「図(kk)は、“7種類”の、“空間量子”を、“降下”させる、“スタートの時刻”」であり、「図(ll)は、“7種類”の、“空間量子”が、“ゴール”である、“サイクロイド(=等時曲線)の“底部”への、“到達時刻”」を示している。すると、「“移動距離”の“長さ”が、全て、“異なる”」のに、「“経過時間”は、“いずれも、同じである”」というわけ

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である。

 

図17の、図(CC)の、図(nn)と図(oo)]は、「“ファインマンのケース”で、“観測者”が、“用いる時計”の“形状”と、“測定のイメージ”(=“移動距離の違い”に応じた、“経過時間の違い”)」を表し、また、「図(DD)は、“ブレナン女史のケース”で、“サイクロイド”において、“観測者”が“用いる時計”の“形状”と、“測定のイメージ” (=“移動距離の違い”があっても、“経過時間は、同じ”)」を表している。

 

結局、「“ファインマンのケース”と、“ブレナン女史のケース“」では、「いずれも、”スタートの時刻“は、”同じ“」であるが、「”到達時刻“だけに、”違い“がある」というだけである。

 

それなのに、「“同一のタイプの現象”で“ある”」と、「“結論付ける”、“理由”は、“両方”とも、“物理学”による、「“主体側”(=全体の構図)から、“切り離した”(=“デジタル化した”)、“客体側”の“現象(=”部分“だけを、”主役“にした)”とは“見なさない”(=“デジタル”な、“分析”とは、見なさない”)」という「“見方”」であり、「“主体側”を含めた、“全体”の、“行動原理”で、“ある”」という具合に、「いわゆる、“個体の自我”(=主体側)と、“客体側”の“物体”(=“光子”と、“空間量子”)の、“両方”が、“結合した結果”」である、「“意識”の“行動原理”である」という具合に、「“見なす”」からである。

『図18(R2-図18)』

「図18の、図(AA)は、“ブレナン女史の、宇宙エネルギーの7階層”を、“空間量子の7階層”に、“置き換えたシステム”」の、「“1番、下位側”の“階層Ⅰ”の“2種類”」で、「図(bb)の“右側”は“エネルギー・フィールド”(=“人間・成体”の“設計図”)」、「図(aa)の“左側”は“物質”(=“人間・成体”の“肉体”の“全体像”)」を表している。

 

そして、「“ブレナン女史の、宇宙エネルギーフィールドの7階層”」は、「“宇宙”(=“あの世”)に存在する、“神の光”の“源泉”(=“霊太陽”)から、“神の光”が、永続的に、“湧き出す”ことで、“宇宙空間”に、“放射される”」という「“観察・結果”」のことである。

 

すると、「“人間”の、“1個”の“受精卵の設計図”が、“伝送”」されて、「“地球上”で、

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“1個”の“受精卵”から、“細胞分裂”」が生じ、結果的に、「“60兆個”の“細胞集団”が“形成”されて、“1人”の“人間・成体”の、“60kgの体重”の、”構造と機能“が、”完成する“」まで、「”時々刻々“に、”変化“した、”設計図“が、”連続的“に、”伝送され続ける“」ことを意味する。

 

そこで、「“天”から、“伝送”されて来る、その時の、“設計図”」に従って、「“物質”(=細胞)を“積み上げ”て、“人間”の“姿・形”の“全体像”を、“構築”して行く“組織体”」が、「“1番、下位側”の“階層(=Ⅰ)”の、“2種類”」で、「“右側”は“エネルギー・フィールド”(=“人間・成体”の“設計図”)」、「“左側”は“物質”(=“人間・成体”の“肉体”の“全体像”)」の「“中間の間隙”に、“介在している”」必要がある。

 

その「“組織体”が、図12の(CC)で示した、“発生学の6階層”」である。しかし、「“発生学の6階層”は、“階層”の“違い”を、“代表”させた、“1人”の“自我”の“存在”で、“表現してある”」“だけ”であり、「実際には、“末広がり”の、“自我の階層”の“システム”が、“存在する”」わけである。

 

そこで、「図18の、図(aa)の、“1人の人間・成体”を、“1個の受精卵”の構造に、“置き換えた”」のが、「図(dd)の、“三角形と、”受精卵”」であり、「図(ee)の、“7階層のオーラ”は、その“受精卵”が、“人間”の“受精卵である”」ことを「“示している”」という具合に「“考えた”」わけである。

 

一方、「“本論”では、“個体の自我”が、“受精卵の誕生”と、“同時”に、“誕生”」し、その「“個体の自我”が、“総司令官”となって、“その後”の、“細胞分裂”や、“細胞の分化”を、“指揮”し、“統括”し、かつ、“管理する”」という、「“役割”を考える」ことに「“特徴”」があった。「図(AA)の、図(dd)では、“個体の自我”(=“総司令官”)と、“細胞の自我”の、それぞれを、“マンガの違い”で、“表している”」けれども、「その“存在場所”の“違い”に、“注目すべき”」である。

 

つまり、「“個体の自我”(=“総司令官”)は、“三角形”(=“境界”を表す、“皮膚面”)の“内側”で、“細胞群”の“外側”に、“1人”だけ、“存在する”」、「“細胞の自我”は、それぞれの“細胞”の“内側”に、“細胞の数”だけ、“存在する”」と考えるわけである。

 

従って、「図(CC)の、図(gg)」は、「“個体の自我”(=“総司令官”)と、“増加”して行く“細胞の自我”の、“相互関係”」を、「“拡大する”(=徐々に、巨大化する)、“三角形”の“内側”に、“マンガ”で、“示してある”」わけである。

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「図18」は、「何故、“このような、構図”を、“前提”とするのか?」という「“理由”を“説明する”」ことを、「“目的”としている」のであるが、その前に、「“一般の人”が、“持っている”、“根拠”(=常識)の、“誤解の1つ”」を、「“指摘”」しておきたい。

 

それが、「図(BB)であり、図(a)と、図(b)の“関係”」は、「図(a)が、“超能力者”で、図(b)が、“普通の人”の“体内の内臓”」を表していて、「“超能力者”が、“他人の体内”を、“透視できる”」ことを表している。また、「図(c)も、“超能力者”で、図(d)は、“カーテン”の“裏側”に、“種々の形”を“並べて置き”、“超能力者”が、“それらの形状”を、“透視”によって、“当てる”」という「“マジック”(=“実力の確認”)を、“示している”」わけである。

 

つまり、「“超能力者”には、“透視能力”が“ある”」ということの「“解説”」として、「“X線”のような、“粒子”の“通過”に相当する“能力”を持っている“」という具合に、「“能力の存在”が、“当然視”されている」という「“物理学的”な、“常識がある”」のであるが、「“その常識”は、“メカニズム“としては、“原理的”な、“間違い”である」ことを、“「指摘した図”」なのである。

 

「“簡単な理由”は、“超能力者”は、“写真を撮る”のが、“目的ではない”」のであり、「“患者”の“病気の原因”を、“透視”するだけでなく、“治療する”」わけであるから、「“透視だけ”では、“治療”は、“実現できない”」という「“明瞭”な、“理由”」を挙げられる。つまり、「“治療”を“可能”にする、“透視”」とは、「“どういうメカニズム”であるのか?」を、「“研究の対象”に、“すべき”」なのである。

 

「“結論”から、先に、“指摘しておく”」と、「“超能力者”の、“励起された”、“個体の自我”(=“光・自我”)が、“バラバラに分解”されて、“他人の体内”に、“潜入”して、“他人”の“体内”の、“全部の細胞”に、“分配”」されて、「“他人の細胞”の“内側”で、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)に“換わる”」ために、つまり、「“他人の体内”の、“全部の細胞”の“内側”に、“存在”」して、「“他人”の、“体内の状況”を、“同時に、シンクロナイズ”して、“見る”」ために、「あたかも、“他人の体内”の、“全部の構造”が、“見える”」ように、「“感じる”」わけである。

 

そして、「“普通の人”においては、“大きくなった”、“合成ベクトル”(=“ベクトル・自我”)が、“バラバラに分解”して、“他人ではなく”、“自分の細胞”の“内側”で、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)に“換わる”」ために、「“記憶”という“現象”が、“メカニズム”として、“成り立つ”」わけである。

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ともかく、「“透視の現象”は、“光自我”(=“超能力者”の“ケース”)や“ベクトル自我”(=“普通の人”の“ケース”)が、“バラバラに分解”して、“全部の細胞”の“内側”に、“分配されるメカニズム”の“存在”が、“不可欠”」なのである。

 

そこで、「“分配されるメカニズム”が、“光自我”(=“超能力者”の“ケース”)では、“他人の体内”に“潜入する”」ことから、「いわゆる、“洗脳現象”を、“誘発する力”を、“持つ”」のであり、「“分配されるメカニズム”が、“ベクトル自我”(=“普通の人”の“ケース”)では、“自分の、体験”を“記録”した、“個人のアカシック・レコード”に、“潜入する”」ことから、「いわゆる、“自分の体験”の“記憶現象”を、“思い起こす力”を、“持つ”」わけである。

 

つまり、「“個体の自我”が、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)まで、“バラバラ”に、“分解されるメカニズム”の“存在”」は、「“超能力者”も、“普通の人”も、“共通”して、”持っている“」のであるが、「”異なる“のは、”超能力者“の、”励起した“、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)は、“他人の意識”(=他人の、“アカシック・レコード”)の“領域”まで、“潜入できる”」けれども、「“普通の人”の、普通の、“主体の単位”(=“自我”の“潜在モデル”)が、“潜入できる”のは、“自分の、体験の日記帳”である、“個人”の(=“自分”の)“アカシック・レコード”、“だけである”」という、「“意味”(=違い)」である。

 

「“物理学者”を含む、“一般の人”」は、「“主体の単位”まで、“バラバラに、分解する“という”視点“(=”主体側“の”観測者の存在“を、”無視する“、”視点“)」ではなくて、「”粒子“(=客体側)が、”通過する現象“を、“透視のメカニズム”と見なす、“短絡的”な、“視点”」は、「“脳科学者”の、“記憶の研究”や、“痴呆症の研究”にも、そのまま、“思慮を欠く理由”として、“適用できる”」わけである。さらに、「もっと、“具体的な例”で、以下に、“説明しておく”」ことにしよう。

 

例えば、「図(CC)の、図(gg)の“三角形”の“内側”に、“描いてある”」のは、「“1個”の“受精卵”から、“2分裂”し、さらに、“それぞれ”が、“2分裂”して、“4個の細胞”に、“増殖する”」場合の、「“細胞・分裂”の、“系譜”である」ことは、「“了解できる”」であろう。

 

ところが、「“過去”と、“今現在”という、“体験的な時間”の“相互関係”を、“峻別する”」という「“立場”」では、「“不可解”な、“細胞分裂”の“系譜”に、“見える”」わけである。というのは、「例えば、“1個の受精卵”が、“分裂の直前”までは、“今現在”に、“存在し

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ていた”」けれども、「“分裂の直後”には、“2個の娘細胞”だけが、“今現在”に、“存在”して、“1個の受精卵”は、“今現在”から、“消えている”」からである。

 

「“分子生物学”では、“DNAの複製”によって、“新しい細胞”が、“誕生する”」ことに「“成っている”」が、「“この場合”は、“1個の受精卵”と、“受精卵が、産み出した”、“娘細胞の1個”が、“共存している”」という、「“イメージ”」に成るわけで、「“1個の受精卵”が、“今現在”から、“消滅した”(=“過去に消えた”)」という、「“印象”は、“得られない”」はずである。

 

ところが、「ここでいう、“2分裂後”に、“1個の受精卵”が、“過去に消える”」という「“意味”は、“1個の受精卵”が、“死んだ”ために、“今現在”から、“消えた”」という、「“意味ではない”」わけである。

 

「“受精卵の設計図”(=“エネルギーフィールド側”)が、“過去”に、“行き”、さらに、“エネルギーフィールド量子”として、“存在している”だけで、“生き続けている”」のであるが、「”肉体“(=細胞)を、“失った“」ので、「”普通の人間“には、”見えない“(=”超能力者“には、”見える“)」という「”意味“」なのである。

 

「“人間個体”が、“死ぬ”と、“今現在”の、“この世”に、その“存在”(=生命)が、“見えなくなる”」のは、それまで、「“この世”に、“生きていた生命”である、“個体の自我”だけが、“この世”から、“消滅する”(=立ち去る)だけ」で、「“肉体(=物質)だけが、”生命の消えた状態“で、”残る“」ことに「“由来する”」わけである。

 

だから、「“人間”(=自分)は、“肉体(=物質)だけ”である」と「“考える人”」にとっては、「“肉体の死”は、“この世”の“終わり”(=“自分”の“終わり”)」であり、「“その後”(=死後)の“存在”(=“自分の存在”)は、“イメージできない”」わけである。

 

「“この視点”(=“人間の死後”は“無の世界”のみ)は、“物理学”、あるいは、“西欧の科学”の“基本思想”」なのである。

 

従って、「“分子生物学”や“脳科学”は、“人間の死後”は“無の世界”だけである」という、「“常識”を、“当たり前”」のように「“考え”」て、「“細胞”の“今現在”や“過去”にも、そのまま、“適用する”」ので、「“記憶のメカニズム”を、“解明できない”」わけである。

 

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「“逆説的”には、“過去”に、“生きている細胞”(=“エネルギーフィールドの側面”)が、“存在する”」ことを、「“考慮”しなければ、“記憶や認知症”の“メカニズム”は、“解明できない”」ということである。

 

「図18の、図(DD)と図(EE)」は、「大きく、“2段”の、横向きの、“三角形”(=“角が切断”されている)に、“分かれている”」が、まず、「上段の、図(DD)の、“三角形”」に注目しよう。

 

「図(DD)の、“三角形”」は、更に、「“3種類”の“三角形”が並び、“右側”から、図(nn)、図(mm)、図(ll)の“順番”に、“左側”へ向けて、“三角形の大きさ”が、“大きく”成る」ように描いてある。

 

そして、「それぞれの、“三角形の内側”には、“2人の観測者”、つまり、“個体の自我”に、“対応する”、“観測者のマンガ”」と、「それぞれの“細胞”が、“2重の四角”で、“描いてある”」ので、「“2重の四角”の、“内側の四角”は、“細胞のエネルギー・フィールド状態”(=霊状態の“設計図”)」と、「“2重の四角”の、“内側の四角”は、“細胞の物質状態”(=“肉体の細胞”)」の、「“2通り”が、“区別されている”」わけである。

 

そして、「“2重の四角”の、“外側の四角”は、さらに、「“2通り”」に分けてある。つまり、「1番目は、“細胞の自我”に“対応する”、“今現在”の、“観測者“(=外側の”□“)」で、「2番目は、同様に、“細胞の自我”ではあるが、“過去”の、“観測者“(=外側の”□“)」という具合に、「2種類に、”区別“して、”描いてある“」わけである。

 

すると、「図(nn)の場合は、“2分裂”まで、“進んだ段階”」であり、「“直前に存在”した、“1個の受精卵”の、“エネルギー量子”(=内側の四角)が、“過去”の“存在”」であり、「“外側”の、“細胞の自我”は、“エネルギーフィールド状態”で、”過去“に、”生きている“」ことを「”表している“」わけである。

 

また、「“2個の娘細胞”の、“外側の四角”(=霊的な存在である、“細胞の自我”)は、“両方”」とも、「”今現在“の”物質の細胞“(=肉体の細胞)に、”存在している“」だけでなく、「”過去“の、“エネルギーフィールド”の方にも、同様に、”生きている“」ことを「”示している“」わけである。

 

つまり、「“2重の四角”の、“内側”の、“状態”(=黒と白の区別)」によって、「“エネルギーフィールド量子”(=設計図)と、“物質細胞”(=肉体の細胞)の、“区別”が、“行わ

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れている”」わけで、「“外側の四角”は、“両方”とも、“生きている”、“細胞の自我”である」というわけである。

 

従って、「“内側の四角”が、“エネルギーフィールド量子”(=設計図=黒)の場合は、“過去の存在”(=■=霊的な存在)である」こと、また、「“内側の四角”が、“物質細胞”(=肉体の細胞)の場合も、“今現在の存在”(=□)である」ことを意味する。

 

すると、「図(mm)では、“8個の細胞”(=8人の、細胞の自我)が、“今現在”に、“存在”(=□)」し、「“7個の細胞”(=7人の、細胞の自我)が、“過去”の“存在”(=■=霊的な存在)である」ことが、「“明瞭”に、“区別”して、“描いてある”」ことに成る。

 

というのは、「“三角形の受精膜”(=“皮膚の境界”)の“形式”に、“描き直す・工夫”(=“操作”)が、“行われない”」とすれば、「“過去の細胞群”(=■=霊的な、“細胞の自我”の存在)は、“今現在”の“視界”から、“全部”、“消滅”してしまう」わけである。

 

「“上記”」のように、「“過去の細胞群”の“存在”(=■=霊的な、“細胞の自我”の存在)が、いわゆる、“体験情報”を“記録”する場合の、“日記帳”の“ページ”に成る」という「“考え方”が、“記憶のメカニズム”を、“考慮する”」ためには、「“不可欠”」なのである。

 

一方、「図(nn)の“左側”には、“上向きの矢印”」が示してあり、「いわゆる、“過去”に、“遡る”、“イメージ”」が、「“強調してある”」わけである。

 

「このように、“過去に遡る”」という“表現”は、“タイム・トラベル”である」けれども、「“遡る”という“言葉”は、“今現在”の“領域に、存在”する、“細胞の自我”(=霊的な、存在)の“立場”」で、「“過去”の“領域に、存在する”、”霊的な、細胞の自我“に、”面会に行く“」という「”イメージ“」であり、「”細胞の自我“の”立場“に、”立った時“にだけ、”使うべき、言葉“である」ことに、「”気付く“ことが、”重要“」なのである。言い換えると、「ベクトル・分解した細胞の自我は、全部、超能力者と同じ、能力(=エネルギーフィールドが見える=”神の光“が見える)を持つ」ために、「霊的な、”細胞の自我“が見えるし、会話もできる」というわけである。

 

というのは、「“個体の自我”の“立場”に“立つ”」場合は、「“三角形”の“内側”で、“細胞群”の“外側”は、“全部”、“今現在”の“空間である”」からである。そして、「その“範囲”(=三角形の内側)であるならば、“個体の自我”の“観測者”(=人間のマンガ)は、

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“瞬間移動”(=トランスポーテイション)が、“可能である”(=“過去”に“遡る”、“必要はない”)」ということである。

 

「“こういう事情”が、“ある”(=物理学では、“観測者”の“上下関係”や“存在場所”などを、“無視する”のが、“常識”なので)」ので、「“主体の生物学”にとっては、それぞれの“観測者”の、“存在・位置”」については、「“最初”に、“厳密”に、“定義しておいた”」ことに成るわけである。

 

つまり、「“物理学”の“常識”が“先行する”」と、「“上記”のような、“観測者”の“立場の違い”は、“無視される”」ので、「“記憶のメカニズム”は、“永久”に、“解決できない”」ということである。

 

「図(mm)や図(nn)にも、“過去に遡る”、“イメージ”(=“上向きの矢印”)が“書いてある”」けれども、「いずれも、それぞれの“三角形”の“内側”の、“細胞の自我”(=霊的な、存在)が、“過去に遡る”」のであり、しかも、「“三角形”の“内側”には、その時代の、“個体の自我”(1)(2)(3)などが、“3種類の三角形”の、それぞれの、“今現在の領域”に、“存在する”」わけである。

 

「“3種類”の“三角形”を、“並列”に、“描いてある”」のは、例えば、「“大昔の記憶”と、“青年時代の記憶”と、“直近の記憶”の、“3種類”を、“区別する”」ためであり、「“この場合”は、“4番目”の“個体の自我(4)”(=マンガ)の“存在”を、“3種類”の“三角形”の“外側”に、“想定してある”」わけである。

 

「これらは、“老人”に成ると、“昔の記憶”は、“正確である”」けれども、「“直近の記憶”は、“直ぐ”に“忘れる”(=“老人ボケ”と呼ばれる)という、“常識”に、“対応させる”」ためである。

 

結局、「“個体の自我”(=霊的な、存在)は、“一生涯の長さ”に渡って、“今現在”を、“感じ続ける”」わけだから、「“下段の三角形”のように、“1人”だけ、“存在”して、“自由自在”に、“今現在の領域”(=“三角形の内側”)を、“動きまわる”」ことが、「“可能である”」ということである。

 

「現状の、“脳科学者”(=分子生物学者)が、“記憶現象”は、“今現在”に“存在する”、“神経回路”の“中”(=“脳の中”)に“ある”」と「“主張する”」のは、「“今現在”を、“感じる”」のは、「“個体の自我”(=霊的な、存在)」であり、「“過去”の“体験情報”は、

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“過去の細胞群(=霊的な、細胞のエネルギーフィールド)”の“中”に、“書き込まれている”」ことに、「“気付かない”」ことに「“由来する”」わけである。「“言い方を変える”」と、「現状の、“脳科学者”(=分子生物学者)は、“人間の心”は、“脳にある”」と「“指摘している”」わけである。

 

「“今現在”の、“細胞の自我”(=霊的な、“作業員”=“個体の自我”の“分身”)が、“過去に遡る”」ことで、「“過去に、”生きている“、”昔の、細胞の自我(=霊的な、細胞の自我)“に、”面会する“」ことによって、「”過去の記録“の、”存在場所“に、”遡る“」という具合に、「”細胞の自我“の”立場“に、”立つ“」という、「”階層的“に、”立場を、換える“という、”発想が、ない“(=”物理学者“には、”観測者“を、”換える“という”発想“が”ない“)」ことに、「“原理的”に、“由来する”」わけである。

 

「図(EE)の、“点線矢印”で“示す”」ように、「“今現在”の“領域に、存在”する、“細胞の自我”(=霊的な、存在)が、“過去の領域”に、“遡り”ながら、“選択的”に、“自分の体験”の“記録”が、“記入された場所”を、“探索”して、“その情報”と、“握手する”、“プロセス”」と、「“実線矢印”で“示す”ように、“個体の自我”(=霊的な、存在)が、“瞬間移動する”、“プロセス”」の「“両方”が、“同時に、生じている”」のであるが、「“個体の自我”は、元々、“細胞群”の“外側”で、“三角形”の“内側”の、“今現在”の“全領域”を、“瞬間移動できる”」けれども、「“細胞の自我”(=霊的な、存在)は、“細胞の立場(=”細胞の自我“の立場)”に“立つ”ので、“過去に、遡る”」という具合に、「“表現している”」わけである。

 

つまり、「細胞の自我(=霊的な、存在)」と呼ぶ時は、「物質の細胞の中に、“人格の存在”を、常に、想定している」わけである。だから、「昔の教科書の細胞(=受精卵)」には、「物質の代わりの、霊的なフィールドの中に、同様に、“霊的な人格”を、想定していた」ことに成るわけで、「基本的に、“霊的な人格”と物質の、“二重構造で存在する”」という「哲学が、先行する必要がある」というわけである。

 

そして、「個体の自我の場合は、自我が独立すると、死体(=物質)が残る」けれども、「細胞の自我(=霊的な、存在)の場合は、“個体の自我”の立場の、“今現在という、特殊な環境に存在する”」ので、「“細胞の自我”(=霊的な、存在)は、今現在の細胞(=物質)をまとった“霊的な自我”と、細胞(=物質)を脱ぎ捨てた、“霊的な自我”が、“個体の自我”(=霊的な、存在)が創り出す“広場”(=今現在の領域)の中に、共存して、並んでいる」というわけである。

 

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また、「“個体の自我”は、“今現在”を、“自覚できる”、“観測者”である」けれども、「“細胞の自我”は、“個体の自我”の“分身”である」から、「“分身”は、“過去”に、“移動中である”」ことを、「“自分”では、“自覚できない”」わけである。

 

この時、「“細胞の自我”が、“分身”である」という「“発想”は、“ベクトル合成”された、“個体の自我”」に対して、「“細胞の自我”は、“合成ベクトル”を、“構成する”、“単位ベクトル”である」という、「“ベクトル”の“視点”から、“明確に成る”」わけである。

 

しかも、「“個体の自我”が、多数の、“細胞の自我”に、“分解”される“局面”は、“超能力”の“メカニズム”を“説明するプロセス”で、“一層、明確に成る”」というわけである。

 

つまり、「“最も重要”な“視点”」は、「図(AA)の図(aa)に示す」ように、「“エネルギーフィールドの存在”(=霊的な、“設計図”)と、“物資的な存在”(=肉体)の、“両者”が、“共存している”」ということで、「“マンガ”で示した、“成体・人間”の“個体”が、“死ぬ”(=“肉体の死”)」と、「“7階層の、エネルギー量子” (=”三角形“の”全体“)は、再び、“天空”(=宇宙)に、”引き上げられ“て、”エネルギー量子“の”部分“は、“天空”(=宇宙)で、“単独”で、“生きている”」という、「“二元論”の、“発想”が、肝心である」というわけである。

 

ところが、「“細胞の自我”(=”下位側の観測者“)は、“三角形”(=“皮膚の境界面”)の、“今現在の領域”の“内側”である」という、「“特殊”な、“過去の領域”に、“分類されている”」“だけ”なので、「“個体の自我”(=総司令官=“成体・人間”)の、”エネルギーフィールド量子“(=”三角形“の”全体“)のように、”天空“(=宇宙)に、”引き戻される“、”状況“では、”ない“」ということである。

 

「このように、それぞれの”立場“と、それを”明確にする“、”描き方“の”工夫“」が、「”記憶“の”メカニズム“を、”明確にする“ためには、極めて、”重要である“」ということである。

 

だから、「”宇宙エネルギーの7階層“である、”天から“、”与えられた“、”アカシック・レコード“」と、「“個人”の“体験の記録”が、“時系列”に、“書き込まれている”、“個人の単位”の、“アカシック・レコード”」を、「“区別する”」という、「“必要がある”」わけである。

 

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そして、何よりも、「ファインマンが、“光子の経過時間”を“測る”」場合に、「“観測者”の“存在”や“状況”(=“主体側”の“状況”)を、“無視していた”」ように、「“物理学者”の、“デジタル化”(=“全体”から、“部分”を、“切り離す”という“操作”で、“単純化する”、“傾向”)してしまう、“習性”(=哲学)」は、「“分子生物学者”である、“脳科学者”や、“発生学者”」にも、「“共通している”」というわけです。

 

「こういう“説明”が、“可能である”」のは、「具体的に、“個人の体験情報”を、“記録する方法”や、“探し出す方法”の“メカニズム”が、“私のブログ”に、既に、“図解されている”」ということで、「“特”に、“誰”(=“主体側”)が、“体験情報”を、“記入”したり、“読み出し”たり、“編集”したり“するのか”?」を、「“明確にする”、“必要がある”」わけです。

 

「“体験情報”を“感じる”のは、“個体の自我”(=総司令官)である」けれども、「“上記”の、つまり、“体験情報”の“観察結果”を、“自分の日記帳”へ、“書き込み”・“読み出し”・“編集”を“実行する”」のは、「“細胞の自我”(=“個体の自我”の“分身”)である」ということを、「“メカニズム”として、“明確にする”」ことが、「“不可欠である”」ということなのです。

 

「“超能力者”の場合は、“他人”の、“アカシック・レコード”まで、“書き込み”・“読み出し”・“編集”が、“可能である”(=“励起”された“分身の存在”)」ために、「“他人”は、“自分”が“知らない間”に、“過去の体験情報”を、“超能力者”(=の“分身”)によって、“意図的”に、“変更されている”」という、「“状況”が、いわゆる